お金

家計簿

独身実家暮らし、30代の男の家計簿を載せます。

9月は夏休みということで、有給取って九州に2泊3日で行ったのが大きいですね。
また、9月で工場派遣労働は終わり。
10月は新米庭師となりました。

他人から見れば激動のようですが、当人は特に何も感じず、「普通」です。
家計簿も、普通です。

収支内訳

収入224,646円
給与収入(手取り)209,842円
資産運用益18円
ネット収入14,286円
雑収入500円
支出43,284円
食費0円
雑貨費8,633円
車両交通費4,569円
医療費3,220円
保険0円
娯楽費(九州旅行中の出費全て含む)23,704円
通信費3,158円
雑費1,000円
当期純利益180,362円

収入について

9月は工場派遣労働のみで、造園バイトの給料は無し。

思えば、あの仕事も楽な割にはそれなりに稼げるものでした。
結局辞めたのですが、仕事へ何を求めるかという問題であって、ブラックでも何でもなかったのです。
むしろホワイトでした。
そこんところは気が向いたら一気に記録するでしょう。

特に使うことも無く、漫然と貯蓄したり投資したりしています。
奨学金返済中はもっと副業とか節約とか、そういうのに鬼気迫る勢いで努力していたんだけどなあ。
最近は「もっと稼ごう!」だなんて、ほとんど思いません。

支出について

九州旅行に関する費用が大きめ。
高速道路代や現地での食事は全て娯楽費に仕訳。

しかしそれ以外は、ほぼなんも無し。
休日は近場で釣りしたりするくらい。
気温が低くなって外に出やすくなりましたが、しかし増えるのはガソリン代くらいです。
しかもそれにしたって、燃費の良いバイクですからね。

雑費はwikipediaへの寄付。
いつもお世話になってるから。
ウィキペディアンとか、ああいうボランティアは、どのような気持ちで編集しているのだろうか。

9月の生活について

9月、何したっけ?と思って日記を読み返してみる。
基本は工場労働で特に思い出らしい思い出も無く、まあ淡々とやってました。

30代になってもやっぱり悩みはあるようで、日記のネタのために捻りだしただけかもしれないけど、色々と書いてます。
しかしこうやって何かを書くと悩みも少しだけ軽減されます。
何も書かなければ自分はどうなっていただろう。
昔から、何かしらは書いている。

10月からは新しい環境です。
嫌になることもそりゃあるでしょう。
少し嫌なことがあっても、失望し過ぎず、熱中し過ぎず、燃え尽きないように、ダラダラと続けてみようかと今は考えていますが…

日記

造園の仕事を始めて3,4日目。
公園の芝刈りの仕事。
体力はそれなりに使うが休憩所もトイレも水場も整っている場所だから、楽なものだ。
手押しの芝刈り機を使って大型芝刈り機と刈払機の間の、微妙な場所を刈っていく。

こうやって、目の前の仕事をしていたら、正直視野も狭くなる。
だから時々、自分が今までどのような人生を送って、どのような場所に住み、どのような環境で仕事をしているかを意図的に再認識している。
目の前のことしか見てなかったら、「疲労」というただの苦痛を得るだけだが、「役」を認識すれば広い世界の中の一員に思える。

今は庭師になっており、とりあえず一通りの基本的な技術と知識は得ようかと思う。
まずは2級造園技能士を取ることを目標とした。
学科と実技があり合格率もあまり高くないが、取れば庭師とはどのようなものかが何となく分かることだろう。
試験は4ヵ月後くらい。
今はまだちょっと意識するのと、申請書をちゃんと出すことだけだ。
勉強は、まだ本腰入れなくてもいけるか…
「半年毎日やれば受かります」なんて試験でも、本腰入れたのは1ヵ月くらいで受かったりしたし。
まあ、大丈夫だろう。

旅行

10月4日は休日。
曇りなので近場の観光でもすることにした。
徳島からほど近いからこそ今までちゃんと観光しなかった、香川県白鳥と引田に行った。

営業時間開始前に到着したから、まずは散策だけで観光出来るところへ。
まずは何となく寄った安戸池。
本当に何も知らずに来たが、ここはハマチなどの養殖とルアー釣りが出来るようで、日曜日だけあって人は結構多かった。
こんな釣りやすい場所で大物釣れるだなんて、面白いじゃないか。
料金は釣りにしてはちょっと高めだが、持って帰れる物が物だから良いかも。
また釣しに来るかもしれん。景色も良く、波の無い池と漣が聞こえる瀬戸内海が美しい。

次は白鳥のランプロファイアに行ってみる。
地質学的に貴重なようだ。
引き潮でないと基本的に行けないが、この時はちょっと道が沈没。
靴と靴下を脱いで進んだ。
見えたものは縞状の岩石。
素人には地層との違いがよく分からないぜ。

また引田に戻り、施設内観光。
最初に讃州井筒屋敷へ。
立派な商家で、美しい建築と庭園だけでなく引田の産業の歴史が分かる。
木がふんだんに使われ、感じられる建築って、やっぱり好きだよ。

引田の町はところどころに古い家が残り、密集した町。
漁師町とも商家町とも思える。
静かな散歩を楽しんだ。

引田の歴史民俗資料館にも行ってみた。
無料だが、市の資料館の割にはなかなかいい感じだった。
地元のことを過不足なく伝えているような気がする。
我が故郷にも、このくらいのものが必要なのではなかろうか・

白鳥はあまり行くところないかなあ、と思っていたが白鳥神社に行ってみた。
回廊が長く、松原が美しく、由緒正しい神社のようだ。
境内すぐ近くにはクスノキの巨木がある。
ここまで大きいと、やはり何かしら感じるものがある。

最後に引田の翼山温泉で日々の疲れを癒した。
前々日から造園業を本業としたが、ずっと続くから疲労回復を意図的に行わなければならないと思う。
久しぶりにサウナと水風呂の温冷交代浴を2セットやったら、身体の奥深くのつっかえが少し無くなったような、根本的な疲労が軽減出来た気がする。
人間、やれと言われれば一応は動ける。しかし根本的な疲労が溜まっていたら、自律的には動けない。
これからも休日はどこかの温泉に入ろうかしら。
最近涼しくなって心地よいし。

そんなに離れてない場所を観光したが、なかなか楽しくて気持ちの良いものだった。

日記

バイトに行っていた造園業を本格的に始め、庭師になることになった。
しかし今はまだバイトの時と作業はほぼ変わらず。
扱いも、隔日で来る人から、毎日来る人に変わっただけだ。

刈込バサミやエンジントリマーの使い方も少しずつ分かってきたものの、庭師の仕事はそれだけじゃない。
車の配置、脚立の置き場、養生シートの拡げ方などなど、1つ1つにコツがあって日々勉強である。
一連の作業とかは聞いてすぐに出来るタイプではなくて、記憶して次回から上手くやれるようになるタイプだと、自分は思う。
だから指示を聞いても「あれ?これってこれで良かったっけ?」と思うことも多く、なかなかすんなりとはいかないね。
しょうがない。自分はそういうタイプなのだ。

体力の使用量もバイトの時とあまり変わらないが、しかしこれが毎日続くのかと思うとちょっとだるい。
1日だけなら100%使っても良いが、毎日やるなら80%以上は使えない。
明日に支障をきたさず、安定して仕事が出来るのがプロだ。

今はまだ「これが天職だ!」とまでは思えない。
ただ、故郷の風景を作る一助になれていると考えると、感慨深いものがある。
芸術的な庭を作りたいというより、ランドスケープアーキテクチャーとしての造園業者になりたいと今は思う。

日記

最後の9月29、30日に最後の工場勤務を終えた。
2月から何だかんだで7ヵ月近く働いた。
以前は半年ほどの住み込みバイトをしたこともあり、その終わりは非常に感慨深いものがあった。
だから今回も最後くらいは何かしらの感情が湧くのだろうかと思った。

だが、ほとんど感情が湧かなかった。
感情が湧かないことにびっくり、という感情だけしかないくらい。
ごくごく普通に勤務をして、ちょろっと挨拶して片付けしたくらい。
「俺はやった」「これが最後だ、明日からは…」などの達成感や寂寥感は無かった。

住み込みバイトと違って、同時に生活環境も大きく変わらないから、なのだろう。
職が変わっても実家暮らしなのは相変わらずで、バイトが本職になるから生活リズムも既に分かっている。
0か100かくらい、変わりすぎるわけではない。
そのことが無感情の原因か。
学生時代の頃のバイトも大した達成感は無かったし、そんなもんか。

住み込みバイト、期間工の終わりの日、あの感覚は今でも忘れられない。
ある期間が1つのパッケージとして仕上がっている、出来の良い物語のようだった。

日記

今日は造園バイトで個人宅の剪定。
基本は掃除だが、手が空いたら自分も剪定することがある。
刈込バサミでの剪定もまだまだ修行中で、どちらの手を固定するか悩んだり。
今のところ、進行方向と同じ側の腕、刃が進行方向逆側を固定すると良い感じ?な気がする。
進行方向側の刃を固定すると、まだ剪定出来てない部分が邪魔して刃が動いてしまう気がする。

また、初めてエンジントリマーを使った。
剪定では最も素早く出来るもので、熟達者もよく使うものだ。
生垣を真っすぐにするときに使うが、やっぱり最初は難しいね。
凸凹になったり斜めになったり。
身体の使い方も慣れてないから腕が痛いのなんの。
だが、ようやく剪定道具の全てを習得したような気がする。
後はもう経験と樹種による違いだけだ。

最近は涼しくなって、剪定・掃除くらいなら暑くなりすぎないから身体も楽だ。
工場労働に比べればそりゃ動くが、しかし人間このくらいは動かないとすぐになまるし太る。

日記

残り少ない工場労働をこなした2日。
最近は帰宅後に造園の勉強をしている。

しかし造園の読書、動画の視聴などの勉強は1日1時間、それ以上も以下にもしないことにしている。
今までの経験から、1日1時間でも継続すればかなりの勉強量になるし、続けもしやすい。
仕事終わりの平日でも無理なく出来る。

そして重要なのが、あまり根を入れすぎて飽きないようにするため。
一気に勉強して一気に習得してしまえば、その業界がどんなものか何たるかを知ってしまう。
今はまだ知らないからこその新鮮さが好奇心を刺激して勉強したいと思うが、しかしすぐに知ってしまうと仕事の喜びを感じる前に新鮮さが薄れ、飽きてしまうのが早くなる。
熱意は良いことばかりじゃない、制限が必要だ。
「今の自分は暑くなりすぎているな」と思ったら、少し冷ましたほうが良いのではないか。

これから何十年もやるかもしれないんだ。
そんなに急がなくても良いじゃないか。
お楽しみは取っておこう。

日記

今日は雨、バイトも中止になって家に引きこもることに。
夕方からは雨も止んだのでジョギングでもすることにした。
やろうかと思っているコンテンツ(ゲーム、本など)も溜まっておりやれることも多いのだが、やることは無いとも感じる。

実家の自室で過ごし、この先ここから出ていく予定も無い。
自分の気持ちに正直になった結果、この状況になった。
しかしやっぱりどこかで後ろめたさのような、罪悪感のような、間違った人生なのではないか、と感じるところがある。

人口増大期かつ雇われ労働が普通とされた昭和後期~平成前期の日本の文化では、実家から出ない人間は「パラサイト」だとされた。
もっと昔の第一次産業中心の時代では、基本的に土地や森などの資源の取り合いの関係から人口密度を抑制し、実家にいて家族を持てるのは長男のみ。次男以降は実家のお手伝いか、どこかに奉公に出るか、開拓地に分家するか。

今は人口減少期の、都市過密化・地方過疎化の時代。
地方は人口減少が激しく、家も土地も余っている。
変わったことを連ねると際限が無いが、要は時代が違う。だから文化も変わるだろう。

しかし人の心や考えはなかなか変わらない。
現代人でも、昭和な生き方が最も正しいのではないかと思ってしまう。
それはまた、昭和の人間も同じかもしれない。
都会に出ても、「いつかは故郷で…」と思う人も多いだろう。

色々やった。世間の風潮にほだされてやった。だけど忘れられなかった。だから帰った。今から出ていってもまた同じ結果になるんじゃないかと。落ち着くことが望まれる。落ち着くのか本当に?落ち着くとは、もう追わないこと。

誰もが色々な生き方を選択できる。
しかし選択には責任が伴う。誰かの責任には出来ない。
自分が選んだんだから、自分にとって幸福で正解な選択肢じゃないとダメだって、思ってしまうこともある。

釣り

予報では雨なんだか曇りなんだかよく分からないこの日。
木屋平の中尾山に登山行こうかと思ったけど、早朝4時に起きて現地の天気を確認したら微妙だったので、そのまま釣り行くことにした。

最近のトレンドはちょい投げでのキス釣り。
早朝から開いている釣具屋で青イソメを購入し、ついでに無くしていたジェット天秤(8号)も買って出陣。

鳴門市の岡崎海岸に行ってみたが、釣り人はいくらかいるが全く釣れず。
前回もこうだったわ。エサ取りすらいない。

次に亀浦港。
いつも人気な場所で、平日でも人は少なからずいた。
磯っぽい地形の割に釣りやすい釣り場でもあり、ちょい投げでもほとんど根がかり無し。
あっても針が無くなるくらい。
堤防から見える魚影は濃いが、いるのはチャリコやスズメダイやベラくらい。
大物やキスは見当たらない。
8時くらいに諦める。

最後に前回行った土佐泊の砂浜。
渡船場奥の砂浜は潮流の早い小鳴門海峡と言えど潮が遅く、釣りやすい。
水も澄んでいて綺麗で、ただボーっとするだけでも良い場所だった。
だが、釣れない!
釣れたのはベラとフグだけで、キスはおらず。
キャストしても餌が取られることも少なく、魚自体が少ないように感じた。

結局この日持って帰ったのは、ベラ2匹。
初めての夜明け前からの釣り、朝マズメではあったが、釣れるとは限らない。
どうせ釣れるか釣れないのか分からないのなら、体力的に楽な昼間から釣りするのもいいだろうね。

日記

いやまあ、一応婚活はしてるのです。

2月から工場労働を始めると同時にペアーズの有料会員6か月に登録し、8月までやっていた。
結果、1度も出会うこと無し。
ちょうどコロナの時期と重なったのもあるけど、なんか、続けても勝てる見込みが無くて、尻切れで辞めてしまった。

マッチングは若干したんです。
でも、続かんね。
ネットでNGなやり取りを調べて推奨されるタイミング、流れとかを自分なりに演出もしたけれど。

それに写真写りもなかなか良いのが撮れないし…。
他人が撮ったような視点の、清潔感のある感じが良いらしい。
撮ってくれる他人?家族ならおるけど、おるけど…。

元々自分は他人にあまり興味が無いし面白い話が出来るわけでも無い。
でも、このまま独身で一生を終えるのは、寂しいしつまらない。
友達は若干いるけれど、しかし彼らの存在が生き甲斐とまでは思えず、やはり他人のことを考えるにあたって大きな領域を占めているのが、家族。
家族が欲しいから、結婚がしたい。

しかし、自分は恋愛感情のようなものがほぼ無いと思う。
正直に言って性欲の存在は、まあ否定しないが、それだけで結婚までいけるか?
性欲抜きで赤の他人を「好き」まではなかなかいかず、婚活へのエネルギー源も少ない。
ヤリ目(やること目的)は嫌われる、だがそのエネルギー無しでは自分を魅力ある男性とするやる気は出ない。
性欲の発散にしたって、もう長い人生を歩んだから、色々と方法はあるんだな。

お見合いなどの紹介で昔は結婚を多くしていたが、それが無くなった。
恋愛結婚はいつの時代でも同じくらいの割合で、紹介結婚が無くなった分がそのまま未婚率になったようだ。
自分は間違いなく、昔なら受け身の紹介結婚をしていたタイプだ。
だから恋愛結婚の常識は当てにはならん。さて、どうするか。
結婚相談所もありだが、しかしあれほど金がかかるものなのか、そりゃ一生ものだけれど。
ちょっと調べるといかにも商業主義的なことばかりで、辟易もする。そりゃタダではやってられんのは分かるが。

元々他人に興味が無いから、「他人」から「家族」を作るのは難しい。
もっと省力的に出来んかいな。