日記

晴れの休日、バイクで買い物に行き帰ってくる途中、ギアチェンジが出来なくなった。
完全に出来なくなる前にはDCTによるギアチェンジ時、通常は「カコン」だが「カリ、カコン」と滑っている感じがあった。
もしかしてギアが摩耗してきているのか?と思っていた。

そしてその数十分後、路上でギアが入らなくなる。
ギアのインジケーターは「-」だったがニュートラルのようで、押すことに抵抗は無いしエンジンも空ぶかしは出来た。

バイクを押して歩道に逃れ、更に症状を調べてみる。
NC750DCTは通常、ギアがニュートラル以外で電源を切ると、次に電源入れたときはギアが勝手に動いてニュートラルにする。
今回そのような電源入れ直しをしてみたところ、チェンジが滑っているのかずっと「カシュカシュカシュカシュ……」とギアを替えようとする音が聞こえた。

もうどうしようもないと思ったので、保険に付帯のロードサービスを使った。
自分の任意保険についてはあまり詳しく知らなかったが、このときようやくロードサービスと帰宅補助と代車補助について知った。
ロードサービスを呼んでいる最中に送り先のバイク屋をスマホで調べる。
近くのバイク屋には「DCTはホンダのコンピューター必要だからホンダドリームに頼んだほうが良い」と言われたので、アパートから少し遠いホンダドリームに送ることにした。
ホンダドリームに連絡し、受け取ってくれることになった。
少し難しい症状でありかつ予約が詰まっているので、3月中に治らない可能性が高いとのこと。
そこで保険屋に連絡し、代車を手配してもらうことにした。
4月から別の職場でどこに異動になるかわからないので、移動手段は欲しい。
代車は3月14日に自宅へ送ってくれることになった。
故障場所からはバスで帰宅。

走行距離60,000km超えだからそろそろ大きなトラブルあるかもしれない、と思っていた矢先のトラブルだ。
DCTは楽だがまさかこのような故障があるとは。
そろそろ乗り換えどきかとも考えられるが、まだまだ飽きさせてくれないとも考えられる。

月曜日はバスで通勤し、火曜日からは代車で通勤することになる。
そのための時刻表調べや駐車場所の調査などもあり、色々やって疲れた。
疲れたのだが、なんだか生きている感じがした。

日記

般若湯(ブランデー)を飲み、暖かな最高の空気の中、この日記を書いている。

来月から別の仕事に移る。
心理や生活様式も変わるだろう。
これから先、私は何をしていくべきだろうか。

まず、親が嫌いなのはこれからも続けていく。
心が落ち着き、振り返れば想いも変わるだろうと思っていたが、やはり今でも許すことは出来ない。
死ぬまで許せないくらいだ。これはアイドル業界でもある愛から憎しみへと変わる「反転現象」なのかもしれないが。
困った時に更に追い打ちをかけるような人間と付き合う理由は無い。

プライベートでは、やはり今後も心理についての学習を続けていきたい。
私は人の心など分からない。ゆえに興味深いものでもある。
今の職場でも無能な働き者のような存在がいるが、このような存在にはどのように対処するべきかということなども学んでいきたいものだ。
自分を含む人の心を知り、自在に操作できれば、全ての人間が幸福になることが出来る、のではないか。

32歳の男、世間的には結婚するべきなのだろうが、1年ほど前にはあった結婚願望は今はほぼ無い。
もう独身でも良いし、私という人間・性格の行く末でもあるのではないかとも思う。
結婚すれば、今の私も消え去る。
静かな場所で静かに深く考えることなんてほとんど出来なくなるだろう。

今は、知りたいことがいくらかある。
それを追求しておきたい。
心理学、民俗学、宗教など。理系科目は仕事として学んでいくことになるだろう。
仕事を失ったとき自分は何をしたいか、想像できない。
自己肯定感が更に下がり、自分の命に引導を渡す可能性もあるだろう。
虚無感は3年前からずっとあり、心が燃えるようなことも無い。
今はただ、静かにゆっくりと心と身体を置いてみようと思う。

心理,日記

今の仕事も今月で終わる。
ありがたいことに有給も付与してくれたのだが、なんと1月に付与されるから1~3月の間に5日消化しないといけない。
6~12月の間にも5日休んだから、怠け者の自分ですら「こんなに休んでいいの……」と思ってしまう。
組織としては規定だからしょうがないらしいのだけど。
というわけで、最終勤務日は再来週くらいになりそうだ。

12月に異動してからは少し忙しくなったし少しモヤッとすることもあったが、まあ全体的には性に合っているほうなのかもしれない。
1年前と今の自分の気持ちや感受性が大きく変わったからってのもあるんだろうけどさ。
自ずとやれること、他人なら疲れることだが自分ならほとんど疲れないってことは、天性である。
データ処理とかは自分はやはり上手いほうなのかもしれない、と働いていて思う。

今の仕事の処理方法は次の仕事にも共通点はあるだろう。
事務処理だけでは終わらないかもしれない次の仕事のほうがやりがいはあるかもしれない。
でも、今の自分はそういうやりがいがあろうがなかろうがあまり関係ない、という価値観になってきている。
自分は内向的だ。
私の真実は私の中にあり、それはどこに行っても同じではなかろうか。

色々な本を読んで世界や自分への見方も整理出来た。
過去に自分が燃え尽き症候群になったのも、少しずつ悟ってきている。
様々なものに惹かれて燃えて、燃え尽きた後に残ったものにこそ注目しよう。
失ってゆくことを覚るのは怖い。でも、奥底にあるものを正しく見るには、失うことだって必要だし価値のある体験なんだと考えることも出来る。
私は死にながら生きていくしかない。

お金

家計簿

独身アパート暮らし、30代の男の家計簿を載せます。

2022年2月、だんだん日が長くなってきはしますが寒さが意外に長く続き、春の兆しが待ち遠しいものとなりました。

収支内訳

収入 278,270円
給与収入(手取り) 229,921円
資産運用益 34,296円
ネット収入 14,053円
雑収入 0円
   
支出 72,477円
食費 11,490円
雑貨費 3,721円
車両交通費 5,965円
医療費 5,270円
保険 0円
服飾費 0円
交際費 0円
娯楽費 19,382円
通信費 2,100円
雑費 0円
家賃 22,425円
水光熱費 2,104円
   
当期純利益 205,793円

収入と仕事について

給与収入は少しだけ増えました。
1,2月は自分の力では防ぐことは出来ない必須の残業があったので少しだけ勤務時間が長くなった、のが理由。
それ以外の残業はやっぱりほとんどしていませんが。
自分より年下の人のほうが多く残業していますが!
おかげでごくまれに残業してたら「まだ帰らなくて良いんですか!?」と驚かれたことがあったような……
いや、ええって。
私生活でこの時間に帰らないといけない縛りは実は全く無いんだ。
単に定時で帰ることを信念にしているだけで。

支出について

食費は11,000円、2月は日数が少ないこともあって、フルタイムで働いている独身男にしては低い。
毎日毎日昼飯は自作のホットサンド、晩飯はスーパーで買った安い食材を肉やら野菜やらを炒めたりカレーにしたり、の単純料理。

娯楽費のうち、12,000円は前払いみたいなポイント購入。
2月は寒いしまん防も出てるので遠出はせず、県内の山のひだまりハイキングしてたくらいで、娯楽費もそこまで多くかかっておらず。
やっぱり1月同様、ほぼ毎週温泉に入ってはいましたが。
でも30代男にとって、1,2時間を600円程度で楽しく過ごせるってのはコスパの良い娯楽ですよ。

2月の生活について

2月は、う~ん、そこそこ仕事していたってこととハイキングと静かに夕日を眺めていたってのが生活の主だろうか。

2020年の夏頃からシダキュアを飲んでいるのですが、先生が言うには次の夏頃で服用を辞めても良いらしい。
もう少し長く服用するものなのかと思っていたけど、案外短くて済んだのか?
シダキュアのおかげで例年2月下旬ころから花粉症がひどくなっていたけど、今はたまに鼻水出るくらいでだるさは感じず。
これからもう少し症状が出るのかもしれないけど……

しかし花粉症が無ければ、2,3月って素晴らしい季節です。
寒さに慣れた身体にとってはまだ低気温でも十分暖かく感じるし、秋より日が長いし、花は徐々に咲いてくる、虫はほぼいない、メバル釣りも始まる。
アウトドア趣味も昔に比べたら幾分か落ち着いたけれど、何か外が気持ちよさそうだなと感じたら、心の赴くままに出てみようと思います。
私は私の無意識が求めるものに私を委ねよう。それも他力本願ではなかろうか。

日記

とあるゲームを終わらせるために一気にプレイしていたら、余暇にそれに対する時間を使いまくって日記すら書いてないからまた日付がとんだ。
2週間ぶりの日記に意味なんて……!?
仕事は繁忙期になっており、少し忙しいというのも理由だったけれど。

そうそう、仕事中に掲示物の張替え作業を行っていたんだけど、何か腰をかがめると妙に痛い。
仕方なしに膝の屈伸で物を取ったりしてたんだけど、痛さがだんだんと大きくなってくる。
掲示作業が終わって椅子に座っても少し痛く、前かがみになれないので妙に姿勢良くしてデスクワークした。
休憩のため席を立つと、なにかを手で掴まないと立てないほど痛い。

帰宅のためにバイクに乗るのも一苦労で、特に腰をねじる動作に痛みを感じるので、車線変更時の目視確認などが痛くてしづらい。
なのであまり速度も控えめにして、安全運転で帰る。
そして帰宅後も痛みはずっと続いており、この辺でようやく「これ、ぎっくり腰なのでは?」と思い至るようになる。
小さな腰痛は今までにもたま~にあったが、単に筋肉がつっていたり凝り固まっているようなものですぐに治るものばかりだった。

その後痛みはずっと続き、2日後の朝の今でも痛い。
寝るときなんて寝返り打てない。
両手で体全体を操作し、腰がひねらないように、身体を横にする。
寝返り打つだけで覚醒してしまうので、寝不足にもなる。

そんなわけで人生初のぎっくり腰は、32歳の3月ということになった。
腰は20代でやる人もいるから、まああり得ることなんだろう。
今まで腰痛者(安部菜々ちゃんとか)を笑っていたが、笑い事じゃねえ!
これが続けば運動そのものが嫌になって人生も楽しくなくなる。
やはり人生を楽しむには、健康こそが第一である。

心理

家の檀家は浄土真宗だけどつい最近まで興味はなかった。
どちらかというと四国遍路等で真言宗のほうが好きだったし、更に言えばもっと原始的な仏教(上座部仏教)に興味があった。

しかし最近、飲茶が書いた東洋哲学の解説書を読んで、浄土真宗の南無阿弥陀仏を解説する歎異抄(の現代語訳)を読んでいくと、浄土真宗もかなり良い教えなのかもしれないと考え始めた。
「南無阿弥陀仏と唱えておけば極楽浄土に行けるだなんて、大乗仏教過ぎる。こんなの乱世ではない今の世にはそぐわない」
と思っていたけど、真の教えはそうじゃないかもしれない。
本来は、もっと人知を超えた無分別智のような他力を信じるということだろう。

戦国時代の武将は英雄視されて然るべき先見の明や活力を見せて、人生を自力で開いていたように思える。
しかし、辞世の句ではほんの一時の人生の哀れみを読むことが多い。
なぜ人生は虚しいという知恵があれどもあれだけのことをやったのだろう。

人生は虚しい、誰も彼もが阿弥陀仏によって救われる。
極楽浄土へ行くための修行などしなくてよい、何もなさなくて良い。
だが、何もなさぬには長すぎる。
どうせなら、遊んでみたまえ。他力の世界で自力を出しているフリをした遊びをしてみたまえ。

日記

相も変わらず読書は続けている。
変わらぬ毎日だが、ゆっくりと変わっていたり考えが進んでいる感じはある。
1年前と今の自分は、明確に変わったと言える。
もちろん、それが良いとは限らないのだが。

近所の図書館の本も興味深いものはかなり読んでしまったような気がする。
そこそこ興味のあるレベルならまだまだ時間はかかるが。

最近は民俗学はもちろんだが仏教も学んでいる。
この2つを同時進行で学んでいるとある疑問が生じる。
「今は世襲の僧が多く、昔はそうではない。昔はなぜ僧になったのか、どのような心理状態で僧になるのか。辺鄙な場所にもなぜ寺はあるのか。民衆はそのような寺とどのように関わっていたのか」

これらの疑問は恐らく仏教民俗学という範疇になるだろうが、それに関する良書がまだ見つかっていない。
もっと綺麗事を抜かした生々しい記録が読みたい。それも、心理の方面で。

お金

家計簿

独身アパート暮らし、30代の男の家計簿を載せます。

2022年、令和4年最初の月。
まだまだ2021年という数字にすら慣れてないのにもう2022年、って思ってたら1ヶ月終わりました。

収支内訳

収入 231,370円
給与収入(手取り) 220,301円
資産運用益 17円
ネット収入 11,052円
雑収入 0円
   
支出 76,470円
食費 18,142円
雑貨費 0円
車両交通費 4,512円
医療費 2,530円
保険 0円
服飾費 0円
交際費 0円
娯楽費 15,295円
通信費 2,300円
雑費 9,000円
家賃 22,425円
水光熱費 2,246円
   
当期純利益 154,900円

収入と仕事について

給与収入は変わらず。
夏や秋に比べて忙しい職場に異動したはずですが、残業はあんまりしていません。
そんなにやる必要ないポジションだしね。

雑収入は全くありません。
休日に副業でもやればもっと稼げるのでしょうが、今のところ金銭面において大した目標も無いので頑張りません。

支出について

食費は18,000円、自分にしては少し多くなりましたか。
週イチで外食したり米や養命酒を一気に買ったからか。
まあいいか。

それ以外は……まあ少なめ。
娯楽費は土日に行った歩き旅の費用であったりブックオフで漫画を大量購入したり。
雑費に9000円かかってますが、これは、10年ぶりにネズミ捕りにかかって……
声を震わせながら丁寧語でマッポに対応する。

1月の生活について

年末年始に長期旅行したので旅行欲は果たされ、寒いこともあって長期ツーリングとかはせず。
香川に日帰り旅行はしましたが。

1月は1年のうちで最も寒い時期だけあって、休日は電気毛布にくるまってゲームしたり読書したりすることが多く。
外に出るときは温泉に入りに行くときくらいか!
いや全く、冬の楽しみなんて温泉とかサウナとかくらいしか無いわ~
寒風吹きすさぶと散歩も苦行だし。
寒いのはそれなりに耐えられるけど、やっぱりもう少し暖かい方が良いです。

意識の低い生活を送り続けていますが、でもこうやって無意識的に楽なこと、やりたいことやっているってのが、本質的な自分に沿った生活である、とも思えます。
あなたが好きなことは何ですか?と聞かれたら、やろうとしていることじゃなくて、やっていることを答えるのです。
好きなことってのは、やってしまうことなのです。

心理,日記

今日は阿波西国三十三観音霊場の徒歩巡礼をしていて、遂に終えた。
結願してめっちゃ達成感得られた~ってわけではなかったけどね?
でも達成感がそこまでではあっても満足感は無いかというと、そうじゃない。
やってよかったな、と思う。

最後の札所へ歩いている途中、不思議なことを考えた。

もしかして、受動的に生きることと能動的に生きることってあまり区別つかないんじゃないだろうか?

私は今、歩いている。
私は誰からも指示されず目標を設定し、それを達成しようとしている。
能動的だ、と言えるだろう。

しかし今、歩いている私はただ足を動かして目の前の風景をボケーっと見て「あっ、○○があるー」と素直に受け取っている。
ただ足を動かすだけで何かしらの刺激を得て、満足している。
これはテレビを見るだけで満足しているのとそう変わらないのではないか?

私が受動的に見ようとしているものは、実は能動的に見ている。
私が能動的に見ようとしているものは、実は受動的に見ている。

私が能動的に人生を変えようとしているのは、環境や脳の機能や記憶等の縁起によってであり、それらからの受動の結果である。
私の人生が受動的に変わろうとしているのは、環境等からの影響を撥ねつけないという能動の結果である。

私は能動と受動を両立するし、どちらも無い。
あるがまま、に?

日記

このブログは日記なのだが、だらだらと日を空けてしまった。

1月上旬はFF10をやり込んでいて、そのままの流れで10-2をプレイしている。
しかし……子供の頃はゲーム性がそこそこ好きで何気なくプレイしていたが、今になってプレイすると、正直少し苦痛だ。
ストーリーは深みや神性が無いし、ゲーム性もまれに面白いものがあるだけでだいたいは面倒なだけだ。
何だか、徒労感が大きいというか。

そうなんだよな。
大人になってやるゲームって、徒労感を感じてしまうんだよ。
膨大な時間をかけても得られるものは少ないし、プレイしているときは常に楽しいわけじゃない。
イラつくこともある。
仕事で疲れて帰ってきてやることか?と疑問に思うのもまあ分かる。

読書は読書で得られるものは多いが、ダラダラと楽しめるわけではなくて少し疲れる。
ダラダラとしたいならYoutubeが良いか。
Youtubeの中にもテレビの中みたいな芸能人的なキャラがいる。
彼ら彼女らもいつかはいなくなる。
だが、いつかいなくなるものなら全て価値が無いのなら、私の存在はまったくもって無価値である。
だからまあ、どうせ無価値なら今を無責任に楽しんでおけば良い。