日記,心理

12日から16日までは夏休み。
天気でも良ければキャンプしに行こうかと思っていたが、生憎の全日雨。
しょうがないので読書三昧と致す。
土砂降りの中カッパを着てバイクに乗り、ブックオフへ。
2店周って10000円分購入。
色々な漫画の続きもいっぺんに買って、完結させたものも多く。
本が切れそうだったからこれでしばらくは持つ。
起床、朝食、読書、昼食、読書、夕食、風呂、テレビ、読書、就寝…の繰り返し。
夏休みだがしてみたいこととか目標は無く、連休の意味は特に無い。


さて話は変わって、フローのこと。
心理学的にはフローという集中状態こそが最も今に着目し、将来への漠然とした不安だとか自信の無さとかを無くしてくれる。幸福に近くなる。

何となくやる気が出ない、野望が無い、とブログ開始当初から思っていたが、言い換えればフローに至ることが少なくなったからだと思う。
だが20代の頃を思い返せば、あれがフローならばあの頃は酩酊状態でもあったように思う。
信念に酔っていた。宗教に酔っていた、ようなものだ。

冷めた視線は客観性を備え、酩酊や洗脳から逃れられる。
だけどそういう酩酊状態はフローでもある。幸福でもあるのだ。
受け入れたくないことは受け入れず、受け入れたいもののみ受け入れて突き進む。
他人から見れば少しスピリチュアル的な違和感も感じるだろう。

瞑想やマインドフルネスは今この瞬間に集中する、フロー状態になって苦しみから解脱させる。
ではその状態は酒を飲んで酩酊状態になって嫌なことを忘れ、目の前の美味しいつまみを食べて幸せを感じる、のとは違うだろうか。いや、もしかして同じなのでは?
フローにも種類がある?
無行動なフロー、行動するフロー?

日記,心理

心理学を学んでいるとたまに目につくのが認知行動療法、マインドフルネス、瞑想だ。
将来への漠然とした不安や過去への後悔などを「今」が受け止め、全ての感情も感覚も今に集中することで心を穏やかにさせながらもやりたいことややるべきことに集中できる。
そんな効能がある。

試験に受かって、自分は幸せになってもいいはずだ。
だけど未だに不安が残るのは、やはり捉え方の問題が9割9分を占めているとも思う。
だから、瞑想をしようかなと思っている。

そう思い立ってYoutubeで瞑想導入動画を流しながら10分ほどやってみると、何となく行動力や集中力が増して不安が減った気がする。
「あ~あ、あれをやらなくちゃ」
とうんざりと思いながらダラダラとスマホをいじることもあるだろうが、瞑想後はそういうのが無くなった。
食器を片付け、歯を磨き、読みかけの本を読むことにシームレスで着手出来る。
もしかして、今の自分に必要なのは、瞑想なのでは?

瞑想は朝やると良い、と本に書いてあったので、起床後出勤の準備を終えて出発までの微妙な時間を、瞑想に使ってみようかと思う。
外に出て、美しい自然の音を聞きながら、やってみよう。

日記,心理

今日は試験結果の発表日だった。
結果、合格。

 

ドキドキとしていて、落ちていたらお先真っ暗とも思っていたから、一安心だった。
そうだ、安心しただけで、「ヤッター!」と喜ぶ感情は少なかった。不安は大きかった。
喜びは少なく悲しみの多い今の性格は、どうしたものだろうか。
得られるものは少なく、失うものは多い。
得たものを失ったものくらい、もしくはそれ以上に感じ取らねば、これから先も失ってばかりだと感じるだろう。

ひとまずは余裕が出た。
しかしまだ自分の心の問題が全て解決されたわけではない。
当面は、喜びを感じられる心を取り戻すことが目標だ。
心理学の勉強はこれからも続けていくつもりだ。

だがまあ、ようやく「試験結果が分かってから決めることにしよう」と思っていたことに着手出来る。
住んでいるアパートの目の前に海がある。そこに手漕ぎボートを浮かべたい。
試験の過去問を手に入れるのは難しかった。後学の徒のために勉強資料を作っておきたい。
この分野に関する郷土史・民俗学を掘り下げていくと、この徳島のその分野の学者という非常にニッチな立ち位置だから、独走出来る。本を書き記すことも出来るだろうか。

自分の心では今日が「人生が変わった日」とは感じられない。
しかし、客観的(俗物的)に見れば、今日がその日なのだろう。

日記,心理

今学んでいることは、これからの仕事に関する分野…

ではなくて郷土史と民俗学と社会・分析心理学である。
高校・大学の頃はほぼ完全に理系だったんだけどな。
最近は文系的なこと、特に人の心とかに興味を抱いている。
民俗学も、そこで生きていた人々は何を感じ、どのように生きていたのだろうか、という疑問を解明するためってのが大きい。
民俗学を知ったきっかけは、ただ昔の技術を習得しようとした時に読んだ本とかだったんだけど。

分析心理学はちょっと面白い。
今はまだオカルト的な信じ方しか出来ていないが、本当に人の心を分析し、性格を「分類」出来たらと思う。
人間を分類し、有効なポジションに当てはめていけば、社会はより幸福に満ちるのではないかと思うのよ。
人間を駒としか思ってないところはちとサイコパス気味だが、しかしこれはよりよい社会を望むという大義名分のもとで行っているから許して。

自分の性格はおそらく、内向的だが社会的に作用したい・関わりたいと思うものだ。
MBTIで言えば「IJ」
Jの逆のPなら、もっと気兼ねなく引きこもりになったりセミリタイアしたことだろう。
だけど自分には合わなかった。
人と会うのはあまり好きではないが、社会と関わらないと虚しくなってくる性質なのだ。
昔は引きこもりに抵抗は無かったんだけどな。
最近は虚しく思う。老いて、死が近くなってきたからか。

しかしこのような学問は、たまに今までの疑問が一気に解消されるタイミングが来るので、それが面白い。
今日は学校で学んでいた「古文」が、共通語である「文語」であることにようやく気づいた。
方言だとか「国語」の始原、江戸時代と平安時代に文章の変化が無いこととか、色々なものが繋がるのがスッキリする。

死ぬにはまだ早い。

日記,心理

感情の記録をしておこう。

先月からかなり忙しくてやることを詰めまくって、ろくな余暇も楽しめていなかったが、ようやく色々と終わった。
新しい職に就いて仕事を覚え、祖父のアパートを片付け、新しいアパートを探し、引っ越し、生活環境を整え、試験を終えた。
今は新しい仕事にも慣れて不安もなく、生活環境も順調だ。
試験勉強からも解放された。

しかし100%の解放感が得られたかというと、そうでもない。
4月からの鬱状態はまだ引きずっていて、感動だとかやりたいことをやるだとか、そういう気持ちは薄れている。
他人に説明できるような野望を言おうと思えば言える。
だが、「それが何だって言うんだ」という虚無感もある。
静かな環境、美しい風景の中で読書でもしていたいと思う。だけど、それが何だって言うんだ。

もしかしたら、まだ解放されていないのだろうか。
本能的に、試験に落ちているように思うのだろうか。
勉強中は集中するため「落ちた後」のことは考えていなかったが、合格発表までは考えていくべきか。
いや、とりあえず今は本が読みたい。
様々な心理学とか宗教書だとかを読みたい。

人間には直観型と感覚型がいる。
昔の直観型は、お坊さんのような立場になっていたのではないだろうか。
もしそうなら、彼らの心情を赤裸々に記録したような書物を読んでみたい。

日記,心理

前回の日記からあっという間に5日。

目標達成までセオリー通り、何も感じず何も考えず、勉強している。進捗は思いの外順調で、通常1年かかる勉強を本当に3週間で9割ほど達成しそうな気がしてきた。9割勉強出来たからって9割の点数はもちろん取れないが。

平日仕事終わりに、家事を終えてから勉強する気になれるのも、自分が鬱的気質でいるからだ。やりたいことが無い、虚無だ。だからやるべきことをやるしかない。ヒトとしての気概が無いから惑わされない。惑いそのものが無い。歓びはもちろん無い。

これほど集中出来るのも、一人暮らししているからだと思う。他人がいると頭の中に他人の領域が出来て集中とやる気を失う。完全孤独な生活が寂しくて故郷に帰ってきたが、アパート暮らしくらいが距離感としてちょうどよいのだろう。これからも質素な一人暮らしを続けていくつもりだ。

遺品の着物を全て売った。防虫剤を使って保管したり箱に入れていたりしていたようだが、染みがあったりしてゼロ円だ。むしろ帯とかの小物っぽいもののほうが高く、全部で7600円。小物、もっと置いていたほうが良かったなあ。他の衣類も期待は出来ない。

日記,心理

5年後の自分よ、まだ生きているか。
このブログを読むことが出来るか。
今の感情を記すから、これからの選択に役立てると良い。

人間は分かり合えない。
どれだけ長く過ごしても、脳の構造が変われば理解なんて無い。
親ですらだ。いや、親だからこそ。
少なくとも君と親、子をなす人間と子をなさない人間とで明確に分かれている。
分かり合えない人間とは表面的に付き合うだけにしておけ。
行動を指示するだけで、決してこれからの人生とか選択とかを話してはいけない。
「悩みは他人に話そう」との言葉があるが、それはきちんと共感とか理解とかをしてくれる人に限る。
相手を間違えればその言葉は自分に深い傷をつけるから。
自己肯定感や存在理由をますます減退させるから。
自分の命を救うためなら切り捨てることも絶対に必要だ。
一人は寂しい。
だけどそれを解消するのに頼って良いのは親じゃない。
今までで何度も間違えたが、2021年に決別したから、覚えておいて。

君は今、現場職から事務職へ移った。
事務職は一見つまらない仕事だと思えるだろう。仕事をしている感覚とかも少ないだろう。
だが、現場職だって続けていたらみたらそんな感覚は無くなっていく。
君は現場仕事に非常に大きなストレスを抱く。事務職のような落ち着いた環境を好む。
特に、鬱病ならば。
現場で抱くストレスは君を徐々に蝕む。
体験的に仕事をするくらいなら心地の良いストレスとなるから面白くは感じるだろうが、それはストレスだからなんだ。
続けていると君に大きな傷を付ける。
つまらない事務仕事をしていたら憧れはするだろうが、鬱になりたくなければ落ち着いた環境にい続けろ。
適度なストレスが欲しいのなら休日や仕事終わりに得れば良い。
自己コントロール出来ないストレスは最小限に、余暇を多くして自己コントロール出来るストレスだけを摂取しろ。

君は今、時々やってくる鬱に苦しんでいる。
鬱は今までの人生で何回か、大きなのは17歳の時、公務員試験に落ちた23歳の時、孤独な田舎暮らしをしていた29歳の時にやってきた。
そして31歳の今だ。
心が締め付けられて動悸・息切れがして、軽い睡眠障害、味覚障害に陥ったのは今回が初めてだと思う。
不眠時には衝動的に飛び降りようとした。
涙が出た。

君の性格は特殊で、ほとんどの人間には理解されない。
だけど落ち着いた環境の中で落ち着いた人々とはそりが合っていると思う。
だから、これからも落ち着いた環境からは逃れないように。
出来ること、続けられることは少ない。

今は自分のことで精一杯だ。
だけど願わくば、自分のような人間を救えるように、道を示し手助け出来る発表をしていってほしい。

日記,心理

最近の私生活は公務員試験の勉強のおかげでダラダラとネットサーフィンするのは少なくなった。
とりあえずふーっと息をついて椅子に座って、紅茶を飲みながらスマホをいじるが、最近はDaigoの動画を見ている。
30歳前から発症した軽度な鬱だが、最近は少しずつ強まっている気がする。
昔より集中できない、気がする。物覚えが悪い、気がする。気力が湧かない、気がする。
単に加齢の影響か、鬱か。
そんな時にメンタルヘルスとか性格分析とかに興味を持ち始めた。

今の自分はあまり幸せじゃない、そして何か希望を持っているわけではないから将来幸せになる、とも思えない。
そういう思いからやってくる虚無感、いや虚無感がまずあってそこから鬱がやってくるのかもしれないが。
Daigoはメンタルに関する知識が非常に多いし意思決定の科学的手法も多く知っているから、参考になる。

他人からこうしたほうが良いと言われても、本来の自分に嘘をつきつづければストレスが徐々に溜まって鬱になる。
自分がどんな時にどのようなストレスを感じたり悩んだりしているかは、過去の自分が知っている。ゆえに、日々の心の記録が必要だ。起こったことだけを書く日記とは違う。
ストレスがあるとIQが下がる。頭脳労働や勉強、議論する場合はストレスを少なくすることにまずは尽力する。

学び、これからも覚えておきたいことはアウトプットするのが最も効果的であるらしいので(インプット大全より)、この日記にも学んだことと今の悩みや感情を記録していくことにする。

さて、話は変わって6月1日から別の仕事となった。
事務的な、公的な仕事だ。
前職とは違って身体をガンガン動かしたり現場で臨機応変に動くタイプではない。
事務と言えど一応は技術員で、でも少し専門外であまり強く興味を持ったことのない場所に配属された。
とりあえず事務作業は出来るようになるが、専門的な仕事が出来るかは不安だ。
勉強すれば出来るんだろうけど、育休代替の一時的な仕事だから深く学ぶには時間も興味も足りないと思う。
まあでも、のんびりと出来るらしい。多分主に雑用がメインの仕事になるだろうが。

この日記の最初に鬱がどうのと書いたが、新しく仕事を始めて、人の名前が覚えにくい、短期記憶が悪くなった気がしているからだ。
人の話を聞いてもすぐに出ていく。だから会話中はメモをとっておく。
うーん、こんなもんだったっけ。こんなに短期記憶悪かったっけ。
人の名前を覚えようとしていると、何と前職の同僚もすんなりと思い出せなくなった。
ただのうっかり、ど忘れ、だと今は認識しておこう。怖いから。

日記,心理

仕事の移り変わりの時期で自由な時間はあるが、祖父のアパートの遺品整理をしながら1人暮らしをしているので、やることは多い。
来週には申し込んでしまっていた資格試験があるし、3週間後の公務員試験だってある。
普通の人なら勉強に全集中するべきだが、ちょっと余裕ぶっている。
どうせ筆記試験が受かったところで、その後の面接が超苦手だからそれで落ちて無駄な努力だったー、ってなりそうで。

だが24歳の頃に比べたらまだ少し面接にちゃんと挑もうとしている、と思う。
あの頃は本当に何をしていいのか分からなかったから、志望動機とかを考えるだけで精一杯だった。
でも今は、ネット検索で公務員面接の評価基準を調べられたから、それに沿って練習しようと思えるようになっている。
内容よりも、話し方のほうが大事。スラスラと高度なことを言わないといけないわけではなく、大きな声で、はっきりと、ゆっくりと、結論から話して簡潔にまとめる。外見もピリッとしておけばいい。そのくらいである。
でも昔はそれが分からなかった。
評価基準がよく分からない試験は大嫌いだ。分かれば素直に従うが分からなかったら非常に大きいストレスになる。

とまあ試験勉強のことはいくらか考えているが、本当に自分は公務員になりたいかって言うと、本心でははっきりとは言えない。
というか、30歳になってからは20代の頃のような心の奥から燃え上がるようなやる気が出ることは無い。
だから何をやろうとしてもやっていても目指しても、全てが嘘くさく感じてしまう。
大きな事を達成するには今の感情は良くても悪くても無視するべきで、機械のように力を尽くすべき、らしい。
今のように虚無感を感じても当初定めた目的がかなうまで、淡々と。

でも疑問に思う。
目的は感情によって定められるのではないか。
正義感、義憤、希望、愛、そういうのは目先の低級な感情とは別なのか?
虚無感や絶望のような感情はどうなんだ。

日記,心理

6月からは期間付きだが公務員的な職場で働くことになる。
その後何をするかは決まっていない。

もし自分が公務員的な仕事がやっぱり好きだと思ったら、公務員を目指しても良いのか。
それとも、準公務員とか団体職員を狙うべきか。
もし公務員を目指すなら6月に試験があるから受けてみても良い。
試験勉強時間は少なすぎて記念受験とか来年に備えて、という感じになるだろう。
だけどもし受かったらのなら極めてスムーズに次の仕事が定まる。

だけど24歳の時に受けたら落ちたのだ。
あの時は別の県だったけど。
国家公務員総合職も一般職も、県職員上級も落ちた。
筆記試験の勉強は結構したのに。
昔の自分が出来なくて、今の自分が出来るわけがない、とも思える。
試験勉強なんかに無駄な労力払うべきではない、のか?

それに公務員になったとしても、「つまらない仕事」「凝り固まった、改革を許さない職場」と評される労働環境に自分は楽しいと思うのか。
だけど新卒で入った職場は団体職員だったし公務員的な仕事が多かったが、やりがいなくてつまらない仕事、とはあまり思わなかった。
むしろ民間のほうが遥かにつまらないさ。
自分のような森を見て木を見ず、みたいな人間は広い視野を持って仕事をするのが好き、ということは公務員も良いんじゃないかと思うんだけど、どうだろう。
木を見て森を見ず、今この瞬間を乗りきることに長けている人間にとっては公務員の職場はどう思うか。