仕事の移り変わりの時期で自由な時間はあるが、祖父のアパートの遺品整理をしながら1人暮らしをしているので、やることは多い。
来週には申し込んでしまっていた資格試験があるし、3週間後の公務員試験だってある。
普通の人なら勉強に全集中するべきだが、ちょっと余裕ぶっている。
どうせ筆記試験が受かったところで、その後の面接が超苦手だからそれで落ちて無駄な努力だったー、ってなりそうで。
だが24歳の頃に比べたらまだ少し面接にちゃんと挑もうとしている、と思う。
あの頃は本当に何をしていいのか分からなかったから、志望動機とかを考えるだけで精一杯だった。
でも今は、ネット検索で公務員面接の評価基準を調べられたから、それに沿って練習しようと思えるようになっている。
内容よりも、話し方のほうが大事。スラスラと高度なことを言わないといけないわけではなく、大きな声で、はっきりと、ゆっくりと、結論から話して簡潔にまとめる。外見もピリッとしておけばいい。そのくらいである。
でも昔はそれが分からなかった。
評価基準がよく分からない試験は大嫌いだ。分かれば素直に従うが分からなかったら非常に大きいストレスになる。
とまあ試験勉強のことはいくらか考えているが、本当に自分は公務員になりたいかって言うと、本心でははっきりとは言えない。
というか、30歳になってからは20代の頃のような心の奥から燃え上がるようなやる気が出ることは無い。
だから何をやろうとしてもやっていても目指しても、全てが嘘くさく感じてしまう。
大きな事を達成するには今の感情は良くても悪くても無視するべきで、機械のように力を尽くすべき、らしい。
今のように虚無感を感じても当初定めた目的がかなうまで、淡々と。
でも疑問に思う。
目的は感情によって定められるのではないか。
正義感、義憤、希望、愛、そういうのは目先の低級な感情とは別なのか?
虚無感や絶望のような感情はどうなんだ。