まとめ

私個人の2020年をこの記事で振り返りたいと思います。

世間一般ではコロナの3文字で終わっちゃうレベルなので、あえてそのことは出さずそれ以外のことを書きましょう。

仕事

1月は無職で、2月から9月末まで化学工場で3交代制の労働をしていました。
WDBという理系専門の派遣会社からの派遣という形ですが、それなりにフォローしてくれていただいて満足しています。
ただ、その工場の仕事自体は…
当時の日記の記述を簡単にまとめたら、仕事は楽だけど色々とやきもきすることばかりでした。

分析の仕事であり、国際標準に則って安全性と記録性を確保するのが重要なのですが、「先輩のやり方に従う」とかばかりで、化学系の知識や技術はあまり必要無し。
もうちょい化学や分析の勉強になるのかと思いきやそうでもなかったのが、自分の中では非常にじれったいところ。
それになかなか担当全てを任せられず、大企業ならではの遅々とした進歩にもじりじりとしました。
「本当に他の人たちと同じようなこのペースで良いのか…」
といった辞めたさは勤務して2,3か月で抱き初め、ちらちらと転職サイトを覗くようになっていきました。

化学工場は1月頃から働きたいと思っていましたが、会社の手続きの関係か何なのか分かりませんが延びに延びて2月中旬に入社。
1月は暇だったので、ちょうど親戚に造園会社の社長がいたのでアルバイトに入らせてもらってました。
造園業、と言ってもほとんどは剪定とか伐採とか。
基本的にはそれら作業の後の掃除が自分の仕事ですが、チェンソーは今までに握っていたことがあったので褒められたりもしました。
刈込バサミを使っての剪定は初めてで「こんな素人がいきなりやり始めても良いのか」と思いながらたまにチョキチョキやってましたね。
化学工場に入社後も、休日かつ人手不足の日とかはアルバイトに行ってました。

で、工場の辞めたさと今までの自分の経歴とかを鑑みたら、「この造園会社の社員になっても、良いんじゃないか?」
と思い始め、社長に言ってみたら二つ返事でOK。
10月からは造園会社の社員となって働いています。

10月から12月末までは「年末年始までに庭を綺麗にして欲しい」というお宅が多いので、週休1日で個人宅の剪定ばかりやっています。
それなりに大変だったり覚えることもあったりで、「これこそが我が天職だ」などと強い気持ちまでは抱いておりませんが辞めたさは無く働いているのが、現状。

家族

両親と中年の子供の3人暮らしです。
もはや既に死語になりつつあるのか定着しちゃったのか知りませんが、れっきとした「子供部屋おじさん」ですね。

20代の頃は孤独な暮らしをしていたこともあってその時はだんだんと「家族とは、かけがえのないもの」という気持ちを抱くようになり、故郷に帰る一因にもなりました。
しかし両親との暮らしを続けるにつれてその気持ちも薄らいで、喧嘩はしないけどたまにうざったく思ってしまうごく普通の親子関係となっています。

おそらく両親も同じ気持ちでしょうか。
二度と帰ってこないようになったら寂しいけど、いつもいると何てことはない、とか。

余暇

2020年を代表する読んだ本は、宮本常一さんの「私の日本地図シリーズ」ですか。
たまに図書館で本を借りているのですが、毎回1冊ずつ借りて読んでいってます。
全15巻で7巻まで読んでいます。

昔は技術の勉強がてらに民俗学の本を読み始めましたが、その中で文章が非常に自分に合致したのが、宮本常一さん。
以降は膨大な著作を持つ宮本常一さんに興味を持って、図書館で借りられる本はとりあえず全部読んでみようと思い至ったのです。
そして地元の図書館で全巻揃っていたのが、この「私の日本地図シリーズ」

日本各地を歩いた宮本常一さんの目線で、各地の字レベルの集落を訪ね歩いていくエッセイです。
宮本常一さんは周防大島出身なので瀬戸内海には特に思い入れがあり、瀬戸内の風景が好きな自分とも感性が合います。
庶民の暮らし、そこから生まれる風土、風景、道端に転がっているものに内在する歴史、物質的なものから観念的なものまでを関連させ、「そこで生きる人びと」をロマンチックに描いているのがこのシリーズ、な気がします。

漫画含め他に読んだのは以下。

  • 川の道
  • ふるさとの生活
  • 老人と海
  • 火の鳥
  • 郷土資料約5冊

音楽

tacicaの『群青』を聞きまくりました。
なおリリースは2017年。

あの20代の情熱を失い、次は何を糧にして生きていけばいいのかを悩んでいる30男に浸み込んだ曲ですわ。

メロディーも良いのですが、歌詞に非常に共感を抱いたのです。
失い、大きな希望もなくしかし必死に生き永らえていながらも、ちょっとした喜びがこの人生にあるからまだ生きる価値はある、といった感じの歌詞でしょうか。

tacicaの歌詞は雰囲気重視なのですがこの曲はまだ分かりやすい方です。
夢を追いかける情熱的な青春ロックから進んだ、壮年期の男にピッタリな曲なはずです。

無我夢中に体温が上がって下がる毎日に
余計なモノなど持たないで走り終える事はないのだろう
だから今日は後悔をしない事に従事するよ
病気とか哀しみとかで呼吸の価値を思い知る日々

ゲームは以下のものをプレイ。
少し古いものばかりですね。最新のものよりもまずは昔の名作を消化していきたい。

  • Age of Empires
  • ファイナルファンタジーⅢ
  • ファイナルファンタジーⅧ
  • ファイナルファンタジーⅨ
  • Lobotomy Corporation

アニメもちょこちょこ見てますが、やはり若干古い「おへんろ」が一番のお気に入り。
あの緩い雰囲気+旅!
自分の歩き遍路の思い出も蘇って、感慨深くもあった…

旅行もいくらかいきましたね。
長距離旅行としては、1月と9月の2回行った九州、11月に行ったしまなみ海道がやはり印象的。
そろそろ九州の300名山を制覇して、西日本の山を制覇したい。

ああそうだ、釣りも始めました。
超ド素人ですが、だからこそ探索する面白さはあります。
大きな魚が釣れたことはありませんが、自分が用意した仕掛けで魚が多く釣れた時は、ビリビリと来るものがあります。

全体的な雰囲気は上記のtacicaの群青の歌詞のようなもので、まあダウナーです。
出世を目指したりとか金持ちになりたいとか女にモテたいとかそういう気持ちは抱けず、じゃあ他のどういう幸せを望んでいるか、というと分からない。

目の前の課題には反応してそれを解決出来ますが、それ以上のことをやりたいとも思えない。
欲望の大半を失ってしまって、苦しみが少ない反面喜びも少なく、ほんの数日で自分は何をしたのかを思い出せないくらい薄い人生を歩んでいるような、そんな雰囲気が最近の自分にはあります。
常に「そんなことやって、何になるんだ」という虚無感との戦いです。

だけどまれに自分を客観視できる時があります。
この美しい大地と空と共に、郷土の風景を守りながらその中で生きている人だと、自分が見える時が。
隣の芝生は青いものです。
ならば自分を「隣の芝生」だと見れば良い。
さすれば自分という『役』の在り方が分かることだろう。
私は『役者』になるか、『苦しみながら放浪する自意識』となるか。

日記

27日は休日。
造園業は年末年始は休みだ。
役人も休んでいるし、年末年始の個人庭は色々行事があるので立ち入りもしにくいし。

さて、自分は年末年始はレンタカーで車中泊しながら登山へ行く。
このコロナの時勢ではあるが、1人孤独にかつ施設にほとんど入らなければまあ大丈夫だろう。
大抵の場合、会食などが原因だというし。

年末年始には寒波がやってくるので軽い雪山登山となる。
この時期のあのクラスの山に行くのは初めてなので、装備は多めにもっていくことにしよう。
準備と言えばほとんど衣類の選択だ。
車で行くから荷物にも余裕があり、もっていかないよりかは持っていくことにする。
車中泊も非常に寒そうだが、寝袋は3枚持っていく。

あともう少しで2020年も終わり。
そろそろ1年の振り返りをしようか。

日記

24日はクリスマスイブ、なのだが両親と中年の子がいる世帯では何もない。
「昔のクリスマスは~」とか、思い出の中のあの日々の雰囲気を少し話しただけだ。
ケーキも無い。

さて平日+土曜日はずっと個人宅の剪定とかしている。
我らのようなのは「職人」というより「サラリーマン」に近いように思われ、1人親方な人らには技術的にはちょっと見下されたりする立場だ。
だがサラリーマンはサラリーマンとして良いところもあって、毎回現場は違えど安定的に仕事が出来る。
120%の力を出さなくても良い。

だが社長から見ればどうだろう。
例えば3人日の現場があったとして、4人で行ったら昼3時くらいに終わったとする。
帰社後は微妙な時間なので道具の整備や事務所の整備をしたりする。
だけども請求は3人日分だ。
余った1人日分の給料は会社の負担になる場合もある。
だから社長が言うには、個人宅の剪定、というかそういう計算では赤字が出やすいらしい。
1人日分の仕事をきっかり出来るようになれば一応は一人前だが、利益を出すなら1.3人前の働きは欲しい。
しかし、作業スピードにも限界はある。

この会社は公共工事とかで利益を出している。
見積りの人件費や資材代と実費の差額が利益だ。
民間事業では働いた分だけが売り上げとなるが、しかしこういう計算は果たして正しいのか。
他の業界は有給とかボーナスとかがあって働いた分以上の福利厚生がある。

もっと、付加価値が必要なのではないか。
例えば伐採したときに出る大木の丸太を市場に出す、事務所で余った時間を原木栽培キノコの生産と販売に充てる、など。
何にせよ現場+αの仕事があると、微妙に雨が降った時やちょっと仕事を早く終えた時に無駄なく生産活動が出来る。

日記

学生の頃は教養を得る一環として、色々な名作を読んでいた。
夏目漱石の小説を始めとして、外国の小説、不朽の名作の漫画、ゲームも含め…
現代的な娯楽とは少し異なったもので、どれも全て面白い、わけではないが面倒なところがあっても「教養を得るために!」というモチベーションで堪能していた。

思い返せば、そういう助走期間のような、修行のような、そういう期間や成したこともまた、人生そのものだっただろう。
子供の頃は「あなたたちには輝かしい未来が待っている」などといつかは何者かに変質するかのように思えて、その時の人生はまだ仮のものだと。
だが、あのときも、まさしく我が人生であった。
「いつかは俺も」と無根拠な自意識を肥大させながらも「いや、もしかしたら俺はこんなものか」と焦燥感を抱いた時も、「今は苦しくてもいつかは良くなる」と信じて自分の気持ちに蓋をして努力をしていた時も。

人生は有限で、あらゆるものを全て楽しむことは出来ない。
名作全てを堪能することは出来ない。
もし仮に出来たとしても、それだけで人生は終わる。そういう人生を歩みたいならばそれで良いのだが。
人生の本番とはいついかなるときも『今』で、将来に希望を持ったからとてその将来だけが人生のコアではない。
年金暮らしのきままな老後を信じて働いている人も、ニートをやっている人も、無気力に生きている人も、全員、『今この瞬間が人生である』と。

日記

昔から学校で学ぶだけで実社会や現場での仕事とかけ離れたような学問が好きじゃなかった。
「こんなことして、現場の人らや実際の生産活動に何の役が立つのか」
「もっと下の方から需要を汲みだしたり、研究や勉強することの必要性をまずは実感しなければならない」
そういう思いで、現場職に憧れた。

そして今は現場職だ。
見方によっては夢は叶っている。
学術的な知識や経験を使うことはほとんどなく、日々肉体を酷使しながら働いている。

…だが、目の前の仕事だけをやっていれば、身体を動かす清々しさは少し感じられても、この仕事が社会的にどれくらい意味のある行為なのか、自分がどういう立ち位置にいるのかが分からなくなってくる。
自分はこの仕事を通じて何になりたかったのか、どういう生活を送りたかったのか、どう評価されたかったのか、何者になりたかったのか。

漠然と仕事をしながら、休憩中にふと会社の机の上にあった「これからの建設業界の展望」という小冊子を手に取った。
ああこういう文言、かつて聞いた大学の講義とか役所が発行する白書に似ている。
「偉そうに書きやがっても、当人たちはどうせ楽なポジションで無知な他者を扇動しているだけなんだ」
と昔は反感を抱いていた。
だが今この瞬間は少し違う。
こういう大局的な目線を持つことで、業界がどのような問題を抱えているのかを分かりやすくし、どうしていくべきかを示唆し、その業界の人々の立ち位置を明らかにする。
それは、人にもよるけど、モチベーションの一つにもなってくれる。
俺たちがやっているのは社会的にも希少で価値のあるものだと、そう思わせてくれる。

最近は少し虚しい気持ちで現場仕事をしていたが、もっと広い視野を持ちながら仕事していきたい。
自分は結局、そういう学術的なことも少しは好きなんだ。

徳島県の登山,日記

ずっとロボトミーコーポレーションばかりプレイしていて日記すら書いてなかったので。
忙しくても少しくらいは書き続けるのが日記の醍醐味なのにね!

さて、12月20日は誕生日である。
31歳となりました。
誕生日というものは年々地味になっていくものだが、31歳の誕生日は特にそうだ。
20代から30代になった去年の誕生日に比べれば身体的・精神的変化にも乏しく、ただ虚しく年を取ったという感じはある。
ああ、去年は、20代という青年期の終わりをまざまざと実感したものだった。

12月20日はちょうど休日となったので、真冬の晴れ日和にふさわしい、徳島県南部ツーリングと宍喰の鈴が峰の登山をしてきた。

宍喰の絶景スポット、鈴ヶ峰 / YK1989さんの活動データ | YAMAP / ヤマップ

ダウンジャケットを着込んで、肌の露出部は全て隠し、防寒対策はなかなかのものに。
おかげで県南に行くくらいなら普通にバイクでも耐えられた。

真冬の低山ハイクは良いものだ。
空気は澄んでいて景色は綺麗で、うっとうしい虫もおらず葉も少なく広々としている。
宍喰はいつも通り過ぎるだけだったが、山の上から見る町並みを見ると人々の生活を思いやられて、好きになれる。
彼らも、我らも、こうやって見られながら感じられながら生きているのだろう。

昼食と入浴には遊々NASAで。
人は少ないが、レストランから見える太平洋は美しくて良いところだ。
キャンプも出来るほどの広場もあるし、冬キャンしにきたいものだ。

帰宅後は奢りで飲み屋に行った。
多くの酒と食事を嗜むのも久しぶりだ。

今日から31歳。

日記

表題の事象が起こっていたので、書きづらくて日記は中止してた。

しかしツールバーのどれかのボタンを押して画面を遷移させ、「戻る」にすればなぜか直った。
何でだ?
以降、新規の記事では崩れの発生無し。

最近は「ロボトミーコーポレーション」というゲームにはまっていたり。
ゲームなんて結局何も残らない、だなんて冷めた目で見ていたが、やっぱり手軽に「新しいこと」をやるならゲームだな、と思う。
子供の頃からゲームは好きだったが、やっぱり自分はゲーム好きなのかな。

休日は自宅の庭仕事をしていた。
剪定だけなら楽だが、植え替えは大変。
しかし年末なのでそれなりに綺麗にはしておきたい。

お金

一応記録しておきます。

自分は楽天Edy付きの楽天クレジットカードをメインの決済方法としており、マイナポイントは「楽天Edy」としました。
そして2020年11月にクレジットカードの期限が切れたのですが、楽天Edyも使えなくなりました。
サポートには以下のように書かれているにも関わらず、です。

Q:Edy機能付きクレジットカードで有効期限が過ぎた場合、どうすればいいですか。

A:Edy機能付きクレジットカードの有効期限が過ぎると以下の機能が使えなくなります。 更新した新しいカードでご利用ください。  

・Edyへのチャージ
・Edyの受け取り
・その他、入金に関する機能全て

残高については、新しいEdy機能付きクレジットカードへの引継はできませんが、 そのまま支払にお使い頂けますので使い切った上で、 新しいEdy機能付きクレジットカードでご利用ください。

ガソリンスタンドでの支払いにも使えないし、ファミマのファミポートでも何の操作も出来ません。
マイナポイントをギフトとしてもらえることも出来ません。
この時点では新カードでももらえませんでした。

そこで、「残高移行」機能を使ってみることにしました。
ファミポートなどでは出来ないし、おさいふケータイ機能をもたないスマホでも出来ません。
EdyもマイナンバーカードもPCで読み込めるようになるSONY製カードリーダー「RC-S380」を購入。

楽天Edyのサイトでカードリーダーを用いて、新旧のカードを読み込ませてみます。
旧のカードは「期限切れ」、あらゆるギフトをもらうことは不可能。
新カードのギフトはオートチャージのみ。

残高移行機能を使って、旧カードの残高を新カードに移行。
旧カードは使えなくなり、新カードに無事残高が移行。
まだこの時点では新カードにマイナポイントギフトは届いていません。
以下のEdy公式サイトの言説によれば1月末にマイナポイントは付与されるようです。
さて、10月使用分、11月に付与されたマイナポイントは返って来るのか…

下記のケースでEdy番号が変わった場合、マイナンバーカードに登録されたEdy番号を自動更新いたします。
<ケース>
1.楽天会員IDを使った残高移行によりおサイフケータイのEdy番号が変わった場合
2.機種変更後おサイフケータイのEdy番号が変わりマイページからの利用停止申請・残高引き継ぎを行った場合
3.楽天カードの有効期限切れによるカード更新により、Edy番号が変わった場合
 ※家族カードも同様
<還元分の付与タイミング>
■上記1,2の場合
・残高移行の翌月末にマイナポイント還元分を機種変後の端末へ付替
 例)11/10残高移行→旧端末にチャージした分のマイナポイント還元を翌月末に付与
・機種変更後は新端末でチャージした場合のみマイナポイント還元対象となる
※機種変更後、初月分のマイナポイント還元のみ1か月遅れる可能性がございます
■上記3の場合
・有効期限切れの2か月後にマイナポイント還元分を新カードへ付替
 例)11/30有効期限切れ→旧Edyカードにチャージした分のマイナポイント還元を1月末に付与
・有効期限切れ後は新カードにチャージした場合のみマイナポイント還元対象となる
※初月分のマイナポイント還元のみ1か月遅れる可能性がございます
※還元分のEdyは「受け取り」が必要です。受け取り操作をお願いいたします。

マイナポイントの結果はどうなるかはまだ分かっていません。
ただ、楽天Edyはクレカの期限が切れれば公式サイトの言い分とは異なって、使用できなくなるのは確か。

日記

ネタが無いのでふと思ったことを日記に書いてみる。

自分は今となっては古いゲームが好きな人間になっている、ようだ。
ゲームも登場して結構な年月が経つが、一番思い出に残っているのがPS1。
SFC後期~PS2時代が最新のゲームにはまっていたが、PS1の始まりから終わりまでの間はゲームこそが自分の人生の唯一の楽しみだった。
その年齢くらいが自分の原体験を作る期間だったのだろう、今でもPS1は好きだ。
過去の名作をやりきってから新しいゲームをしよう、と思っていたらもうとっくに取り残されている。
というわけで他人から見れば、自分は時代遅れの懐古主義者である。

しかし、ふと思う。
ゲームなんぞよりも遥かに本のほうが歴史はある。
ここ10年の間に発刊されたものなんてまだ「新作」で、明治時代など100年以上前に書かれたものが普通に今でも読まれている。

ゲーム業界では20年も前のものなら「古臭い」と思われがちで、本ならそんな雰囲気は無い。
なぜ違うのか。
ゲームは表現力の向上があるからか。本は今でも文字だけだしな。
電子書籍が現れたからと言っても、電子書籍ならではの表現方法も新たには開発されず、紙の本と大して変わらないしな。

本は何百年も前のものとも張り合わないといけず、オリジナリティを出すには苦労する。
ゲームは本に比べればまだ新しさを表現しやすいが、陳腐化しやすい。

よく分からん文章になったけど、つまり業界によって1年・10年・100年の意味が違うってことだ。

徳島県の登山

YAMAPにも上げてみましたが、鳴門市で2番目の高峰、日の丸山に登ってきました。
他に名がある山名としては、「駒足越」「内谷山」

駒足越までは鉄塔巡視路なので歩きやすいですが、以降はテープ頼り。
でも日の丸山までは分かりやすいです。

内谷山へはテープと若干の踏み跡があるだけで分かりづらいところもあり。
奥屋敷への下山路は全くの不明瞭な箇所多し。

内谷山北方への道が確認できました。
かつての作業路か参道か、というくらいの広さの廃道です。
坂東谷川沿いの道に通じるのか、北灘大浦に通じるのか、また確認に行きたいものです。

鳴門市第2の高峰、日の丸山 / konishi1989さんの活動データ | YAMAP / ヤマップ