2022.06.30 興味のないことも勉強できるのは希望があるから?好奇心?

狭い業界の、更に狭い資格試験について勉強をしている。
この資格を取れば昇給が約束されており、筆記試験の類については拒否感の少ない自分はすぐに飛びついた。

過去問をメインにして勉強しているが、何だかイライラすることが多い。
何というか、問題製作者はレベルが低いんじゃないかと思える。
重箱の隅をつつくような日本語の違いや、年が変わればすぐに変わりそうな数値を答えさせ、その数値も3割・6割・9割とかの幅なら良いんだが3割・4割・5割といった微妙なものばかり。
それに研究成果によって数値や定義が異なるものを問題にしていることもあり。
つまり客観的に正しい答えではなく、貴方の意見に沿う答えを用意しろってことですか?
と、ムカムカしながら勉強している。
稀に良問があるが、そういう良問なら本当に勉強になるから良いんだ。
でもそれ以外については「こんなもん、無意味だ」と思えて集中力も失う。

昔はもう少し試験に対して素直だった気がするが、その原因はこの試験が悪いのか、自分が変わっただろうか。
昔の自分のほうが集中力があった、気がする。
なぜあんな意味を感じないことに対して勉強できていたのだろう。
そりゃ数学はパズル的な面白さがあるし、順位を上げるのは爽快だと感じたこともある。
でもゲームやその他の趣味の面白さに比べたら、勉強のほうがつまらないだろう。
でもつまらないことをやれていた。それはなぜだろう。

昔の自分は、この勉強が将来の役に立つからと思っていたからだろうか。
つまらないが、やるべきことである、将来の楽のために今は苦しんで良いと思った。
だけど今は、子供の頃に思い描いていた将来の真っ只中だ。
自分の幸福を無責任に他人や未来に委ねられないくらいに大人になった。
懐疑的に物事を見ることを覚え、取捨選択も容赦なく行えるようになった。

絶対的に正しい、だなんて思えることはもうない。

日記

Posted by YU