2021.08.24 精神療養所が無かった時代、人は悩んだらどうしていたか
インターネットが普及してから、人の弱みを赤裸々に話したり聞いたりする機会が増えた。
匿名という、弱みにつけこまれにくい環境が手助けしたのだろうか。
正直な気持ちで発表できるってのは私としては素晴らしいものだと思う。
社会の中で表面的に他人と付き合うだけでは、他人の行動を見られるだけでその本心はほとんど計り知れない。
だから、思いの外多くの人が悩んでいるということにネットを始めてわかることがある。
発達障害とかHSPとか、文明開化直後の精神病に当てはまらないようなものに名前が付いた。
生きづらさを伝え、より良い生き方をしようと模索している人は多い。
さて、他人も案外苦しんでいるんだなということが分かって本題です。
人間は今も昔も悩んでいる。では、昔の人は悩んだ時どうしていたのか?
昔のほうが行動範囲を制限されて息詰まりを感じる人はいたであろう。
そんな時、手助けとなっていたのが、宗教なんじゃないだろうか、と思うのです。
古代から近代までの代表的な日本の精神療養所が、もしかしてお寺だったんじゃないだろうか、という仮説を持っている。
悩み、「俗世なんてもう嫌だ!」と思って、出家する。
しかし思えば、仏教では結婚しないのが基本。
だからそういう軟弱?な心の持ち主は遺伝子的にどんどん減っていくはず、なのだが仏教は今でも続いているわけで。
今は親の寺を継いだ、いわゆる「出家出身」というちょっとわけわからん人も多いが、まあ文化的側面での仏教ではそれも正しい。
問題は、在家出身の僧侶だけで近現代まで残っていたということだ。
この辺の問題は考えすぎるといくらでも考えてしまうので、今日はここまで。
いつかまとめたいもので。