日記

今は図書館で借りた宮本常一著作の「私の日本地図 芸予の海」を読んでいる。

漁業は昔から資源と縄張りの奪い合いで、漁民として生きる場合は時に遠くの島や海まで遠征しないといけない。
遠くへ出稼ぎに行き、生活費を稼いで故郷へ帰り、家や集落の整備や子供の世話をする。
昔は金を稼ぐ≒土地に実る資源を手に入れるのようだったが、今は違う。
工場などが出来て狭い一か所に通勤するだけで一家が簡単に生きていけるようになった。
だから経済的に不利な離島からは人が離れ、やがては無人島になってゆく。

昔の人にとっても、故郷とは特殊なもののようだ。
アフリカ大陸から南米大陸まで移動を続けてきた人類であるが、生まれ育った場所へ抱く感傷があるってのは不思議だ。
このノスタルジア、望郷の念は人類の歴史にどのように関わってきたのか、どうしてこんな感情が存在するのか、少し興味がある。
川魚などでは生まれ落ちた場所へ正確に帰っていく習性があるが、それと似たようなものなのだろうか。
自分が生まれて成長した場所ならば、子孫も同じように生まれて成長が出来る可能性が高い、そういう生存戦略なのか。

金や仕事など、合理的な思考になればなるほど故郷は顧みられなくなるだろう。
生産効率が高い都市に人は集まる。
だが、どこででも飢えずに生きてはいけるとなれば、合理的な考えを無理に持たずともよくなる。
「生存する」以上の自分の人生の送り方を考えた場合、人はどこを選ぶか。

お金

家計簿

独身実家暮らし、30代の男の家計簿を載せます。

11月は10月同様、造園業を本業として働いていました。
忙しい時期なので休日は少なく、週6勤務。

1泊2日でしまなみ海道行ったりもしましたが、基本的に近場で過ごすことが多くなりました。
仕事に慣れて来て体力もついてきたように思いますが、時間が足らないので遊びは少なめ。

収支内訳

収入251,204円
給与収入(手取り)233,975円
資産運用益19円
ネット収入17,210円
雑収入0円

支出52,771円
食費7,607円
雑貨費6,535円
車両交通費4,260円
医療費3,860円
保険0円
交際費8,500円
娯楽費18,608円
通信費3,401円
雑費0円

当期純利益198,433円

収入について

前職の工場勤務が少し+造園業の給料がほとんど。

派遣で3交代工場勤務したほうが収入は増えそうですが、使い道が無いから金額よりもその他の理由で仕事を選びました。
今でもめちゃくちゃ好きな仕事だとは思えないけれど、ただただ時間を潰すような仕事に比べれば、やりがいはあります。
でもやっぱり、心の奥底からの情熱は、無い。

支出について

職場で花梨をもらったので、花梨酒にするためにホワイトリカーを4升ほど買いました。
1.8×4=7.2L、一体飲み切るのに何か月かかるんだ。

娯楽費には漫画代とか、しまなみ海道旅費とか。
平日は基本的に寝るまで読書してますが、図書館で本を借りたりもしているので読むべきものが溜まってしょうがない。

11月の生活について

婚活やっているんですが、進展が全然無い!
そりゃまあ自分の恋愛市場価値は低いでしょうが、じゃあどうすんの。
拒否反応無い限り自分を高めること(例:清潔感を高める)は良いけど、内向的な人間が外交的なふりをするくらいまでは出来ない。

毎年のことですが、11月は如実に日が短くなり、真昼でも太陽高度が低くてノスタルジックです。
暗くなるのが早ければ1日の時間も短く感じ、「今日も何かを積み重ねること無く1日が過ぎていった」みたいな気持ちを抱くことも。

残された時間は少ない。
有限の器の中にまずは何を入れていくのか、それを考えるだけで時は過ぎて器は小さくなってゆく。

日記

昔からwikipediaにはお世話になっているからこそ、その有用性を感じている。
グーグル検索が商業主義・大衆主義に傾きすぎてうんざりしているが、Wikipediaは今も昔も変わらずに簡潔で確かな知識を与えてくれる。
今や自分の知識系検索≒Wikipediaの検索である。
愚かなグーグル検索はもういらない。

最近は郷土史に関する本をちまちま読んでいるが、wikipediaに載ってないこともいくらかある。
自分の備忘録にもなるから、Wikipediaの編集をやってみようかなとようやく思い始めた。

誰でも編集出来るのがウリのWikipediaだが、その界隈の文化なども多くあるようだ。
1円の足しにもならないのに編集合戦する人らがいるようだが、そこまでの気力はどこから湧くのだろう。
Wikipediaに載っていることはそのくらい世界の基礎知識となっていくことだろうか。
そう考えると、やはり執筆のハードルは高い。

とりあえず今読んでいる本の内容がWikipedia内に載っておらず、かつ一次資料となるのならば執筆していってみようかと思う。
郷土の情報がインターネット上に残って多くの人に閲覧されるようになるのならば、郷土はより知られ、自分は郷土研究家の1人となれるだろうか。