日記

今日は振り替え休日。
空気が澄んでいる平日なので、近所の観光名所を散歩することにした。
地元民だからってしょっちゅう行っているわけではなく、むしろ近いからあまり行かない。

コロナもあってか観光客は少なく、郷土活性の点からは不安になるが、おかげで伸び伸びと散策が出来た。
美しい青空と海と乾燥した大地に生える木々。
暖まった頬を撫でる冷たい風が心地よい。

もし僕がここに初めてやってきた観光客ならば、この地に住んでみたいと思うだろう。
この地の名所を散策し、釣りを楽しみ、小さな名店を訪ね、たまには旅行に出かけたり。
そういった生活は今やっているしいくらでも更にやっていくことも出来る。
「こんな美しい場所で生きていく、なんて素敵なことだろう!」

この地で30年ほど前に生まれ、育った。
思い出がありすぎて倦み、囚われたような感覚もある。
だけどそれって、どこに行っても同じじゃないか。
どこで生き続けても今の故郷のような、飽きた感じは出てくることだろう。
死ぬまでずっと理想郷の場所なんて無い。

たまにはこうやって、地元を散策するのは良い。
自分の無価値感ってのは、他者の目線で自分を見ることで解決出来ることが多い。

日記

基本的には毎日同じ時間に眠れて同じ時間に起きれるんだけど、ごくごくまれに眠れなくなることがある。
明日は休日、って時だったから夜更かし出来るのがまだ助かったが。(そういう状況だから眠れなくなったのかも)

しかし昔から、こういう眠れない夜は嫌な考えとか軽い息切れ・動悸が出て、辛い。
人生の過去と未来へのネガティブな展望、最近職場であった嫌なこととか。
人生なんてもう嫌だ、何もやりたいことはない、自分は愚かだ、間違いだ、とか。
そういう後ろ向きな考えがただの気分の上下によるもの、と自覚できればいいんだがそれが真実だと思い込んでしまうと危ない。

眠れない時は無理に眠ろうとするのではなく、リラックスしながら出来る暇潰しをすればよい、らしい。
読書とか。
でも、グルグルとした考えに苛まれていると暇潰しをする気にもなれず、やることないから眠ろうとして、眠れない。
結局、推奨されないスマホいじりを1,2時間やっていたら少しずつ眠くなって、眠れたが。

眠れない夜で一番嫌なのは、明日眠くなることより、死にそうなくらい辛くなることだ。

日記

仕事はまあ普通にやっている。
あ?と思うこともあるが気にせず続けるのが肝要である。

さて、余暇は相変わらずロボトミーコーポレーションやってる。
パソコンで巡回を済ませたらゲームを起動して寝る一時間前くらいまでやって、寝る前にちょっとスマホ見たり本読んだりして、就寝。
この繰り返し。
中毒性のある良いゲームだ。

意識の低い日常ではあるが、これが嘘偽り無い。
そう言えば1年前の同じ頃、「やること無いならせめて金を稼ごうとしてみよう」とも思ったが、別にその気も無く、昔決めたルールに則って粛々とやってるだけだ。
新しいこともしていない。

その時々で楽しいと思えることをやり、でも後には残らないだろう。
どんな人生だってそんな見方は出来る。

日記

今日は休日。
年末と年度末の間の今の期間はあまり忙しくないが、やっぱり日・祝のみ休み。
年度末に向けてだんだん忙しくなってくるが。

快晴で、普通なら登山に行ったりするのだが、最近はまだまだロボトミーコーポレーションにはまっていてつい朝から晩までやってしまった!
ああ…すぐにやるべきことは無いけど、やりすぎると後悔と疲労が残るんだよなあ。
でも、何に対しても面白みを感じない状態に比べたら、まだマシだけど。

ロボトミーはやり直しがストーリー的にもシステム的にも前提となっているから、何十分無駄にしたとかがよくある。
でも経験値を積んでいくにつれて多数の犠牲を出しながらようやく強敵を倒した!
でもまだまだ続く。

何かはまっていることがある時は、その他の用事との時間配分が難しいよなあ。

日記

ただの日記なので挨拶はよしておこう。

新年明けました。

年末年始は長期休暇となったので旅行に行ってました。
大晦日と初日の出は全く「らしく」ない場所で過ごすことになりました。
大晦日の晩は公園で、初日の出は何でもない尾根上で…
その旅行の感想は別の場所で書くとして。

さて2021年、令和3年という微妙な数字の年です。
何だか特に何もない微妙な年になりそうだなあ…というのが直感的な展望。
婚活は少しくらい実るのか、ていうかコロナが流行っているからちょっと行動しづらいのもあって結局何もならないか?

1年の計は元旦にあり、とは言いますが今年の目標・計画はどうしましょうか。
仕事は普通に資格を取りながら勉強しながら熱意を持たずに継続的にやるとして。
年末年始・GW・お盆などの長期休暇は300名山登山を進めるとして。
日々の余暇では郷土史の勉強とwikipediaの拡充を進めるとして。
溜まっている本やゲームを消化するとして。

む、いつも通りじゃあないか。
新しいことを始めようか?
だけど新しいことをやるとすると今までやっていたことを1つ失うことにもなる。
時間は有限だ。
だけど人生には意味が無い。
やるべきことも無い。
やれることは限られていると言ってもじゃあ大事なことって何なのかだなんて、誰にも僕にも分からない。

2021年、多分、いつも通りです。

日記

27日は休日。
造園業は年末年始は休みだ。
役人も休んでいるし、年末年始の個人庭は色々行事があるので立ち入りもしにくいし。

さて、自分は年末年始はレンタカーで車中泊しながら登山へ行く。
このコロナの時勢ではあるが、1人孤独にかつ施設にほとんど入らなければまあ大丈夫だろう。
大抵の場合、会食などが原因だというし。

年末年始には寒波がやってくるので軽い雪山登山となる。
この時期のあのクラスの山に行くのは初めてなので、装備は多めにもっていくことにしよう。
準備と言えばほとんど衣類の選択だ。
車で行くから荷物にも余裕があり、もっていかないよりかは持っていくことにする。
車中泊も非常に寒そうだが、寝袋は3枚持っていく。

あともう少しで2020年も終わり。
そろそろ1年の振り返りをしようか。

日記

24日はクリスマスイブ、なのだが両親と中年の子がいる世帯では何もない。
「昔のクリスマスは~」とか、思い出の中のあの日々の雰囲気を少し話しただけだ。
ケーキも無い。

さて平日+土曜日はずっと個人宅の剪定とかしている。
我らのようなのは「職人」というより「サラリーマン」に近いように思われ、1人親方な人らには技術的にはちょっと見下されたりする立場だ。
だがサラリーマンはサラリーマンとして良いところもあって、毎回現場は違えど安定的に仕事が出来る。
120%の力を出さなくても良い。

だが社長から見ればどうだろう。
例えば3人日の現場があったとして、4人で行ったら昼3時くらいに終わったとする。
帰社後は微妙な時間なので道具の整備や事務所の整備をしたりする。
だけども請求は3人日分だ。
余った1人日分の給料は会社の負担になる場合もある。
だから社長が言うには、個人宅の剪定、というかそういう計算では赤字が出やすいらしい。
1人日分の仕事をきっかり出来るようになれば一応は一人前だが、利益を出すなら1.3人前の働きは欲しい。
しかし、作業スピードにも限界はある。

この会社は公共工事とかで利益を出している。
見積りの人件費や資材代と実費の差額が利益だ。
民間事業では働いた分だけが売り上げとなるが、しかしこういう計算は果たして正しいのか。
他の業界は有給とかボーナスとかがあって働いた分以上の福利厚生がある。

もっと、付加価値が必要なのではないか。
例えば伐採したときに出る大木の丸太を市場に出す、事務所で余った時間を原木栽培キノコの生産と販売に充てる、など。
何にせよ現場+αの仕事があると、微妙に雨が降った時やちょっと仕事を早く終えた時に無駄なく生産活動が出来る。

日記

学生の頃は教養を得る一環として、色々な名作を読んでいた。
夏目漱石の小説を始めとして、外国の小説、不朽の名作の漫画、ゲームも含め…
現代的な娯楽とは少し異なったもので、どれも全て面白い、わけではないが面倒なところがあっても「教養を得るために!」というモチベーションで堪能していた。

思い返せば、そういう助走期間のような、修行のような、そういう期間や成したこともまた、人生そのものだっただろう。
子供の頃は「あなたたちには輝かしい未来が待っている」などといつかは何者かに変質するかのように思えて、その時の人生はまだ仮のものだと。
だが、あのときも、まさしく我が人生であった。
「いつかは俺も」と無根拠な自意識を肥大させながらも「いや、もしかしたら俺はこんなものか」と焦燥感を抱いた時も、「今は苦しくてもいつかは良くなる」と信じて自分の気持ちに蓋をして努力をしていた時も。

人生は有限で、あらゆるものを全て楽しむことは出来ない。
名作全てを堪能することは出来ない。
もし仮に出来たとしても、それだけで人生は終わる。そういう人生を歩みたいならばそれで良いのだが。
人生の本番とはいついかなるときも『今』で、将来に希望を持ったからとてその将来だけが人生のコアではない。
年金暮らしのきままな老後を信じて働いている人も、ニートをやっている人も、無気力に生きている人も、全員、『今この瞬間が人生である』と。

日記

昔から学校で学ぶだけで実社会や現場での仕事とかけ離れたような学問が好きじゃなかった。
「こんなことして、現場の人らや実際の生産活動に何の役が立つのか」
「もっと下の方から需要を汲みだしたり、研究や勉強することの必要性をまずは実感しなければならない」
そういう思いで、現場職に憧れた。

そして今は現場職だ。
見方によっては夢は叶っている。
学術的な知識や経験を使うことはほとんどなく、日々肉体を酷使しながら働いている。

…だが、目の前の仕事だけをやっていれば、身体を動かす清々しさは少し感じられても、この仕事が社会的にどれくらい意味のある行為なのか、自分がどういう立ち位置にいるのかが分からなくなってくる。
自分はこの仕事を通じて何になりたかったのか、どういう生活を送りたかったのか、どう評価されたかったのか、何者になりたかったのか。

漠然と仕事をしながら、休憩中にふと会社の机の上にあった「これからの建設業界の展望」という小冊子を手に取った。
ああこういう文言、かつて聞いた大学の講義とか役所が発行する白書に似ている。
「偉そうに書きやがっても、当人たちはどうせ楽なポジションで無知な他者を扇動しているだけなんだ」
と昔は反感を抱いていた。
だが今この瞬間は少し違う。
こういう大局的な目線を持つことで、業界がどのような問題を抱えているのかを分かりやすくし、どうしていくべきかを示唆し、その業界の人々の立ち位置を明らかにする。
それは、人にもよるけど、モチベーションの一つにもなってくれる。
俺たちがやっているのは社会的にも希少で価値のあるものだと、そう思わせてくれる。

最近は少し虚しい気持ちで現場仕事をしていたが、もっと広い視野を持ちながら仕事していきたい。
自分は結局、そういう学術的なことも少しは好きなんだ。

徳島県の登山,日記

ずっとロボトミーコーポレーションばかりプレイしていて日記すら書いてなかったので。
忙しくても少しくらいは書き続けるのが日記の醍醐味なのにね!

さて、12月20日は誕生日である。
31歳となりました。
誕生日というものは年々地味になっていくものだが、31歳の誕生日は特にそうだ。
20代から30代になった去年の誕生日に比べれば身体的・精神的変化にも乏しく、ただ虚しく年を取ったという感じはある。
ああ、去年は、20代という青年期の終わりをまざまざと実感したものだった。

12月20日はちょうど休日となったので、真冬の晴れ日和にふさわしい、徳島県南部ツーリングと宍喰の鈴が峰の登山をしてきた。

宍喰の絶景スポット、鈴ヶ峰 / YK1989さんの活動データ | YAMAP / ヤマップ

ダウンジャケットを着込んで、肌の露出部は全て隠し、防寒対策はなかなかのものに。
おかげで県南に行くくらいなら普通にバイクでも耐えられた。

真冬の低山ハイクは良いものだ。
空気は澄んでいて景色は綺麗で、うっとうしい虫もおらず葉も少なく広々としている。
宍喰はいつも通り過ぎるだけだったが、山の上から見る町並みを見ると人々の生活を思いやられて、好きになれる。
彼らも、我らも、こうやって見られながら感じられながら生きているのだろう。

昼食と入浴には遊々NASAで。
人は少ないが、レストランから見える太平洋は美しくて良いところだ。
キャンプも出来るほどの広場もあるし、冬キャンしにきたいものだ。

帰宅後は奢りで飲み屋に行った。
多くの酒と食事を嗜むのも久しぶりだ。

今日から31歳。