2021.09.13 何を感じながら生きているか、それもまた移り変わるもの

日常的に生きている。
同じような時間に起きて同じような日課をこなして生きている。

自分の心は変わった、と思うがどのように変わっただろうか。
10代は登山を初めとする余暇に多く頭を使っていた。
興味を持てるもの追うのなら、学問よりほかの趣味の方が興味が持てる、だから意義があまり感じられなくなった。
ただ周りに似た道は、未来に希望を持てなかった。
社会的な価値観に疑問を持つようになったのはこのへんか。

20代中盤、夢を果たすため努力した。
そしてかなった。
あの時は立てた目標のための勉強など、具体的な行動に頭を使っていた。
色々なものに対して「これは使えるか?」「これは美しいか」と対外的な興味が多かった。

数年後、だんだん切ないものや感慨に興味が惹かれた。
切ない音楽、過去への憧憬にふけられる町を歩くこと、過去の自分が成したこと。
心地よい孤独感があり、虚しい喪失感もあった。

そうして故郷に帰った。
だがやはり、捨てようと思ったから故郷は美しいのであって、戻ってくるとその感覚も薄れてしまう。
ゆえに、再発見によって客観性を持とうとしている。
空っぽの心で、ここが故郷ではなくて旅行に来たような、いや本当はここは沖縄なんじゃないかと浸って散歩をすると、やはりここは美しい場所である。

しかし、だからって10代や20代前半の頃のような熱気は無い。
その燃え上がる感情の無さに対して喪失感を持っているのが、現状だ。
このまま、熱意は無いままなのか、と。
だけどこうやって振り返ると、10年ほどの間でも感情は大きく揺り動いている。
良くも悪くも、人は変化せざるを得ない。
だからこの感情も変わるかもしれないし、喪失感そのものが無くなるかもしれない。
熱意が無いのは駄目なことだと早合点するのではなく、まずは認めてあげることだ。
そうして、移り変わることを楽しんでいければ、これこそ安楽じゃないか。

日記

Posted by YU