日記

この日、2021年7月から9ヶ月間住んでいたアパートから、新しいアパートに引っ越すことになった。
仕事のためやむなくの引っ越しだった。
写真は窓から見える風景だった。

このアパートを選んだのは、この窓から見える風景が良かったから、比較的静かな場所だった、家賃が安かったからだ。
景色は良いがアパートの部屋そのものはボロいもので、家賃が同じくらいでもう少し住みやすいところもあった。
決めたときも悩んだが、あの時の自分にとって本当に大事なもの、それは心を安らがせてくれるものがあること、それを重視してここを選んだ。

結果、この住環境が私の心を落ち着かせてくれた、と思う。
職場の環境のおかげでもあるし一人暮らしを再開したからということもあるだろう。
風景はすぐに飽きるという風潮もあるが、季節に応じて、天気に応じて見せてくれるものを変えてくれたこの湖のような内海は、結局私を飽きさせなかった。

この内海は本当に湖のようで、このアパートはその畔に建っている。
都会の裕福な人々は大枚はたいてこういう場所に別荘を建てる。
それがどうだ、家賃2万円台で私はそれを手に入れてやったぞ。
全てをローコストで手に入れることは出来ない。
逆に言えば、今の環境で簡単に手に入れることが出来るものは、他の場所だと大金を払わないと手に入れられないものだったりするのだ。

こうやって心惹かれるものがあれば写真で記録している。
写真を見返すと、過去の私が感動したもの、そしてこれからの私が感動するであろうものが映ることになる。

夕暮れの風景は、昔から好きなようだ。
登山の時とかに見る朝日も好きだが、切ない気持ちにさせてくれる夕暮れの感慨深さといったら!

雑然としたこの部屋の写真が、引っ越し直前の部屋だ。
物を隠さないし蓋とか開けっ放しだったりするから、雑然さが凄い。

でも棚は持たず衣装ケースなどで代用しているから、見た目ほど物は多くない。

引っ越し前日、最後の夜。
かなり物も減った。

ベッドは持たず、ホームセンターで購入したユニット畳3畳分の上に布団を敷いて寝ている。
少し段差があるからホコリが布団にかかりにくいし畳の外にホコリを落としやすい。
ベッドは運ぶのが大変だ。
ギシギシと音がするし、上を歩きづらい。

28日に近所のレンタカー屋に行ってトラックを予約。
やはりこの時期なので空いている日、車種は少なく、何とか30日に積載量800kgのタウンエースを借りられた。
当初は2tトラックを借りようとしていて、全部載るか不安だった。

載せてみると、タウンエースで十分だった。
大きなものは冷蔵庫のみで、洗濯機は持たない。
冷蔵庫も一人で階段を上っていけるくらいのサイズにしたら選択できるアパートも増えるんだが。

また、ユニット畳は引っ越し時でもかなり役に立った。
積み込みの時はあおり代わりに出来て積載量アップ。
積み下ろし時は床や壁の養生シート代わりに出来る。
もしかしてユニット畳って転勤族にオススメ?

そんなこんなで不安だった引っ越しは無事終わった。
ボロいアパートだったが、忘れ得ぬ風景を私に見せてくれた。
1,2年に1回、思い出の写真を決めているが、またその思い出の写真集に1枚加わりそうだ。

ありがとう。

日記

3月23日の晩に配属先決定の電話が来た。
案の定引っ越ししないといけない遠い場所で、しかも宿舎などもない。
すぐにアパートを探しに行かないと。

というわけでその日の内にネットで賃貸物件を調べて大体の家賃や場所や不動産屋の当たりをつけ、安くて面白そうな物件を扱っている不動産屋に行くことにした。
その面白そうな物件以外に数軒見て、決めてしまおうと思ったのだ。

そして24日の朝に現地に到着し、内覧していく。
やはりネットで見た物件が面白そうだったが、一人で住むには広すぎる気がした。
結局風呂トイレ別の職場に近いアパートにした。
家賃は込み込み45,000円。今住んでいるところが込み込み23,000円。
今住んでいる場所レベルに安いところは全く無かった。
一応35,000円とかもあったが、大抵は2階で、大きな冷蔵庫があるから一人で引っ越しできなさそうというわけで1階のアパートにした。
……引っ越ししやすいように一人で運べる大きさの冷蔵庫にしたほうが良いかな。
この冷蔵庫が無ければもっと躊躇なく2階を選べるんだから。

27日にもう一度現地に行き、契約。
20数万円を一括で支払う。
日々の節約もこういうので吹っ飛ぶって考えると、なんか虚しくなってくるよね。
アパートの鍵をもらったので引越し前にもう一度物件を見てみる。
あれ?よく見てなかったけど、台所が狭い。キッチンとリビングの間に扉が無い。
ああ、そうだよな。高いもの相手だと減点方式で評価してしまうのが辛いところよ。
格安だったら最初から期待してないから加点方式で評価出来て、案外満足感があったりするわけで。
まあでも、この決めたアパートだったら歩いて買い物も通勤も出来るし、散歩も楽しいし。
でもでも、毎日バイク通勤でも何ら困ることは無いし!ああ!
とりあえず今は、「急ぎすぎて失敗したかな」と思っておく。
そうしておけば住んでいる時に良い点が見つかったら加点方式で良いと思えるだろうから!

28日にレンタカー屋に行き、トラックを手配してもらう。
この時期だからいつでも空いているわけではなく、何とか30日に1tトラックを9時間借りれることになった。
24時間借りようと思っていたんだけど……。
即積み込み、即積み下ろし出来るように準備しておかねば。
電気、ガス、水道の手配、今住んでいるアパートの解約もせねば。
面倒くさいな。日頃使うの我慢していた有給は、こういうのでも吹っ飛ぶということか。

日記

臨時職員として公務員的な職場で働いていたが、今日が最後の勤務日だった。
挨拶を済ませ、机を片付け、退職していく。
引き継ぎは引継書を2時間ほどで書き上げ、10分ほど口頭で説明して終わった。
「ここの正職員になっても良いのに」なんてお世辞でも嬉しいことを言っていただけた。
ありがとう、ございました。

車でいつもどおりの道を帰る。
お気に入りの曲を口ずさみながら、アパートへ帰る。
私はやり終えた。

帰宅後にこのブログの日記を読み返す。
仕事のことよりも心理に関する研究の記述が多い。
私はこの10ヶ月間、心を探求していた。
答えは無い。だけど、新たな境地を垣間見せてくれた。
次の生活が来る。このアパートから退去する日も近い。

制限があるからこそ価値が生まれる。
いつまでも健康と美が続かないからこそ、それらに価値が生まれる。
恐らく将来の私は今の私よりも更に深い考えを持つようになるかもしれない。
だのにその成長後の自分より、失われたものに価値を求めてしまう。
必要なものなのに失ってしまう、のではなく失うからこそ必要と認識するのである。

私はまた一つ、二つ、失うことになる。新たに得ることもあるけれど。
次の職場が決まった。新しい住居を探さねば。

日記

あと2日で今の職場を離れることになる。
12月に異動したので4ヶ月間、その前の部署は6ヶ月間。
同じ組織で10ヶ月間働いた。

今の組織についての就職前の印象は、以下の日記で軽く書いていた。

https://life.yurecord.com/2021/05/11/post-1392/

昔の自分は1年経つ前に大きな不満を職場に抱いたりしたこともあったが、今回は特に無い。
燃えるような情熱とかはやはり無いが、「まあ続けていても良いんじゃないか」とくらいは思えるものだった。
これは単に私とこの職場のような仕事が合致していたからか、はたまた、感情が薄れているからか。

それなりに満足出来たと思えた職場だったが、今この瞬間の感慨は薄い。
「俺はやりきった……」
と達成感に浸っているわけではなく、4月からの仕事も本心ではただの『異動』だと思っている。
公務員的な職場から公務員的な職場なんだから、恐らくそれほど仕事のやり方は変わらないだろう。
基本的に事務所で働き、毎日毎週のスケジュールを立ててその時々のイベントをこなしていく。
たまにスーツを着たり人前で話したり、大きな組織の中で働いていく。

自由を欲しがっていたあの頃は、誰にも邪魔されず自分の裁量でやれることや達成感こそが人の幸福だと思っていた。
だが今は、個人の代替可能な大組織のほうが働きやすくやれることは多く、心理的安全性を高めることもこれはこれで可能である。
私は怠け者だが怠けすぎて認知症になって人生を終えたいとは思えない。
自由があり、怠けられるなら怠けてしまうから、ある程度の縛りは必要だ。
他人に理解なんてされない異常者で、ニート適性も無い救われようのない悪人だ。
そんな自分が少しでも役立てるような職場だったら、私を活かしてくれる場所があるなら、そこに貢献してみたい。
その行動の先に見えるものを見てみたい。

心理,日記

https://life.yurecord.com/2022/02/05/post-1635/

移動中、ふと以前理解した「受動と能動は一緒」だということを思い出していた。
今、目に見える風景、行動、やろうとしていること、無意義に生きていること。
自分にはもう生きる熱は無い、死んでいる。と思っている。

だけどこのような「熱の無さもあることも一緒である」、というのがふと心に落ちてきた。
つまり私は死んでいると考えるのと同時に生きてもいるのだ。
本当に自分は死んだものと思っていたから、まさに天啓のようなものだった。
私は、生きている、らしい。

やる気があるように思うこともあればないように思うこともあるだろう。
それらをひっくるめて「生きている」らしい。
笑いも苦しみも、希望も絶望も、等しく「生きている」
行動するもしないも、野望を持つも持たないも。
それらの区別は広大な無意識の中にぽつんと浮かぶ(有)意識が行っている。
無意識が私に垣間見せた「生きている」とは、空恐ろしくもなるくらい薄暗い広大な空間の風のようなものだ。

日記

晴れの休日、バイクで買い物に行き帰ってくる途中、ギアチェンジが出来なくなった。
完全に出来なくなる前にはDCTによるギアチェンジ時、通常は「カコン」だが「カリ、カコン」と滑っている感じがあった。
もしかしてギアが摩耗してきているのか?と思っていた。

そしてその数十分後、路上でギアが入らなくなる。
ギアのインジケーターは「-」だったがニュートラルのようで、押すことに抵抗は無いしエンジンも空ぶかしは出来た。

バイクを押して歩道に逃れ、更に症状を調べてみる。
NC750DCTは通常、ギアがニュートラル以外で電源を切ると、次に電源入れたときはギアが勝手に動いてニュートラルにする。
今回そのような電源入れ直しをしてみたところ、チェンジが滑っているのかずっと「カシュカシュカシュカシュ……」とギアを替えようとする音が聞こえた。

もうどうしようもないと思ったので、保険に付帯のロードサービスを使った。
自分の任意保険についてはあまり詳しく知らなかったが、このときようやくロードサービスと帰宅補助と代車補助について知った。
ロードサービスを呼んでいる最中に送り先のバイク屋をスマホで調べる。
近くのバイク屋には「DCTはホンダのコンピューター必要だからホンダドリームに頼んだほうが良い」と言われたので、アパートから少し遠いホンダドリームに送ることにした。
ホンダドリームに連絡し、受け取ってくれることになった。
少し難しい症状でありかつ予約が詰まっているので、3月中に治らない可能性が高いとのこと。
そこで保険屋に連絡し、代車を手配してもらうことにした。
4月から別の職場でどこに異動になるかわからないので、移動手段は欲しい。
代車は3月14日に自宅へ送ってくれることになった。
故障場所からはバスで帰宅。

走行距離60,000km超えだからそろそろ大きなトラブルあるかもしれない、と思っていた矢先のトラブルだ。
DCTは楽だがまさかこのような故障があるとは。
そろそろ乗り換えどきかとも考えられるが、まだまだ飽きさせてくれないとも考えられる。

月曜日はバスで通勤し、火曜日からは代車で通勤することになる。
そのための時刻表調べや駐車場所の調査などもあり、色々やって疲れた。
疲れたのだが、なんだか生きている感じがした。

日記

般若湯(ブランデー)を飲み、暖かな最高の空気の中、この日記を書いている。

来月から別の仕事に移る。
心理や生活様式も変わるだろう。
これから先、私は何をしていくべきだろうか。

まず、親が嫌いなのはこれからも続けていく。
心が落ち着き、振り返れば想いも変わるだろうと思っていたが、やはり今でも許すことは出来ない。
死ぬまで許せないくらいだ。これはアイドル業界でもある愛から憎しみへと変わる「反転現象」なのかもしれないが。
困った時に更に追い打ちをかけるような人間と付き合う理由は無い。

プライベートでは、やはり今後も心理についての学習を続けていきたい。
私は人の心など分からない。ゆえに興味深いものでもある。
今の職場でも無能な働き者のような存在がいるが、このような存在にはどのように対処するべきかということなども学んでいきたいものだ。
自分を含む人の心を知り、自在に操作できれば、全ての人間が幸福になることが出来る、のではないか。

32歳の男、世間的には結婚するべきなのだろうが、1年ほど前にはあった結婚願望は今はほぼ無い。
もう独身でも良いし、私という人間・性格の行く末でもあるのではないかとも思う。
結婚すれば、今の私も消え去る。
静かな場所で静かに深く考えることなんてほとんど出来なくなるだろう。

今は、知りたいことがいくらかある。
それを追求しておきたい。
心理学、民俗学、宗教など。理系科目は仕事として学んでいくことになるだろう。
仕事を失ったとき自分は何をしたいか、想像できない。
自己肯定感が更に下がり、自分の命に引導を渡す可能性もあるだろう。
虚無感は3年前からずっとあり、心が燃えるようなことも無い。
今はただ、静かにゆっくりと心と身体を置いてみようと思う。

心理,日記

今の仕事も今月で終わる。
ありがたいことに有給も付与してくれたのだが、なんと1月に付与されるから1~3月の間に5日消化しないといけない。
6~12月の間にも5日休んだから、怠け者の自分ですら「こんなに休んでいいの……」と思ってしまう。
組織としては規定だからしょうがないらしいのだけど。
というわけで、最終勤務日は再来週くらいになりそうだ。

12月に異動してからは少し忙しくなったし少しモヤッとすることもあったが、まあ全体的には性に合っているほうなのかもしれない。
1年前と今の自分の気持ちや感受性が大きく変わったからってのもあるんだろうけどさ。
自ずとやれること、他人なら疲れることだが自分ならほとんど疲れないってことは、天性である。
データ処理とかは自分はやはり上手いほうなのかもしれない、と働いていて思う。

今の仕事の処理方法は次の仕事にも共通点はあるだろう。
事務処理だけでは終わらないかもしれない次の仕事のほうがやりがいはあるかもしれない。
でも、今の自分はそういうやりがいがあろうがなかろうがあまり関係ない、という価値観になってきている。
自分は内向的だ。
私の真実は私の中にあり、それはどこに行っても同じではなかろうか。

色々な本を読んで世界や自分への見方も整理出来た。
過去に自分が燃え尽き症候群になったのも、少しずつ悟ってきている。
様々なものに惹かれて燃えて、燃え尽きた後に残ったものにこそ注目しよう。
失ってゆくことを覚るのは怖い。でも、奥底にあるものを正しく見るには、失うことだって必要だし価値のある体験なんだと考えることも出来る。
私は死にながら生きていくしかない。

お金

家計簿

独身アパート暮らし、30代の男の家計簿を載せます。

2022年2月、だんだん日が長くなってきはしますが寒さが意外に長く続き、春の兆しが待ち遠しいものとなりました。

収支内訳

収入 278,270円
給与収入(手取り) 229,921円
資産運用益 34,296円
ネット収入 14,053円
雑収入 0円
   
支出 72,477円
食費 11,490円
雑貨費 3,721円
車両交通費 5,965円
医療費 5,270円
保険 0円
服飾費 0円
交際費 0円
娯楽費 19,382円
通信費 2,100円
雑費 0円
家賃 22,425円
水光熱費 2,104円
   
当期純利益 205,793円

収入と仕事について

給与収入は少しだけ増えました。
1,2月は自分の力では防ぐことは出来ない必須の残業があったので少しだけ勤務時間が長くなった、のが理由。
それ以外の残業はやっぱりほとんどしていませんが。
自分より年下の人のほうが多く残業していますが!
おかげでごくまれに残業してたら「まだ帰らなくて良いんですか!?」と驚かれたことがあったような……
いや、ええって。
私生活でこの時間に帰らないといけない縛りは実は全く無いんだ。
単に定時で帰ることを信念にしているだけで。

支出について

食費は11,000円、2月は日数が少ないこともあって、フルタイムで働いている独身男にしては低い。
毎日毎日昼飯は自作のホットサンド、晩飯はスーパーで買った安い食材を肉やら野菜やらを炒めたりカレーにしたり、の単純料理。

娯楽費のうち、12,000円は前払いみたいなポイント購入。
2月は寒いしまん防も出てるので遠出はせず、県内の山のひだまりハイキングしてたくらいで、娯楽費もそこまで多くかかっておらず。
やっぱり1月同様、ほぼ毎週温泉に入ってはいましたが。
でも30代男にとって、1,2時間を600円程度で楽しく過ごせるってのはコスパの良い娯楽ですよ。

2月の生活について

2月は、う~ん、そこそこ仕事していたってこととハイキングと静かに夕日を眺めていたってのが生活の主だろうか。

2020年の夏頃からシダキュアを飲んでいるのですが、先生が言うには次の夏頃で服用を辞めても良いらしい。
もう少し長く服用するものなのかと思っていたけど、案外短くて済んだのか?
シダキュアのおかげで例年2月下旬ころから花粉症がひどくなっていたけど、今はたまに鼻水出るくらいでだるさは感じず。
これからもう少し症状が出るのかもしれないけど……

しかし花粉症が無ければ、2,3月って素晴らしい季節です。
寒さに慣れた身体にとってはまだ低気温でも十分暖かく感じるし、秋より日が長いし、花は徐々に咲いてくる、虫はほぼいない、メバル釣りも始まる。
アウトドア趣味も昔に比べたら幾分か落ち着いたけれど、何か外が気持ちよさそうだなと感じたら、心の赴くままに出てみようと思います。
私は私の無意識が求めるものに私を委ねよう。それも他力本願ではなかろうか。

日記

とあるゲームを終わらせるために一気にプレイしていたら、余暇にそれに対する時間を使いまくって日記すら書いてないからまた日付がとんだ。
2週間ぶりの日記に意味なんて……!?
仕事は繁忙期になっており、少し忙しいというのも理由だったけれど。

そうそう、仕事中に掲示物の張替え作業を行っていたんだけど、何か腰をかがめると妙に痛い。
仕方なしに膝の屈伸で物を取ったりしてたんだけど、痛さがだんだんと大きくなってくる。
掲示作業が終わって椅子に座っても少し痛く、前かがみになれないので妙に姿勢良くしてデスクワークした。
休憩のため席を立つと、なにかを手で掴まないと立てないほど痛い。

帰宅のためにバイクに乗るのも一苦労で、特に腰をねじる動作に痛みを感じるので、車線変更時の目視確認などが痛くてしづらい。
なのであまり速度も控えめにして、安全運転で帰る。
そして帰宅後も痛みはずっと続いており、この辺でようやく「これ、ぎっくり腰なのでは?」と思い至るようになる。
小さな腰痛は今までにもたま~にあったが、単に筋肉がつっていたり凝り固まっているようなものですぐに治るものばかりだった。

その後痛みはずっと続き、2日後の朝の今でも痛い。
寝るときなんて寝返り打てない。
両手で体全体を操作し、腰がひねらないように、身体を横にする。
寝返り打つだけで覚醒してしまうので、寝不足にもなる。

そんなわけで人生初のぎっくり腰は、32歳の3月ということになった。
腰は20代でやる人もいるから、まああり得ることなんだろう。
今まで腰痛者(安部菜々ちゃんとか)を笑っていたが、笑い事じゃねえ!
これが続けば運動そのものが嫌になって人生も楽しくなくなる。
やはり人生を楽しむには、健康こそが第一である。