日記

28日の日曜日に技術士1次試験があった。
申し込みは6月頃で、来年度以降の自分の身分がまだ確定していなかった時。
身分が未確定に戻ればおそらく自分の心情的にこの試験を受けることは無いだろう…
とも予想していたが身分が確定したので試験勉強して受けてみた。
1次試験が受かっても更に実務経験を積まないと、2次試験を受けて本物の技術士にはなれないけど。

さて、技術士試験の勉強は過去問のみで行った。
幸いにも過去問は公式サイトで公開されているので、それで勉強した。
解説が無く、わからない問題はその都度ネットや本で調べた。
暇な事務職ではそういう勉強がしやすく、自宅ではほとんど勉強せずに試験を受けた。

過去問を3週ほどしたので、本番も自信あり。
3種のマークシート試験を各5割以上取れば合格で、合格率は4,5割ほど。
だが手応えとしては9割以上とった感じはある。
問題なく受かるだろう。

さてこれで試験勉強から解放されたはずだが、仕事中にしていた勉強なので日常生活は全く変わらない。
心情的にも変わらない。
受かっても受からなくても結果がバレるような試験ではないから、試験前からリラックス出来ていた。
こういうリラックスしながら行う挑戦ほど、良いものかもしれない。
やらなくちゃいけない、受からないといけない、そんなものに幸福はあるのか。
試験が終わったあとの解放感以外何もない。

日記

自分が持っているノートパソコンは中古で2万のもので、ビジネス落ちのもの。

  • CPU:Core i5-4210M(コア数2、クロック2.60GHz)
  • メモリ:8GB
  • グラフィック:オンボード(インテルHDグラフィックス4600、400MHz、2GB)

以前セールでFF10がSteamで安くて買っていたのですが、積んでいました。
もっと良いパソコンが用意できたらプレイしよう…ということで別のカジュアルゲームを遊んでたのです。
しかしカジュアルゲームもかなり遊び尽くして、そろそろFF10をプレイしたいなと思うようになり。

元はPS2のゲームとは言え、2万で買ったノートパソコンでFF10HDが動くわけない!と思っていたしネット(ヤフー知恵○○)でもそういう評判でした。

で、試しにインストールしてプレイしてみると…

クソ雑魚ノートパソコンでも1920×1080でプレイできるやんけ!

流石に他のグラッフィクスオプションは低くしていますが、ラグとか全く有りません。
「今はただ映像を流しているだけだ。移動できるようになると飛びまくるんだ…」
とプレイしながら思っていても、数時間プレイしても余裕。

え?どういうこと?
元はPS2だから映像的に綺麗でも処理が圧縮されているとか?
このノートパソコンが案外能力あるとか?(AOE2DEは流石にきつかった)

何でもかんでも試してみるもんですな。
くそっ、あのヤフー知恵○○、適当なこと抜かしやがって。無自覚に嘘をつくやつが一番始末に負えぬ。

そんなわけでこれからFF10をプレイする日々が続くのです。

日記

というわけでずっと某ゲームの実績制覇の目処が立ったのでやっていたんだけど、そういう時は時間がどんどん過ぎていく。
結局まだもう少しかかりそうなんだけど、でも数ヶ月ボチボチやっていたのが遂に終わりそうな。

人間の生き方において、何だかんだ幸せなのは、こういう時間を忘れて集中している、つまりフロー状態だったりするようで。
グルグルと考えるのではなくて何かしらの目的に向かって行動している最中。
でもそのフロー状態と幸福について、哲学者は考えたことあるのだろうか。
西洋哲学にはありそうだ、では東洋哲学はどうだろう?

日記を書いていたら自分をメタ認知出来るし記録も出来る。
でもそういうメタ認知は太宰治の「トカトントン」のように、嫌な時も良いときも全て「どうでもいい」と思わせる効果もいくらかあるわけで。
だからまあ、いい意味で集中している時は、無理に日記を書かなくても良いのかなあ、とも思うわけで。

日記

俺は自由に生きるのだ

と26歳頃から雇われ労働は半年ほどで計画的に変えていた。
その半年の間の中で不満を感じることはもちろんあるが、良いところも発見していた。
どんな労働でも嫌なところを見つけて自室で悶々とするだなんて、ごく普通だしむしろ絶対あるものだと思っていた。

だが今の職場にはそういうのが無い。
すんなりと仕事を終えて100%定時で終わっていて、(自分はしたことないが)遅刻してもペナルティは全くなく。
「やってやるぜ~」と燃え上がる気持ちになることも無いが、平穏平凡に半年近く働いていることとなっている。

就業前は精神的に病んでいたし今でも健全とは言えぬが、この環境のおかげで助かった面は多い。
面接をしていた人たち、上司は薄々感じていたのだろうか、特に感じずルーチン的に接してくれたか。
どちらにせよありがたい距離感ではあったと思う。
別れの挨拶ではそういうことを言うのは、ちょっと突拍子がなさすぎることになるだろうから言わないが、何にせよ、感謝していることは伝えたい。

お金

家計簿

独身アパート暮らし、30代の男の家計簿を載せます。

10月は色々と娯楽を楽しんだりバイクの整備をしたりして、出費はそこそこ。

収支内訳

収入 238,989円
給与収入(手取り) 216,853円
資産運用益 19円
ネット収入 18,010円
雑収入 0円
   
支出 164,804円
食費 18,623円
雑貨費 3,980円
車両交通費 73,154円
医療費 2,530円
保険 0円
服飾費 2,590円
交際費 0円
娯楽費 36,157円
通信費 2,233円
雑費 3,092円
家賃 22,445円
   
当期純利益 70,078円

収入について

残業も休日出勤も一切無い契約職員なので、収入は毎月一緒。
仕事は相変わらず楽ですね。
最初は「だんだんやることも増えるのだろうか」と思っていましたがほとんど変わらず。
おかげで自習が捗ります。

12月から少し部署異動して忙しくなりそうです。
部署異動にあたって面接受け直したりもしましたが、ほぼ形だけなのですぐに結果が出て3月まで継続。
ええ、本当は11月末頃で契約が切れるはずだったのです。
とりあえず4月からの仕事(正職員)はもう決まっているので、それまでの繋ぎとか暇つぶしに仕事しています。
自分はFIRE出来たとしても、暇つぶしに働いてしまうタイプの人間です。

支出について

食費は平均より上がっていますが、これはプレミアム食事券的なものを使うため。
本当の負担額はもう少し少ないです。

車両交通費がめちゃくちゃ上がっていますが、これはバイクのエンジンオイルとスプロケット2つとチェーンと前後タイヤを一気に交換したから。
ありがちな消耗品全部交換したみたいなもので、2,3年に1回はこんなのがあります。
来年の車検も難なく突破出来るでしょう。

娯楽は登山旅行が大きいかなー。
2泊3日で24,000円ほど使っています。
学生の頃と比べると贅沢な山行していますが、独身30代男が贅沢しないでいつする?
他に登山用ストックを買ったり。

10月の生活について

10月前半はまだ残暑でしたが、後半から一気に気温が下がって冬の雰囲気に。
一気に気温が下がると身体が慣れてないからか、本当に寒いですね。
布団を2枚かぶって3枚ほど服を着込んで。
この家計簿を書いている11月では身体が慣れたからか、布団は1枚、服は1,2枚に。

人には無意識の領域があって、無意識の影響が意識にも関わってくることはもちろんある。
気温は変わらないのに身体が慣れてなければ意識も寒々しくなり、慣れれば問題も無くなる。
寒気を感じれば寂しさや虚無感をより強く感じ、寒さが和らげばその思いも無くなる。

鬱病というのは心の風邪というように、「甘え」などの意識的なものではないとするのが定説になりつつある。
気分の落ち込みは無意識のせいだ、そうなんだけど、でも無意識からくるものを意識だと見なして理性的な真実だと思ってしまうことだってある。
つまり、無意識と意識を分けることが出来るのかどうか、それが最近の課題だ。

こんなこと、1年前は全く考えていなかった。
人は変わる。否が応でも。

日記

有給休暇を取らせてもらって連休とし、3泊4日の旅行に行っていた。
旅行前の準備も慌ただしく行ったので、日記の日付がまた飛んだ。
いつものごとく1人で、レンタカーで行ってみた。
2021年11月からETC休日割引が復活し、節約できた。

車中泊2回、山中1回、どれも読書以外やることないので孤独な時間を送っていた。
寝袋に入って寝ようとすると、色々と考えてしまう。
寒々しい、孤独だが、人の温かみを知れる人間ではない、だから満たされることも無いのでは、とか。

そんな時は禅宗の勉強をしていたときに知った「脚下照顧」という言葉を思い返す。
先々のことを考え、完璧な人生を歩もうとすると破綻が来るのは必定だ。
今できることを、小さなことを一つ一つやっていくのだ。

グルグルと考えている時に、ふとプレイしているゲームの攻略方法を考える。
どのような準備をして、どのような戦術を取っていくか。
そういうことを考えているとグルグルと考えて重くなった気分が少し晴れやかになる。
このような、何となしの爽快感こそが、第一歩なのではないだろうか。

少し前から意識の感覚、何となく感じる疲れや幸福とは何かを研究している。
左脳的な考えでは幸福に至れない、気がする。
右脳的な、意識の感覚のような、そういうものを手中に収められたら、自分の「気分」も自在に出来るのだろうか?