日記,心理

自分はMBTIでいうところの直感型(N)である、らしい。
でも趣味は登山とかツーリングとか、感覚的なことも好きなのだ。
読書とかもそりゃするけどさ。
だからそういう直感型とか感覚型とか知らなかった学生時代は、自分は感覚的なことが好き、現場作業的なことのほうが好きだと思っていた。
卒業研究だって、先行研究を調べたりするより遥かに研究作業のほうが好きだった。
早く研究作業をしたくって研究テーマを決める時はむしろ鬱になりそうなほどだった。

卒業後は現場作業に憧れを持っていた。
「就社」よりも「手に職」を、と。
団体職員だったが出来るだけ現場に行くようにしたし現場作業員に敬意を持っていた。

だけど学生時代を終えて7年、現場作業に憧れて今やっているが、違う気がする。
気持ちいい景色も匂いも心地よいレベルの疲労もあるが、「これで人生を終えるのか」という不安がある。
感覚型には動物的な美しさがあるが、人間的な理性的な美しさはなかなか感じ取れない。
自分を客観視すればそれを感じとれるが、しかし実際に働いている時はもちろん主観的で、狭い世界を生きている気分がある。
発展性が無い、未来が見えてしまう。
見えた未来をそのまま体験するのは、自分にとっては死に近いように思える。

自分は見えないものを見るタイプだ。
他人からは未来予知が出来るように見えるだろうが、今現在を認識しにくい不利もある。
それぞれ得手不得手があって、学校のお勉強さえできれば全てが上手く出来るわけでもない。
普通科の勉強は非現実的だから、直感型はすんなり受け入れられるが感覚型は受け入れがたい。
学校の成績なんて、頭の良しあしより性格の違いを表す度合いのほうが大きいんじゃないか。

日記

今日はオンライン面談だった。
ハローワークで見つけた期限付きの事務職の仕事だ。
そして今日の内に返答があって、内定を頂いた。
まあ自分以外に応募者がいなかったから、内定を頂いたからって能力があったわけでもない。

その仕事は公務員的なところがあるようだ。
昔は「事務なんて出来て当たり前」とか「現場が大事ならどうして君たちがしないのか」とか思っていた。
だけど結局人間には得手不得手があって、不得手なことを本業にするといつかは破綻が来るんじゃないのかと考えるようになっている。
自分が新卒で就いた仕事、それは幾分か公務員的なところもあって、公務員的な仕事をしている時は評価されていた。
だけど当時の自分は手に職が付くような現場職がしたかった。
その後現場も自営業もやった。だけど何だか、しっくりこないところがあった。

事務的な仕事はルーチンワークならつまらないが総合職のような組織の未来を拓くようなのは非常に面白い。
ぼんやりとした観念的なものを実務に陥れていくこと、新たなシステムを作ること、そういうのは現場に憧れていた自分でもちょっと面白く思っていた。
しかし現場で他人とチームワークを活かして臨機応変に対応していくのは苦手だったから、自分は定型的な業務が向いているのだとも思った。

人生で色々な経験をしてきたが、何かをした時に不快を感じた場合、その原因を探ろうとするがその思い描いた原因とは別の原因だったのかもしれないな。
人は年をとるにつれて可能性が狭まっていき、それは不自由と絶望のようにも思えたが、ますます自分の性格に合った人生に近づいているとも捉えることが出来るんじゃないか。

日記

1日目で物の量と臭いにくじけそうになっていたが、2日目で何とか住んでいけそうな目処が立ってきた。
捨てられる荷物は袋に捨てまくって空箱は分解出来る物はして、粗大ごみになるのはベランダへ。
そうこうしていると空間が出来てきた。
何とか1R程度になってくれた。

だがまだまだ臭いは残るし掃除機をかけたとしてもここに寝転がりたいとは全く思わない。
万年カーペットを敷いていたようなので色々なものが浸み込んでいる。
取り払ってクッションフローリングを露出させ、強力な洗剤で拭き上げたい。
そうすれば消臭剤を置いとけば住めるようにはなるだろう。

しかしまあ本当に物が多い。
重複している物も多い。
こうやって物を取っておく人は物を大事にする人、ではない。
物は使われてこそだ。
重複し、古くなって一切使われなくなった物は、本来の役目を果たさずに、空間を占拠してその後捨てられるだけの運命。
物が可愛そうだ。物を取っておくのは物への愛が無い。

またすぐに休みが来る。
オンライン面談を予約したから休みをもらったのだ。
志望動機はどうしようか。
元々任期付きの仕事だから相手も大したことを期待はしてないだろう。
正直に「自分を見つめ直してみたい」と言っても良いものだろうか。
面談って、正解が無いのよ。昔から正解がハッキリしてないものには弱い。
人生をいかにして送るべきかについても、正解ははっきりしてないのが当然。だから今でも悩むのだ。

日記

前日まで長期旅行に行っていた。
一人レンタカー車中泊の格安旅行だ。
コロナがあるから宿泊施設は遠慮しておいた。いや、単にケチっていただけかも。

旅行そのものの感想はここではよしておこう。
ずっと前から計画していた旅行だが、奇しくも人生と仕事について考える時期と被った。
今の仕事は嫌だと思っているが、しかし色々な仕事を夢想しても「そんなことして何になる」と考えてやるせなくなる。
人生の意義も見失ってしまう。
2ヵ月前から考えていたが旅行中も考えていた。
新たな一歩を踏み出そうとしているが、「何やっているんだ俺は」と不安を抱くことも「どうなるんだ、ワクワクする」と希望を抱くこともある。
失敗ばかり、方向転換ばかりの人生だ。
だけど歴史上の偉人達も膨大な失敗をしてきた、と思って今も彷徨っている。

さて、最近祖父の再婚相手が亡くなった。
付き合いはほとんど無かったが、話したことくらいはある。
彼女が暮らしていたアパートを引き払うとのことで遺品整理をする必要となったが、とりあえず自分が名乗り出てみた。
相手方の親戚は何も持って帰りたいと思っておらず、業者に一任してさっさと片付けたいらしい。
祖父も同じだ。
そこで、最近一人暮らしをしてみたいと考えている自分が、アパートに1,2ヵ月暮らしながら片付けてみようじゃないかと思い立ったのである。

今日、そのアパートに行ってみた。
物が溢れ、掃除が行き届いておらず、臭い。
病院で亡くなったから死臭では無いんだけど。
軍手とマスクを装備して、捨てられるゴミはどんどん袋に入れていった。
暮らし始めるのは数日先になるだろうが、今はまだ暮らしたいとは思えないくらいの散らかりよう。
ひとまず水回りと寝るためのリビングだけは確保して、その他の部屋はゆっくりやっていこう。

日記

予定を変更して今日から長期休暇となった。
今日は1日目で、明日からの長期旅行の用意とハローワークで就職活動していた。

派遣会社を使って情報収集もしていたが、ハローワークをネットで見ていたら良さそうな案件があった。
期日が4月末だったので27日の休憩時間に直接応募先に電話してみてまだ募集しているかを聞いた。
すると、まだしているとのこと。
というわけで急遽平日28日を休みにしてもらって、ハローワークに行って応募してきたのだ。
その案件は更新の無い案件でずっとは出来ないが、まあ自分を見つめ直したりするには良い期間だろう。
色々不問の割には月給はそこそこ良い。

ハローワークで紹介状をもらい、履歴書と職務経歴書を自宅で書き、郵便局で発送。
職務経歴書は初めて書いたが、転職回数多いので難しい。
自分のような色々な仕事をしている人間は、会社毎より業務種類毎に書いたほうが良いのか?

ひとまずは就職活動も終わったので、この日は長期旅行の用意をしていた。
まあ部屋にある荷物をバッグに詰めていくだけだが。
飛行機を使った国内旅行なので、年末年始のレンタカー旅行よりかは持っていける荷物も少ない。
登山装備と着替えくらいだが、中ザック+中スーツケースはほぼいっぱいになった。

さてそれでは明日から旅行だ。

日記

4月25日は晴れの休日。
特に目的も無く、室戸岬へツーリングしてきた。
走行距離は往復で350km。

徳島から室戸岬へは走り慣れた広々とした道で、何かを考えるには最適な時間だった。
考えるのに疲れてふと見回すと緑と青空が広がる。
こういうもの以上に何を望むのかと、何十年も前から抱いていた想いだ。
だが青空を望むだけで人生が終わるわけではなく、目の前のことを色々やっている。

室戸岬へは何回も来ているので、観光も控えめ。
だが道中の非日常的景観は、自分に旅を思い出させてくれる。
こういうところで住むのってどんなのだろう、住んでみたいな、と昔は思っていたが今はあまり思わない。

室戸から奈半利へ。
奈半利・田野をゆっくり観光したことは無いので改めてやってみる。
たのたの温泉で入浴。
露天風呂は無いが、サウナ後に外で休憩するのは非常に心地が良い。
これは、幸せだと思う。

奈半利は古い町並みが残っているらしい。
少し歩いてみるが、ところどころに古い家があるくらい。
むしろあまり町並み保存はしてないが全体的にのんびりとした町の雰囲気が、心地よかった。

山中の野根往還道を通って徳島へ帰る。
山中は若干小雨だったが、それ以外の平野部は晴れが続く。

このツーリング中に二つほど決断をした。
新しい生活をすること、誘いを断ってしまうこと。
どちらとも人生に関わることで、決断が正解である自信も無い。
自分にとってどんな人生が幸福なのかとか、幸福な人生に行き着けるのかに疑問を抱いて絶望的ですらあるが、こうやってツーリング出来ることは幸せなんだと思う。

日記,心理

様々な形態の人生を歩んで、それぞれの良いところを発見し、致命的に足りないところを調べていた。
故郷の風景を捨てるには忍びない、実家暮らしは楽だがやる気が無くなる、1人暮らしはやる気が出るがリスクが高い、寮暮らしも楽だが飼われている感があるし付き合いがあると面倒だ、給料が少ないと張りが無い、ルーチンワークも張りが無い。

あの日あの時、僕は何を考えて生きていただろう。
今のようにダラダラと日記を書いてはいなかった。
懐かしい過去も、嫌なことがあったから環境を変えたのだ。
「どうせこんなところ踏み台だ」と思っていたから耐えられていた。
このままずっとと思うと耐えられない可能性が高い。

今は実家暮らしだが心の奥底を理解はされない。どうせ、自分は物理的に他人が近くとも孤独だ。
また一人暮らしがしたい。
だが故郷の風景はやっぱり好きなんだ。
実家近くの安アパートで暮らそうかしら、とか思う。

日記,心理

自分の人生において、仕事の存在は非常に大きい。
仕事と向き合う姿勢や感じることが自分そのものに思えているから。

半年続けて、業種に対する趣味的な興味はかなり少ないように感じている。
皆、その分野に対して興味があるように見え、自分だけは違うように思ってしまう。
興味が無ければ続かない仕事なんじゃないか。
また、昔から自分には不利なチームワークを多く使う仕事だ。
個人プレーしか出来ない自分には疲れる。

自分で計画を立てて裁量性を持って仕事をするのが面白いが、その立場になるまではかなり時間も努力も必要だし、なってしまえば陣頭指揮しないといけない。
独立したいほどの業種に対する興味は無さそう。
ちょっと、詰んできた気がする。

以前の工場の仕事は非常に張りが無かった。
楽なんだが、やきもきするようなことが非常に多かった。
自分の力を駆使している感じは少なかった。

力を使い切りたいがために、あえて不利なことをしていたんじゃないだろうか。
もっと世間的にも自分的にも適した仕事があるんじゃないか。
そう思って何度も転職をしたり生き方を変えていたりしているのだろうか。
青い鳥症候群だろうか、アダルトチルドレンだろうか。

一応転職活動を始めてみたが、自信は少ない。
まだ、これからどうしようかと悩んでいるのだから。
「すぐに辞めそうだ」と思われても仕方ない。

日記

だということをフェルミ研究所の動画で知った。
元ネタは「あなたはあなたが使っている言葉で出来ている」らしいが。

生きていたら精神や状況の波はあって当然だ。
浮かれることも順調な時もあれば、落ち込むことも逆境の時もある。
しかし定めた目的があるのなら、何も考えず何も感じずに行動するべき。
目的が叶えば「あの時辞めなくて良かった」と思うだろう。

そう、目的を定めたら、だ。
自分の仕事の目的は、「この地で」「風景に携わる」だ。
つまり既に叶っている。バイトでも十分叶っている。
「一生続ける」だってバイトでも出来る。
「独りでもやれるようになる」ならもっと向上心を持つが、その目的は持てない。
それほど好きだとも続けたいとも思えない。

次の仕事を探してみる。
やれることはいくらかあるが、しかし今までのように向上的な目的を持たねばまたすぐに辞めてしまうかもしれない。
目的、目的、人生の目的?
「この地で死ぬ」以外に決まってない。

心理

過去の経験と考察

自然に囲まれた生活をしたかったが

アウトドア的なことが好きだしDASH村みたいな生活をするのに憧れていた。
だから田舎暮らしに憧れ、実際にやった。

しかし一人孤独でやっていると、無性に故郷が懐かしくなったりやる気が湧かなくなったりした。

昔から自然科学を専攻にしていたが、単に人間嫌いだったから選んだだけで、格別オタク的に好きでもなかった、と思う。
古い技術が自分の知らない世界に見えて、新鮮さの魔力に憑りつかれていた、との見方も出来る。

飽き性なんじゃないか

色々な仕事をして、一生続けたい気が出たことは無かった。
もしかして自分って、飽き性なんじゃないか。
だから田舎暮らしにも飽きたのか?

そう思って、ほぼ毎日現場と作業が変わる仕事に就いた。
しかしそれでもやり続けると新鮮さは無くなり、しかも疲れた。
こんなにも疲れるのならもっと楽に金を稼げて休日も多い仕事をしてやろう、と合理的に思ってしまった。
アルバイトで働きにくるなら、遊びで金がもらえる感覚なくらいだったが。

穴を埋めたい、と思う。捨てられたものを拾いたい。

人手が足りている業種より、人手不足の業種に就きたい。
そこら辺に生えている雑草のような、捨てられたものを使いたいと思ったことはよくある。

どのような心境から来るのだろう。
もしかして穴を穴のまま放置しても良いという、逃げ場・無責任さが欲しかったのか?

終わりのあるもの、ゲームが好きだ

自分は昔からゲームならやりこみ派だ。
全てのアイテムを手に入れ、達成度を100%にして、一通りやり切ったらそのゲームは二度とプレイはしない。
縛りプレイとかタイムアタックとか、そういうやり込みは一切しない。
だって際限が無いもの。

つまるところ、自分は際限の範囲内でやり込むことが好きなのだ。
好きというか、完璧にしないといけない強迫観念も少しはある。
上限が絶対に無いと分かっていることを追求しようと思えない。
芸術、スポーツとか。
気軽に競争心ゼロで楽しむくらいなら良いんだけど。

ソーシャルゲームもほとんどしない。
一回やったことはある。
尻切れトンボのように終わって、達成感は無かった。
ネトゲもすぐに辞めた。

ゲームのエンディング、1人で業務を終わらせて請求書を送付する段階とかでは達成感はあった。
しかし他人と協力して終えた業務には達成感はなかった。
だから、たった一人で自営業をやってみた。
しかしやればやるほど資本の少なさや労働者数の少なさから来る柔軟性の低さなどに徒労感を感じ、もっと合理的にやるべきだったのかとも思った。

一人でやり切るのは面白い。
しかしリアルの仕事ならば、相当上手くやらないと独りの非合理性が目に付くことにもなる。
新鮮さを感じるのが過ぎ去った後は、飽きと非合理性(の実感)との戦いだ。

これからずっと、と思うと絶望的になる。
正社員とかになりたいとはほとんど思わない。

ネットとかで調べると、「非正規は哀れ、救わないといけない」
みたいな論調は数多く見かける。
だが自分としては、正社員になりたいとは思わない。

自分は帰属意識が弱いのだろうか。本当は何者にもなりたくないのだろうか?
35年ローンとか馬鹿らしい、って思うのも、将来の選択肢が如実に狭まっていく実感を持ちたくないからか?

だけど、これからずっと死ぬまで故郷に生きるって考えるのだけは、嫌じゃない。
この風景を見続けながら生きていきたい、と今は思っている。

人付き合いが面倒

昔から人付き合いは面倒である。
人が作ったものや痕跡は好きだが、血の通った関係はどうも苦手だ。

だが完全に孤独になると社会参画の感覚が無くなり、心理学的に幸福だとされる「他者への貢献」の感覚も無くなる。
と言えど常に人と一緒にいないといけない、協力しないといけないのは非常にストレスが溜まる。
付かず離れずの関係、定型発達者から見れば離れているとしか思えないくらいが、良いのだ。

ワクワクする仕事は?

自分で稼ぎ方を考えて、稼ごうとすること。
軽バン一つでアプリを使って配達する方法とか、落ちているものを売る方法とか、そういうのを調べていたこともあった。

こういう裁量性のある仕事は給与収入よりは少ないが、時間と金を交換する感覚が少なくて面白いと思う。
格別やりたい職種は、あまり無い。

じゃあ自営業は?というと、結局自由のメリットと孤独と非合理さのデメリットの天秤だ。
まともな方法では資本のある企業にはまず勝てない。
また、いつでも働ける反面、休日と勤務日のメリハリが少ない。
投資額はいくらでも少なく出来るが、やはりある程度の投資は必要。それを取り返すために働く義務感もある。

好きだった(悪印象の少ない)仕事

・宅配便
配達ルートやペースは自分一人で決められるし、暇なときは公園で休んだり出来たりと、頑張る甲斐があった。
学生の頃にやったが、ようやく自分の適職らしいものを見つけた気もした。

・とある小さな受託団体の運営。
人間関係の折衝とかもあったが、金銭のやり繰りや業務の戦略の立案と実行はやりがいあって面白かった。

・とある自営業(の一部)
生産して売る仕事。意外なところから買っていただけるお客さんの種類とか需要を肌で感じられた。
自分自身で自由にシステムを考えられるし、いくらでも改善余地があるからルーチンだけにはならない。

・工場でライン作業
ただ身体を動かしてじっくりと思考出来るから、心が疲れている時は金を得ながらモラトリアムを過ごすかのような癒しはある。
だが仕事そのものにやりがいや面白みは無い。
工場は全国各地にあり社員寮を併設しているところも多いから、住み込みで色々な場所で働けるのはメリットと思う。

他人に従うことが少なく、ある程度自分のやり方を取れる、自己コントロール感のある仕事が好きだ。

嫌だった仕事

・知識や経験が一切無いのに危険で儲からない業務(伐採施工管理とか)
失敗したら大惨事なのに儲からないからやりがい無し。もう少し経験値があれば、まあ。
全く分からないのにどうやって指示を出せば良いのやら、申し訳ないやら。

・グチグチ言ってくる先輩との仕事
じゃあ手前でやっておくんなせ。

・一人社長に従う仕事
総合的な実力は認めるが、自分の正しさに絶対的な自信を持っていて間違いを認める気概が一切感じられないところが非常にやりづらかった。

・職人的な仕事
自分はINTJで、伝統はあまり好きじゃない。
職人的な仕事にはそういう伝統が多い。
仕事にかなり関心があるなら良いが、関心がほんの少しだけだと待遇面やきつさを合理的に判断してしまって、嫌になることがある。

基本的には、よく分からない伝統に従う、他人と阿吽の呼吸で業務を行うことは非常に苦手。

目標を無くしたときなど(高ストレス時)

消費エネルギーを最小化しようとする。
面倒なことは全て避け、引きこもる。
またライフスタイルを(表面的に)合理的にしようとして、実家暮らしや楽な仕事を指向する。

目標があれば強い。目標が無ければ、とことん弱い社会不適合者です。

過去の人生で何を思い出すか

旅先、暮らした先の風景。
その中に人はいない。
広々とした、人の痕跡が感じられる風景。

俯瞰的に見るのが好きだ。

どんな人になりたいと思ったか

歩き遍路の時、土地に根付いた人間を見ていて美しく思った。
だから自分もそうなりたいと思った。
だが、実際やってみると、ただ目の前の業務をこなしているだけだ。
味気ない。

そういう人を客観的に見れば「根付いた人」に見えるだろうが、客観的に見なければ美しく見えなかった。
Think globally,Act locallyなのは分かっているが…

まとめ

今は強く追っている目標が無い。
だから責任を負いたくない。気楽に自由に生きたい。
期限が決まっていない、一生やることになりそうな仕事には絶望的になる。
何者にもなりたくなくて帰属意識は弱いようだ。
踏み台にしようとか期限が決まっているとかアルバイトとか、そういう働き方の方が続く。
生活にメリハリが欲しいから働くが、休日は欲しい。
だが総収入より時給を重視するので、パート社員にはなろうとしない。

やりたいことをやろうとすると、非合理さと飽きの感覚がやってくる。
それらを跳ねのけるほどの興味があるなら良いが、自分には熱意が無い。

金銭欲、贅沢欲は少ない。
出来るだけ少ない金額で済ませられるなら済ませたい。
高給ホテルに泊まるより、飛び入りでも入れる素泊まり民宿とかキャンプ場とかが気楽で好きだ。

一生寝てても寿命まで生きられるほどの金を得てセミリタイアをしたい、わけではない。
余暇を削ってまで仕事をバリバリしたいわけではないが、セミリタイア生活は毎日にメリハリが無くて暇すぎてうんざりしそうだ。
継続できる課題解決、NPO法人とかに参加したいとか考えるかも。

これさえやっておけば幸せだと自覚して言えることは無い。
だが昔から、登山、バイク、読書、漫画、ゲーム、ネット、旅行、散歩は続いている。
好き、なんだろう。結果論的に。

人間関係においては一人が気楽で良いが、仕事でも遊びでも戦略を立てて実践してみるのは好きらしい。
仕事も、課題解決型で裁量性があれば、楽しくやっていけるんだろうか。

美しい風景が好きだ。
しかし観察者として好きなのであって、デザインしたいとまでは思わない。
美を感じる心は多少はあれ、美を生む人間ではなさそう。
客観的に見ることが好きだ。
土地や、自分でさえも。

観察すれば憧れを持つ。
しかしその憧れは観察している時でしか感じられない。
美しい蜃気楼を見ながら死ぬか、追い求めては消えを繰り返して死ぬか。