日記,心理

心理学を学んでいるとたまに目につくのが認知行動療法、マインドフルネス、瞑想だ。
将来への漠然とした不安や過去への後悔などを「今」が受け止め、全ての感情も感覚も今に集中することで心を穏やかにさせながらもやりたいことややるべきことに集中できる。
そんな効能がある。

試験に受かって、自分は幸せになってもいいはずだ。
だけど未だに不安が残るのは、やはり捉え方の問題が9割9分を占めているとも思う。
だから、瞑想をしようかなと思っている。

そう思い立ってYoutubeで瞑想導入動画を流しながら10分ほどやってみると、何となく行動力や集中力が増して不安が減った気がする。
「あ~あ、あれをやらなくちゃ」
とうんざりと思いながらダラダラとスマホをいじることもあるだろうが、瞑想後はそういうのが無くなった。
食器を片付け、歯を磨き、読みかけの本を読むことにシームレスで着手出来る。
もしかして、今の自分に必要なのは、瞑想なのでは?

瞑想は朝やると良い、と本に書いてあったので、起床後出勤の準備を終えて出発までの微妙な時間を、瞑想に使ってみようかと思う。
外に出て、美しい自然の音を聞きながら、やってみよう。

日記,心理

今日は試験結果の発表日だった。
結果、合格。

 

ドキドキとしていて、落ちていたらお先真っ暗とも思っていたから、一安心だった。
そうだ、安心しただけで、「ヤッター!」と喜ぶ感情は少なかった。不安は大きかった。
喜びは少なく悲しみの多い今の性格は、どうしたものだろうか。
得られるものは少なく、失うものは多い。
得たものを失ったものくらい、もしくはそれ以上に感じ取らねば、これから先も失ってばかりだと感じるだろう。

ひとまずは余裕が出た。
しかしまだ自分の心の問題が全て解決されたわけではない。
当面は、喜びを感じられる心を取り戻すことが目標だ。
心理学の勉強はこれからも続けていくつもりだ。

だがまあ、ようやく「試験結果が分かってから決めることにしよう」と思っていたことに着手出来る。
住んでいるアパートの目の前に海がある。そこに手漕ぎボートを浮かべたい。
試験の過去問を手に入れるのは難しかった。後学の徒のために勉強資料を作っておきたい。
この分野に関する郷土史・民俗学を掘り下げていくと、この徳島のその分野の学者という非常にニッチな立ち位置だから、独走出来る。本を書き記すことも出来るだろうか。

自分の心では今日が「人生が変わった日」とは感じられない。
しかし、客観的(俗物的)に見れば、今日がその日なのだろう。

日記,心理

今学んでいることは、これからの仕事に関する分野…

ではなくて郷土史と民俗学と社会・分析心理学である。
高校・大学の頃はほぼ完全に理系だったんだけどな。
最近は文系的なこと、特に人の心とかに興味を抱いている。
民俗学も、そこで生きていた人々は何を感じ、どのように生きていたのだろうか、という疑問を解明するためってのが大きい。
民俗学を知ったきっかけは、ただ昔の技術を習得しようとした時に読んだ本とかだったんだけど。

分析心理学はちょっと面白い。
今はまだオカルト的な信じ方しか出来ていないが、本当に人の心を分析し、性格を「分類」出来たらと思う。
人間を分類し、有効なポジションに当てはめていけば、社会はより幸福に満ちるのではないかと思うのよ。
人間を駒としか思ってないところはちとサイコパス気味だが、しかしこれはよりよい社会を望むという大義名分のもとで行っているから許して。

自分の性格はおそらく、内向的だが社会的に作用したい・関わりたいと思うものだ。
MBTIで言えば「IJ」
Jの逆のPなら、もっと気兼ねなく引きこもりになったりセミリタイアしたことだろう。
だけど自分には合わなかった。
人と会うのはあまり好きではないが、社会と関わらないと虚しくなってくる性質なのだ。
昔は引きこもりに抵抗は無かったんだけどな。
最近は虚しく思う。老いて、死が近くなってきたからか。

しかしこのような学問は、たまに今までの疑問が一気に解消されるタイミングが来るので、それが面白い。
今日は学校で学んでいた「古文」が、共通語である「文語」であることにようやく気づいた。
方言だとか「国語」の始原、江戸時代と平安時代に文章の変化が無いこととか、色々なものが繋がるのがスッキリする。

死ぬにはまだ早い。

日記

26日にモデルナワクチン2回目の接種を終えた。
1回目の時点でその日の夜~次の日の昼にかけて微熱が出ていた。

そして副反応が出やすいとされる2回目。
接種翌日の朝からかなりのだるさと発熱。
熱は38.5度くらいか。
インフルエンザで40度出た時は逆にバグったのか少し余裕があったが、今回はダルさMAX。
立って歩くことすら困難で、這いながら解熱鎮痛剤を服用。
服用から1時間後~6時間ほどは軽い頭痛+微熱(37.5度)で何とか動ける。
しかしその日の夕方に解熱鎮痛剤の効き目が無くなってきたのか朝と同じくだるくなり、2回目の服用。
接種翌日は仕事を休み、翌々日は出勤することにした。

接種翌々日、朝起きたときはマシだったが昼頃に微熱(37.5度)。
昼休みに解熱鎮痛剤を飲む。

そんなわけでワクチン2回目はそこそこの風邪レベルのだるさと発熱がありました。
でもこれでコロナへのリスクが減少し、もう少し伸び伸びと暮らせることでしょう。
と言っても今の自分は、「ワクチン打ったら○○しよう」なんてことは特に無く。
緊急事態宣言とかあまり関係の無い内向的人間だから変化も少ないのです。

日記

4連休はやれることを全部やろう、と思っていたが結局特に何もしていない。
一応徳島の歴史ガイドに参加してみたりはしたが、他にイベントごとも大きなDIYもせず。
シンクを磨きまくってコーティングまでしたいと思っていたが、先送りだ。

オリンピックは開会式の前半だけ見た。
NHKの「~を表しています」という説明があって初めて理解できるものが多かった…
まあ派手派手でケバケバしい雰囲気は無くて質素な感じだったのは嫌いじゃない。
ゴタゴタがありすぎたがまあ何とか形にしたのは安心か。

試験結果が出るのは来週だ。
結果次第でまた大きく悩むのだろうな。
それまでに落ちた時に備えて心理学の研究をしておきたい。
この1ヶ月半、未来に対してはそれだけに全集中したから、それ以外の未来を思い描いていない。
一寸先は闇。俺には何もない。Nothing There.

だが今暮らしているアパートの風景は好きだ。好きだ…
3,4ヶ月ほど前くらいに、寝れないほど悩んでいることもない。
多分、精神的には安定しているのだと思う。
1,2ヶ月前は1週間に最低1日はどうしようもなく鬱な気分になっていたしな。
ああそうだ、自分は今、寛解期かもしれない。
落ち着いてきたら、この先にまた同じようなことが起こらないようにする予防、更には他人に対しても予防の措置をとりたくなってくる。

日記

木金土日は4連休である。
しかも晴れ。
いつもならどこか行っている。
しかし、予定は何にも無い…

アパートから見える窓の景色が美しい。
さざなみと潮の満ち引き、山肌を照らす様々な方向からの太陽光を見ていると、部屋の中でも飽きない。
そりゃまあ、高級リゾートホテルに泊まって外ばかり出るのってもったいないと思うのと同じだ。
美しい景色があればそこから動く理由が少なくなる。

とはいえど晴れの日に引きこもるのってちょっと後ろめたさがあるというか、100%日々を利用できている感が少ない。
ちゃんと部屋の整理とか読書とかはいっぱいしているから、一応生産的なんだけど。

しかし先月に捻挫した左足がまだ痛む。
内出血とかは無くなったが、特定の腱を動かしたり伸ばしたりしようとすると痛む。
この痛みが激しい運動に抵抗を生じさせて、県内の街中散歩くらいはしようとも思うが食指が動かない。
整形外科にもう一度行って、リハビリ方法を教えてもらおうか。

日記,心理

感情の記録をしておこう。

先月からかなり忙しくてやることを詰めまくって、ろくな余暇も楽しめていなかったが、ようやく色々と終わった。
新しい職に就いて仕事を覚え、祖父のアパートを片付け、新しいアパートを探し、引っ越し、生活環境を整え、試験を終えた。
今は新しい仕事にも慣れて不安もなく、生活環境も順調だ。
試験勉強からも解放された。

しかし100%の解放感が得られたかというと、そうでもない。
4月からの鬱状態はまだ引きずっていて、感動だとかやりたいことをやるだとか、そういう気持ちは薄れている。
他人に説明できるような野望を言おうと思えば言える。
だが、「それが何だって言うんだ」という虚無感もある。
静かな環境、美しい風景の中で読書でもしていたいと思う。だけど、それが何だって言うんだ。

もしかしたら、まだ解放されていないのだろうか。
本能的に、試験に落ちているように思うのだろうか。
勉強中は集中するため「落ちた後」のことは考えていなかったが、合格発表までは考えていくべきか。
いや、とりあえず今は本が読みたい。
様々な心理学とか宗教書だとかを読みたい。

人間には直観型と感覚型がいる。
昔の直観型は、お坊さんのような立場になっていたのではないだろうか。
もしそうなら、彼らの心情を赤裸々に記録したような書物を読んでみたい。

日記

圧倒的に時間が足りないはずだ、そう思っていて目処が立ってないが間に合う可能性がある時、一番やる気が出る。
少しでも目処が立つと「頑張らなくて良いや」という思いが出てくるがしかし「やらねば」とも思うので、その狭間で無意味に消耗する。
やる気が落ちるってことは、まあ本質的にはやりたくないことで、本心ではこれ以上は頑張らなくても及第点は取れているだろうと思っているから、なんだと思う。

今の仕事は楽で、休みは多いし予定も少ない。
こうやってたまにやってくるやる気の低下とか鬱とかの休みを取るには、非常に良い環境だ。

4月頃に鬱気味になって以来、最近はこういうやる気の低下は周期的にやってくるものだと受け入れられるようになりつつある。
1週間に1,2日くらいは頑張れない日はある。
そんなときは「頑張れない日なんだ」と改めて認識し、頑張ることは一切しないとしている。

確かに昔は、何かを成し遂げることが第一だと思っていた。人生の使命だと思っていた。
だが今は、「自分の幸せ」を追求している。
幸せの手段として他社への貢献とか使命とかがあるのであって、手段を目的化してはいけない。
幸せとは何なのかなんて具体的に分かるわけがないからこそ、理想と現実のギャップ、つまり絶望感に苛まれない。

人生なんてたかが知れている。そういう諦観が、今の私の生きるコツだ。

日記

最近は面接の練習をしている。
しかし試験官役がおらず、常に一人だ。

そんな人間にぴったりのアプリがあった。
「面接チェッカー」というものだ。
最近リリースされたもので、メニューにはまだ工事中が多い。
しかし一般転職のコースはある。

このアプリは疑似試験官が質問を出してきて、最終的に自分を評価してくれる。
無人の無料アプリだ。
しかし自分の表情とか声の大きさ、早さやワードなどを具体的に評価してくれるのが非常に素晴らしい。
本当に最近リリースされたものだからまだネット上にもレビューは少ないが、このアプリはスタンダードになっていきそうな気配はある。

しかしまあ、喋るという行為は色々と考えさせられるというか。
自分にとって最も楽なのは頭の中で考えること。
次に独り言を喋ること。声に出して発する、自分の声を聞く、周りの状況という刺激が加わり、考え事に集中できない。
更に次は他人を相手に喋ること。独り言のときの刺激に加えて、相手の姿、声、考えていることを考慮に入れないといけないから、更に純粋な自分の考えは減っていく。
つまり創造的な考えごとなんて全く思い浮かばない。会話の流れから過去の記憶を思い出してその流れに乗せていくことは出来ても、全く新しいことを生み出せることはまずない。
だからまあやっぱり、自分にとって創造的なのは、自分の頭で考えることだ。
狭く深く、見えないものを見て、ぼんやりしたものを言葉で形にして、他人がわかるレベルに落とし込んできたら、ようやく発表となるわけだ。

日記

論文試験を終えてついに最後の難関、面接試験に挑もうとしている。
面接カードでは7項目書いたが、まずはその7項目を矛盾なく伝えられるようにしておかないといけないだろう。
口に出すのと頭で考えたり書いたりは違う。
原稿が書けても、やはり口に出すのが面接練習の王道だ。

さてどこで練習をするかということだが、アパート近くに海があるから海に向かって、もしくはユニットバスの中で。
一応隣人はいる。耳が遠いようだが、室内で喋っていればやはり騒音にはなるだろう。
賃貸ならユニットバスの中がまだ良いのではないか。
また、天気が良ければ海に向かって喋っている。
響く声で独り言言っているんだから他人に聞かれたくない。
人気のない海に向かうのなら遠慮なく声を出せる。
実際、大人が大声を練習できる機会って非常に少なくて、特殊な状況を作らねばならない。
普通は、他人との会話の中で声を出す練習をするのだろうか?

面接では話している内容だけでなく、伝わるような話し方とか態度など非言語的コミュニケーションも非常に重要となってくる。
しかしいきなり話すことと態度の全てを完璧に行うのは難しい。
まずは無意識に話せるようになってから、鏡や自撮りしながら態度を確認していく、という流れが良いのかな。

面接ノック100で想定問答集を作成。
他にもYOUTUBEで面接のコツを勉強する。
PREP法、つまり結論→理由→例→結論で話すとわかりやすい。
聞かれたことをまず復唱し、結論を述べるときにも質問を復唱すると、話す前に考える時間があるし話の着地点もはっきりする、とか。
そういう面接のコツはまたまとめるつもりだ。

初日は上手くいかなくて不安だったが、次の日からは無意識的に言葉を紡げるようになってきた。
もしかして会話とかコミュニケーションって、無意識の産物なのではないだろうか。
そして無意識を掌握するには、反復練習が王道なのではないか。
そして独り言を言いまくっていると、話すことそのものに自信が付いて、少し他人と話したくなってきた。

論文試験を終えて1週間ちょっと、この期間でどれだけ自分の喋りが上達するか。