公務員試験の論作文の練習をしながら面接のネタ出しをしている。
昔は「ネタこそが最重要」と思っていたが、この度ちゃんと評点基準を調べてみたらそうでもないようだ。
非常に素晴らしいネタを喋るのではなく、「聞かれたことにちゃんと答えられるか」ってだけなのだ。
急に話を振られてもすぐには答えられないから、想定問答集を作るのはありだ。
一字一句全て覚える必要はない。話題に対してのキーワードを覚えておき、練習によって話せられるようにする。
面接だって筆記試験と同じような、試験だ。試験前の勉強同様に練習が必要だ。ありのままの自分を見せるのではない。準備した自分を見せるのだ。
面接に備えてとりあえずブックオフで中古の公務員試験用面接本を購入した。
しかし、昔読んだものと同じように、ふわっとしたことしか書いてない。
「個性を出せ」と書きながら定型的なコミュニケーション方法しか奨めない。
しかも個性とか出してそれでどれだけ評点をいただけるのも書いてない。
「面接官の心に響く」だなんて、じゃあそれが何点になるのか、全く書いてない。
全てが曖昧で、だからそんなのに努力しようとする気が、昔は思えなかった。
だが現在はネットで評価基準が公開されている。
筆記試験だって試験内容と配点に従って勉強するだろう。面接だって内容と配点に従って戦略を考えるべきだ。
シミュレーションを重ねる。
それは実際の仕事だって大事なこと。例えば大事な会議の前に何一つ準備していなかったら悲惨なことになるだろう。
定型発達者たちは自分たちなら自然と出来ることは他人だって同じように出来ると信じて疑わない。
「どうしてこんなことも出来ないのだ」と我々に対して思うように、我々もあなた達に「どうしてこんなことも出来ないのか」と思う時がある。
でも口には出さない。なぜなら我々は人の得手不得手の違いを熟知しているからだ。
矛盾や排他は全て無くしてやりたい。
それこそが「ダイバーシティ」だ。それが嫌ならダイバーシティなんて、止めることだな。