2021.02.15,16 流される生き方、それしか出来ないからしょうがない

子供の頃からいつかは何者かになりたいとかなるだろうとか思っていたが、そういう気概は今は無い。
今の時点でこれだし過去の自分の生き方を鑑みたら、自分はそういう「何者か」にはならない人間なんじゃないだろうかと思い始めた。

何かをやっていれば別のことをしたくなる、今やっていることが嫌になれば全てほっぽり出したい、でも実際に抜けだしたら過ぎ去ったものの中に安寧が存在することが分かり、後悔する。
自分が本当にやりたかったこと、向いていることって何だろうか。
過ぎ去ったものを思い返して、誇りと満足と共に頻繁に思い出していること、だろうか。

新卒で初めて就いた仕事、「俺は本当はこういうことがしたいんだ、ここなんて踏み台だ」と思っていた。
嫌なこともあった、人間関係で悩んだこともあった、給料は今から鑑みても安かった。
でも、そこから離れて5年、今でもたまに誇りと共にやったことを思い出す。
あのときあんなイカしたことをしてやった、上司や取引先から褒められた。
他にも色々と仕事をしたが、その仕事ほど心地よく頻繁に思い出すことは無い。
色んな場所で色んな風景の中で生活したことは、心地よく思い出せる。

去年半年ほどやっていた化学工場の仕事は、あまり思い出さない。
楽な割に稼げたが、特別楽しい仕事でも無い。

新卒で就いたあの仕事、あの時は奨学金の返済で金に困っていたこともあって給料が低いことに大きな不満を抱いたが、返済しきった今ではそれほど不満を覚えない。
状況が変われば心も変わる。
変われば嗜好も指向も変わる。その変化に則った状況を自分で作りだせば、それは「流された」生き方と他者から映る。
自分自身としては、心に忠実であるだけ、でもある。

日記

Posted by YU