日記

今は引き払う予定の祖父夫婦のアパートを片付けながら、そこで一人暮らししている。
働きながら、片付けながら、家事もするということだ。

痴呆の入った人が暮らしていたところだし物を捨てない人だったから、最初は非常に住みづらいところだった。
3日ほど通いで片付けて、臭いも減ったし空間も出来てきたから、16日(日)に移住してみた。
生活用品は持ち運びやすいアウトドアグッズと100均で買ったものを中心にし、再利用できる消耗品は使って足りない物はスーパーなどで買っている。
1年半ぶりの自炊一人暮らしは余裕、なわけではなくて毎日の献立を考えるのはやっぱり大変だ。
とりあえず、カレーやインスタントラーメンが作れるくらいの設備は整えた。

引っ越しはスーツケースと袋数個分を車に入れてきただけ。
大型家電などは既に備え付けている物を掃除して使うし、趣味道具は実家に置いてきた。
パソコンやスマホ関連、当面の本と仕事用の衣類、そんなもんか。
多くの物はコンパクトに出来るアウトドア用品で代用できるが、今こうやってポチポチ打っているパソコンの、デスクやチェアは代用出来ない。
非常に悪い体勢になっており、実家でいた時よりは長時間のパソコン作業は出来ない。

今住んでいるこのアパートには物であふれかえっている。
しかし大半は賞味期限切れの食品だったり、おそらくいつか使おうと思っていたであろう空容器とかだったりで、リサイクル出来るものはごくわずかだ。
台所の奥はゴキブリの巣窟になっていそうな汚れが多く、掃除しても使いたいとは思えない。
とりあえずシンクとコンロは洗ってみたが。

ひとまず今は仕事と家事と遺品整理を平日に行っている。
忙しいが、多少は夢中になれている。
一人暮らしだー自由だ―とかは思えてないから、一人暮らし特有の喜びは無いが。

心理,日記

自分はMBTIでいうところの直感型(N)である、らしい。
でも趣味は登山とかツーリングとか、感覚的なことも好きなのだ。
読書とかもそりゃするけどさ。
だからそういう直感型とか感覚型とか知らなかった学生時代は、自分は感覚的なことが好き、現場作業的なことのほうが好きだと思っていた。
卒業研究だって、先行研究を調べたりするより遥かに研究作業のほうが好きだった。
早く研究作業をしたくって研究テーマを決める時はむしろ鬱になりそうなほどだった。

卒業後は現場作業に憧れを持っていた。
「就社」よりも「手に職」を、と。
団体職員だったが出来るだけ現場に行くようにしたし現場作業員に敬意を持っていた。

だけど学生時代を終えて7年、現場作業に憧れて今やっているが、違う気がする。
気持ちいい景色も匂いも心地よいレベルの疲労もあるが、「これで人生を終えるのか」という不安がある。
感覚型には動物的な美しさがあるが、人間的な理性的な美しさはなかなか感じ取れない。
自分を客観視すればそれを感じとれるが、しかし実際に働いている時はもちろん主観的で、狭い世界を生きている気分がある。
発展性が無い、未来が見えてしまう。
見えた未来をそのまま体験するのは、自分にとっては死に近いように思える。

自分は見えないものを見るタイプだ。
他人からは未来予知が出来るように見えるだろうが、今現在を認識しにくい不利もある。
それぞれ得手不得手があって、学校のお勉強さえできれば全てが上手く出来るわけでもない。
普通科の勉強は非現実的だから、直感型はすんなり受け入れられるが感覚型は受け入れがたい。
学校の成績なんて、頭の良しあしより性格の違いを表す度合いのほうが大きいんじゃないか。

日記

今日はオンライン面談だった。
ハローワークで見つけた期限付きの事務職の仕事だ。
そして今日の内に返答があって、内定を頂いた。
まあ自分以外に応募者がいなかったから、内定を頂いたからって能力があったわけでもない。

その仕事は公務員的なところがあるようだ。
昔は「事務なんて出来て当たり前」とか「現場が大事ならどうして君たちがしないのか」とか思っていた。
だけど結局人間には得手不得手があって、不得手なことを本業にするといつかは破綻が来るんじゃないのかと考えるようになっている。
自分が新卒で就いた仕事、それは幾分か公務員的なところもあって、公務員的な仕事をしている時は評価されていた。
だけど当時の自分は手に職が付くような現場職がしたかった。
その後現場も自営業もやった。だけど何だか、しっくりこないところがあった。

事務的な仕事はルーチンワークならつまらないが総合職のような組織の未来を拓くようなのは非常に面白い。
ぼんやりとした観念的なものを実務に陥れていくこと、新たなシステムを作ること、そういうのは現場に憧れていた自分でもちょっと面白く思っていた。
しかし現場で他人とチームワークを活かして臨機応変に対応していくのは苦手だったから、自分は定型的な業務が向いているのだとも思った。

人生で色々な経験をしてきたが、何かをした時に不快を感じた場合、その原因を探ろうとするがその思い描いた原因とは別の原因だったのかもしれないな。
人は年をとるにつれて可能性が狭まっていき、それは不自由と絶望のようにも思えたが、ますます自分の性格に合った人生に近づいているとも捉えることが出来るんじゃないか。

日記

1日目で物の量と臭いにくじけそうになっていたが、2日目で何とか住んでいけそうな目処が立ってきた。
捨てられる荷物は袋に捨てまくって空箱は分解出来る物はして、粗大ごみになるのはベランダへ。
そうこうしていると空間が出来てきた。
何とか1R程度になってくれた。

だがまだまだ臭いは残るし掃除機をかけたとしてもここに寝転がりたいとは全く思わない。
万年カーペットを敷いていたようなので色々なものが浸み込んでいる。
取り払ってクッションフローリングを露出させ、強力な洗剤で拭き上げたい。
そうすれば消臭剤を置いとけば住めるようにはなるだろう。

しかしまあ本当に物が多い。
重複している物も多い。
こうやって物を取っておく人は物を大事にする人、ではない。
物は使われてこそだ。
重複し、古くなって一切使われなくなった物は、本来の役目を果たさずに、空間を占拠してその後捨てられるだけの運命。
物が可愛そうだ。物を取っておくのは物への愛が無い。

またすぐに休みが来る。
オンライン面談を予約したから休みをもらったのだ。
志望動機はどうしようか。
元々任期付きの仕事だから相手も大したことを期待はしてないだろう。
正直に「自分を見つめ直してみたい」と言っても良いものだろうか。
面談って、正解が無いのよ。昔から正解がハッキリしてないものには弱い。
人生をいかにして送るべきかについても、正解ははっきりしてないのが当然。だから今でも悩むのだ。

日記

前日まで長期旅行に行っていた。
一人レンタカー車中泊の格安旅行だ。
コロナがあるから宿泊施設は遠慮しておいた。いや、単にケチっていただけかも。

旅行そのものの感想はここではよしておこう。
ずっと前から計画していた旅行だが、奇しくも人生と仕事について考える時期と被った。
今の仕事は嫌だと思っているが、しかし色々な仕事を夢想しても「そんなことして何になる」と考えてやるせなくなる。
人生の意義も見失ってしまう。
2ヵ月前から考えていたが旅行中も考えていた。
新たな一歩を踏み出そうとしているが、「何やっているんだ俺は」と不安を抱くことも「どうなるんだ、ワクワクする」と希望を抱くこともある。
失敗ばかり、方向転換ばかりの人生だ。
だけど歴史上の偉人達も膨大な失敗をしてきた、と思って今も彷徨っている。

さて、最近祖父の再婚相手が亡くなった。
付き合いはほとんど無かったが、話したことくらいはある。
彼女が暮らしていたアパートを引き払うとのことで遺品整理をする必要となったが、とりあえず自分が名乗り出てみた。
相手方の親戚は何も持って帰りたいと思っておらず、業者に一任してさっさと片付けたいらしい。
祖父も同じだ。
そこで、最近一人暮らしをしてみたいと考えている自分が、アパートに1,2ヵ月暮らしながら片付けてみようじゃないかと思い立ったのである。

今日、そのアパートに行ってみた。
物が溢れ、掃除が行き届いておらず、臭い。
病院で亡くなったから死臭では無いんだけど。
軍手とマスクを装備して、捨てられるゴミはどんどん袋に入れていった。
暮らし始めるのは数日先になるだろうが、今はまだ暮らしたいとは思えないくらいの散らかりよう。
ひとまず水回りと寝るためのリビングだけは確保して、その他の部屋はゆっくりやっていこう。

日記

予定を変更して今日から長期休暇となった。
今日は1日目で、明日からの長期旅行の用意とハローワークで就職活動していた。

派遣会社を使って情報収集もしていたが、ハローワークをネットで見ていたら良さそうな案件があった。
期日が4月末だったので27日の休憩時間に直接応募先に電話してみてまだ募集しているかを聞いた。
すると、まだしているとのこと。
というわけで急遽平日28日を休みにしてもらって、ハローワークに行って応募してきたのだ。
その案件は更新の無い案件でずっとは出来ないが、まあ自分を見つめ直したりするには良い期間だろう。
色々不問の割には月給はそこそこ良い。

ハローワークで紹介状をもらい、履歴書と職務経歴書を自宅で書き、郵便局で発送。
職務経歴書は初めて書いたが、転職回数多いので難しい。
自分のような色々な仕事をしている人間は、会社毎より業務種類毎に書いたほうが良いのか?

ひとまずは就職活動も終わったので、この日は長期旅行の用意をしていた。
まあ部屋にある荷物をバッグに詰めていくだけだが。
飛行機を使った国内旅行なので、年末年始のレンタカー旅行よりかは持っていける荷物も少ない。
登山装備と着替えくらいだが、中ザック+中スーツケースはほぼいっぱいになった。

さてそれでは明日から旅行だ。

日記

4月25日は晴れの休日。
特に目的も無く、室戸岬へツーリングしてきた。
走行距離は往復で350km。

徳島から室戸岬へは走り慣れた広々とした道で、何かを考えるには最適な時間だった。
考えるのに疲れてふと見回すと緑と青空が広がる。
こういうもの以上に何を望むのかと、何十年も前から抱いていた想いだ。
だが青空を望むだけで人生が終わるわけではなく、目の前のことを色々やっている。

室戸岬へは何回も来ているので、観光も控えめ。
だが道中の非日常的景観は、自分に旅を思い出させてくれる。
こういうところで住むのってどんなのだろう、住んでみたいな、と昔は思っていたが今はあまり思わない。

室戸から奈半利へ。
奈半利・田野をゆっくり観光したことは無いので改めてやってみる。
たのたの温泉で入浴。
露天風呂は無いが、サウナ後に外で休憩するのは非常に心地が良い。
これは、幸せだと思う。

奈半利は古い町並みが残っているらしい。
少し歩いてみるが、ところどころに古い家があるくらい。
むしろあまり町並み保存はしてないが全体的にのんびりとした町の雰囲気が、心地よかった。

山中の野根往還道を通って徳島へ帰る。
山中は若干小雨だったが、それ以外の平野部は晴れが続く。

このツーリング中に二つほど決断をした。
新しい生活をすること、誘いを断ってしまうこと。
どちらとも人生に関わることで、決断が正解である自信も無い。
自分にとってどんな人生が幸福なのかとか、幸福な人生に行き着けるのかに疑問を抱いて絶望的ですらあるが、こうやってツーリング出来ることは幸せなんだと思う。

心理,日記

様々な形態の人生を歩んで、それぞれの良いところを発見し、致命的に足りないところを調べていた。
故郷の風景を捨てるには忍びない、実家暮らしは楽だがやる気が無くなる、1人暮らしはやる気が出るがリスクが高い、寮暮らしも楽だが飼われている感があるし付き合いがあると面倒だ、給料が少ないと張りが無い、ルーチンワークも張りが無い。

あの日あの時、僕は何を考えて生きていただろう。
今のようにダラダラと日記を書いてはいなかった。
懐かしい過去も、嫌なことがあったから環境を変えたのだ。
「どうせこんなところ踏み台だ」と思っていたから耐えられていた。
このままずっとと思うと耐えられない可能性が高い。

今は実家暮らしだが心の奥底を理解はされない。どうせ、自分は物理的に他人が近くとも孤独だ。
また一人暮らしがしたい。
だが故郷の風景はやっぱり好きなんだ。
実家近くの安アパートで暮らそうかしら、とか思う。

心理,日記

自分の人生において、仕事の存在は非常に大きい。
仕事と向き合う姿勢や感じることが自分そのものに思えているから。

半年続けて、業種に対する趣味的な興味はかなり少ないように感じている。
皆、その分野に対して興味があるように見え、自分だけは違うように思ってしまう。
興味が無ければ続かない仕事なんじゃないか。
また、昔から自分には不利なチームワークを多く使う仕事だ。
個人プレーしか出来ない自分には疲れる。

自分で計画を立てて裁量性を持って仕事をするのが面白いが、その立場になるまではかなり時間も努力も必要だし、なってしまえば陣頭指揮しないといけない。
独立したいほどの業種に対する興味は無さそう。
ちょっと、詰んできた気がする。

以前の工場の仕事は非常に張りが無かった。
楽なんだが、やきもきするようなことが非常に多かった。
自分の力を駆使している感じは少なかった。

力を使い切りたいがために、あえて不利なことをしていたんじゃないだろうか。
もっと世間的にも自分的にも適した仕事があるんじゃないか。
そう思って何度も転職をしたり生き方を変えていたりしているのだろうか。
青い鳥症候群だろうか、アダルトチルドレンだろうか。

一応転職活動を始めてみたが、自信は少ない。
まだ、これからどうしようかと悩んでいるのだから。
「すぐに辞めそうだ」と思われても仕方ない。

日記

だということをフェルミ研究所の動画で知った。
元ネタは「あなたはあなたが使っている言葉で出来ている」らしいが。

生きていたら精神や状況の波はあって当然だ。
浮かれることも順調な時もあれば、落ち込むことも逆境の時もある。
しかし定めた目的があるのなら、何も考えず何も感じずに行動するべき。
目的が叶えば「あの時辞めなくて良かった」と思うだろう。

そう、目的を定めたら、だ。
自分の仕事の目的は、「この地で」「風景に携わる」だ。
つまり既に叶っている。バイトでも十分叶っている。
「一生続ける」だってバイトでも出来る。
「独りでもやれるようになる」ならもっと向上心を持つが、その目的は持てない。
それほど好きだとも続けたいとも思えない。

次の仕事を探してみる。
やれることはいくらかあるが、しかし今までのように向上的な目的を持たねばまたすぐに辞めてしまうかもしれない。
目的、目的、人生の目的?
「この地で死ぬ」以外に決まってない。