バイク

走行距離56,000km、NC750S DCTの整備。

約1万km走ったのでオイルは自分で交換。
HONDAG1を使いました。
リニューアルしたようで、デザインも変わっていれば10W-30から5W-30に性能表記が変わっており。
他にも安いオイルはあるけれど、オイル抜き終わってから通販で安めのオイル買うのを忘れていて、急遽ホームセンターで購入。
別にホムセンでG1買うのは何も間違っちゃいない選択肢だけどね。

約3万km乗ったリアタイヤ(ロードスマート)がつるっつるになっていたので、タイヤ交換をしました。
フロントタイヤは12000kmほどしか走ってないけど、フロントは元々リアよりも薄いので消耗も早め。
NC750ならフロント:リア=2:1のペースで交換する感じになるかも。

タイヤは外したり取り付けたり、バランス調整するのは難しいので店で頼んでます。
バイク用品店の前後セット売りは取り寄せより安いので、徳島からわざわざ高松のバイク用品店へ。
おなじみのパーツランドイワサキ高松店と、去年すぐ近くに出来た2りんかんがあり。
始めて2りんかんいったけど、イワサキと近すぎるわ…
もうちょい離したほうが住み分け出来たんじゃないの?とユーザーからは思うけど経営陣には別の思惑があるのでしょう。

2りんかんのほうがちょっと大きめ+カスタムパーツ以外のものに比重を置いている印象。
タイヤのセット売りも多かったので頼もうとすると、「整備できる人が休んでいる」とのこと。
しょうがないのでイワサキへ。

イワサキのほうが2りんかんよりタイヤのセット売りの選択肢が少なめでした。
選択肢は定番のロードスマートのみ。
待ち時間は全部で2時間半。
タイヤ交換時ならチェーンやスプロケの交換も楽だろうということで、ネット注文しておいたものを交換してもらう。
少し工賃値下げしてくれるかなと密かに期待していたけど、何もなく、店外購入商品なので工賃2倍に…
チェーン、スプロケ2つの工賃は16,000円(税抜)
…次回は自分でやるか。

タイヤは前後で29,000円(税抜)、諸費用は6,600円(税抜)
タイヤ交換はショップで頼んじゃって良い感じか。

足回りを一新したので、走り始めはすんごい違和感。
まあ以前のタイヤはすり減りすぎて平になっていたしね。
今はまだツルツルタイヤから交換した良い効果は感じられず。
吸い付く感じをはよ味わいたい。

心理,日記

心理学について自分が興味を持っている、とメタ認知していると思いついたことがある。
自分は、理解されたいんじゃないかと。

自分の心なんて他人はもちろん自分にも分からない。
だが経験上、人付き合いへの快楽を感じる神経はかなり少ないように思う。
だから「人は他者と付き合っていきたいものだ」という無根拠な説には違和感しか無い。
他者から理解されたい、なんて思いも無い、とは思っていたのだが。

自分と世間一般との感じ方の違いについて知りたい思いもあって、心理学について学んでいる。
特に精神分析は好きだ。MBTIやBig fiveが主に好きだ。
しかし様々な分析を行う時、9割は自分の性格を深く知ることに用い、特定の他人の心理の分析をしたい思いは無い。
自分は自分のことを理解したいと思っているのだろう。
そして何の疑問もなく科学をその手法としている。
つまり私は科学に対して信頼を寄せている。現実の他人よりも。
私のことを理解できるのは科学しかないのではないかと考え、期待を寄せている。

私はなぜこうも科学を信頼するか。
データを積み重ねているからだ。
結果が期待を裏切られることがある。それが良い。
無根拠で良いのなら、どんな結果だって導けるだろう。
君は幸せだということも、君は不幸だということも。

信頼は宗教心に近い。
何か信頼できるものがあればいくら孤独でも何も問題はない。
信頼できるものがないから、孤独に問題が出てくる。
うわっついた心は安定状態を求める。
なるほど、信頼というのは安定状態に至る道か。

日記

金曜日に有給もらって、22~24日にかけて登山旅行していた。
公共交通機関と宿を多く使ったので25000円くらいは使ったが、天候に恵まれてトラブルもなく、上出来の旅だった。

晴れの休日だったからか山頂には多く人がいた。
寒風が吹きすさんで妙に寒かったが、半袖の人がいたのは驚き。
え~…自分ってもしかして寒がりになっとるのだろうか。
筋力不足?新陳代謝不足?老化?
とかちょっと不安がっていたが、寒ければ服を着れば良いだけだよな。
昔から自分1人だけ上着を着て通学していたこともあった。
そんな自分でも着込むだけで今まで暖房無しで冬を過ごしていたんだ。

でもまあ寒さ対策として電気毛布を注文しておいた。
ストーブより電気代は安いし熱効率良くて調整もしやすいし、場所もとらない。

日記

10月後半になると全国的に一気に寒くなって、身体が慣れてないこともあって妙に寒い。
通勤時のジャケットがメッシュから真冬用に変わったのはもちろん、室内でニット帽を被り始め、布団+毛布の2枚を用意。
本当についこの前まで夏らしさが残っていたのに、1ヶ月ほど季節が進んで冬らしい。

寒くなると心も少し変わって、寒気は寂しさを導く。
もう昔に比べて新陳代謝も変わったのだ。暖房なしで過ごしてきたが、電気毛布くらい買っても良いか。
冷え冷えとした外に比べて中はぬくぬくとしているだなんて、幸せじゃないか。
それに寒くなると運動しやすいし、案外冬のほうが活動しやすいはずだ。

まずは、急激な気温の変化に参らないようにすることだね。
大げさなくらい防寒対策して、冬を我が物に。

心理

Big fiveという性格を5因子で表す手法があるが、心理学ではよく使われている。
論文などにはよく「最も信頼されている」と書かれているが、その信頼性を評価した論文は見つけていないが。

さてその5因子の中には「神経症性」というものがあるが、これが高ければ鬱病になりやすく、幸福だと感じにくくなる。
高ければ自罰的・他罰的になり、自分にも他人も悪影響を与える。
と、いくつかの論文を読んでもその因子の良さというものをなかなか感じることが出来ない。
ゆえにこの因子は低いほど良いとされる傾向にある。

公務員試験などに使われるYG性格検査は、ビッグファイブの外向性と神経症性の2つのみを測って、それぞれの高低+中間の5タイプに分けるものだと、後になって判明してきている。
そのYG性格検査では、内向的かつ神経症ならばアーティスト系が向いているとされ、外交的かつ神経症ならば非常に行動的だがチームの形成には向かないタイプとされる。
それ以外は、地道な活動や協調性を持って行動するのが得意とされる。
自分は内向的かつ反神経症的のCタイプだった。

とは言え性格診断というのはその時々の気分によっても結果は変わるものだ。
だから、もし自分が外交的気分になったら、どのような人間となるのだろうとの予測がある程度つけるかもしれないな。
今の自分は数ヶ月前の自分と比べて、神経症性は低くなって気分はいくらか安定していると思う。
だけど思うのは、神経症的だった数ヶ月前のほうが鬼気迫る行動力・目的に向かって一心不乱に努力する傾向があったように思う。
あの時はその気分を全力で解消しようと、進路について努力できる限りを尽くしたし、心を落ち着けるような考えを書いた本を全力で読んだ。
今は気分が安定しているからこそ、集中力が少なくなってダラダラと読書をしている。
4月から行う仕事に対しての準備も考えてはいない。
自分と他者の違いや自己への追求も、のんびりとやっている。

確かに状況が違うから動機が変わってくるだろう。
だが集中力の度合いは今と数ヶ月前は違う気がする。
鬼気迫る集中力というのは、神経症的性格や気分によって生まれるのではないか、という仮説を立てている。
だからといって神経症的集中力ばかり発揮したり他人に発揮させたりしていれば、自罰性も他罰性も多くなって自分や社会は自壊していくことだろう。
人はこの力を、どうやれば安全に使えるだろうか?

日記

小学生の頃からネットに触れている人間だから、本なんかより検索性の高いネットのほうが良いに決まっている、と思っていた。
だからネットに足りないものは自分で書き足して、最高の知識体系を作る一助になりたいと思っていた。
実際、その思いでブログを書いたり他の場所で書き込みをしたりしていた。

だが最近は本当に検索性が下がった。
主にグーグルが悪い、のだが彼らも営利企業だからそのジレンマはしょうがないところもあるわけで。
金を稼ぐことで更に良いものを作ることに投資が出来るのだが、大きくなりすぎて金稼ぎに躍起になりすぎたのか、検索性はどんどん下がっている。
ネットに確かな情報を与えるという崇高な目的を持つ人々よりも、金銭目的のための記事作りも多すぎている。
多数派に迎合し、少数派を無視し、検索結果を捻じ曲げてでも多数派の結果に誘導しようとしている。
一体何度俺はダブルクオーテーションで検索文字を固定しないといけないんだ!

昔はネットが世界標準の情報源となる、と思っていたが現状はその思いも変わりつつある。
全ての人が最高の情報に触れ続けられる、わけなんかなくなった。
もうどうでもいいや、世界に素晴らしい情報を提供するなんてことに報いは無い。
ネットなんかより査読されている本を読み、自分の知らないことをメモし、読書メーターにまとめて記録している。
自分本位だがもうこれで良いや。

ネットの衆愚政治、ここに極まれり。いや、ピークはこれからかも。

心理,日記

徳島に戻ってきた理由、それは郷愁も関与している。
それ以来、そういう感情、喜怒哀楽では済まされない高次なのか原初なのか分からない心理についての興味を持ち出した。

仏教や分析心理学なんかを少しずつ学んで自分の心をサンプルにして探求しているが、まだあまり分かっていない。
しかしおそらく、この感情のジャンルは「意識の感覚」の内に入るのだと思っている。
例えば特定の風景や絵を見て、「美しい」と感じる、それは何か?
刺激としては視覚が大きいだろう。目を瞑っていても絵を美しいと思うか?
だが、その視覚情報を頭に入れて沸き起こる感覚、それが意識の感覚のようなものだと思っている。
般若心経では意識も感覚器官としているが、その意識による作用、なのではないか。

そういう意識の感覚も「空」だとされるが、しかしその前にまずは意識というものを知ることから歩まねばその先へはいけないはずだ。
過去をふっと思い出して幸せの原風景を思い浮かんで、言葉には出来ない何かが心と身体に押し寄せてくる、その感覚ってなんだ。
いや、全ての感覚は言葉には出来ない。
自分と他人の見ている景色が実は違っているという考え方の如く。

最近はそういう意識の感覚について、瞑想を通じて追求している。

日記

コロナもかなり収まって、県外への旅行も幾分行いやすくなってきた。
また、徳島にはプレミアム交通券や応援割といった交通と宿泊の補助があるから、これらを利用しようと考えると旅行欲も湧いてきた。

10,11月は宿泊込みの旅行を2,3回、年末年始にも長期で行きたい。
近畿がメインだが、年末年始に屋久島行けたらなー!と思ってる。
そんで宮之浦岳登るんだ。

でも年末年始は仕事の状況がどうなっているかはわからない。
このまま今の職場に4月までいられたら、と思うんだが。
だって、こうやって思う存分旅行の予定を立てられるくらい、土日祝が完全に休みだし有給も付与してくれているんだから。

お金

家計簿

独身アパート暮らし、30代の男の家計簿を載せます。

9月は仕事をしながらも、遊びと自己研鑽をバランス良く行えた、気候的にも精神的にも安定した時期となりました。

収支内訳

収入 238,989円
給与収入(手取り) 216,853円
資産運用益 436円
ネット収入 21,700円
雑収入 0円
   
支出 104,269円
食費 12,509円
雑貨費 6,042円
車両交通費 7,746円
医療費 2,570円
保険 0円
服飾費 0円
交際費 0円
娯楽費 39,665円
通信費 3,000円
雑費 10,302円
家賃 22,435円
   
当期純利益 134,720円

収入について

先月とほぼ一緒です。

仕事に対して辛さは、無い。
安定しすぎています。
そのおかげなのか職員さんたちは「あっという間に時間が過ぎて、先月何をしていたかよく分からなくなる」とのこと。
仕事に生きる意味や活力を見出すなら物足りない場所なのかもしれないけど、プライベートなどで追求したいものとかがあるのならこれほどいい所はありません。
自分も仕事に意義を見出そうとしてしまう性質だけど、工場労働に比べると嫌になることは無いな~。
何ででしょう。自分の心の変質なのか、こういう事務的な仕事が性にあうのか。

支出について

雑貨はAmazonとかで買ったものこまごまと。
マウス新調したのが一番大きくなった?
ホイールで下にスクロールする時、上に戻る時とかあると手がウガーってなって無意味に手を閉じたり開いたりする感覚、分かりません。

娯楽費は結構大きくなりました。
ちょいと2泊3日でバイクツーリングに行きましたが、この年になると流石に孤独感が出てくる…わけではなく普通に楽しめました。
あんまり遠くまでは行きませんでしたが、近い所も案外観光出来てないもんだなと感じる。

阿波西国三十三観音霊場の徒歩巡礼もはじめました。
休日にちょくちょく歩いています。
納経帳1000円+納経代300円×33の代金を計上しています。

8月分の電気代は4228円。
クーラーを使うことは少なくなりましたが、まだ多め。
もしかしてどこか漏電してるんじゃね?と思って調べてみると、エアコンのコンセントが焦げていた。
ひとまず抜いています。
これでほとんどクーラー使わなかった9月の電気代がガクンと落ちていたら、これが原因です。

家賃は22000円くらい。
部屋は相変わらずボロいけど、立地条件は最高だ。

9月の生活について

9月は何したっけ…
と思って日記を読み直す。
こういう時良いもんですね。日記書いてなかったら全く思い出せなかったかも。

読書は先月同様行っていて、10冊ほどは読んでいます。
読む価値がある文章なのか、読んでも記憶を飛ばしてしまう文章なのかの判断をすることが出来るようになってきた気がします。
覚えておきたい箇所はメモしておいて、読書メーターに残す感想文255文字に詰め込んでいます。
255文字なんて感想文としては少なすぎて何を省くか大変ですが、文字数が少ないおかげで何度も読み直すことが出来、結局後に残ります。
文章は同じ意味量ならば、短ければ短いほど良い!

8月まではまだ進路が不確定でしたが、9月は月初めからずっと確定していますから、気持ち的にも非常に安定しています。
やるべきことやって後は待つだけ、って時が今までの人生を鑑みても気持ちが安定するときです。
遊んでもいいし自己研鑽してもいいし、数ヶ月の疲れを癒やすべく何もしなくてもいいし。
セミリタイアのような自由とは違う今の自由、これは何て言葉で表そうかね。

日記

心理学についてまだまだ調べたり考えたりしているが、開放性とされるもの、直観性と感覚性とされるものの要素は人の生きかたに非常に大きな影響を与えると思う。
開放性が高いことはユング心理学での直観性に相関があるようで、知性や好奇心などの能力に相関がある。
「低学歴ほど保守的になる」という傾向があり、これは面白いと思わないか。
高学歴ほど直観的になる、というのは見えないものを信じたり追求したりする傾向がある。
基礎学力とされるものは現実には直接役立たないものが多いが、実学の裏にある理論を理解するには必要だ。
そういう現実から離れたものを、開放性が高いと扱うのが得意になる。

開放性が高いと他にもどのような影響が出るだろうか。
知的好奇心が強いってことは逆に同じような環境には満足を覚えにくい。
保守的な人間は同じ環境ほど安心できる。
先が見えてしまうことを絶望だと感じる人もいれば、安心だと感じる人がいる。その違いは開放性か?

人混みが嫌いで静かな場所が好きな内向的な自分でも、都市部の最先端さを感じられそうなところには憧れを抱くこともある。
だが行ってみると、しょうもないことで喜んでいる閾値の低い娯楽が多く、ハイエンドも存在するがコスパが悪い。
ハイエンドに達するには全ての力をそれに費やすくらいでないといけないが、そこまで一つのことばかり追求したいわけじゃない。
総合的な、社会への効用とかを感じたいのなら、人口が低いほど感じやすい。
だが、保守的な雰囲気と遅れている雰囲気があるわけで。
そういう雰囲気こそが、知的な人たちを地方から都市部へ行かせ、多数派の保守的な人間が彼らを理解せず追い出すかのようにするから、ますます都市部へ向かう。
だが人々が都市部へ向かうことが一般になれば、保守派が都市部へ行くことになるだろうか。いや、もう既になっているだろうか。

リベラルたちを地方に向かわせる何かを、この徳島で作れないものか?
システムであったり、雰囲気であったり、経済的な後ろめたさがあるなら経済的な利点を用意するか?