日記

しばらく日記が空いた。

祖父のアパート掃除で出てきたダイヤを売った。
売り先によって数万円の違いがすぐに出るだろうから色々と方法や評価について勉強していた。

いろいろな宝石店を回って査定してもらうのは面倒なので、相見積もりしてくれるサイトに依頼してみた。
すると、訪問査定の選択肢しかなかった。
とりあえず1社目査定してもらう。
その人は神奈川から飛行機でやってきて、レンタカーで四国を回っているようだった。
買い取れるかどうかもわからないのにそれほど経費をかけるのか。
結構経費の割合が多いだろう、あまり高値は期待できない。
その人は頑張っているのかもしれないけど。

結局、面倒くさかったから一社目の人にダイヤのネックレスをいくつか売った。
査定額は2つで2万円。金のネックレスは1万5千円。
鑑定書のないダイヤは安いものか。
ダイヤのリングは5000円と言われたので保留にした。
まあこれで営業マンも最低限のノルマは達成できたんじゃないか、と少し同情もするから訪問査定はあまり割に合わない気もする。

試しにメルカリでダイヤのリングを出品してみると、鑑定書もないのに一瞬で2万円で売れた。
一瞬だったってことはもう少し高値でも良かったのか…
でも鑑定書付きのリングだなんて他にも出品されているのに。
まあしょうがないか。
これにて面倒な出品物は終わり。
ようやく目処がついた。


話は変わって最近考えていたこと。

瞑想とはメタ認知である。
高位の自分が自分を観察する。

心理学的にメタ認知は良いものだとされる。
自己を客観視するということ、思い返せばそれって終わりが分かっている時期に自然と出来ていたことなのではないか。
例えば、学生時代、期限付き契約社員、繋ぎでやっていたアルバイト。
「僕は今高校生だ。だから高校生らしいことをしよう。悔いのないようにしよう」とか、思っていただろう。
そういう自然と出来ていたメタ認知が心理学的にも良いことで、だから美しき思い出として残っているのでは。

「これからずっと…」と考えるとメタ認知はしにくくなる。
いつまで経っても今からの連続で、未来や現在は主観的すぎるものになる。
そのような主観が今の自分の位置付けを忘れさせ、価値も見出しにくくなる、のではないか。

まあこれは性格の違いも関係している。
日本人に多い、エゴグラムで言うところのAC優位は他者の目を気にして不安定な状況には過度の不安を感じる。
だからこういう人らにとっては「これからずっと」はむしろ安心感をもたらすのかもしれない。
だが自分は嫌だ。
メタ認知から遠ざけ、今の一瞬の価値を薄れさせる。

全ては変わっていく。
だから今は価値がある。
そんなことは頭では分かっている。だが実感しやすい状況というのは限られている。

お金

家計簿

独身アパート暮らし、30代の男の家計簿を載せます。

家計簿書くの、久しぶりですね。
2月の分書いて以来。
面倒なので空いた分は数字だけの記録にして、7月分から記事にしていくことにします。

7月は新たな仕事2ヶ月目、アパート暮らし1ヶ月目、面接と論述試験日。
前半は非常に忙しかったですが、試験が終わった下旬頃は安定してきました。

収支内訳

収入 230,578円
給与収入(手取り) 218,854円
資産運用益 27円
ネット収入 13,708円
雑収入 0円
   
支出 209,205円
食費 16,699円
雑貨費 66,723円
車両交通費 2,848円
医療費 3,390円
保険 0円
服飾費 2,090円
交際費 0円
娯楽費 42,173円
通信費 3,577円
雑費 1,705円
家賃 70,000円
   
当期純利益 21,373円

収入について

給与は新しい仕事の分。
2ヶ月目は厚生年金と保険料が引かれ、住民税は引かれてない状況。
契約職員の割には基本給がなかなか多いので、休みは多いのに手取り20万円超えです。
ありがたや。

これだけもらうほど働いているかというと、そうでもないです。
しかし今はただ落ち着きたい、と思って生活しているから、張りの無い仕事でも不満は無いです。
パソコンに向かうふりしながら実は考え事をしていることも多かったり。
勉強していたりしていることも。

支出について

新生活のために様々な物を購入したので、全部で20万円超え。
おかげで貯金もほとんど増えてません。

家賃は21,000円+CATV1300円=22,300円ほど。
これに電気代・水道代がかかり、更にスマホのプランは20GBに変更したので通信費もプラスされていくことになります。
でもまあ、固定費は3万円以内で収まりそう。
ガスは契約せず、風呂バンスとカセットガスコンロだけにしています。これで固定費節約。

家賃70,000円計上していますが、初期費用+7,8月分家賃-敷金でこんなもんです。
初期費用には不動産会社への手数料とか。

新生活の雑貨・家具としては、ゲーミングチェアとユニット畳とブルーレイレコーダー買ったのが大きかったかな。
ゲーミングチェアは25,000円。椅子に座ってテレビ見たりパソコンしたりするから、色んな体勢が出来るものが欲しかった。
ユニット畳は畳っぽいもので、3畳分買いました。
この3畳が寝室みたいなものです。読書もここでします。

娯楽費として、急に思い立って遺伝子検査「マイコード」で一番高いヘルスケアプレミアを申し込みました。
最近は心理分析にハマっていて、さらなる自己への理解を深めるためにやってみようと思ったのです。
結果が出たら記事にするかもね。

7月の生活について

3月~7月は色々あって家計簿を書く精神的余裕すらありませんでした。
しかし8月になってようやく余裕が出てきて、こうやって書けるようになりました。
余裕がある時なら書けるであろう、地味な生活記事も、ようやくこれからやっていけそうな気がします。
ああ本当に、色々、あったな…

「すぐに環境を変えようとするなんて、青い鳥症候群だ」とか思ったこともありましたが、今となっては変えて良かったなと思えています。
人間には得手不得手があります。
他人とは違った人間だと少しでも自覚がある人なら、不得手なことからは積極的に逃げても良いと思えます。
しかし少しでも正しい道に近づけるように、日々何を思っているかは記録しておくと選択の材料になっていくことでしょう。

新しい生活は既にルーチン化してきつつあります。
だけどそのルーチンを続けるのも外れるのも、私の自由。
疲れているときはルーチンを、ちょっと別のことをしたいならすれば良し。
一人暮らしは、自己コントロール感に満ちています。

日記,心理

心理学を学んでいるとたまに目につくのが認知行動療法、マインドフルネス、瞑想だ。
将来への漠然とした不安や過去への後悔などを「今」が受け止め、全ての感情も感覚も今に集中することで心を穏やかにさせながらもやりたいことややるべきことに集中できる。
そんな効能がある。

試験に受かって、自分は幸せになってもいいはずだ。
だけど未だに不安が残るのは、やはり捉え方の問題が9割9分を占めているとも思う。
だから、瞑想をしようかなと思っている。

そう思い立ってYoutubeで瞑想導入動画を流しながら10分ほどやってみると、何となく行動力や集中力が増して不安が減った気がする。
「あ~あ、あれをやらなくちゃ」
とうんざりと思いながらダラダラとスマホをいじることもあるだろうが、瞑想後はそういうのが無くなった。
食器を片付け、歯を磨き、読みかけの本を読むことにシームレスで着手出来る。
もしかして、今の自分に必要なのは、瞑想なのでは?

瞑想は朝やると良い、と本に書いてあったので、起床後出勤の準備を終えて出発までの微妙な時間を、瞑想に使ってみようかと思う。
外に出て、美しい自然の音を聞きながら、やってみよう。

日記,心理

今日は試験結果の発表日だった。
結果、合格。

 

ドキドキとしていて、落ちていたらお先真っ暗とも思っていたから、一安心だった。
そうだ、安心しただけで、「ヤッター!」と喜ぶ感情は少なかった。不安は大きかった。
喜びは少なく悲しみの多い今の性格は、どうしたものだろうか。
得られるものは少なく、失うものは多い。
得たものを失ったものくらい、もしくはそれ以上に感じ取らねば、これから先も失ってばかりだと感じるだろう。

ひとまずは余裕が出た。
しかしまだ自分の心の問題が全て解決されたわけではない。
当面は、喜びを感じられる心を取り戻すことが目標だ。
心理学の勉強はこれからも続けていくつもりだ。

だがまあ、ようやく「試験結果が分かってから決めることにしよう」と思っていたことに着手出来る。
住んでいるアパートの目の前に海がある。そこに手漕ぎボートを浮かべたい。
試験の過去問を手に入れるのは難しかった。後学の徒のために勉強資料を作っておきたい。
この分野に関する郷土史・民俗学を掘り下げていくと、この徳島のその分野の学者という非常にニッチな立ち位置だから、独走出来る。本を書き記すことも出来るだろうか。

自分の心では今日が「人生が変わった日」とは感じられない。
しかし、客観的(俗物的)に見れば、今日がその日なのだろう。

日記,心理

今学んでいることは、これからの仕事に関する分野…

ではなくて郷土史と民俗学と社会・分析心理学である。
高校・大学の頃はほぼ完全に理系だったんだけどな。
最近は文系的なこと、特に人の心とかに興味を抱いている。
民俗学も、そこで生きていた人々は何を感じ、どのように生きていたのだろうか、という疑問を解明するためってのが大きい。
民俗学を知ったきっかけは、ただ昔の技術を習得しようとした時に読んだ本とかだったんだけど。

分析心理学はちょっと面白い。
今はまだオカルト的な信じ方しか出来ていないが、本当に人の心を分析し、性格を「分類」出来たらと思う。
人間を分類し、有効なポジションに当てはめていけば、社会はより幸福に満ちるのではないかと思うのよ。
人間を駒としか思ってないところはちとサイコパス気味だが、しかしこれはよりよい社会を望むという大義名分のもとで行っているから許して。

自分の性格はおそらく、内向的だが社会的に作用したい・関わりたいと思うものだ。
MBTIで言えば「IJ」
Jの逆のPなら、もっと気兼ねなく引きこもりになったりセミリタイアしたことだろう。
だけど自分には合わなかった。
人と会うのはあまり好きではないが、社会と関わらないと虚しくなってくる性質なのだ。
昔は引きこもりに抵抗は無かったんだけどな。
最近は虚しく思う。老いて、死が近くなってきたからか。

しかしこのような学問は、たまに今までの疑問が一気に解消されるタイミングが来るので、それが面白い。
今日は学校で学んでいた「古文」が、共通語である「文語」であることにようやく気づいた。
方言だとか「国語」の始原、江戸時代と平安時代に文章の変化が無いこととか、色々なものが繋がるのがスッキリする。

死ぬにはまだ早い。

日記

26日にモデルナワクチン2回目の接種を終えた。
1回目の時点でその日の夜~次の日の昼にかけて微熱が出ていた。

そして副反応が出やすいとされる2回目。
接種翌日の朝からかなりのだるさと発熱。
熱は38.5度くらいか。
インフルエンザで40度出た時は逆にバグったのか少し余裕があったが、今回はダルさMAX。
立って歩くことすら困難で、這いながら解熱鎮痛剤を服用。
服用から1時間後~6時間ほどは軽い頭痛+微熱(37.5度)で何とか動ける。
しかしその日の夕方に解熱鎮痛剤の効き目が無くなってきたのか朝と同じくだるくなり、2回目の服用。
接種翌日は仕事を休み、翌々日は出勤することにした。

接種翌々日、朝起きたときはマシだったが昼頃に微熱(37.5度)。
昼休みに解熱鎮痛剤を飲む。

そんなわけでワクチン2回目はそこそこの風邪レベルのだるさと発熱がありました。
でもこれでコロナへのリスクが減少し、もう少し伸び伸びと暮らせることでしょう。
と言っても今の自分は、「ワクチン打ったら○○しよう」なんてことは特に無く。
緊急事態宣言とかあまり関係の無い内向的人間だから変化も少ないのです。

日記

4連休はやれることを全部やろう、と思っていたが結局特に何もしていない。
一応徳島の歴史ガイドに参加してみたりはしたが、他にイベントごとも大きなDIYもせず。
シンクを磨きまくってコーティングまでしたいと思っていたが、先送りだ。

オリンピックは開会式の前半だけ見た。
NHKの「~を表しています」という説明があって初めて理解できるものが多かった…
まあ派手派手でケバケバしい雰囲気は無くて質素な感じだったのは嫌いじゃない。
ゴタゴタがありすぎたがまあ何とか形にしたのは安心か。

試験結果が出るのは来週だ。
結果次第でまた大きく悩むのだろうな。
それまでに落ちた時に備えて心理学の研究をしておきたい。
この1ヶ月半、未来に対してはそれだけに全集中したから、それ以外の未来を思い描いていない。
一寸先は闇。俺には何もない。Nothing There.

だが今暮らしているアパートの風景は好きだ。好きだ…
3,4ヶ月ほど前くらいに、寝れないほど悩んでいることもない。
多分、精神的には安定しているのだと思う。
1,2ヶ月前は1週間に最低1日はどうしようもなく鬱な気分になっていたしな。
ああそうだ、自分は今、寛解期かもしれない。
落ち着いてきたら、この先にまた同じようなことが起こらないようにする予防、更には他人に対しても予防の措置をとりたくなってくる。

日記

木金土日は4連休である。
しかも晴れ。
いつもならどこか行っている。
しかし、予定は何にも無い…

アパートから見える窓の景色が美しい。
さざなみと潮の満ち引き、山肌を照らす様々な方向からの太陽光を見ていると、部屋の中でも飽きない。
そりゃまあ、高級リゾートホテルに泊まって外ばかり出るのってもったいないと思うのと同じだ。
美しい景色があればそこから動く理由が少なくなる。

とはいえど晴れの日に引きこもるのってちょっと後ろめたさがあるというか、100%日々を利用できている感が少ない。
ちゃんと部屋の整理とか読書とかはいっぱいしているから、一応生産的なんだけど。

しかし先月に捻挫した左足がまだ痛む。
内出血とかは無くなったが、特定の腱を動かしたり伸ばしたりしようとすると痛む。
この痛みが激しい運動に抵抗を生じさせて、県内の街中散歩くらいはしようとも思うが食指が動かない。
整形外科にもう一度行って、リハビリ方法を教えてもらおうか。

日記,心理

感情の記録をしておこう。

先月からかなり忙しくてやることを詰めまくって、ろくな余暇も楽しめていなかったが、ようやく色々と終わった。
新しい職に就いて仕事を覚え、祖父のアパートを片付け、新しいアパートを探し、引っ越し、生活環境を整え、試験を終えた。
今は新しい仕事にも慣れて不安もなく、生活環境も順調だ。
試験勉強からも解放された。

しかし100%の解放感が得られたかというと、そうでもない。
4月からの鬱状態はまだ引きずっていて、感動だとかやりたいことをやるだとか、そういう気持ちは薄れている。
他人に説明できるような野望を言おうと思えば言える。
だが、「それが何だって言うんだ」という虚無感もある。
静かな環境、美しい風景の中で読書でもしていたいと思う。だけど、それが何だって言うんだ。

もしかしたら、まだ解放されていないのだろうか。
本能的に、試験に落ちているように思うのだろうか。
勉強中は集中するため「落ちた後」のことは考えていなかったが、合格発表までは考えていくべきか。
いや、とりあえず今は本が読みたい。
様々な心理学とか宗教書だとかを読みたい。

人間には直観型と感覚型がいる。
昔の直観型は、お坊さんのような立場になっていたのではないだろうか。
もしそうなら、彼らの心情を赤裸々に記録したような書物を読んでみたい。

日記

圧倒的に時間が足りないはずだ、そう思っていて目処が立ってないが間に合う可能性がある時、一番やる気が出る。
少しでも目処が立つと「頑張らなくて良いや」という思いが出てくるがしかし「やらねば」とも思うので、その狭間で無意味に消耗する。
やる気が落ちるってことは、まあ本質的にはやりたくないことで、本心ではこれ以上は頑張らなくても及第点は取れているだろうと思っているから、なんだと思う。

今の仕事は楽で、休みは多いし予定も少ない。
こうやってたまにやってくるやる気の低下とか鬱とかの休みを取るには、非常に良い環境だ。

4月頃に鬱気味になって以来、最近はこういうやる気の低下は周期的にやってくるものだと受け入れられるようになりつつある。
1週間に1,2日くらいは頑張れない日はある。
そんなときは「頑張れない日なんだ」と改めて認識し、頑張ることは一切しないとしている。

確かに昔は、何かを成し遂げることが第一だと思っていた。人生の使命だと思っていた。
だが今は、「自分の幸せ」を追求している。
幸せの手段として他社への貢献とか使命とかがあるのであって、手段を目的化してはいけない。
幸せとは何なのかなんて具体的に分かるわけがないからこそ、理想と現実のギャップ、つまり絶望感に苛まれない。

人生なんてたかが知れている。そういう諦観が、今の私の生きるコツだ。