日記

今は生家で暮らしている。
何十年も見た光景、何十年も過ごした部屋、食事、生活様式…飽きたと言えば飽きた、と確信を持って言える。
だから、この場所を変えるべきかと思うか。
理想郷を探して、そこで死ぬまでずっと飽きずに幸せに生きれるものだと信じているか。

どこで生きていても、飽きることはあるんじゃないか。
能動的に何もしなくとも、面白く生き続けられる場所なんて、存在しないんじゃないか。
子供の頃はいつかはそういう環境に行き着くんだと無責任に思っていたから、未来に希望を持っていたが。

全く同じ生活様式と職場の往復で終える人生に、飽きるのは当然だ。誰だってそうだ。
だから飽きずに生きていけてる人は、実は同じように見えて少しずつ違うことを日常の中で行っている。
持ち物を変えてみたり、余暇の過ごし方を少し変えてみたりとか。
そんな小さなことでも面白さを感じれるもの、らしい。心理学的には。

というわけで、僕の生活も少しずつ変えてみようかと思う。
今は殺風景な壁に好きな絵を飾ってみたり、自室の窓がすりガラスなので普通の透明ガラスにしたりしたいと思っている。
まあ独身なら日常の変化なんてこんなもんだったりだが、やはり結婚して子育てすると、全く受動的に生きているのに変化を感じられるんだろうと思う。
何もしなくとも子供は成長する。自分が変化せずともパートナーが変化して自分も変化することもある。
自分一人だけじゃあ変化も少ないさ。
ただゆっくりと、老いていくだけで…

日記

たまに(というか『よく』)自分の人生に虚無感を感じるが、そういう時はメタ認知するようにしている。
「僕は徳島県の片隅に生きている。しがない町で小さな生家で生きている。色々な人生を歩んで、ここにいる。ここで生きる人々はどんな風だと他人は思うだろう。一例が、ここにある。」

昔、色々なところで生活したが、期限付きの生活だったのでどこも探索の楽しさがあった。
どんな部屋で寝て、どんな店で食べ物を買って食べるか、洗濯はどうするか、風呂はどうするか、休日はどうするか、ここにいる間どこで何をするか。
こういう、低レベルなことを一歩一歩頑張るって、楽に出来る割に面白いことだ。

人が未開の地に憧れることがあるのは、そういう面白さを享受したいからなんじゃないかな。
小さな道具と人力で生活と仕事をしていく…。
未開の地を拓くのが目的なら、大資本を使って重機と作業員を多く入れてリゾート施設でも建てれば、手っ取り早く開発と地域振興が成り立つ。
でもそれって、一歩一歩歩んでいく面白さは無い。

目標を立てて頑張る、それは楽しいことだ。
でも急ぎ過ぎればすぐに目標を達成して、次の目標が必要となる。車を回すネズミは、歩みを止めればその勢いに飲まれる。
ゆっくりすぎれば目標達成への意欲が少なくて尻すぼみになっていく。

しんどくない範囲で、自分の成長を実感しながら歩めたら、素晴らしいことだろう。

日記

28日は雨の休日。
週に1回の休みなんだから平日とは違う面白いことをしよう、ってなりそうなんだが、雨。
雨だと外に出づらいしそういう気分になれないから、家に引きこもってしまう。
しかし室内だと平日でも出来るような余暇ばかりやってしまって、貴重な休日を無駄にしてしまっている感じはある。
まあ、こんなのは学生の頃からずーっと変わらないんだけど。

とりあえず春になってきたから衣替えをちょこちょこする。
バイクを真冬仕様から3シーズン仕様に。
自室で着ていた半纏とかは奥にしまって。
こまごまとしたものは片付け、不要なものはメルカリに出品。
GWの予定を更に詰めて色々と予約したり。
たまにゲームするが、一日中すると後悔するので抑えて。
追っている漫画本を通販で注文して。
見回したら何だか壁が寂しいなあと思ったので、メルカリで絵画を購入して。

こういう休日と自分の人生を顧みたら、どことなく寂しさや焦りも感じる。
でもこの感情も、学生の頃からずーっと変わらない。
そういう気持ちもまた、人間社会の変化の原動力でもあるだろうか。
生まれた時から死ぬまでずっと社会的変化が無いと考えるのは、恐ろしいものだろうか。

日記

嫌なことが立て続けに起こって仕事への自信を無くしていた。
しかしこうやってブログや他人に対して愚痴を吐いていたら少しずつスッキリしてきた。
「仕事辞めたい!」
ってのは当然、感情の問題ですね。
脳内物質の分泌だのなんだので、考えの結果も変わっちゃうもので。

不服な結果に終わったのなら、感情次第で「俺には向いてない」にもなるし、
「俺を認めだないなんて何も分かっちゃいない。次は認めさせてやろう」ともなる。
もしかしたら生きる中で大事なのは、そういう高ストレス時のストレス発散方法を知っておくことなんだろうか。
自分は他人に対してあまり興味を抱かないASD・スキゾイド的な性格だが、案外他人に愚痴を吐くのってスッキリするものなんだなって分かった。
昔、孤独に暮らしていた時、こうやって高ストレス時に受け止めてくれる存在がいなかったから、辞めてしまったのだろうか。
人間、少なくとも自分は孤独だと、何も継続できない。

日記

自分もまあ色々な仕事をしてきたが、この世にはエンジョイ勢とガチ勢がいるようだ。
自分は本質的にはエンジョイ勢だ。
だが楽に仕事を回すための改善ならやろうとするので、視点を変えればガチ勢に映ることもあるかもしれない。
でも仕事そのものに対する向上心とかは実はあんまりない。
効率よく、楽に、鷹揚にこなしていきたいだけだ。
余裕を持ち、まずは楽しむ、それが継続と向上のカギじゃないだろうか。

昔ガチ勢の人が社長の1人企業にバイトに行っていたことがあったが、何人ハローワークで雇っても1週間以内で辞めていたようだった。
自分は2週間で辞めた。
確かにその社長は実力はあった。しかし非常にワンマンで、自分が絶対に正しいと信じて疑わず、付いてこなかったり反発したりする人間にはすぐに「この人はダメだ」と切り捨てている風だった。
そりゃ初心者とは経験年数もやる気も違うだろうに、自分と似通った人間だけを求めようとしていたら、大抵の人は付いていかないのではないか。

例として、自分の機転でほんのちょっと工夫をしたら「それは違うって分からないか」と叱られ、その人のやりかたに直されたが、結局失敗して、その人は当初の自分の工夫した方法で仕事を進めた。「ごめん、やっぱりそっちのほうが良かった」と認めれば良いのに、不服そうに無言だった。
そういう人ってさ、「自分に似た実力と向上心がある人が欲しい」と思っておきながら、実際にそういう人と一緒に仕事をしたら、仕事の進め方の違いですぐに反発してケンカになるんじゃないかって思う。
提案してもそれが既に自分の頭の中にあるものだけを受け入れ、無いものは受け入れない。
もしかしたらそれが正しい、自分と他者のどっちも正しいかもしれないのに。
他を否定ばっかりして鷹揚さを持たないと、周りの人は委縮するに決まっている、よね?

なお前の職場で不満があったのは、対策出来そうな問題に対して対策しておかず、問題が起こってからあーだこーだやって残業していたりする非効率さだ。
「もっと仕事に対して真摯に取り組もう、向上しよう!」ではなく、「もっと楽に効率よくやろうよ」ってことで。

日記

最近はめっきり仕事に自信が無い。
努力せずとも実力があるとか甘えた考えはあったが、(面倒な)努力や好奇心や向上心を持たないと立派な仕事人にはなれないように思う。
「案外、だるいな…」と思うことは数か月前から持っていたが、近頃はそれが如実に表れている。

常日頃からやる気があって、だるいと思わない人間のみが認められるのならば、自分はやれる自信は無い。
失敗しても「何を!」と思って更に努力する人もいるが、そうなりたいとは思えない。
仕事が終わっても仕事の分野に関する調べものばかりやっている人もいるが、自分はそこまではやっていない。
実力という意味での才能も、努力や興味という意味での才能も、自分には無い気がする。
ていうか今の職場、仕事が好きであることが前提になりすぎている気がするんだよなあ。

僕にとって今の仕事はたまにやるから新鮮で面白いんであって、週6日やっても更に興味が出るわけではない。
興味を失っている状態ならば、合理的な考えを持ってしまう。
どうせ面白くない仕事をするならば、同じく面白くないけど楽な仕事を選ぼうか。
福利厚生が整っていたり休日が多かったり給料が多かったり1人でストレスなく働けるところが良いな、とか。

って、そういう考えで1年前は工場労働やってたじゃんか。
そんで虚無感とか抱いたじゃんか。この会社・部門でしか使えない技術なんて…と思った。
確かに今やっている仕事は年寄りになっても使えるスキルだ。
でも、だるい。

こんな感じでたまにやってくる本格的な「辞めたさ」を乗り越えて何年か続けていられれば、それなりになるんだろうけれど。

日記

この1,2年、過去を思い出して自分の幸福とは何だろうかを探求することが多い。
自分探しの旅は昔出たことあって、終わったことだと思っていたけど、今でも、もしかしたら死ぬまで模索するかもしれない。

ただ生きているだけで面白く感じた時は、新しい日常を始めて、日々の食料の調達とか交通とかを工夫している時とかだ。
準備していた物を消費しながら、一歩一歩踏み出して視界を拡げていく。
まだやれることが少なくて進める道が少ない、ゲームで言うなら序盤とかが好きだ。
知ることの面白さ、まだ原始的な人間の力が必要だったりする時。

だが生活が送れて当然レベルになると、面白みは減ってくる。
皆が毎日風呂に入れるようになると、入って当然になる。
最初はたまの贅沢だったり頑張った自分へのご褒美だったりしたのに、今や最低限のマナーである。

出来て当然、やって当然のことは、やっていて面白いわけがない。
出来ても不安が少し解消されるだけで、失敗したら落ちこぼれ感が強くなる。
得られるものは少なく、失うものは多い。
恐ろしい。

自分は出来て当然だとまだ思われていない冒険的なことをするのが好きだ。
特に一人で。複数なら、また比較が起こって、出来て当然ラインが出来上がる。
でもずっと1人は、社会参加・他人の役に立っている感覚がどんどん失われ、飽きた時は虚無になる。
耐えられなくなって集団に入ると、出来て当然のことが出来なくて、落ちこぼれる。

日記

自分は一応高学歴の範疇、なのだが相応の実力や人間性を持ち得ない。
仕事が上手くいっていない時はもちろんのこと、上手くいっている時でさえ「相応の人生が送れていない」と自己肯定感を乏しくさせる。
この年になってもプライドをゼロにさせることが出来ず、悔やむことが多い。

最近、今やっている仕事への才能の有無が気になっている。
職場の人は仕事の分野(仕事の取組みそのものは置いといて)への興味は多くあり、常に情報収集していたりする。
対して自分は、何だか義務感に囚われて情報収集しているだけで、楽しさは感じていない。
(もしかしたら他の人も楽しさを感じていないのか?)
皆、指示を聞いたらすぐに他の人は何をして自分は何をするかを把握しているが、自分は把握できていないことが多い。
解釈違いでミスもある。

仕事への関心や希望がますます少なくなっている。
だがまた辞めちゃって次の職場で「また合っていない」となるのは避けたいところ。
ひとまず休日に性格・適職診断をしてみよう。

ネットで同じような悩みを調べてみたら、恐らく自分は「ASD(自閉症スペクトラム)」だ。
コミュニケーションに難あり、集団行動が難しく、阿吽の呼吸が取れず、聴覚より視覚情報に重きを置いていたりする。
ASDは高学歴者にも多く、仕事を始めて特性が如実に表れ、うつ病などの二次障害を起こすことがある。
ASDは定型業務で1人で黙々と働くのが得意で、非定型業務や集団行動は不得意だ。
拘りが強い場合もあるが、自分はそこまで強くない気がする。

自分は普通の生き方に向いていないことは学生の頃から分かっていたから、将来は山奥とかで孤独に暮らそうと決めてそのために頑張って、実際にやった。
でもやってみたら、だんだんと孤独感と虚無感が強くなって、山を降りたんだよなあ。
そして今は故郷に帰って俗世に帰ってはいるが、やはりここでも生きづらさを感じる。

工場とかで働くのは性格に合っている。
だけど働いてみると、「一生こんな感じなのかと思うと、希望なんてない。ただ時を過ごして死を待つだけだ」と思ってしまった。
工場労働は人の管理がしやすいから福利厚生も良いし給料もそこそこで良いんだけどね。
一時的に働くなら良いもんなのだが…。

家族を持って、働く意義を増やし、人生に変化をもたらせばもう少し面白くなるだろう。
と思って婚活も一応はしているが、持ち前の他人への関心の少なさが行動力に繋がらない。

理性で心の奥底の関心の少なさを隠して、今の自分の状況に沿うように本当は死んでいる目で演じれば良いだろうか。

日記

今日もイライラとしてしまった。
理性である程度抑えはしたが、抑えただけでその感情が無くなるわけでもない。
俗世間で生きていればこういう人間関係のストレスは避けては通れぬ。

こういう意見の違いとかはこれからもずっと起こってくることだが、その度にこんな感じでストレスを溜めねばならぬのか。
と思うとやるせなくなってくる。
もう一度ドロップアウトしてやろうかと思ったりもする。

最近twitterで少しバズった画像がある。
「こんなに辛い思いをしてまで生きる理由が無いのが辛い」
まさに今の自分だよなあ。
生きる意味や理由なんて無いのは分かってはいるが、無ければ辛い生活を乗り越えていけないじゃないか。

あーあ、面倒だ、布団の中で寝静まっていたい。生きるだけなら働かずとも出来るじゃないか。
それでも、人は布団から出る。

日記

晴れの日曜日。
春の魚も釣れ出したと、徳島新聞に書いてあるので釣りに出かけた。
だが、昨日から続く強風がまだあって、白波が立つほどの北風だったのでやっぱりやめた。

1週間ほど前に足の指を負傷して痛むので、山登りも止めておこう。
じゃあ、何をしようか。
そうだ、春物衣料を買いに行こう。
婚活にも使えるカジュアルジャケットでも。

色んなものをメルカリとかで買っている自分だが、やはり服は現物を見て買いたい。
手に取って良いなと思ったものを試着してみる時でさえ「なんだか微妙だ」と思うことが多々あるから、ネットでは思い通りのものが買いにくい。
だから服だけはリアルの店舗だ。

あまりファッションに拘らない自分だから、出来るだけ安い方が良い。
徳島で安く服を買うとしたらどこだろう。
とりあえずゆめタウンに行こう。

道中、2ndストリートなる店を見つけた。
古着屋なら安く手に入るか。
服コーナーを見てみると、結構安い!
良いなと思ったものがサイズが合わなかったりとなかなか見つけるのは難しいが、その分安く手に入る。
それがちょっと面倒でもあり面白くもあり。

その後ゆめタウンでブラブラしてメンズファッションコーナーを巡る。
良いなと思ったものが古着屋の数倍もする値段で、あまり買う気がしない。
ここでしか買えないのならしょうがないが、もっと安い値段で古着屋にあるかもしれない、と思うと買うまでには至らない。
フードコートで昼食を摂り、紀伊国屋で立ち読みして。

この近くにまだ古着屋はあるのか、と調べてみると「キングファミリー」という店が近くに。
行ってみると、2ndストリートよりも全国チェーン店らしさは無いが、安い服は多かった。
結局その2つの古着屋で1着ずつジャケットを購入。
いい買い物したぜ。