日記

インターネットが普及してから、人の弱みを赤裸々に話したり聞いたりする機会が増えた。
匿名という、弱みにつけこまれにくい環境が手助けしたのだろうか。
正直な気持ちで発表できるってのは私としては素晴らしいものだと思う。

社会の中で表面的に他人と付き合うだけでは、他人の行動を見られるだけでその本心はほとんど計り知れない。
だから、思いの外多くの人が悩んでいるということにネットを始めてわかることがある。
発達障害とかHSPとか、文明開化直後の精神病に当てはまらないようなものに名前が付いた。
生きづらさを伝え、より良い生き方をしようと模索している人は多い。

さて、他人も案外苦しんでいるんだなということが分かって本題です。
人間は今も昔も悩んでいる。では、昔の人は悩んだ時どうしていたのか?
昔のほうが行動範囲を制限されて息詰まりを感じる人はいたであろう。
そんな時、手助けとなっていたのが、宗教なんじゃないだろうか、と思うのです。

古代から近代までの代表的な日本の精神療養所が、もしかしてお寺だったんじゃないだろうか、という仮説を持っている。
悩み、「俗世なんてもう嫌だ!」と思って、出家する。
しかし思えば、仏教では結婚しないのが基本。
だからそういう軟弱?な心の持ち主は遺伝子的にどんどん減っていくはず、なのだが仏教は今でも続いているわけで。
今は親の寺を継いだ、いわゆる「出家出身」というちょっとわけわからん人も多いが、まあ文化的側面での仏教ではそれも正しい。
問題は、在家出身の僧侶だけで近現代まで残っていたということだ。

この辺の問題は考えすぎるといくらでも考えてしまうので、今日はここまで。
いつかまとめたいもので。

日記

4,5月頃の鬱状態から、メンタルヘルスに関することを自分なりに調べている。

以前から仏教には興味があったし高校生の頃に概要も調べたことがあるが、最近は再度調べ直している。
今はもっぱら、メンタルヘルスとしての仏教の効用、そして歴史や民俗学的に民衆へ与えた精神衛生的な効果などに興味がある。
瞑想も一応続けているし、ブッダの教えを実践するための手法の一つであるとも実感できている。

また、仏教だけでなくフロイトやユングなどの西洋の分析心理学、哲学の概要も本を買って調べている。
それらの共通点や違いや、一方で得たことを一方に活かしてみることなどやってみたい。

今日も雨の中、ブックオフで色々と仕入れる事ができた。
頑張っても月10冊ほどしか読めないが、8月だけで30冊近くも仕入れてしまった。
図書館でもちょくちょく本を借りているから、またしばらく読めない積読本が増えたことになる。

しかしこうやって調べていると、「僕はまだ知らないことばかりだ。死ぬにはもう少し待って欲しい」と思えてくる。
30歳になったころはもう人生に熱意が無くて、飽きて、あとは消化試合だけだと思っていたが。

集中して調べたり、自分を感じたり出来ているのは、やはり一人暮らしで幾分か孤独であるからだ。
他者に対して慈悲を持つ、と言えど安らかな心は一人でいるときのほうが多い。
俗世は早く過ぎ、「反応」しないとついていけない。
だから、そのような反応に疲れて悩み苦しむ。
意識的にかつ日常的に、孤独は必要であると感じる。

日記

お盆休みはずっと雨で、ひたすら読書をしていた。
この長い休みにやってやるぞと思っていたことは無く、予想通りと言えばその通りだ。

雨はこれからも続いていく。
気温も35度を超えるようなことはなく、クーラー無しで生活できるだろう。
このまま、猛暑も消え去るか。
そして夏も過ぎて、秋が来るのか。

コロナや天気で長期旅行に行けなかったが、悔しいという思いは無い。
ただ淡々と過ごしている。
休みでウキウキもせず、仕事が再開されてウンザリすることも喜んでもなく。
感情はかなり薄まっている。
感情の渦に落とされることは無いが、歓喜のような感情も無い。
だが今の環境が不幸だとは思わない。
今を与えてくれた職場には感謝している。(正確に言えば、感謝というより不満はゼロの状態)

外を見て喜ぶことよりも、今は内側を見てさらなる探求をしてみたいとは思っている。

心理,日記

12日から16日までは夏休み。
天気でも良ければキャンプしに行こうかと思っていたが、生憎の全日雨。
しょうがないので読書三昧と致す。
土砂降りの中カッパを着てバイクに乗り、ブックオフへ。
2店周って10000円分購入。
色々な漫画の続きもいっぺんに買って、完結させたものも多く。
本が切れそうだったからこれでしばらくは持つ。
起床、朝食、読書、昼食、読書、夕食、風呂、テレビ、読書、就寝…の繰り返し。
夏休みだがしてみたいこととか目標は無く、連休の意味は特に無い。


さて話は変わって、フローのこと。
心理学的にはフローという集中状態こそが最も今に着目し、将来への漠然とした不安だとか自信の無さとかを無くしてくれる。幸福に近くなる。

何となくやる気が出ない、野望が無い、とブログ開始当初から思っていたが、言い換えればフローに至ることが少なくなったからだと思う。
だが20代の頃を思い返せば、あれがフローならばあの頃は酩酊状態でもあったように思う。
信念に酔っていた。宗教に酔っていた、ようなものだ。

冷めた視線は客観性を備え、酩酊や洗脳から逃れられる。
だけどそういう酩酊状態はフローでもある。幸福でもあるのだ。
受け入れたくないことは受け入れず、受け入れたいもののみ受け入れて突き進む。
他人から見れば少しスピリチュアル的な違和感も感じるだろう。

瞑想やマインドフルネスは今この瞬間に集中する、フロー状態になって苦しみから解脱させる。
ではその状態は酒を飲んで酩酊状態になって嫌なことを忘れ、目の前の美味しいつまみを食べて幸せを感じる、のとは違うだろうか。いや、もしかして同じなのでは?
フローにも種類がある?
無行動なフロー、行動するフロー?

日記

しばらく日記が空いた。

祖父のアパート掃除で出てきたダイヤを売った。
売り先によって数万円の違いがすぐに出るだろうから色々と方法や評価について勉強していた。

いろいろな宝石店を回って査定してもらうのは面倒なので、相見積もりしてくれるサイトに依頼してみた。
すると、訪問査定の選択肢しかなかった。
とりあえず1社目査定してもらう。
その人は神奈川から飛行機でやってきて、レンタカーで四国を回っているようだった。
買い取れるかどうかもわからないのにそれほど経費をかけるのか。
結構経費の割合が多いだろう、あまり高値は期待できない。
その人は頑張っているのかもしれないけど。

結局、面倒くさかったから一社目の人にダイヤのネックレスをいくつか売った。
査定額は2つで2万円。金のネックレスは1万5千円。
鑑定書のないダイヤは安いものか。
ダイヤのリングは5000円と言われたので保留にした。
まあこれで営業マンも最低限のノルマは達成できたんじゃないか、と少し同情もするから訪問査定はあまり割に合わない気もする。

試しにメルカリでダイヤのリングを出品してみると、鑑定書もないのに一瞬で2万円で売れた。
一瞬だったってことはもう少し高値でも良かったのか…
でも鑑定書付きのリングだなんて他にも出品されているのに。
まあしょうがないか。
これにて面倒な出品物は終わり。
ようやく目処がついた。


話は変わって最近考えていたこと。

瞑想とはメタ認知である。
高位の自分が自分を観察する。

心理学的にメタ認知は良いものだとされる。
自己を客観視するということ、思い返せばそれって終わりが分かっている時期に自然と出来ていたことなのではないか。
例えば、学生時代、期限付き契約社員、繋ぎでやっていたアルバイト。
「僕は今高校生だ。だから高校生らしいことをしよう。悔いのないようにしよう」とか、思っていただろう。
そういう自然と出来ていたメタ認知が心理学的にも良いことで、だから美しき思い出として残っているのでは。

「これからずっと…」と考えるとメタ認知はしにくくなる。
いつまで経っても今からの連続で、未来や現在は主観的すぎるものになる。
そのような主観が今の自分の位置付けを忘れさせ、価値も見出しにくくなる、のではないか。

まあこれは性格の違いも関係している。
日本人に多い、エゴグラムで言うところのAC優位は他者の目を気にして不安定な状況には過度の不安を感じる。
だからこういう人らにとっては「これからずっと」はむしろ安心感をもたらすのかもしれない。
だが自分は嫌だ。
メタ認知から遠ざけ、今の一瞬の価値を薄れさせる。

全ては変わっていく。
だから今は価値がある。
そんなことは頭では分かっている。だが実感しやすい状況というのは限られている。

日記,心理

心理学を学んでいるとたまに目につくのが認知行動療法、マインドフルネス、瞑想だ。
将来への漠然とした不安や過去への後悔などを「今」が受け止め、全ての感情も感覚も今に集中することで心を穏やかにさせながらもやりたいことややるべきことに集中できる。
そんな効能がある。

試験に受かって、自分は幸せになってもいいはずだ。
だけど未だに不安が残るのは、やはり捉え方の問題が9割9分を占めているとも思う。
だから、瞑想をしようかなと思っている。

そう思い立ってYoutubeで瞑想導入動画を流しながら10分ほどやってみると、何となく行動力や集中力が増して不安が減った気がする。
「あ~あ、あれをやらなくちゃ」
とうんざりと思いながらダラダラとスマホをいじることもあるだろうが、瞑想後はそういうのが無くなった。
食器を片付け、歯を磨き、読みかけの本を読むことにシームレスで着手出来る。
もしかして、今の自分に必要なのは、瞑想なのでは?

瞑想は朝やると良い、と本に書いてあったので、起床後出勤の準備を終えて出発までの微妙な時間を、瞑想に使ってみようかと思う。
外に出て、美しい自然の音を聞きながら、やってみよう。

日記,心理

今日は試験結果の発表日だった。
結果、合格。

 

ドキドキとしていて、落ちていたらお先真っ暗とも思っていたから、一安心だった。
そうだ、安心しただけで、「ヤッター!」と喜ぶ感情は少なかった。不安は大きかった。
喜びは少なく悲しみの多い今の性格は、どうしたものだろうか。
得られるものは少なく、失うものは多い。
得たものを失ったものくらい、もしくはそれ以上に感じ取らねば、これから先も失ってばかりだと感じるだろう。

ひとまずは余裕が出た。
しかしまだ自分の心の問題が全て解決されたわけではない。
当面は、喜びを感じられる心を取り戻すことが目標だ。
心理学の勉強はこれからも続けていくつもりだ。

だがまあ、ようやく「試験結果が分かってから決めることにしよう」と思っていたことに着手出来る。
住んでいるアパートの目の前に海がある。そこに手漕ぎボートを浮かべたい。
試験の過去問を手に入れるのは難しかった。後学の徒のために勉強資料を作っておきたい。
この分野に関する郷土史・民俗学を掘り下げていくと、この徳島のその分野の学者という非常にニッチな立ち位置だから、独走出来る。本を書き記すことも出来るだろうか。

自分の心では今日が「人生が変わった日」とは感じられない。
しかし、客観的(俗物的)に見れば、今日がその日なのだろう。

日記,心理

今学んでいることは、これからの仕事に関する分野…

ではなくて郷土史と民俗学と社会・分析心理学である。
高校・大学の頃はほぼ完全に理系だったんだけどな。
最近は文系的なこと、特に人の心とかに興味を抱いている。
民俗学も、そこで生きていた人々は何を感じ、どのように生きていたのだろうか、という疑問を解明するためってのが大きい。
民俗学を知ったきっかけは、ただ昔の技術を習得しようとした時に読んだ本とかだったんだけど。

分析心理学はちょっと面白い。
今はまだオカルト的な信じ方しか出来ていないが、本当に人の心を分析し、性格を「分類」出来たらと思う。
人間を分類し、有効なポジションに当てはめていけば、社会はより幸福に満ちるのではないかと思うのよ。
人間を駒としか思ってないところはちとサイコパス気味だが、しかしこれはよりよい社会を望むという大義名分のもとで行っているから許して。

自分の性格はおそらく、内向的だが社会的に作用したい・関わりたいと思うものだ。
MBTIで言えば「IJ」
Jの逆のPなら、もっと気兼ねなく引きこもりになったりセミリタイアしたことだろう。
だけど自分には合わなかった。
人と会うのはあまり好きではないが、社会と関わらないと虚しくなってくる性質なのだ。
昔は引きこもりに抵抗は無かったんだけどな。
最近は虚しく思う。老いて、死が近くなってきたからか。

しかしこのような学問は、たまに今までの疑問が一気に解消されるタイミングが来るので、それが面白い。
今日は学校で学んでいた「古文」が、共通語である「文語」であることにようやく気づいた。
方言だとか「国語」の始原、江戸時代と平安時代に文章の変化が無いこととか、色々なものが繋がるのがスッキリする。

死ぬにはまだ早い。

日記

26日にモデルナワクチン2回目の接種を終えた。
1回目の時点でその日の夜~次の日の昼にかけて微熱が出ていた。

そして副反応が出やすいとされる2回目。
接種翌日の朝からかなりのだるさと発熱。
熱は38.5度くらいか。
インフルエンザで40度出た時は逆にバグったのか少し余裕があったが、今回はダルさMAX。
立って歩くことすら困難で、這いながら解熱鎮痛剤を服用。
服用から1時間後~6時間ほどは軽い頭痛+微熱(37.5度)で何とか動ける。
しかしその日の夕方に解熱鎮痛剤の効き目が無くなってきたのか朝と同じくだるくなり、2回目の服用。
接種翌日は仕事を休み、翌々日は出勤することにした。

接種翌々日、朝起きたときはマシだったが昼頃に微熱(37.5度)。
昼休みに解熱鎮痛剤を飲む。

そんなわけでワクチン2回目はそこそこの風邪レベルのだるさと発熱がありました。
でもこれでコロナへのリスクが減少し、もう少し伸び伸びと暮らせることでしょう。
と言っても今の自分は、「ワクチン打ったら○○しよう」なんてことは特に無く。
緊急事態宣言とかあまり関係の無い内向的人間だから変化も少ないのです。

日記

4連休はやれることを全部やろう、と思っていたが結局特に何もしていない。
一応徳島の歴史ガイドに参加してみたりはしたが、他にイベントごとも大きなDIYもせず。
シンクを磨きまくってコーティングまでしたいと思っていたが、先送りだ。

オリンピックは開会式の前半だけ見た。
NHKの「~を表しています」という説明があって初めて理解できるものが多かった…
まあ派手派手でケバケバしい雰囲気は無くて質素な感じだったのは嫌いじゃない。
ゴタゴタがありすぎたがまあ何とか形にしたのは安心か。

試験結果が出るのは来週だ。
結果次第でまた大きく悩むのだろうな。
それまでに落ちた時に備えて心理学の研究をしておきたい。
この1ヶ月半、未来に対してはそれだけに全集中したから、それ以外の未来を思い描いていない。
一寸先は闇。俺には何もない。Nothing There.

だが今暮らしているアパートの風景は好きだ。好きだ…
3,4ヶ月ほど前くらいに、寝れないほど悩んでいることもない。
多分、精神的には安定しているのだと思う。
1,2ヶ月前は1週間に最低1日はどうしようもなく鬱な気分になっていたしな。
ああそうだ、自分は今、寛解期かもしれない。
落ち着いてきたら、この先にまた同じようなことが起こらないようにする予防、更には他人に対しても予防の措置をとりたくなってくる。