2020.12.02,03 人間と故郷の関係の歴史

今は図書館で借りた宮本常一著作の「私の日本地図 芸予の海」を読んでいる。

漁業は昔から資源と縄張りの奪い合いで、漁民として生きる場合は時に遠くの島や海まで遠征しないといけない。
遠くへ出稼ぎに行き、生活費を稼いで故郷へ帰り、家や集落の整備や子供の世話をする。
昔は金を稼ぐ≒土地に実る資源を手に入れるのようだったが、今は違う。
工場などが出来て狭い一か所に通勤するだけで一家が簡単に生きていけるようになった。
だから経済的に不利な離島からは人が離れ、やがては無人島になってゆく。

昔の人にとっても、故郷とは特殊なもののようだ。
アフリカ大陸から南米大陸まで移動を続けてきた人類であるが、生まれ育った場所へ抱く感傷があるってのは不思議だ。
このノスタルジア、望郷の念は人類の歴史にどのように関わってきたのか、どうしてこんな感情が存在するのか、少し興味がある。
川魚などでは生まれ落ちた場所へ正確に帰っていく習性があるが、それと似たようなものなのだろうか。
自分が生まれて成長した場所ならば、子孫も同じように生まれて成長が出来る可能性が高い、そういう生存戦略なのか。

金や仕事など、合理的な思考になればなるほど故郷は顧みられなくなるだろう。
生産効率が高い都市に人は集まる。
だが、どこででも飢えずに生きてはいけるとなれば、合理的な考えを無理に持たずともよくなる。
「生存する」以上の自分の人生の送り方を考えた場合、人はどこを選ぶか。

日記

Posted by YU