2021.10.01 私は何だかんだリベラルであることだけは変わらないのか

心理学についてまだまだ調べたり考えたりしているが、開放性とされるもの、直観性と感覚性とされるものの要素は人の生きかたに非常に大きな影響を与えると思う。
開放性が高いことはユング心理学での直観性に相関があるようで、知性や好奇心などの能力に相関がある。
「低学歴ほど保守的になる」という傾向があり、これは面白いと思わないか。
高学歴ほど直観的になる、というのは見えないものを信じたり追求したりする傾向がある。
基礎学力とされるものは現実には直接役立たないものが多いが、実学の裏にある理論を理解するには必要だ。
そういう現実から離れたものを、開放性が高いと扱うのが得意になる。

開放性が高いと他にもどのような影響が出るだろうか。
知的好奇心が強いってことは逆に同じような環境には満足を覚えにくい。
保守的な人間は同じ環境ほど安心できる。
先が見えてしまうことを絶望だと感じる人もいれば、安心だと感じる人がいる。その違いは開放性か?

人混みが嫌いで静かな場所が好きな内向的な自分でも、都市部の最先端さを感じられそうなところには憧れを抱くこともある。
だが行ってみると、しょうもないことで喜んでいる閾値の低い娯楽が多く、ハイエンドも存在するがコスパが悪い。
ハイエンドに達するには全ての力をそれに費やすくらいでないといけないが、そこまで一つのことばかり追求したいわけじゃない。
総合的な、社会への効用とかを感じたいのなら、人口が低いほど感じやすい。
だが、保守的な雰囲気と遅れている雰囲気があるわけで。
そういう雰囲気こそが、知的な人たちを地方から都市部へ行かせ、多数派の保守的な人間が彼らを理解せず追い出すかのようにするから、ますます都市部へ向かう。
だが人々が都市部へ向かうことが一般になれば、保守派が都市部へ行くことになるだろうか。いや、もう既になっているだろうか。

リベラルたちを地方に向かわせる何かを、この徳島で作れないものか?
システムであったり、雰囲気であったり、経済的な後ろめたさがあるなら経済的な利点を用意するか?

日記

Posted by YU