2020.05.07,08 幸せとは

先日、山奥の集落を登山口として、山に登った。

その集落は今の車社会の中では交通の便は悪い。グネグネと曲がりくねった細い川沿いの道を通って、更に斜面を駆け上がって、ようやく家に着く。
大型のスーパーやホームセンターなどは近くには皆無で、買い出しにも不便だ。
雇われて働ける場所も少なく、通勤時間も長くなるだろう。

しかし、その天空の集落は美しかった。
花が咲き乱れ、古風な屋敷と農地があり、南から陽光が射し、眼前には山並みと青空が広がる。
頻繁に出かけず、出荷や買い出しなどで週に1回ほどしか出かけないなら、過ごしやすい場所だろう。
少ない近所の人々ともおそらく顔なじみだろう。自分は彼らよりも人口密度のある町に住んでいるが、顔なじみはごくわずかだ。

こういう所で住む人にも幸せだったり不幸があったりするのは当然だ。
だから安易に彼らに「幸せですね」とか「可哀そうですね」とかも言えないのも当然だ。
しかし少し思う。
おそらくこのような山奥の人々だって、とあるポジションに就けば日本史上で五指に入るほどの実力者になる人もいただろう。

大都会の世間の中心でそういう立場で働いて力を発揮するのが幸福か、発揮せずのびのびと生きるのが幸福か。
自分だってどこかのポジションに就けば実力者として世間で認められるのかもしれない。
しかしそれがどのポジションなのか分からないし、その時得られる生活様式に幸福を覚えるのかも分からない。
実力を発揮せずに人生を終えるのも、もったいないとは思う。

こんなようなこと、歴史上にいくらでもあっただろう。
ジグソーパズルのように、全ての人間に役割が定まっているわけでもない。
自分の熱意が導くままに、生きていく?

日記

Posted by YU