日記

木金土日は4連休である。
しかも晴れ。
いつもならどこか行っている。
しかし、予定は何にも無い…

アパートから見える窓の景色が美しい。
さざなみと潮の満ち引き、山肌を照らす様々な方向からの太陽光を見ていると、部屋の中でも飽きない。
そりゃまあ、高級リゾートホテルに泊まって外ばかり出るのってもったいないと思うのと同じだ。
美しい景色があればそこから動く理由が少なくなる。

とはいえど晴れの日に引きこもるのってちょっと後ろめたさがあるというか、100%日々を利用できている感が少ない。
ちゃんと部屋の整理とか読書とかはいっぱいしているから、一応生産的なんだけど。

しかし先月に捻挫した左足がまだ痛む。
内出血とかは無くなったが、特定の腱を動かしたり伸ばしたりしようとすると痛む。
この痛みが激しい運動に抵抗を生じさせて、県内の街中散歩くらいはしようとも思うが食指が動かない。
整形外科にもう一度行って、リハビリ方法を教えてもらおうか。

日記,心理

感情の記録をしておこう。

先月からかなり忙しくてやることを詰めまくって、ろくな余暇も楽しめていなかったが、ようやく色々と終わった。
新しい職に就いて仕事を覚え、祖父のアパートを片付け、新しいアパートを探し、引っ越し、生活環境を整え、試験を終えた。
今は新しい仕事にも慣れて不安もなく、生活環境も順調だ。
試験勉強からも解放された。

しかし100%の解放感が得られたかというと、そうでもない。
4月からの鬱状態はまだ引きずっていて、感動だとかやりたいことをやるだとか、そういう気持ちは薄れている。
他人に説明できるような野望を言おうと思えば言える。
だが、「それが何だって言うんだ」という虚無感もある。
静かな環境、美しい風景の中で読書でもしていたいと思う。だけど、それが何だって言うんだ。

もしかしたら、まだ解放されていないのだろうか。
本能的に、試験に落ちているように思うのだろうか。
勉強中は集中するため「落ちた後」のことは考えていなかったが、合格発表までは考えていくべきか。
いや、とりあえず今は本が読みたい。
様々な心理学とか宗教書だとかを読みたい。

人間には直観型と感覚型がいる。
昔の直観型は、お坊さんのような立場になっていたのではないだろうか。
もしそうなら、彼らの心情を赤裸々に記録したような書物を読んでみたい。

日記

圧倒的に時間が足りないはずだ、そう思っていて目処が立ってないが間に合う可能性がある時、一番やる気が出る。
少しでも目処が立つと「頑張らなくて良いや」という思いが出てくるがしかし「やらねば」とも思うので、その狭間で無意味に消耗する。
やる気が落ちるってことは、まあ本質的にはやりたくないことで、本心ではこれ以上は頑張らなくても及第点は取れているだろうと思っているから、なんだと思う。

今の仕事は楽で、休みは多いし予定も少ない。
こうやってたまにやってくるやる気の低下とか鬱とかの休みを取るには、非常に良い環境だ。

4月頃に鬱気味になって以来、最近はこういうやる気の低下は周期的にやってくるものだと受け入れられるようになりつつある。
1週間に1,2日くらいは頑張れない日はある。
そんなときは「頑張れない日なんだ」と改めて認識し、頑張ることは一切しないとしている。

確かに昔は、何かを成し遂げることが第一だと思っていた。人生の使命だと思っていた。
だが今は、「自分の幸せ」を追求している。
幸せの手段として他社への貢献とか使命とかがあるのであって、手段を目的化してはいけない。
幸せとは何なのかなんて具体的に分かるわけがないからこそ、理想と現実のギャップ、つまり絶望感に苛まれない。

人生なんてたかが知れている。そういう諦観が、今の私の生きるコツだ。

日記

最近は面接の練習をしている。
しかし試験官役がおらず、常に一人だ。

そんな人間にぴったりのアプリがあった。
「面接チェッカー」というものだ。
最近リリースされたもので、メニューにはまだ工事中が多い。
しかし一般転職のコースはある。

このアプリは疑似試験官が質問を出してきて、最終的に自分を評価してくれる。
無人の無料アプリだ。
しかし自分の表情とか声の大きさ、早さやワードなどを具体的に評価してくれるのが非常に素晴らしい。
本当に最近リリースされたものだからまだネット上にもレビューは少ないが、このアプリはスタンダードになっていきそうな気配はある。

しかしまあ、喋るという行為は色々と考えさせられるというか。
自分にとって最も楽なのは頭の中で考えること。
次に独り言を喋ること。声に出して発する、自分の声を聞く、周りの状況という刺激が加わり、考え事に集中できない。
更に次は他人を相手に喋ること。独り言のときの刺激に加えて、相手の姿、声、考えていることを考慮に入れないといけないから、更に純粋な自分の考えは減っていく。
つまり創造的な考えごとなんて全く思い浮かばない。会話の流れから過去の記憶を思い出してその流れに乗せていくことは出来ても、全く新しいことを生み出せることはまずない。
だからまあやっぱり、自分にとって創造的なのは、自分の頭で考えることだ。
狭く深く、見えないものを見て、ぼんやりしたものを言葉で形にして、他人がわかるレベルに落とし込んできたら、ようやく発表となるわけだ。

日記

論文試験を終えてついに最後の難関、面接試験に挑もうとしている。
面接カードでは7項目書いたが、まずはその7項目を矛盾なく伝えられるようにしておかないといけないだろう。
口に出すのと頭で考えたり書いたりは違う。
原稿が書けても、やはり口に出すのが面接練習の王道だ。

さてどこで練習をするかということだが、アパート近くに海があるから海に向かって、もしくはユニットバスの中で。
一応隣人はいる。耳が遠いようだが、室内で喋っていればやはり騒音にはなるだろう。
賃貸ならユニットバスの中がまだ良いのではないか。
また、天気が良ければ海に向かって喋っている。
響く声で独り言言っているんだから他人に聞かれたくない。
人気のない海に向かうのなら遠慮なく声を出せる。
実際、大人が大声を練習できる機会って非常に少なくて、特殊な状況を作らねばならない。
普通は、他人との会話の中で声を出す練習をするのだろうか?

面接では話している内容だけでなく、伝わるような話し方とか態度など非言語的コミュニケーションも非常に重要となってくる。
しかしいきなり話すことと態度の全てを完璧に行うのは難しい。
まずは無意識に話せるようになってから、鏡や自撮りしながら態度を確認していく、という流れが良いのかな。

面接ノック100で想定問答集を作成。
他にもYOUTUBEで面接のコツを勉強する。
PREP法、つまり結論→理由→例→結論で話すとわかりやすい。
聞かれたことをまず復唱し、結論を述べるときにも質問を復唱すると、話す前に考える時間があるし話の着地点もはっきりする、とか。
そういう面接のコツはまたまとめるつもりだ。

初日は上手くいかなくて不安だったが、次の日からは無意識的に言葉を紡げるようになってきた。
もしかして会話とかコミュニケーションって、無意識の産物なのではないだろうか。
そして無意識を掌握するには、反復練習が王道なのではないか。
そして独り言を言いまくっていると、話すことそのものに自信が付いて、少し他人と話したくなってきた。

論文試験を終えて1週間ちょっと、この期間でどれだけ自分の喋りが上達するか。

日記

仕事は忙しくないが、日常生活と受験勉強が忙しい。
おかげで精神的にも少し疲労がある。

日常生活では祖父のアパートのものをメルカリで出品していて、その発送作業が2日に1回ある。
荷物は実家に置いてあるから仕事終わりに梱包して、ついでに風呂に入って、コンビニで発送して、アパートに帰っている。

アパートに帰ったら晩飯の準備だ。
まだまだ食材や調理道具の置き場が定まっていないから、右往左往して疲れる。
シンクも狭く、工夫が必要だ。
石膏ボードにピンフックを刺してそれに吊り下げ収納するのが基本。
デザイン的にも良い。

実家に帰らないときは風呂バンス600で風呂を温めてみた。
プロパンは高いから契約してみないことにした。
調理のためのガスはカセットガスで簡単だが、難しいのは風呂だ。
一人の小さなユニットバスだから、風呂バンス600という保温用電熱器具を使ってみるのだ。
で、やってみると、正攻法では水量が多く必要で少し使いづらい。
フロートスイッチが付いているから斜めにすると付かなくなる…と書いてあるが、実際やると斜めでも大丈夫だった。
空焚・熱しすぎ防止のためのサーモスイッチだけは作動を確認。
水量少なめで良いなら、「湯沸かし太郎」って品のほうが良いかも?

風呂バンスで温めたら、お湯をバケツに汲んで洗面台に置く。
それから入浴。
体や頭を洗うのはお湯の溜まった浴槽内で、泡もある程度流しておく。
最後の仕上げ、出る前にバケツのお湯を被って、浴槽の湯を抜く。
抜き終わったら水シャワーで汚れを落として終わり。
換気扇も回しておく。

ガスを契約するとシャワー一個で入浴が終わって楽だ。
風呂バンスだと本体と手間と、風呂フタとバケツと柄杓が必要になる。
風呂バンスの方が総合的には安くなるが、まだどっちが良いかの結論は出せない感じだ。
冬でも普通に使えるかどうかにかかる。

話は変わって、面接カードを書いた。
一次試験の合格通知の中に面接カードがあり、論文試験の時に提出しないといけない。
面接カードをもらってから約1週間、この間に論文試験の練習も並行していかないといけない。
面接カードを書くのは大変だ。矛盾なく、印象良く、間違えずに丁寧な字で書いていかないといけないから。
それに写真も撮った。
上半身分のスーツを持って、証明写真機のkireiで撮った。
美肌効果のある一番高いコース+データダウンロードで1500円。
正念場だから諦めて払う。まあ他の人は写真屋で撮っているから、これでも節約している。
面接カードを書き終わって見直すと、志望動機がありきたりな気がする。
でも、独創性より万人受けするほうが良いか?まあ本番で説明しよう。
ああでも、面接本番までの練習で後悔しないか、これで良いのか。
とか悩む。

日記

土日の3,4日でアパートへの引越終わり。子供部屋おじさんから独居おじさんとなる。静かで景色は良いがボロいアパートだ。

実家の車を借りて2往復。荷造りはあまり済んでないので地道に運ぶ。祖父のアパートを片付けたときに衣装ケースが大量に出てきたので、収納系家具は無し。大きいものと言えばユニット畳3枚と座卓とパソコンラック。それでも軽自動車に普通に乗るサイズだが。祖父のアパートでまだ使える日用品が大量に出てきたが、その多くを持ってきたので荷物は少し多くなった。

2日目は兄に手伝ってもらって祖父のアパートの冷蔵庫を一緒に運んでもらう。2階だし40kgだから一人ではかなり厳しい。感謝。

レイアウトに悩む。腰窓の景色が良いのでパソコンチェア(ゲーミングチェアを買う予定)に座ったときに見たい。だからパソコンラックも窓際。テレビは、どうするかなー。無くても大丈夫だが、何だかんだ寂しさを紛らわせられる。

マイワールドだ!と自由を謳歌出来るが、今は疲れて引越しブルーだ。少し憂鬱。今はまだまだ実家のほうが過ごしやすい。だから、金と労力を払って不便な生活を営むのに、徒労感を感じもする。まあ、慣れてきたら納まるんだけどな。祖父のアパートを片付けながら暮らしていたときも、最後の方は「家に帰りたくねえなー」と思っていたし。

日記

7月1日に公務員試験の合否発表が行われた。
無事合格。
7月2日には二次試験の案内が送られてきた。

だがほとんど喜びは無い。
一次試験はただの足切りとか通過点で、本当の戦いは二次試験だ。
300点中200点を占め、面接は160点。
一次試験の点数なんて合否にあまり影響しない。

今まで、こういう面接試験は非常に苦手だった。
今もそうだ。
だから不安はある。

とりあえず訓練が必要だ。
自分はとっさに嘘をつくことが出来ない不運な性格・特質である。
普通の就活生は全ての企業相手に「御社が第一志望です!」とはっきり言えるようだが、自分はなかなか言えない。
でも公務員にだってそういう能力が必要だ。自分もそういう訓練をせねば。

いや、第一志望なのは本当だけど、それ以外の質問だ。
「苦手なタイプにはどう接する?」
本音は「極力関わらない。切り捨てる」だが、「相手を理解しようと徹する。自分を理解してもらうことに徹する」と言う方が良いだろう。
そういうことをとっさに言えるようにせねば。

日記

公務員試験の論作文の練習をしながら面接のネタ出しをしている。

昔は「ネタこそが最重要」と思っていたが、この度ちゃんと評点基準を調べてみたらそうでもないようだ。
非常に素晴らしいネタを喋るのではなく、「聞かれたことにちゃんと答えられるか」ってだけなのだ。
急に話を振られてもすぐには答えられないから、想定問答集を作るのはありだ。
一字一句全て覚える必要はない。話題に対してのキーワードを覚えておき、練習によって話せられるようにする。
面接だって筆記試験と同じような、試験だ。試験前の勉強同様に練習が必要だ。ありのままの自分を見せるのではない。準備した自分を見せるのだ。

面接に備えてとりあえずブックオフで中古の公務員試験用面接本を購入した。
しかし、昔読んだものと同じように、ふわっとしたことしか書いてない。
「個性を出せ」と書きながら定型的なコミュニケーション方法しか奨めない。
しかも個性とか出してそれでどれだけ評点をいただけるのも書いてない。
「面接官の心に響く」だなんて、じゃあそれが何点になるのか、全く書いてない。
全てが曖昧で、だからそんなのに努力しようとする気が、昔は思えなかった。

だが現在はネットで評価基準が公開されている。
筆記試験だって試験内容と配点に従って勉強するだろう。面接だって内容と配点に従って戦略を考えるべきだ。
シミュレーションを重ねる。
それは実際の仕事だって大事なこと。例えば大事な会議の前に何一つ準備していなかったら悲惨なことになるだろう。

定型発達者たちは自分たちなら自然と出来ることは他人だって同じように出来ると信じて疑わない。
「どうしてこんなことも出来ないのだ」と我々に対して思うように、我々もあなた達に「どうしてこんなことも出来ないのか」と思う時がある。
でも口には出さない。なぜなら我々は人の得手不得手の違いを熟知しているからだ。
矛盾や排他は全て無くしてやりたい。
それこそが「ダイバーシティ」だ。それが嫌ならダイバーシティなんて、止めることだな。

日記

公務員試験の論文試験は約2週間後。
筆記試験に比べれば勉強範囲は狭いしその割に時間があるから準備は少し余裕がある。
とりあえず中古の対策本を買って、それに従ってやってみる。

とりあえず2週間もあるので最初の1週間は面接対策も兼ねて「リーダーシップを発揮したこと」とか「コミュニケーションについて」とか「公務員に望まれること」とか、そういう作文スタイルのものから練習してみる。
実際の論文試験は政策提言型、現状説明型ばかり。そういうのは来週から書いてみよう。

とりあえず時間を測って書いてみて、見直しをしたりしてみるが、それなりにすんなり書けるし見直しするときに手直しすることも少ない。
自分の人生において、材料は揃っているんだろうか。
しかし題材とする過去は、かつて新卒で入社した団体職員のことばかり思い出す。
学生の頃にやったこととか現場職とかではなかなか思い出せない。
学生のような協調性とか現場職的な協調性は、なんだか事務職の協調性とかとは違う気がする。
何なんだろうね、この隔絶した感じは。

とりあえず今のところ作文自体はちゃんと時間内にきっちり書けている。
この調子で面接でも同じようにスラスラと発表できれば良いんだけど、自分の特質上、訓練をしっかりしないとうまく行かないだろう。
論作文ではプロットを考える余地も、書き直す余地もある。
でも面接ってそんな余地ほとんど無いじゃないか。
難しいに決まっているじゃないか、と思う。
想定問答集を作りまくって練習しまくるしかない。
どうしてみんな、ああもスラスラと言葉が出てくるのだろう。不思議だ。
自分は話しているときは用意した言葉を相手に伝わるように発することに集中しまくって、話しながら考えることは全く出来ない。
話して、終わってから少し考えて、ようやく次の話が出来る。