日記

今日は造園バイトで個人宅の剪定。
基本は掃除だが、手が空いたら自分も剪定することがある。
刈込バサミでの剪定もまだまだ修行中で、どちらの手を固定するか悩んだり。
今のところ、進行方向と同じ側の腕、刃が進行方向逆側を固定すると良い感じ?な気がする。
進行方向側の刃を固定すると、まだ剪定出来てない部分が邪魔して刃が動いてしまう気がする。

また、初めてエンジントリマーを使った。
剪定では最も素早く出来るもので、熟達者もよく使うものだ。
生垣を真っすぐにするときに使うが、やっぱり最初は難しいね。
凸凹になったり斜めになったり。
身体の使い方も慣れてないから腕が痛いのなんの。
だが、ようやく剪定道具の全てを習得したような気がする。
後はもう経験と樹種による違いだけだ。

最近は涼しくなって、剪定・掃除くらいなら暑くなりすぎないから身体も楽だ。
工場労働に比べればそりゃ動くが、しかし人間このくらいは動かないとすぐになまるし太る。

日記

残り少ない工場労働をこなした2日。
最近は帰宅後に造園の勉強をしている。

しかし造園の読書、動画の視聴などの勉強は1日1時間、それ以上も以下にもしないことにしている。
今までの経験から、1日1時間でも継続すればかなりの勉強量になるし、続けもしやすい。
仕事終わりの平日でも無理なく出来る。

そして重要なのが、あまり根を入れすぎて飽きないようにするため。
一気に勉強して一気に習得してしまえば、その業界がどんなものか何たるかを知ってしまう。
今はまだ知らないからこその新鮮さが好奇心を刺激して勉強したいと思うが、しかしすぐに知ってしまうと仕事の喜びを感じる前に新鮮さが薄れ、飽きてしまうのが早くなる。
熱意は良いことばかりじゃない、制限が必要だ。
「今の自分は暑くなりすぎているな」と思ったら、少し冷ましたほうが良いのではないか。

これから何十年もやるかもしれないんだ。
そんなに急がなくても良いじゃないか。
お楽しみは取っておこう。

日記

今日は雨、バイトも中止になって家に引きこもることに。
夕方からは雨も止んだのでジョギングでもすることにした。
やろうかと思っているコンテンツ(ゲーム、本など)も溜まっておりやれることも多いのだが、やることは無いとも感じる。

実家の自室で過ごし、この先ここから出ていく予定も無い。
自分の気持ちに正直になった結果、この状況になった。
しかしやっぱりどこかで後ろめたさのような、罪悪感のような、間違った人生なのではないか、と感じるところがある。

人口増大期かつ雇われ労働が普通とされた昭和後期~平成前期の日本の文化では、実家から出ない人間は「パラサイト」だとされた。
もっと昔の第一次産業中心の時代では、基本的に土地や森などの資源の取り合いの関係から人口密度を抑制し、実家にいて家族を持てるのは長男のみ。次男以降は実家のお手伝いか、どこかに奉公に出るか、開拓地に分家するか。

今は人口減少期の、都市過密化・地方過疎化の時代。
地方は人口減少が激しく、家も土地も余っている。
変わったことを連ねると際限が無いが、要は時代が違う。だから文化も変わるだろう。

しかし人の心や考えはなかなか変わらない。
現代人でも、昭和な生き方が最も正しいのではないかと思ってしまう。
それはまた、昭和の人間も同じかもしれない。
都会に出ても、「いつかは故郷で…」と思う人も多いだろう。

色々やった。世間の風潮にほだされてやった。だけど忘れられなかった。だから帰った。今から出ていってもまた同じ結果になるんじゃないかと。落ち着くことが望まれる。落ち着くのか本当に?落ち着くとは、もう追わないこと。

誰もが色々な生き方を選択できる。
しかし選択には責任が伴う。誰かの責任には出来ない。
自分が選んだんだから、自分にとって幸福で正解な選択肢じゃないとダメだって、思ってしまうこともある。

釣り

予報では雨なんだか曇りなんだかよく分からないこの日。
木屋平の中尾山に登山行こうかと思ったけど、早朝4時に起きて現地の天気を確認したら微妙だったので、そのまま釣り行くことにした。

最近のトレンドはちょい投げでのキス釣り。
早朝から開いている釣具屋で青イソメを購入し、ついでに無くしていたジェット天秤(8号)も買って出陣。

鳴門市の岡崎海岸に行ってみたが、釣り人はいくらかいるが全く釣れず。
前回もこうだったわ。エサ取りすらいない。

次に亀浦港。
いつも人気な場所で、平日でも人は少なからずいた。
磯っぽい地形の割に釣りやすい釣り場でもあり、ちょい投げでもほとんど根がかり無し。
あっても針が無くなるくらい。
堤防から見える魚影は濃いが、いるのはチャリコやスズメダイやベラくらい。
大物やキスは見当たらない。
8時くらいに諦める。

最後に前回行った土佐泊の砂浜。
渡船場奥の砂浜は潮流の早い小鳴門海峡と言えど潮が遅く、釣りやすい。
水も澄んでいて綺麗で、ただボーっとするだけでも良い場所だった。
だが、釣れない!
釣れたのはベラとフグだけで、キスはおらず。
キャストしても餌が取られることも少なく、魚自体が少ないように感じた。

結局この日持って帰ったのは、ベラ2匹。
初めての夜明け前からの釣り、朝マズメではあったが、釣れるとは限らない。
どうせ釣れるか釣れないのか分からないのなら、体力的に楽な昼間から釣りするのもいいだろうね。

日記

いやまあ、一応婚活はしてるのです。

2月から工場労働を始めると同時にペアーズの有料会員6か月に登録し、8月までやっていた。
結果、1度も出会うこと無し。
ちょうどコロナの時期と重なったのもあるけど、なんか、続けても勝てる見込みが無くて、尻切れで辞めてしまった。

マッチングは若干したんです。
でも、続かんね。
ネットでNGなやり取りを調べて推奨されるタイミング、流れとかを自分なりに演出もしたけれど。

それに写真写りもなかなか良いのが撮れないし…。
他人が撮ったような視点の、清潔感のある感じが良いらしい。
撮ってくれる他人?家族ならおるけど、おるけど…。

元々自分は他人にあまり興味が無いし面白い話が出来るわけでも無い。
でも、このまま独身で一生を終えるのは、寂しいしつまらない。
友達は若干いるけれど、しかし彼らの存在が生き甲斐とまでは思えず、やはり他人のことを考えるにあたって大きな領域を占めているのが、家族。
家族が欲しいから、結婚がしたい。

しかし、自分は恋愛感情のようなものがほぼ無いと思う。
正直に言って性欲の存在は、まあ否定しないが、それだけで結婚までいけるか?
性欲抜きで赤の他人を「好き」まではなかなかいかず、婚活へのエネルギー源も少ない。
ヤリ目(やること目的)は嫌われる、だがそのエネルギー無しでは自分を魅力ある男性とするやる気は出ない。
性欲の発散にしたって、もう長い人生を歩んだから、色々と方法はあるんだな。

お見合いなどの紹介で昔は結婚を多くしていたが、それが無くなった。
恋愛結婚はいつの時代でも同じくらいの割合で、紹介結婚が無くなった分がそのまま未婚率になったようだ。
自分は間違いなく、昔なら受け身の紹介結婚をしていたタイプだ。
だから恋愛結婚の常識は当てにはならん。さて、どうするか。
結婚相談所もありだが、しかしあれほど金がかかるものなのか、そりゃ一生ものだけれど。
ちょっと調べるといかにも商業主義的なことばかりで、辟易もする。そりゃタダではやってられんのは分かるが。

元々他人に興味が無いから、「他人」から「家族」を作るのは難しい。
もっと省力的に出来んかいな。

日記

10月から庭師となるのだが、自分は昔から美術にほとんど縁も興味も無く、美術方面での庭師になれるかは不安だ。

しかし最近日本庭園のことや外構のことについて勉強している影響で、少しずつ身近な環境の美しさに目を向けるようになった。
自室の壁には何も飾ってない。
せめて自室から何かしてみようか?と思うようになった。

ちょうどメルカリで「〇〇円以上で〇ポイントもらえる」というキャンペーンをしていたので、美術カテゴリに目を通してみた。
彫刻や細工物が色々あるが、目に留まったのは絵画。
特に、日本画や山水画は美しいと感じる。
何も描いてない空間にさえ美しさを感じるあのバランス。

妙に目を引いたのが、アイキャッチ画像にしているこの絵。
作者不明、美術界では価値もほぼ無いだろう。
だから額縁付でも安かった。

しかしなぜだろう、自分には刺さる。
風景画だが、山も花も月も波も建物も無い。
水辺、草木、岩だけ。
にも関わらず、何の変哲もないどこにでもある自然の風景とは思えず、安らぐ。
何も描いてない空の部分が、どうしてこれほどバランスが良いと感じるのか。

今、この絵は、自室の机の上に飾っている。

日記

鳴門市の土佐泊浦でキス釣りをした。
今日は曇りで微妙な天気なので、旅行とかはせずに釣りで。

1.8mロッド、青イソメ、5号ジェット天秤のちょい投げ。
渡船近くには砂浜があり、この辺りから投げ釣りが出来る。
小鳴門海峡は潮流が非常に早いので、引き潮・満ち潮時よりも停滞時のほうが釣りやすかったりする。

今までキスは1回も釣ったことが無かったが、ようやく釣れた。
8時から10時30分まで不慣れな釣りをして、キス3匹、チャリコ1匹、ベラ1匹。
大きくは無いが、初めて見るキスとチャリコは輝いて見えた。
子供の頃は宝石のようにも思えた。

砂浜であるがやはり少しは石や海藻もあり、根がかりしてジェット天秤紛失。
しょうがないので貰い物の15号天秤を付けてみるが、重すぎる…
しかしそれでも潮流が激しくなった小鳴門海峡では潮にもまれ、どんどん流された。
そうこうしているうちに、ロッド先端のリングが外れて故障。

予備の5.4mロッドでちょっとウキ釣りを試してみるが、仕掛けを引きすぎて竿先が折れる。
立て続けに竿2本が折れたので、ここで中止。
300円で買った青イソメは少し余った。

帰宅して、竿の修理方法を調べてDIYでやってみる。
最近グーグル検索もひどくなりすぎてなかなか答えが分からなかったが、とりあえず瞬間接着剤を使えば良いとのこと。
竿を少し短くして、余った場所はペンチで折り取り、1つ手前のリングを先端とする。
2.4mくらいの、エギングコンパクトロッドとかも欲しいな…
やっぱり短い竿は取り回し良くてええね。

帰宅後、まだまだ休日が続くので、自宅の花壇の整備。
土が多すぎるので削ったり、剪定したり、伐採したり。
その時その時で思い付きで整備しているので、自分でもどうなるかわからん。

秋、自分の体力が回復して元気になる季節。
1日に3,4ターンは動けるぞ。

日記

田舎と都会、それぞれの生き方についてちょっと考えていた。

都会には色々な人や物があり、何でも揃う。
だから個性的な人でも仲間を見つけられる、個性的な人向けの場所なのかもしれない。
無限に思えるほどの空いた「役」がある。

しかしまた、同質化を願う人々の集まりであるとも思える。
都会は田舎よりも先進的だ(と思える)。
ここにいてここに従っていれば、何をせずとも自分も先進的な時代や文化の一員となれる、気がする。
だから無個性で無気力な人が、他力本願で集まってきて、無個性な場所になるとも見える。
流されることを尊び、自分も巨大な塊の「一員」となりたい。

田舎、人口密度の低い場所では、あらゆるものが揃っているわけではない。
仕事の種類や個性的な考えを持つ人の絶対数が少ないから、選択肢が少ないように見える。
だが人口が少なければ少ないほど、自分に求められたりやらざるを得ない強い「役」がある。
かけがえのない、自分の代わりのない役を生き甲斐に出来る。
都会では、自分一人なんていてもいなくても同じ。
都会と田舎は、大きな組織と小さな組織の違いとよく似ている。

まあ結局は、それぞれの場所、状況で得られるものが異なり、得られないものがある。
得られないものをないものねだりして、ここにいる自分は不幸だ、だから変えようとする。
そして変わったら、変わる前にあったものが無くなり、それを切望するようになる。そして戻る。

自分の故郷は海が近くて釣りがしやすい。
バイクで心地よく走りやすい。
東京や大阪に住んでアウトドアが好きな人にとっては、垂涎の地であり、私は恵まれている。

無いものねだりで人生を浪費するくらいなら、今持っているものを大事にしていきたい。
私は私、過去は過去であるが、この状況と過去は「私」を構成する大部分だ。
自由とは自己を希薄させるものだと、老いつつある私は考えるようになった。

日記

台風や秋雨などで天気の微妙な日が続くが、季節が進んでいる証拠だ。

最高気温は30℃以下、最低気温も20℃前後となり、クーラー無しでいられるようになる。
うるさかったセミの鳴き声もほとんど聞こえなくなり、静かで心地よい。
まだ身体が夏モードなので、深夜勤の出勤時のバイク乗車時は寒いくらいだ。

花粉症の自分にとって、この時期が一番好きだ。
日は短いけど、花粉は飛ばないし、気温はちょうど良いし、虫も少なくて静か。
夕夜に鈴虫が鳴くと心まで涼やかになる。

真夏では「暑いから」、という理由でやりたくなかったことも、この時期からは随分楽にやることが出来る。
小さな庭(花壇)の整備もしていくか。
バイクの整備もしていくか。
掃除もしていくか。
キャンプも良いね。
釣りも良い。
もちろんバイクで走るのだって良いのだ。
こんな心地よい時期に部屋に籠っていたくない。
皆はどうかな?
出来れば同好の士と交流したい。
婚活も…

秋は色々なことが出来る楽しい季節。

釣り

今日も休日。

特にやることも無く、天気も微妙なので、雨が止んだ隙に釣りをすることにした。
そう言えばまだ今年になってキスを釣ってない。
よし、ちょい投げでキスを釣ろう!

というわけで、ウチノ海沿い高島地区、幸福の科学近くの堤防から投げてみた。
1.8mのコンパクトロッド、青イソメ、ジェット天秤。
いつもはオキアミだが、ちょっと釣具屋に寄って買ってみた。
実は初めて使う虫エサだが、一匹が結構大きいので、まだ釣れるとは限らないので3分割にして使った。

ごくシンプルな仕掛けだが、やはりちょい投げでも投げ釣り、海藻に引っかかったりして針や餌を無くすこと多し。
しかも1匹もかからず。
釣り時間は午後1時から4時まで

タイドグラフを見る限り、釣れやすさはそれなりに良い感じのようなのに。
まあこれも経験だ。