日記

最近はレトロだがゼノギアスをプレイしていたり、吉川英治の小説を読んだりしている。
しかし、あまり面白いとは思えず無意義に時間を過ごしている感がある。
人生に有意義も無意義も無いが、だからこそ楽しいと思えるのが良い。では楽しめなければ?

でもまあ、メチャクチャハマれるものなんて過去においていつでもあったわけでもなく、若かった自分にとっても貴重なものだ。
ハマれなかったものは「教養」フォルダに入れておいて、未来に活かせる希望を持っていた。
だが今ではそういう「未来のために」ってのが無くて、今がその未来だという感覚があって、無責任なモラトリアムだとかそういうのも無い。

社会に出たらとか老後だとか死後だとか、そういうのに無根拠な希望を持って今の苦しみや楽しくなさを受け入れるのは普遍的な考えである。
自分も結婚とかしたら現状が変化して幸せになる可能性があるのか、と無根拠な希望を抱いている。
でも心の奥底では、「どうせ…」という思いもある。

あーあ、こういう抑うつ的な気分、客観的に生理学的に「うつ病」だと診断してくれたら無責任に「いや~うつ病じゃなかったらもっと幸せなんだけどなあ」とか言えるんだけどなあ!

日記

土日は仕事だったので月曜日は休み。
試験後、晴れの休日なので少しだけ遠出してみることにした。

風が強い日だったが天気は概ね良くて、バイクで走るには苦も無い暖かめの気温。
塩江温泉往復するだけでは寂しいので、適当にショッピングを楽しむか、としてイオンモール高松へ。
わぁ、休日に郊外型ショッピングモール、なんて田舎の人間らしいんだろう!いや、まさにそうだろ。

西日本最大級のモンベルでバラクラバとミドルグローブを買う。
年末年始の登山ではちょっと寒かったので。
他の店も色々見るが、まあ普通かな。
香川に来たんだからうどんを食うべきだろうと思われるが、結局フードコートでラーメンを食べてしまう。
最近外食でうどんばっかり食べているからー

その後、塩江温泉の行基の湯へ。
バイクで冷めた体を風呂に漬け込むこの瞬間はまさに至福。
そんで帰宅。

試験がほぼ終わったにも関わらずモヤモヤとした気分に苛まれていた近頃、少しだけ気晴らしになった。
仕事を始めて数か月経つと、ないものねだりをし始めてしまうんだ。
年間休日100日以上欲しい、仕事への熱意が常に存在することを前提としないである程度クールでいたい、事務と現場半々のあの初就職の仕事が懐かしいとか、色々。
でもどんな仕事、どんな状況だって、良いこともあれば悪いこともあるんだよ。良いことだけなんてないさ。
それでも、厭世家の自分にとっては、何かしらの輝かしい追うべき希望を持たないと、ウンザリしてしまう。

日記

2月6日はとある試験で、数か月間ちまちまと気が向いた時にしていた勉強と練習の成果を出す時だった。
練習ではそれなりに出来ていたので前日は忘れ物と寝坊にだけは気をつけて、体調を万全にすることに専念。

そして試験当日、途中までは上手くやっていたと思うが最後の最後で「あれで良かったのか?」と思い悩むことが多くて、結局100点満点とは程遠い出来か。
密かに受験者の中で1番を狙っていたが、それも叶いそうにも無い。
結果はまだ分からないが、もやもやとした気持ちは残った。

しかし何はともあれ、泣いても笑ってもこれでひと段落だ。
先輩から言われて11月頃から練習していたが、正直1か月前後集中すれば出来た気がする…
ダラダラとやってたら時間が過ぎるにつれて腕もなまるから、練習回数の割に実力が伸びない気がする。
でもプレッシャーをかけられていたから練習期間と余暇の両立が心情的に難しくて、ちょっとストレスが溜まっていた。

さて、これにてそのストレスからも解放された。
休日は存分に遊ぶことが出来る、その予定を立てられる。
後顧の憂いなく、楽しみたいと思う。

日記

最近、「もし自分が他人が羨むような大企業とか団体とかにいたなら…」と夢想することがある。
隣の芝生は青く見えるしそんな環境にいれば「もっと静かでマイペースに生きたい」と思うことだって分かってる。
でも、自分が今いる環境がベストなのかを常に疑ってしまう。

ふと、身近にいてお世話になっている医者について思う。
彼らは類まれなる頭脳と行動力と、(もしかしたら違うかもしれないが)人を助けたいという信念を持っている。
おそらく彼らが大企業に就職すれば、速やかに要職に就き、顎で数百人を動かせるような立場になっていることだろう。
そして、そういう想像を彼らもしたことがあるだろう。
こんなちっぽけな町にいる彼らでも、然るべき場所に行けばいくらでも名声は得られる。

彼らは何を思いながら生活をしているのだろう。
静かで快適なこの町に暮らしながら住民の健康を守っていければ幸せだ、もしくは、もし俺が官僚や大企業に行ったなら…
優しそうに見えるお医者さんたちにもやっぱり人並みに抱える悩みだってあるんだろう。
そう思うと、何だか今の自分を肯定できる。
僕もこのちっぽけな故郷を守る一員として、技術や知識を磨いていこうと思える。

日記

31日は晴れの休日。
試験が近いので、まずは半日ほど勉強をしていた。
当日に事故しなければ受かるかな?程度までにはなった。

午後からは1週間ぶりの余暇だが、改めて考えると、何をすればいいのか分からない。
とりあえず婚活の一環のとあることをして、図書館にでも行こうかと思った。
しかし文化の森の県立図書館は残念ながら休館中。

何をすればいいのか悩む。
どこも車が多くて徳島市内の散策は面倒だ。
少しバイクで走って良い景色を見に行こうか、と思ったが仕事でしょっちゅう見ている。
結局帰宅し、のんびりとゲームをしていた。

何十年も前から何度も何度も考えていることだが、余暇は何をすれば良いんだ。
分からないからとりあえず暇潰しをしよう、そんな感じで人生終えそうだ。
そのとりあえずの暇潰しが、後から鑑みれば「趣味」なんだろうか。

日記

仕事で松葉や枝を拾って掃除をするのだが、妙に指への負荷が大きい。
おかげで軍手は一日で大きな穴が開く。
軍手しないと血が出るほどの怪我をする、わけではないのでほったらかしてほぼ素手で作業をしているが。

しかしこの度遂に爪が割れてしまった。
爪が割れるなんてしょうもないことだと思えるが、しかしその指を使うたびに少しの痛みがあって、不快である。
後遺症が残るほどの怪我ではないがこんなちっぽけなもので作業全体のスピードが落ちる。

帰宅後、出来る限り割れた薬指を使わないように生活を営もうとするが、意外に難しいものだ。
風呂に入ってみたがいつも無意識でやっていることを意識的にやると非常に難しい。
人間の動きの大半は無意識によって操作されており、意識的な行動はごく一部なんだなと実感。

流れるように時が過ぎていく30代の日常。
無意識でばかり行動して意識が左右する行為はごくわずかだ。
何の話だ。

日記

以前の日記にも書いたが、自分は転職や引っ越しなどの環境の変化を想像することがストレス解消法だ。
だがこのような、すぐに環境を変えたくなることを「青い鳥症候群」というらしい。
「どこかに理想の状況があるはずだ」と信じて、当ての無い旅に出たりすることだ。
物語では結局、自宅に青い鳥がいたわけだが。

このような青い鳥症候群はダメなことで、足るを知る「知足」は良いことだとされている。
では、「向上心」はどうだろう?
今の状況に満足せず、高みを目指すことは良いことだとされている。
だが、青い鳥症候群にもなりうる。

今の状況に満足する、を突き詰めれば引きこもり生活にも満足できてしまう。
少ない金で少ない消費で少ない刺激で満足して、何も成そうとせず人生を終える、それもまた「知足」と言える。

簡単に「バランスが大事」だとも言えるが、具体的にどうするの?

日記

23と24は雨の休日となった。
まあ結局、非常にダラダラと家で過ごしてしまったわけなんだが。

次にハマりそうなゲームは何なのかを試行したけど分からず。
この年になるとあまり面白いと思えないゲームは迷わず積みゲーにしてしまう。
お金は払っているんだが、お金があるからそれほど勿体ないとも思えない。

読もうと思っていた小説を読んだりもする。
溜まっていたテレビ番組も消化しようとする。

10代、20代の頃とほとんど変わらない休日の過ごし方には自分の成長のしてなさに辟易する気持ちもあるが、結局自分はこういうのが好きな人間だろう。
進歩の無い休日を過ごす、それに後ろめたさを感じて無駄にストレスも感じる必要はあるだろうか?いや、ない。
具体的に何なのか一切分からずにこれ以上の幸せがあるだろうと推測して今を否定してストレスを溜めていく人生、それは正しいだろうか。
こうしてみたい!と明確に思えることがあるなら、躊躇なく存分にすればいいさ。

日記

31歳にしては転職回数の多い自分だが、「このままずっと」と考えると絶望的な気分になるのが一因となっているかもしれない。
そんな自分だからか、転職のことを考えると現況の変化による不安よりも、希望を抱き、その気持ちが最大まで高まると転職してしまう。

今日も少し「は?」と思うことがあったのだが、このままずっと彼と仕事をしていかないといけないと思うと非常にウンザリする。
だから生活や仕事環境の変化が期待される状況だと希望を抱き、転職情報を探してみるとその間は気分が高揚する。

僕にとっての仕事が嫌になった時の処世術は、転職を考えてみること、つまり未来の変化を思い描くことだ。
皆はどうだ?嫌なことがあったらどうする?
酒を飲んで忘れる?老後の生活を思い描く?嫌いなやつを〇〇想像をする?
こんなのその場しのぎだと思わなくて済む、気晴らしって何だ?

日記

婚活して自分も家庭を持とうとか、もっと仕事に誇りと向上心を持とうとか思っているが自己満足するほどやっていないことに、自己嫌悪を持つことがある。
なぜこんなにもやる気が出ないのか、やろうとしたらウンザリするのか。

それが本当に必要なことだと思っていないから、心の奥底では現状に大きな不満が無く幸福だから、なのかもしれない。
「このままずっと」のような状況にあまり希望を持てず絶望だと思ってしまう自分にとっては現状維持は不幸である。
とも思うのだが、もしかしたら今は違うのかもしれない。
これはこれで幸福なのかもしれない。

じゃあ、現況が外部によって変えられるまで、「ずっとこのまま」を受け入れるか。
幸福を感じる人はどんな状況でも幸福で、不幸な人はどんな状況でも不幸である。
結婚したら「独身時代は幸福だった」と思い、引っ越したら「故郷は美しい場所だった…」と喪失感を味わうだろう。
僕を導いてくれる存在があれば良いが、残念ながら無いのである。