日記

最近はめっきり仕事に自信が無い。
努力せずとも実力があるとか甘えた考えはあったが、(面倒な)努力や好奇心や向上心を持たないと立派な仕事人にはなれないように思う。
「案外、だるいな…」と思うことは数か月前から持っていたが、近頃はそれが如実に表れている。

常日頃からやる気があって、だるいと思わない人間のみが認められるのならば、自分はやれる自信は無い。
失敗しても「何を!」と思って更に努力する人もいるが、そうなりたいとは思えない。
仕事が終わっても仕事の分野に関する調べものばかりやっている人もいるが、自分はそこまではやっていない。
実力という意味での才能も、努力や興味という意味での才能も、自分には無い気がする。
ていうか今の職場、仕事が好きであることが前提になりすぎている気がするんだよなあ。

僕にとって今の仕事はたまにやるから新鮮で面白いんであって、週6日やっても更に興味が出るわけではない。
興味を失っている状態ならば、合理的な考えを持ってしまう。
どうせ面白くない仕事をするならば、同じく面白くないけど楽な仕事を選ぼうか。
福利厚生が整っていたり休日が多かったり給料が多かったり1人でストレスなく働けるところが良いな、とか。

って、そういう考えで1年前は工場労働やってたじゃんか。
そんで虚無感とか抱いたじゃんか。この会社・部門でしか使えない技術なんて…と思った。
確かに今やっている仕事は年寄りになっても使えるスキルだ。
でも、だるい。

こんな感じでたまにやってくる本格的な「辞めたさ」を乗り越えて何年か続けていられれば、それなりになるんだろうけれど。

日記

この1,2年、過去を思い出して自分の幸福とは何だろうかを探求することが多い。
自分探しの旅は昔出たことあって、終わったことだと思っていたけど、今でも、もしかしたら死ぬまで模索するかもしれない。

ただ生きているだけで面白く感じた時は、新しい日常を始めて、日々の食料の調達とか交通とかを工夫している時とかだ。
準備していた物を消費しながら、一歩一歩踏み出して視界を拡げていく。
まだやれることが少なくて進める道が少ない、ゲームで言うなら序盤とかが好きだ。
知ることの面白さ、まだ原始的な人間の力が必要だったりする時。

だが生活が送れて当然レベルになると、面白みは減ってくる。
皆が毎日風呂に入れるようになると、入って当然になる。
最初はたまの贅沢だったり頑張った自分へのご褒美だったりしたのに、今や最低限のマナーである。

出来て当然、やって当然のことは、やっていて面白いわけがない。
出来ても不安が少し解消されるだけで、失敗したら落ちこぼれ感が強くなる。
得られるものは少なく、失うものは多い。
恐ろしい。

自分は出来て当然だとまだ思われていない冒険的なことをするのが好きだ。
特に一人で。複数なら、また比較が起こって、出来て当然ラインが出来上がる。
でもずっと1人は、社会参加・他人の役に立っている感覚がどんどん失われ、飽きた時は虚無になる。
耐えられなくなって集団に入ると、出来て当然のことが出来なくて、落ちこぼれる。

日記

自分は一応高学歴の範疇、なのだが相応の実力や人間性を持ち得ない。
仕事が上手くいっていない時はもちろんのこと、上手くいっている時でさえ「相応の人生が送れていない」と自己肯定感を乏しくさせる。
この年になってもプライドをゼロにさせることが出来ず、悔やむことが多い。

最近、今やっている仕事への才能の有無が気になっている。
職場の人は仕事の分野(仕事の取組みそのものは置いといて)への興味は多くあり、常に情報収集していたりする。
対して自分は、何だか義務感に囚われて情報収集しているだけで、楽しさは感じていない。
(もしかしたら他の人も楽しさを感じていないのか?)
皆、指示を聞いたらすぐに他の人は何をして自分は何をするかを把握しているが、自分は把握できていないことが多い。
解釈違いでミスもある。

仕事への関心や希望がますます少なくなっている。
だがまた辞めちゃって次の職場で「また合っていない」となるのは避けたいところ。
ひとまず休日に性格・適職診断をしてみよう。

ネットで同じような悩みを調べてみたら、恐らく自分は「ASD(自閉症スペクトラム)」だ。
コミュニケーションに難あり、集団行動が難しく、阿吽の呼吸が取れず、聴覚より視覚情報に重きを置いていたりする。
ASDは高学歴者にも多く、仕事を始めて特性が如実に表れ、うつ病などの二次障害を起こすことがある。
ASDは定型業務で1人で黙々と働くのが得意で、非定型業務や集団行動は不得意だ。
拘りが強い場合もあるが、自分はそこまで強くない気がする。

自分は普通の生き方に向いていないことは学生の頃から分かっていたから、将来は山奥とかで孤独に暮らそうと決めてそのために頑張って、実際にやった。
でもやってみたら、だんだんと孤独感と虚無感が強くなって、山を降りたんだよなあ。
そして今は故郷に帰って俗世に帰ってはいるが、やはりここでも生きづらさを感じる。

工場とかで働くのは性格に合っている。
だけど働いてみると、「一生こんな感じなのかと思うと、希望なんてない。ただ時を過ごして死を待つだけだ」と思ってしまった。
工場労働は人の管理がしやすいから福利厚生も良いし給料もそこそこで良いんだけどね。
一時的に働くなら良いもんなのだが…。

家族を持って、働く意義を増やし、人生に変化をもたらせばもう少し面白くなるだろう。
と思って婚活も一応はしているが、持ち前の他人への関心の少なさが行動力に繋がらない。

理性で心の奥底の関心の少なさを隠して、今の自分の状況に沿うように本当は死んでいる目で演じれば良いだろうか。

日記

今日もイライラとしてしまった。
理性である程度抑えはしたが、抑えただけでその感情が無くなるわけでもない。
俗世間で生きていればこういう人間関係のストレスは避けては通れぬ。

こういう意見の違いとかはこれからもずっと起こってくることだが、その度にこんな感じでストレスを溜めねばならぬのか。
と思うとやるせなくなってくる。
もう一度ドロップアウトしてやろうかと思ったりもする。

最近twitterで少しバズった画像がある。
「こんなに辛い思いをしてまで生きる理由が無いのが辛い」
まさに今の自分だよなあ。
生きる意味や理由なんて無いのは分かってはいるが、無ければ辛い生活を乗り越えていけないじゃないか。

あーあ、面倒だ、布団の中で寝静まっていたい。生きるだけなら働かずとも出来るじゃないか。
それでも、人は布団から出る。

日記

晴れの日曜日。
春の魚も釣れ出したと、徳島新聞に書いてあるので釣りに出かけた。
だが、昨日から続く強風がまだあって、白波が立つほどの北風だったのでやっぱりやめた。

1週間ほど前に足の指を負傷して痛むので、山登りも止めておこう。
じゃあ、何をしようか。
そうだ、春物衣料を買いに行こう。
婚活にも使えるカジュアルジャケットでも。

色んなものをメルカリとかで買っている自分だが、やはり服は現物を見て買いたい。
手に取って良いなと思ったものを試着してみる時でさえ「なんだか微妙だ」と思うことが多々あるから、ネットでは思い通りのものが買いにくい。
だから服だけはリアルの店舗だ。

あまりファッションに拘らない自分だから、出来るだけ安い方が良い。
徳島で安く服を買うとしたらどこだろう。
とりあえずゆめタウンに行こう。

道中、2ndストリートなる店を見つけた。
古着屋なら安く手に入るか。
服コーナーを見てみると、結構安い!
良いなと思ったものがサイズが合わなかったりとなかなか見つけるのは難しいが、その分安く手に入る。
それがちょっと面倒でもあり面白くもあり。

その後ゆめタウンでブラブラしてメンズファッションコーナーを巡る。
良いなと思ったものが古着屋の数倍もする値段で、あまり買う気がしない。
ここでしか買えないのならしょうがないが、もっと安い値段で古着屋にあるかもしれない、と思うと買うまでには至らない。
フードコートで昼食を摂り、紀伊国屋で立ち読みして。

この近くにまだ古着屋はあるのか、と調べてみると「キングファミリー」という店が近くに。
行ってみると、2ndストリートよりも全国チェーン店らしさは無いが、安い服は多かった。
結局その2つの古着屋で1着ずつジャケットを購入。
いい買い物したぜ。

日記

昔から嫌いな人間とほんの少しでも関わることが嫌いだった。
ケンカしないように距離を保ったり譲歩したり美味い具合に関係持ったりする人が、サラリーマンとして向いている。
だが自分はそういう人間関係でのストレスに耐えられないと学生の頃から思っていた。

だから一度自営業をやってみた。
だけど、独身で自営業をすると孤独すぎて耐えられなくなった。
そして実家に帰って、結局サラリーマンとなっている。

紆余曲折を経て辿り着いた境地だけれども、やっぱり不満が一つも無いわけではない。
今日も非常にイラっとしたことがあった。
「思いっきり言い返してやろうか、キツイ言い方をする人は案外攻撃されることには弱いからなあ!」
…まあ今回はヘイトポイントを溜めただけで耐えた。

こういうストレスも孤独に比べれば、どうだろうか。
協力もケンカも、他人がいないと出来ないことだ。
他人と関わっていれば良くも悪くも浮き沈みがあり、孤独だと凪だ。
孤独を恐れてサラリーマンをしているなら、サラリーマンじゃなくても孤独じゃない環境になったらどうなるか。
最近はそれを知りたい。

日記

コロナが収まってきてようやく婚活イベントも再開し始めた。
で、人生で初めての婚活イベントに申込、今日がその日。
そのイベントはとある状況の中で自由に異性・同性と過ごせるもので、男女4名ずつの合計8名。

結論から言うと、実りのあるものには出来なかった。
これは相手や状況が悪かったというより、自分の行動が悪かった。
終わってから「あの時ああしていれば…」と何度思ったことやら。

異性は(レベル的に)悪いわけではなく、一目見て「おっ」と思う人や「一緒に仕事とかしたら良い人だと思えそう」な人らがいた。
だから、後悔する。
あの時、次に繋げるチャンスがあった、連絡先くらいは聞けるチャンスもあったのに、踏み込めなかった。
自分が悪いね。

でもまあ、今こうやって反芻しているとああいう人ともっと親交を深めたいという目標が出来てくる。
目標が出来れば服装とかにももっと気を遣おうと思えるし会話も面白くしようと思える。また別の婚活イベントに参加しようと思う。

目に見える成果は無かったが、行かなかったパターンに比べれば自己の成長という意味では成果があった。
もっと頑張ろう。

日記

徳島新聞の広告で知ったが、「とくしまプレミアム交通券」の使用期限が2021年2月28日から2022年2月15日まで、約1年の延長となった。
更に2021年3月1日から追加で発行されることになった。

正直存在自体知らなかった。
汽車やタクシーは使わんが高速バスはたまに使うので、買うことにした。
大型連休では乗換のために大阪へ行くことが多い。
そこまでの往復に徳島バスは使う。
1往復で安くて5000円。
とりあえず2回は旅行に行くか?ということで10000円分を5000円で購入する引換券をネットから申し込み。

3日後にはがきで購入引換券が送られてきた。
あとは郵便局やチケット売り場で購入するだけだ。

こういうものを逐一利用していけば、案外金は使わなくて済むのだ。
独身30代男の出費と言えば、娯楽費くらいしか無いし。

日記

2日は雨の休日。
以前に「一度遊びに来てみろ」と言われていた旧職場を覗きに行くことにした。
コロナが収まってきて、貴重な平日の休日だったから。

気楽に行くと意識していたが、やはりこういう性格だから入っていくのには緊張した。
年度末で忙しい時期に行っても良いのかな…、もう忘れられた過ぎ去った人が来たって気まずいだけなんじゃないのかとか。

で、いざ入ってみたら、昔のような雰囲気だった。
現状の説明とか辞めた後のこととか、今は誰が何をしているとか。
かつての上司も久々に顔を見たら、やっぱり皺が増えていた。まあ当たり前か。
自分がやっていた仕事も後任の人が普通にやっているようだった。
「お邪魔しました~」と言って、手土産置いて帰った。

実は前日まで「あーあ、前の職場に戻れたらなあ」と微かに思っていたが、今日行ったら、その思いも解消された。
今の仕事をもっと上達させよう、という気になれた。
前職にまた幻滅したわけでもなく、自分の今の『役』をもう少し果たそうとポジティブに。

例え毎日現場が変わるような仕事でも、同じ職場に閉じこもっていたらそれはそれで閉鎖的・引きこもり的だ。
だから何か閉塞感を感じたなら、休日に外部に出てみれば良い。
現況というものは、外からでないと分からない。
『外』とは、空間的にも、状況的にも、時間的にも。
故郷の良さは故郷を捨てようとしないと分かりづらいし、若い頃の良さは老いてからでないと分かりづらい。

日記

自分の職場で関わる人は大体が高卒、メインは40前後。
前職の化学工場は高卒、20代多め。

…故郷は良いところだが、自分と同じような大卒・アラサーと共に行動をすることは滅多に無く、疎外感を少し感じる。
性格的にも属性的にも自分は少数派なのは分かってる。
そういう疎外感が人を故郷から遠ざけ、都会に出て行かせることもあるだろう。

普通の就活が嫌でドロップアウトしたようなものだが、やはり外れると仲間を見つけにくい。
だからといってそのレールには戻ることは至難の業だ。
求人なんかもほぼ無い。

まあと言っても、学生時代からあまり仲間意識なんて無かったけどね。
具体的にじゃあどんな人と共に、何をしたいのか?と聞かれても答えられない。
ソウルメイトと呼べるほどの仲間なんていつの時代にもいなかったじゃないか。
この性格ではどんな状況でも疎外感があるんじゃないか。

気心の知れる仲って、どんなものだろう。
この人がいれば僕はもう孤独じゃない、って人間関係ってあるんだろうか。
夢を見過ぎだろうか、期待し過ぎだろうか。
そういう意味で、結婚したいのだ。
他人そのものには興味無いのにね。