日記

精神科に予約の電話を入れて、土曜日に診察を受けさせてもらうことになった。(人生で初めて)
最近の日記を見直して現状を伝えて、鬱病だと診断されたら辞めよう、と考えたがもう既に答えは出ているんじゃないだろうか。
精神科に相談に行くって決めた時点で決断できるんじゃないか。
鬱病ってのは多分、逃げたいのに逃げ場が見つからなくて困っている人に発症するんじゃないか。

しかしまあ、一応家族に何回か相談したが、自分を追い込む方向にばかり、鬱を進行させる方向にばかりの助言を与える。
「本当に困った時は家族のような存在が必要だ」と感じて実家に帰ってきたが、それは間違いだったのかもしれない。
確かに故郷の風景は好きだ。
でも、家族と共に暮らしたいわけではないのかもしれない。
安アパートで独り暮らししながら、工場とかで働いたほうが良いのかもしれない。

久しぶりに土日が休日、その前の金曜日の夕方、精神が安定するのは当然の時間帯だ。
この生活が一生続くと思うと鬱になるが、こうやって生活に変化を期待すると少し元気が出る。
だからといってやりたいことは無い、それが辛いところだ。

日記

前日の日記を書き終えてベッドで寝ようとしたとき、

「そうだ!自分がこの仕事に就いたのは、仕事そのものが好きだったんじゃなくて、公共的な仕事に対してやりがいや使命感を感じたからだったんだ!」

と気付いて寛解したと思った。
よーし、明日からも頑張れるぞと思っていた。

だがその明日、つまり今日、張り切って一日を過ごせたかというと、意外にも抑うつ気分だった。
何だか動悸がして息苦しさがあって、昼休憩の時の昼寝なんて「このまま目覚めなくて良いのなら」と思ってしまう。

自然に囲まれて、外仕事で体を動かす仕事なんて、精神的には病まないものだ。
でも、どうしてこうも…

もしかしたらこの日記ブログ、鬱病患者の心の動きの記録になりかねん。

日記,心理

憂鬱な気分はまだまだ続いている。
そろそろ「お悩み相談」という体裁で精神科に行ってみようかと思っているほどに。

なぜこれほどまでに今の仕事を辞めたいと思うのだろう。
この会社や同僚達が嫌い、というわけではないのは確かだ。
たまに遊びに来る、バイトにくるくらいなら今後もやりたいとは思うほどだ。

今までの人生を思い返す。
何かの仕事をしようと思う時、自分が何をやりたいかというより、「需要があるか否か」を考慮することが多い。
レッドオーシャン過ぎて相当努力しないと食っていけない、なんて仕事に興味を持ったことはかなり少ない。
公務員くらいにはなろうとしたり、受験勉強なんかもやったりはしたが。

そう言えば今の仕事も人手不足だ、と聞いて行き出した。
「人手は足りている。どうしても来たいなら働かせてやる」
と言われていたら間違いなく行っていない。

だが人手不足過ぎて休日の無い仕事は嫌だ。
いつかの記事に「何年休みが無いか分からないコンビニ店長」とかあったが、そういうのには絶対なりたくないとは思う。

人手不足でなおかつ休みの多い仕事?そんなの贅沢すぎるだろ。
とお思いの諸兄もおられるだろう。そこで、自分は自営業をしてみることにした。
売れる物と売れない物とかがあったが、商品開発は少し面白くて夢中になって調べものをしていた。
でも自営業って、休みを定めるのが難しくてメリハリが少なく、何より孤独過ぎた。
そして実家に帰ってきたんだった。

実家に帰ってきてから始めた工場労働は楽だったが、自分なんていてもいなくても同じのような環境のやりがいが少なすぎてストレスだった。
まれに忙しい日もあったが、むしろそういう日のほうが充実感はあった。
しかし工場は休みも収入も多くて仕事も楽。やりたいことのない人間にはピッタリだろう。

僕は本質的に、やりたいことがない人間で、何者かになろうとする信心が無く、疲れやすく、世間の需要で仕事を決めるが人の心が分からないASDだ。
矛盾しているところもあるが、これが真実だ。
やりたいことがあったり何者かになることに抵抗を感じず競争心もある定型発達者とは違う人種で、常識も通じないのだろう。

しかしまあ、これほどまで悩むってのは、やはり何がしかの躊躇とか後悔とかを予測しているからだとも思う。
本当に嫌だったらもっとサクッと辞めてしまっている。

日記

4日は雨の休日。
周期的に雨が来るおかげで3週連続の雨の休日だ。
休日に気晴らししていたおかげで騙し騙ししていたが、抑圧もそろそろ限界というか。

雨だから、図書館や自室で今までの自分の仕事の遍歴を思い返していく。
バイトくらいなら色々な仕事が出来るけど、一生やろうと出来る仕事って僕にとってはごくわずかなんじゃないだろうか。
定型発達者なら従属意識が強いから、一度就いたらその役割に躊躇なくのめり込んでいけるのかもしれない?
自分は従属意識が弱いから、一生やろうとすると嫌なところが目に付いて「根本的に性格に合う仕事じゃない」と思ってしまうのだろうか。

10代、20代の頃はごく普通の世間一般のイメージ通りに、「やりたいこと」を仕事にするべきだとしていた。
だけど、やり続けていれば興味はしぼんでいく。
最初は新鮮さの魔力に憑りつかれてやっていけるが、それが無くなったら、自分の協調性の少なさとかで非常に生きづらくなる。
だから、たった一人で生きてたった一人で出来る仕事をしようとした。
でもそれも、ちと孤独過ぎたし興味がしぼめば生きる手段としての効率の悪さが目に付いた。

実家に帰ってきて始めた工場も、まあ辞めちゃったんだけど、嫌だった理由は虚無感だけじゃなかった気がする。
自分は毎日毎日、日常的に他人との折衝がある業務が苦手だ。
頑張れば低レベルだけど出来なくはない。
だけどずっとそれが続くのかと思ったり、やり続けていくのは、疲れる。

ライン作業のようなものはつまらないが精神的には安定していた。
自分の今までの人生を鑑みると、日常は一人で黙々と働ける定型業務、たまに非定型業務をする、ってのが特性に合っていると思う。
自分のようなASDには続けていける仕事の範囲が非常に狭い。
でも見つけたら、自己肯定感も高まって収入も上がって、それなりに幸せに生きていけるんじゃないだろうか。
30代の仕事探しは今までやってきた経験が重視されるが、それは定型発達者の話で、他の発達障害は特性に注目したほうが良いんじゃないか。

日記

抑うつ気分はまだまだ収まらない。
昨日も不眠に悩まされた。
不眠の時は辛い。
身体を掻きむしるかのようなじれったさ(?)があり、突発的に飛び降りたくもなる。

帰宅後はゲームとかはせずに、鬱病に関することを調べている。
そして見つけて面白かったのが、『パラダイムシフト』って鬱を題材にした漫画。
鬱の発症や付き合いや治療に関する漫画。
この漫画の中ではアドラー心理学が治療シーンで重要なポジションに就く。
アドラー心理学の教えは何回か読んだことがあるが、改めて漫画で読み直すと色々としっくりくるところがあって良い。
鬱病で苦しんでいる人たちはいるが、実は鬱病になりたくてなっている。
そんな馬鹿な、鬱を甘く見過ぎだ、と反射的に思えるだろう。
根源にあるのは不安とか苦しさとかそういうので、理性で心の叫びを無視したり抑えつけていたからなるのだ。
過去の狐憑きや悪魔憑きが無くなって鬱病が増えたのは、そういう状態を人が望んだからだ。

僕の今の精神は不調である。
不調である状態を望む。
なぜならこの仕事を好きになろうという義務感があるのに理想ほどには好きになれない齟齬があるから、なのではないか。
仕事行きたくねえ(行かないと…)、どっちでも良いじゃないか(はい、分かりました)、遊びに行きてえ(仕事行かないと…)
わがままな心を抑えつけ、本心では嫌なことから逃れるために、鬱病になりたくてなっている。

心の声を聴いて、認めて。
もやもやした暗い気分は鬱じゃなくて、心と心を抑えつけている理性の戦闘、とか。
僕はこの仕事を好きにならないと、と思っていた。でも、本心は、あまりやりたいとは思ってないのよね。
ASDとか向いてないとかそういうのは、言い訳に近い。

日記

今は生家で暮らしている。
何十年も見た光景、何十年も過ごした部屋、食事、生活様式…飽きたと言えば飽きた、と確信を持って言える。
だから、この場所を変えるべきかと思うか。
理想郷を探して、そこで死ぬまでずっと飽きずに幸せに生きれるものだと信じているか。

どこで生きていても、飽きることはあるんじゃないか。
能動的に何もしなくとも、面白く生き続けられる場所なんて、存在しないんじゃないか。
子供の頃はいつかはそういう環境に行き着くんだと無責任に思っていたから、未来に希望を持っていたが。

全く同じ生活様式と職場の往復で終える人生に、飽きるのは当然だ。誰だってそうだ。
だから飽きずに生きていけてる人は、実は同じように見えて少しずつ違うことを日常の中で行っている。
持ち物を変えてみたり、余暇の過ごし方を少し変えてみたりとか。
そんな小さなことでも面白さを感じれるもの、らしい。心理学的には。

というわけで、僕の生活も少しずつ変えてみようかと思う。
今は殺風景な壁に好きな絵を飾ってみたり、自室の窓がすりガラスなので普通の透明ガラスにしたりしたいと思っている。
まあ独身なら日常の変化なんてこんなもんだったりだが、やはり結婚して子育てすると、全く受動的に生きているのに変化を感じられるんだろうと思う。
何もしなくとも子供は成長する。自分が変化せずともパートナーが変化して自分も変化することもある。
自分一人だけじゃあ変化も少ないさ。
ただゆっくりと、老いていくだけで…

日記

たまに(というか『よく』)自分の人生に虚無感を感じるが、そういう時はメタ認知するようにしている。
「僕は徳島県の片隅に生きている。しがない町で小さな生家で生きている。色々な人生を歩んで、ここにいる。ここで生きる人々はどんな風だと他人は思うだろう。一例が、ここにある。」

昔、色々なところで生活したが、期限付きの生活だったのでどこも探索の楽しさがあった。
どんな部屋で寝て、どんな店で食べ物を買って食べるか、洗濯はどうするか、風呂はどうするか、休日はどうするか、ここにいる間どこで何をするか。
こういう、低レベルなことを一歩一歩頑張るって、楽に出来る割に面白いことだ。

人が未開の地に憧れることがあるのは、そういう面白さを享受したいからなんじゃないかな。
小さな道具と人力で生活と仕事をしていく…。
未開の地を拓くのが目的なら、大資本を使って重機と作業員を多く入れてリゾート施設でも建てれば、手っ取り早く開発と地域振興が成り立つ。
でもそれって、一歩一歩歩んでいく面白さは無い。

目標を立てて頑張る、それは楽しいことだ。
でも急ぎ過ぎればすぐに目標を達成して、次の目標が必要となる。車を回すネズミは、歩みを止めればその勢いに飲まれる。
ゆっくりすぎれば目標達成への意欲が少なくて尻すぼみになっていく。

しんどくない範囲で、自分の成長を実感しながら歩めたら、素晴らしいことだろう。

日記

28日は雨の休日。
週に1回の休みなんだから平日とは違う面白いことをしよう、ってなりそうなんだが、雨。
雨だと外に出づらいしそういう気分になれないから、家に引きこもってしまう。
しかし室内だと平日でも出来るような余暇ばかりやってしまって、貴重な休日を無駄にしてしまっている感じはある。
まあ、こんなのは学生の頃からずーっと変わらないんだけど。

とりあえず春になってきたから衣替えをちょこちょこする。
バイクを真冬仕様から3シーズン仕様に。
自室で着ていた半纏とかは奥にしまって。
こまごまとしたものは片付け、不要なものはメルカリに出品。
GWの予定を更に詰めて色々と予約したり。
たまにゲームするが、一日中すると後悔するので抑えて。
追っている漫画本を通販で注文して。
見回したら何だか壁が寂しいなあと思ったので、メルカリで絵画を購入して。

こういう休日と自分の人生を顧みたら、どことなく寂しさや焦りも感じる。
でもこの感情も、学生の頃からずーっと変わらない。
そういう気持ちもまた、人間社会の変化の原動力でもあるだろうか。
生まれた時から死ぬまでずっと社会的変化が無いと考えるのは、恐ろしいものだろうか。

日記

嫌なことが立て続けに起こって仕事への自信を無くしていた。
しかしこうやってブログや他人に対して愚痴を吐いていたら少しずつスッキリしてきた。
「仕事辞めたい!」
ってのは当然、感情の問題ですね。
脳内物質の分泌だのなんだので、考えの結果も変わっちゃうもので。

不服な結果に終わったのなら、感情次第で「俺には向いてない」にもなるし、
「俺を認めだないなんて何も分かっちゃいない。次は認めさせてやろう」ともなる。
もしかしたら生きる中で大事なのは、そういう高ストレス時のストレス発散方法を知っておくことなんだろうか。
自分は他人に対してあまり興味を抱かないASD・スキゾイド的な性格だが、案外他人に愚痴を吐くのってスッキリするものなんだなって分かった。
昔、孤独に暮らしていた時、こうやって高ストレス時に受け止めてくれる存在がいなかったから、辞めてしまったのだろうか。
人間、少なくとも自分は孤独だと、何も継続できない。

日記

自分もまあ色々な仕事をしてきたが、この世にはエンジョイ勢とガチ勢がいるようだ。
自分は本質的にはエンジョイ勢だ。
だが楽に仕事を回すための改善ならやろうとするので、視点を変えればガチ勢に映ることもあるかもしれない。
でも仕事そのものに対する向上心とかは実はあんまりない。
効率よく、楽に、鷹揚にこなしていきたいだけだ。
余裕を持ち、まずは楽しむ、それが継続と向上のカギじゃないだろうか。

昔ガチ勢の人が社長の1人企業にバイトに行っていたことがあったが、何人ハローワークで雇っても1週間以内で辞めていたようだった。
自分は2週間で辞めた。
確かにその社長は実力はあった。しかし非常にワンマンで、自分が絶対に正しいと信じて疑わず、付いてこなかったり反発したりする人間にはすぐに「この人はダメだ」と切り捨てている風だった。
そりゃ初心者とは経験年数もやる気も違うだろうに、自分と似通った人間だけを求めようとしていたら、大抵の人は付いていかないのではないか。

例として、自分の機転でほんのちょっと工夫をしたら「それは違うって分からないか」と叱られ、その人のやりかたに直されたが、結局失敗して、その人は当初の自分の工夫した方法で仕事を進めた。「ごめん、やっぱりそっちのほうが良かった」と認めれば良いのに、不服そうに無言だった。
そういう人ってさ、「自分に似た実力と向上心がある人が欲しい」と思っておきながら、実際にそういう人と一緒に仕事をしたら、仕事の進め方の違いですぐに反発してケンカになるんじゃないかって思う。
提案してもそれが既に自分の頭の中にあるものだけを受け入れ、無いものは受け入れない。
もしかしたらそれが正しい、自分と他者のどっちも正しいかもしれないのに。
他を否定ばっかりして鷹揚さを持たないと、周りの人は委縮するに決まっている、よね?

なお前の職場で不満があったのは、対策出来そうな問題に対して対策しておかず、問題が起こってからあーだこーだやって残業していたりする非効率さだ。
「もっと仕事に対して真摯に取り組もう、向上しよう!」ではなく、「もっと楽に効率よくやろうよ」ってことで。