日記

ネタが無いのでふと思ったことを日記に書いてみる。

自分は今となっては古いゲームが好きな人間になっている、ようだ。
ゲームも登場して結構な年月が経つが、一番思い出に残っているのがPS1。
SFC後期~PS2時代が最新のゲームにはまっていたが、PS1の始まりから終わりまでの間はゲームこそが自分の人生の唯一の楽しみだった。
その年齢くらいが自分の原体験を作る期間だったのだろう、今でもPS1は好きだ。
過去の名作をやりきってから新しいゲームをしよう、と思っていたらもうとっくに取り残されている。
というわけで他人から見れば、自分は時代遅れの懐古主義者である。

しかし、ふと思う。
ゲームなんぞよりも遥かに本のほうが歴史はある。
ここ10年の間に発刊されたものなんてまだ「新作」で、明治時代など100年以上前に書かれたものが普通に今でも読まれている。

ゲーム業界では20年も前のものなら「古臭い」と思われがちで、本ならそんな雰囲気は無い。
なぜ違うのか。
ゲームは表現力の向上があるからか。本は今でも文字だけだしな。
電子書籍が現れたからと言っても、電子書籍ならではの表現方法も新たには開発されず、紙の本と大して変わらないしな。

本は何百年も前のものとも張り合わないといけず、オリジナリティを出すには苦労する。
ゲームは本に比べればまだ新しさを表現しやすいが、陳腐化しやすい。

よく分からん文章になったけど、つまり業界によって1年・10年・100年の意味が違うってことだ。

徳島県の登山

YAMAPにも上げてみましたが、鳴門市で2番目の高峰、日の丸山に登ってきました。
他に名がある山名としては、「駒足越」「内谷山」

駒足越までは鉄塔巡視路なので歩きやすいですが、以降はテープ頼り。
でも日の丸山までは分かりやすいです。

内谷山へはテープと若干の踏み跡があるだけで分かりづらいところもあり。
奥屋敷への下山路は全くの不明瞭な箇所多し。

内谷山北方への道が確認できました。
かつての作業路か参道か、というくらいの広さの廃道です。
坂東谷川沿いの道に通じるのか、北灘大浦に通じるのか、また確認に行きたいものです。

鳴門市第2の高峰、日の丸山 / konishi1989さんの活動データ | YAMAP / ヤマップ

日記

今は図書館で借りた宮本常一著作の「私の日本地図 芸予の海」を読んでいる。

漁業は昔から資源と縄張りの奪い合いで、漁民として生きる場合は時に遠くの島や海まで遠征しないといけない。
遠くへ出稼ぎに行き、生活費を稼いで故郷へ帰り、家や集落の整備や子供の世話をする。
昔は金を稼ぐ≒土地に実る資源を手に入れるのようだったが、今は違う。
工場などが出来て狭い一か所に通勤するだけで一家が簡単に生きていけるようになった。
だから経済的に不利な離島からは人が離れ、やがては無人島になってゆく。

昔の人にとっても、故郷とは特殊なもののようだ。
アフリカ大陸から南米大陸まで移動を続けてきた人類であるが、生まれ育った場所へ抱く感傷があるってのは不思議だ。
このノスタルジア、望郷の念は人類の歴史にどのように関わってきたのか、どうしてこんな感情が存在するのか、少し興味がある。
川魚などでは生まれ落ちた場所へ正確に帰っていく習性があるが、それと似たようなものなのだろうか。
自分が生まれて成長した場所ならば、子孫も同じように生まれて成長が出来る可能性が高い、そういう生存戦略なのか。

金や仕事など、合理的な思考になればなるほど故郷は顧みられなくなるだろう。
生産効率が高い都市に人は集まる。
だが、どこででも飢えずに生きてはいけるとなれば、合理的な考えを無理に持たずともよくなる。
「生存する」以上の自分の人生の送り方を考えた場合、人はどこを選ぶか。

お金

家計簿

独身実家暮らし、30代の男の家計簿を載せます。

11月は10月同様、造園業を本業として働いていました。
忙しい時期なので休日は少なく、週6勤務。

1泊2日でしまなみ海道行ったりもしましたが、基本的に近場で過ごすことが多くなりました。
仕事に慣れて来て体力もついてきたように思いますが、時間が足らないので遊びは少なめ。

収支内訳

収入251,204円
給与収入(手取り)233,975円
資産運用益19円
ネット収入17,210円
雑収入0円

支出52,771円
食費7,607円
雑貨費6,535円
車両交通費4,260円
医療費3,860円
保険0円
交際費8,500円
娯楽費18,608円
通信費3,401円
雑費0円

当期純利益198,433円

収入について

前職の工場勤務が少し+造園業の給料がほとんど。

派遣で3交代工場勤務したほうが収入は増えそうですが、使い道が無いから金額よりもその他の理由で仕事を選びました。
今でもめちゃくちゃ好きな仕事だとは思えないけれど、ただただ時間を潰すような仕事に比べれば、やりがいはあります。
でもやっぱり、心の奥底からの情熱は、無い。

支出について

職場で花梨をもらったので、花梨酒にするためにホワイトリカーを4升ほど買いました。
1.8×4=7.2L、一体飲み切るのに何か月かかるんだ。

娯楽費には漫画代とか、しまなみ海道旅費とか。
平日は基本的に寝るまで読書してますが、図書館で本を借りたりもしているので読むべきものが溜まってしょうがない。

11月の生活について

婚活やっているんですが、進展が全然無い!
そりゃまあ自分の恋愛市場価値は低いでしょうが、じゃあどうすんの。
拒否反応無い限り自分を高めること(例:清潔感を高める)は良いけど、内向的な人間が外交的なふりをするくらいまでは出来ない。

毎年のことですが、11月は如実に日が短くなり、真昼でも太陽高度が低くてノスタルジックです。
暗くなるのが早ければ1日の時間も短く感じ、「今日も何かを積み重ねること無く1日が過ぎていった」みたいな気持ちを抱くことも。

残された時間は少ない。
有限の器の中にまずは何を入れていくのか、それを考えるだけで時は過ぎて器は小さくなってゆく。

日記

昔からwikipediaにはお世話になっているからこそ、その有用性を感じている。
グーグル検索が商業主義・大衆主義に傾きすぎてうんざりしているが、Wikipediaは今も昔も変わらずに簡潔で確かな知識を与えてくれる。
今や自分の知識系検索≒Wikipediaの検索である。
愚かなグーグル検索はもういらない。

最近は郷土史に関する本をちまちま読んでいるが、wikipediaに載ってないこともいくらかある。
自分の備忘録にもなるから、Wikipediaの編集をやってみようかなとようやく思い始めた。

誰でも編集出来るのがウリのWikipediaだが、その界隈の文化なども多くあるようだ。
1円の足しにもならないのに編集合戦する人らがいるようだが、そこまでの気力はどこから湧くのだろう。
Wikipediaに載っていることはそのくらい世界の基礎知識となっていくことだろうか。
そう考えると、やはり執筆のハードルは高い。

とりあえず今読んでいる本の内容がWikipedia内に載っておらず、かつ一次資料となるのならば執筆していってみようかと思う。
郷土の情報がインターネット上に残って多くの人に閲覧されるようになるのならば、郷土はより知られ、自分は郷土研究家の1人となれるだろうか。

日記

29日は晴れの休日。
先週は旅行したので今週は無し。

午前は実技試験の練習をする。
規定時間内にやれるかどうかの練習をするつもりだったが、間違いの指摘を受けたりしたのでまずは「正解」を目指すことになった。
このまま練習し続ければ時間内に出来るようになるんだろうが、しかし本番でミスするとめっちゃ焦るだろうなと実感。
一つのミスも無いようにするには、やはり要所要所での確認と正解の状態を知っておくことが必要だ。

帰る時に図書館に寄り、本の返却と新たな貸出を受ける。

今日は父の誕生日でもあったので、昼ご飯は親と一緒に土成でたらいうどんを食べる。
自分のおごりだ。
しかし非常に腹いっぱい食べたので、帰りの運転中は眠くなった。
帰宅後も1時間半ほど昼寝。

4時ころからはバイクの洗車、メルカリの発送、花壇のちょっとした整備。
そして夕暮れになって自室で過ごしたり、「麒麟が来る」を視たり。

朝から色々やったからそれなりには充実した休日なのだろうが、日が短く週6勤務してようやくの1日だったから、本当にあっという間だった。
自分の人生のメインとは週6勤務している時か、自由な休日か。
休日に自分の人生が形作られていくなら、残りの人生は少ない。
労働が人生を形作るなら、どうだろうか。

日記

最近の余暇は、漫画「バーナード嬢曰く。」と「火の鳥」を読んでいる。

バーナード嬢曰くは読書漫画で、読書家あるあるや色々な名作をネタにした学生日常漫画である。
読書家っていうほど読書はしてないのでほとんどの本は分からないが、こういうジャンルや面白さもあるのかという発見が良い。

火の鳥は説明不要の、手塚治虫著作の名作漫画。
まだまだ読み始めて間もないが、昔に描かれた割には引き込まれる。
黎明編のようなストーリーや設定だけでも、後世の漫画やアニメに影響しているんじゃないかと推測できるものも多い。
穴の中から脱するところはグレンラガンに似ている。
復讐相手に育てられ殺そうとしても出来ず、最終的には別の誰かに殺されるところはヴィンランドサガに似ている。
未来の人間も過去の人間も全員死んでいくのは、大河ドラマらしい。

自分が一生をかけても次から次へと現れる名作全てを堪能することは出来ない。
しかしだからって何もしないのか。
時間の許す限りは名作を読んでいくぞ。

日記

2020年1月頃は体重56kgくらいだったが、工場労働していた8月頃は何と人生で初めて64kgにまで増えた。
増えつつ体重を危惧して休日も造園バイトをしていたり登山もしていたりしたが、焼け石に水。

「このままでは生活習慣病で健康寿命が減る」

そんな気持ちもあって造園バイトを10月から本業にした。
そして1か月半ほど経って体重を測ったら、60kgほどに落ちていた。
まだ多めな気がするが、大分納まってきた!
しかも体力もちょっとついてきた気がする。

実際、デスクワークの生活習慣病のリスクと現場労働の怪我のリスク、どっちが高いのだろう。
徳島県民は糖尿病になりやすい体質だから、デスクワークのリスクも高い気がする。
しかも都会人より車に乗ってばかりだから歩かない。

昔から、肉体労働のこういう健康的になるところは好きだ。
配達のバイトは特に好きだったな。
裁量性があるところと健康的なところと。
風を感じながら、夕日を見ながら、街中を走り回るあの時。
町の中を行き来する仕事をすると、その町の人になれる感じがする。

また過去を思い出してしまった。
懐かしいことは戻ってこない。
美しい思い出だ。

旅行

2020年11月21日と22日、連休が取れたので1泊2日でしまなみ海道ツーリングに行ってきました。
以前に行ったのは親と3人の14年前、自分がまだ高校生だった頃です。
あの時はレンタル自転車でしたが、今回は1人のバイクツーリング。

出来れば宿泊場所の予約を取ったりして綿密な計画を立てたかったのですが、出発2,3日前に調べた時は既に予約がぎっしり。
ほとんど何の計画もせずに出発することになりました。
とりあえず、しまなみの島々をバイクで観光してどこかでキャンプする、というのが今回のコンセプト。

徳島から今治までは高速道路で一気に行けるので一気に行き、来島海峡大橋を渡って観光開始。
最初はまだ施設の営業が開始してない時間だったので、展望台になっている亀老山から。
朝8時頃でしたが人は結構多く、観光地としては有名なのでしょう。
展望台なだけあって景色は最高!
日が短い時季の、朝の光は斜めに差し、海峡と橋と島々を照らします。
初っ端に絶景に出会ってしまって、これから先の旅路でもこれ以上のものに出会えるのか、一抹の不安を覚えるほど…

次は小説「村上海賊の娘」で有名になりつつある村上海賊の資料館へ。
海の大名として瀬戸内海を牛耳っていたようですが、ただの略奪者ではなくて難所の水先案内人も務めていたのが意外。
海城というものも知らず、当時でさえノウハウの少ないものを自分たち流にやっていたのでしょうか。

他にもカレイ山展望台にも行きましたが、亀老山に比べると人は少なめ。
これにて大島観光は終わり。
次は伯方島へ。

伯方島は「は!か!た!のしお!」で有名な塩の島。
道の駅にも塩関連の商品が並びます。
造船業も多く、港には巨大なクレーンと機械音。
しまなみの中央付近なだけあって、この辺りから非常に「しまなみ感」があります。
チャリダーもそこかしこにいて、特に道の駅にはたくさん!

個人的に非常に気に入ったのは、「伯方ふるさと歴史公園」
山頂に山城を模した歴史民俗資料館が建っており、最上階からの景色も最高。
建物内も明るく仕上がっており、光と風が通り抜けるこの場所は、自分は大好きです。
島のこじんまりと納まった感じ、それは完成した感じにも思えて、その集大成こそがこういう歴史民俗資料館でもあるように思うわけです。

次は大三島へ。
14年前はこの島の南東端にある廃校を改築した宿に泊まった思い出があり、見に行くことにしました。
道中の海沿いの道は坂道も多くて当時はきつかったと覚えていますが、今回はバイクなので楽ちん。
宿は今でもあり、プライベートビーチのような小さな砂浜も健在。
あの時感じた「しまなみ」はまだ残っているのかと、安心しました。

大三島の中心、大山祇神社にももちろん参詣。
ここらで昼飯を食べようとしましたが、案外閉店した飯屋が多く、しかも客は多いので待ち時間が非常に長くなっていました。
面倒なので出発し、偶然見つけた喫茶店でサイコロステーキ定食を食べる。

愛媛県から広島県へ、生口島へ。
生口島も美しい島で一周したりもしたのですが、耕三寺は時間の関係で飛ばしたので、立ち止まっての観光はせず。
広島県と愛媛県ではしまなみへの捉え方は違うのか?
何だか愛媛県側は観光リゾート地として整備し、広島県側は生活のしやすさに重点を置いている反面リゾート的雰囲気は少ない気がする。

因島も生口島と同様の観光。
でも時間が足りなくなってきて村上水軍の城は行けず…
暗くなる前に野宿地を探さねば!
というわけで1日目は因島の山奥でキャンプしました。
地理院地図で穴場っぽいものを調べて行ったら当たり。
人の気配より獣の気配のほうが強い場所に行けました。
夜中に足音が頻繁にあって、何度も起きた…

2日目は朝日を浴びながらバイクを走らせます。
向島の観光は、やっぱり特になし。
そう言えば14年前に来た時も、生口島、因島、向島辺りの記憶が無いや。
でも向島は釣り人が非常に多く、しまなみは釣り人の聖地でもあるんだなと実感。

尾道大橋を渡ってしまなみ海道は終わり。
時間があるので尾道観光することにしました。
尾道は千光寺が有名なようなので、そこをメインにして周辺を観光することにしました。
尾道は坂の町で、千光寺の海側は寺社と宅地と店舗がごちゃごちゃに混ざる独特の雰囲気。
猫がいたり、小さな公園あったり、著名人の旧居があったり…
上り下りするのは大変ですが、どこも景色が良いので歩き回るのは面白いです。
視野が狭くなるからこそ、歩くほど発見があって楽しい。

尾道の歴史資料館にも行こうとしましたが、閉館中!
また、尾道ラーメン店が11時まで開店せず、その時は10時。
朝早くから開いている飯屋で一足お先の昼食を食べました。

尾道観光が終わってもまだ時間があり、福山観光も考えましたが、今回の旅は「しまなみ海道」の思い出に集中したかったのでパス。
福山も観光してしまうと、今回の思い出の訳が分からなくなってしまう。

徳島への帰りは瀬戸大橋経由で。
観光客は非常に多く、コロナに気をつけて人との接触は極力避けました。

というわけでこれにてしまなみ海道1泊2日のバイクツーリングは終わり。
14年ぶりにやってきて思うことは、感性もまた過ぎ行くものである
あの時と同じ場所にやってきたからって、あの時の感じ方がそのまま復活するわけではない。
あの時、尾道からバスで帰ってきて来島海峡大橋で見た夕陽、涙が出たあの日の自分はそのまま今に復活するわけではない。
過ぎ去っていくのは寂しいことだけど、今感じていることもまた、10年20年後には感じられなくなっているかもしれない。
過去との違いに喪失感を感じるだけでなく、今この瞬間の気持ちは二度と手に入らないものだとして、想い出の宝箱に大切に閉まっておきたい。
過去も自分の人生で、今も自分の人生で、未来も自分の人生である。

11月下旬、美しい空と島々と海峡のしまなみ海道、淡い光を受けながら滑るようにバイクを走らせた。

日記

今は実家暮らしだから生きるための物やシステムは揃っている。
だから安月給でも金を使わないといけないことが少ないからか、貯金比率は高い。
もっぱら娯楽関連くらいにしか金は使わない。

しかし娯楽というものは体力や時間がある時にするものだ。
週休1日で体力仕事だと金を使うような娯楽をしようという気も起きにくい。
時間がもっとあれば、山に行こう→消耗した道具を新調しよう。釣りに行こう→別の釣り方もしたくなって釣り道具を買い足す。
時間が無いと生活を楽にするものに金を使うようになるが、既に実家暮らしだから生活は楽である。

メルカリで5000円以上の物を購入すると2000円還元のキャンペーンを頂いているが、何を買うかずっと迷っている。
このままじゃあ失効する。
次の週末は2連休。せっかくなので1泊したいが、コロナの蔓延で席数減少もあってか満員が多い。
このままじゃあどこも行かずに近場で過ごして金を使わない。

この年になると金を使うのも大変だ。
大人になると先を見通す力が強くなり、得なタイミングで支払ってより金を使わなくなる。
体感人生は折り返し地点に来ている。
これからはいかにして金を使うか、に重きを置こう。