日記

だということをフェルミ研究所の動画で知った。
元ネタは「あなたはあなたが使っている言葉で出来ている」らしいが。

生きていたら精神や状況の波はあって当然だ。
浮かれることも順調な時もあれば、落ち込むことも逆境の時もある。
しかし定めた目的があるのなら、何も考えず何も感じずに行動するべき。
目的が叶えば「あの時辞めなくて良かった」と思うだろう。

そう、目的を定めたら、だ。
自分の仕事の目的は、「この地で」「風景に携わる」だ。
つまり既に叶っている。バイトでも十分叶っている。
「一生続ける」だってバイトでも出来る。
「独りでもやれるようになる」ならもっと向上心を持つが、その目的は持てない。
それほど好きだとも続けたいとも思えない。

次の仕事を探してみる。
やれることはいくらかあるが、しかし今までのように向上的な目的を持たねばまたすぐに辞めてしまうかもしれない。
目的、目的、人生の目的?
「この地で死ぬ」以外に決まってない。

心理

過去の経験と考察

自然に囲まれた生活をしたかったが

アウトドア的なことが好きだしDASH村みたいな生活をするのに憧れていた。
だから田舎暮らしに憧れ、実際にやった。

しかし一人孤独でやっていると、無性に故郷が懐かしくなったりやる気が湧かなくなったりした。

昔から自然科学を専攻にしていたが、単に人間嫌いだったから選んだだけで、格別オタク的に好きでもなかった、と思う。
古い技術が自分の知らない世界に見えて、新鮮さの魔力に憑りつかれていた、との見方も出来る。

飽き性なんじゃないか

色々な仕事をして、一生続けたい気が出たことは無かった。
もしかして自分って、飽き性なんじゃないか。
だから田舎暮らしにも飽きたのか?

そう思って、ほぼ毎日現場と作業が変わる仕事に就いた。
しかしそれでもやり続けると新鮮さは無くなり、しかも疲れた。
こんなにも疲れるのならもっと楽に金を稼げて休日も多い仕事をしてやろう、と合理的に思ってしまった。
アルバイトで働きにくるなら、遊びで金がもらえる感覚なくらいだったが。

穴を埋めたい、と思う。捨てられたものを拾いたい。

人手が足りている業種より、人手不足の業種に就きたい。
そこら辺に生えている雑草のような、捨てられたものを使いたいと思ったことはよくある。

どのような心境から来るのだろう。
もしかして穴を穴のまま放置しても良いという、逃げ場・無責任さが欲しかったのか?

終わりのあるもの、ゲームが好きだ

自分は昔からゲームならやりこみ派だ。
全てのアイテムを手に入れ、達成度を100%にして、一通りやり切ったらそのゲームは二度とプレイはしない。
縛りプレイとかタイムアタックとか、そういうやり込みは一切しない。
だって際限が無いもの。

つまるところ、自分は際限の範囲内でやり込むことが好きなのだ。
好きというか、完璧にしないといけない強迫観念も少しはある。
上限が絶対に無いと分かっていることを追求しようと思えない。
芸術、スポーツとか。
気軽に競争心ゼロで楽しむくらいなら良いんだけど。

ソーシャルゲームもほとんどしない。
一回やったことはある。
尻切れトンボのように終わって、達成感は無かった。
ネトゲもすぐに辞めた。

ゲームのエンディング、1人で業務を終わらせて請求書を送付する段階とかでは達成感はあった。
しかし他人と協力して終えた業務には達成感はなかった。
だから、たった一人で自営業をやってみた。
しかしやればやるほど資本の少なさや労働者数の少なさから来る柔軟性の低さなどに徒労感を感じ、もっと合理的にやるべきだったのかとも思った。

一人でやり切るのは面白い。
しかしリアルの仕事ならば、相当上手くやらないと独りの非合理性が目に付くことにもなる。
新鮮さを感じるのが過ぎ去った後は、飽きと非合理性(の実感)との戦いだ。

これからずっと、と思うと絶望的になる。
正社員とかになりたいとはほとんど思わない。

ネットとかで調べると、「非正規は哀れ、救わないといけない」
みたいな論調は数多く見かける。
だが自分としては、正社員になりたいとは思わない。

自分は帰属意識が弱いのだろうか。本当は何者にもなりたくないのだろうか?
35年ローンとか馬鹿らしい、って思うのも、将来の選択肢が如実に狭まっていく実感を持ちたくないからか?

だけど、これからずっと死ぬまで故郷に生きるって考えるのだけは、嫌じゃない。
この風景を見続けながら生きていきたい、と今は思っている。

人付き合いが面倒

昔から人付き合いは面倒である。
人が作ったものや痕跡は好きだが、血の通った関係はどうも苦手だ。

だが完全に孤独になると社会参画の感覚が無くなり、心理学的に幸福だとされる「他者への貢献」の感覚も無くなる。
と言えど常に人と一緒にいないといけない、協力しないといけないのは非常にストレスが溜まる。
付かず離れずの関係、定型発達者から見れば離れているとしか思えないくらいが、良いのだ。

ワクワクする仕事は?

自分で稼ぎ方を考えて、稼ごうとすること。
軽バン一つでアプリを使って配達する方法とか、落ちているものを売る方法とか、そういうのを調べていたこともあった。

こういう裁量性のある仕事は給与収入よりは少ないが、時間と金を交換する感覚が少なくて面白いと思う。
格別やりたい職種は、あまり無い。

じゃあ自営業は?というと、結局自由のメリットと孤独と非合理さのデメリットの天秤だ。
まともな方法では資本のある企業にはまず勝てない。
また、いつでも働ける反面、休日と勤務日のメリハリが少ない。
投資額はいくらでも少なく出来るが、やはりある程度の投資は必要。それを取り返すために働く義務感もある。

好きだった(悪印象の少ない)仕事

・宅配便
配達ルートやペースは自分一人で決められるし、暇なときは公園で休んだり出来たりと、頑張る甲斐があった。
学生の頃にやったが、ようやく自分の適職らしいものを見つけた気もした。

・とある小さな受託団体の運営。
人間関係の折衝とかもあったが、金銭のやり繰りや業務の戦略の立案と実行はやりがいあって面白かった。

・とある自営業(の一部)
生産して売る仕事。意外なところから買っていただけるお客さんの種類とか需要を肌で感じられた。
自分自身で自由にシステムを考えられるし、いくらでも改善余地があるからルーチンだけにはならない。

・工場でライン作業
ただ身体を動かしてじっくりと思考出来るから、心が疲れている時は金を得ながらモラトリアムを過ごすかのような癒しはある。
だが仕事そのものにやりがいや面白みは無い。
工場は全国各地にあり社員寮を併設しているところも多いから、住み込みで色々な場所で働けるのはメリットと思う。

他人に従うことが少なく、ある程度自分のやり方を取れる、自己コントロール感のある仕事が好きだ。

嫌だった仕事

・知識や経験が一切無いのに危険で儲からない業務(伐採施工管理とか)
失敗したら大惨事なのに儲からないからやりがい無し。もう少し経験値があれば、まあ。
全く分からないのにどうやって指示を出せば良いのやら、申し訳ないやら。

・グチグチ言ってくる先輩との仕事
じゃあ手前でやっておくんなせ。

・一人社長に従う仕事
総合的な実力は認めるが、自分の正しさに絶対的な自信を持っていて間違いを認める気概が一切感じられないところが非常にやりづらかった。

・職人的な仕事
自分はINTJで、伝統はあまり好きじゃない。
職人的な仕事にはそういう伝統が多い。
仕事にかなり関心があるなら良いが、関心がほんの少しだけだと待遇面やきつさを合理的に判断してしまって、嫌になることがある。

基本的には、よく分からない伝統に従う、他人と阿吽の呼吸で業務を行うことは非常に苦手。

目標を無くしたときなど(高ストレス時)

消費エネルギーを最小化しようとする。
面倒なことは全て避け、引きこもる。
またライフスタイルを(表面的に)合理的にしようとして、実家暮らしや楽な仕事を指向する。

目標があれば強い。目標が無ければ、とことん弱い社会不適合者です。

過去の人生で何を思い出すか

旅先、暮らした先の風景。
その中に人はいない。
広々とした、人の痕跡が感じられる風景。

俯瞰的に見るのが好きだ。

どんな人になりたいと思ったか

歩き遍路の時、土地に根付いた人間を見ていて美しく思った。
だから自分もそうなりたいと思った。
だが、実際やってみると、ただ目の前の業務をこなしているだけだ。
味気ない。

そういう人を客観的に見れば「根付いた人」に見えるだろうが、客観的に見なければ美しく見えなかった。
Think globally,Act locallyなのは分かっているが…

まとめ

今は強く追っている目標が無い。
だから責任を負いたくない。気楽に自由に生きたい。
期限が決まっていない、一生やることになりそうな仕事には絶望的になる。
何者にもなりたくなくて帰属意識は弱いようだ。
踏み台にしようとか期限が決まっているとかアルバイトとか、そういう働き方の方が続く。
生活にメリハリが欲しいから働くが、休日は欲しい。
だが総収入より時給を重視するので、パート社員にはなろうとしない。

やりたいことをやろうとすると、非合理さと飽きの感覚がやってくる。
それらを跳ねのけるほどの興味があるなら良いが、自分には熱意が無い。

金銭欲、贅沢欲は少ない。
出来るだけ少ない金額で済ませられるなら済ませたい。
高給ホテルに泊まるより、飛び入りでも入れる素泊まり民宿とかキャンプ場とかが気楽で好きだ。

一生寝てても寿命まで生きられるほどの金を得てセミリタイアをしたい、わけではない。
余暇を削ってまで仕事をバリバリしたいわけではないが、セミリタイア生活は毎日にメリハリが無くて暇すぎてうんざりしそうだ。
継続できる課題解決、NPO法人とかに参加したいとか考えるかも。

これさえやっておけば幸せだと自覚して言えることは無い。
だが昔から、登山、バイク、読書、漫画、ゲーム、ネット、旅行、散歩は続いている。
好き、なんだろう。結果論的に。

人間関係においては一人が気楽で良いが、仕事でも遊びでも戦略を立てて実践してみるのは好きらしい。
仕事も、課題解決型で裁量性があれば、楽しくやっていけるんだろうか。

美しい風景が好きだ。
しかし観察者として好きなのであって、デザインしたいとまでは思わない。
美を感じる心は多少はあれ、美を生む人間ではなさそう。
客観的に見ることが好きだ。
土地や、自分でさえも。

観察すれば憧れを持つ。
しかしその憧れは観察している時でしか感じられない。
美しい蜃気楼を見ながら死ぬか、追い求めては消えを繰り返して死ぬか。

日記,心理

メンタリストDaiGoさんが紹介した、ニューメキシコ大学式の自己分析方法をやってみました。
方法は他のサイトに譲るとして、結果だけを書きましょう。

1.目的:人生の意味を方向性を定める
目的が決まれば迷いも無い。ただ行動すれば良い。だから一番大事。

2.自知:自分について深い理解を持つ
目的を定めるためには自分について知らなければいけない。
例え客観的にどれだけ崇高な目的を持とうとも、やっているとうんざりしてきたら恐ろしい。

3.真実:自分が正しいと思うとおりに行動する
逆に考えて、自分が正しいと思えないのに行動するってのは、何のために生きているのか分からなくなる。

4.受諾:ありのままの自分を受け入れる
自分の弱さや強さを偽って無理して行動していると、結局は道を誤る。

5.美的:身のまわりの美しいものを味わう
美しさとは世界への愛、のように思う。

6.情熱:なんらかの発想、活動、人々に深い感情を抱く
やる気を持って生きていきたい。

7.希望:ポジティブで楽観的に生きる
もうネガティブは嫌だ―!

8.快適:喜びに満ちた快適な人生を送る
表面的な苦しみはあっても、心の奥底では喜びと快適さに満ちた人生を歩みたい。

9.安全:安心感を得る
こんな感じで生きていければ幸せだ、と安心したい。

10.知識:価値ある知識を学ぶ、または生み出す
目に見える物以外の、裏に潜むものの存在はロマンチックで、美しい。

とまあ、今は人生について特に悩んでいる状況でもあるのでこんな感じの結果。
一般的でなくて良いから、死ぬまで自分に共通する人生の目的とかを定めたいと思ってます。

しかし見事に他人の要素が無い価値観リストですね。
自分の人生は自分の責任、良かれ悪かれ他人に少しでもその責任を負わせたくないと思ってますから。

日記,心理

自分の心がどんなときに満足を感じ、どうやれば幸せに生きていけるかが分からない。
だから最近は心理学について調べものをしている。

どうやら自分は知識を蓄えたりするのが好きで、計画を立ててから実行するが行動力が少ないタイプのようだ。
でも、バイクツーリングや登山も好きだ。
今の仕事だって、バイトとして気晴らしに来るなら面白いから本業にしたのに。

MBTIでは自分はINTJだが、普段は内向的直観だが気晴らしに外向的感覚を発揮することが趣味のようだ。
その気晴らしを本業にしようとした。
「好きなことをライフワークとしたい」って考えはよく見られるものだが、その好きなことって特性から外れるから好きだと意識出来るのではないか。
今、こうやって心理学について調べているが、意識的には好きとは感じていない。
しょうがないからやっている、やらざるを得ないからやっている。

もしかして、本当の特性って、無意識に「やらざるを得ない・やるしかない」と感じてやっていること、なんじゃないか?
本当の自分とは、むしろ呪いに近い。
特性の4番目が趣味であり意識的に好きだと思えるだなんて、衝撃的だ。

心理,日記

最近自分が分からないがゆえに、心理学的アプローチで自分探しをすることに興味が出ている。

今回はお手軽に自分の認知特性が知れる『本田40式認知特性テスト』をしてみた。
この認知特性とは、人が何かを認知する時に働かせている感覚のことで、人によって異なる。
画像として認識するか、音として認識するか、言語として認識するかの3種に大別される。

本田40式認知特性テストはネット上でも公開されており、40問の質問に答えるだけで簡単に自分の認知特性を数値化してくれる。
ちょっとやってみた。

その結果、

音楽的聴覚よわよわ。
視覚・言語に強めのようだ。

自分はASDタイプの発達障害だとは思うが、音楽的聴覚以外は一般的なレベルのようだ。
聴覚認知が弱いから人との話や音楽的センスも弱いと思う。
言語や画像を扱ったりするのはまだ得意な方?

心理,日記

仕事にやる気を持てない。
だけど他にやりたいことも分からない。
不満ばかり募って辞めたいと思う。

そんな時に本屋で『あきらめる勇気』という本を見つけ、買ってみた。
ディマティーニ・バリューファクターという自己分析テストが大きな地位を占めている本だった。
自分も試しにやってみよう。

ステップ1 自分の要素

①あなたの空間を占めるものは何か

パソコン(ネット検索)、スマートフォン(情報収集)、漫画本

②何に最も多くの時間を使っているか

仕事(…風景に携われる?)、パソコン(動画)、スマートフォン(情報収集)

③最も元気が出て夢中になることは

休日にバイクで走ること、登山をすること、色々な本を読むこと

④あなたは何に最もお金を使ってるか

家に入れる生活費(楽に生きるため)、娯楽費(旅費、書籍、ゲーム)、交通費(バイク関連)

⑤何に関することが最も整理されているか

パソコン(家計簿)、漫画本、メルカリに出品している物

⑥最も自ら進んで行うことは何か

バイクで走ること、登山をすること、ネットサーフィン?

⑦何について最もよく考えるか

過去の人生とその周辺、金の出入、自分の気持ち

⑧頭の中で映像として思い浮かべることは何か(実現しているか実現しつつあることか)

夕暮れの海と山、明るい部屋で音楽を聴きながら読書をする、山頂からの景色

⑨何について自分自身に語り掛けるか

穏やかな時間を過ごしたい、美しい風景を見たい、将来に不安を抱かない

⑩何について人とよく話すか

休日の過ごし方、最近の生活様式、趣味

⑪最も感動することは何か

美しい風景、新しい知識、まとまった物語

⑫何について長期的な目標を持ち続けたり努力を続けたりしているか

美しい生活、落ち着くパートナー、不安を無くす

⑬何について自ら進んで学んだりしているか

他人の生活、民俗学、旅行

ステップ2 グループ化

①生活

休日の過ごし方、最近の生活様式、趣味、美しい生活、他人の生活、民俗学、

②風景

仕事(…風景に携われる?)、夕暮れの海と山、明るい部屋で音楽を聴きながら読書をする、美しい風景を見たい、旅行、美しい風景、山頂からの景色

③情報

パソコン(ネット検索)、スマートフォン(情報収集)、パソコン(動画)、スマートフォン(情報収集)、色々な本を読むこと、ネットサーフィン?、新しい知識

④安心

パソコン(家計簿)、家に入れる生活費(楽に生きるため)、金の出入、穏やかな時間を過ごしたい、落ち着くパートナー、不安を無くす、将来に不安を抱かない、自分の気持ち

⑤漫画

漫画本、漫画本

⑥バイク

休日にバイクで走ること、バイクで走ること、交通費(バイク関連)

⑦登山

登山をすること、登山をすること

その他

娯楽費(旅費、書籍、ゲーム)、メルカリに出品している物、過去の人生とその周辺、まとまった物語、


2時間近くかかってしまったが、今の自分を占める要素については客観的に分かりやすくなったと思う。
バイクと登山も『風景』のカテゴリに入れても良い。

自分は仕事そのものより、美しい風景とか生活に、潤沢な情報に興味がある。
どうして仕事をするのか、という問いには「金銭面への安心」と「美しい風景に携わりたい」という思いがあるから。

故郷に帰ってきたのは「安心」と「風景」が大きい。
自分にとって家族とは「安心」に従属すると思う。 
一人暮らしは「安心」が少ない。

バリバリと、競争心を持って仕事をしたいとは思っていない。
年収競争に参加したいとは思っていない。
一流の技術者になりたいという向上心は持っていない。
必要なことが出来れば良いだけで。

情報が得られない環境はストレスだと思う。
何だかんだ、インターネットや本はやっぱり好きだ。
他人と話すより他人が書いたものを読むのが好きだ。
交流への欲求は少ない。
安心のためにパートナーが欲しい。

漫画も好きだ。
情報源になるし、美しい物語を楽しませてくれることがある。

今は仕事に悩みがある。
ただ美しい風景を見たいだけなら、様々な場所に行ける仕事、休日が多い仕事のほうが良い?
美しい風景を見るだけで、作りたいわけではない?

日記

何だかもう結論出ちゃった気がしたが、予約したのでとりあえず精神科に行ってみることにした。
3,4週間ほど憂鬱感などが続く、最近手の震え・集中力の低下・休日に趣味の意欲減退が起こっている、と話す。
医者が言うには「2週間以上続くってことで鬱状態、自律神経の失調などでしょうねえ」と、想定通りの回答。
しかし久しぶりの晴れの休日の土曜日であり、話していたら今は重度の鬱病ではないように自分でも感じてきた。
鬱病になりたくてなっている、気すらしてくる。

一応お薬は出された。
パロキセチン10mg、レキソタン2mg。軽めのものだ。
薬をもらうほどでは無いとか思ったが、「まあそりゃ長々と話聞くだけでは儲からないだろう」と考えて、受け取ることにした。

帰宅後、ゆっくりとやる気について考える。
本などでも読んだ通り、自分の素直な気持ちが大事だ。
「べきだ論」は鬱を引き起こすだけだ。

初めは何がしたかったっけ。
親が望んでいそうだった、バイトで行ってたら気分転換になった、たまに身体を動かして金も得られるのが合理的に思えた、働きぶりが褒められた。
当時やっていた工場の仕事にやりがいや使命感を感じられなかった、案外毎日他人との日常的な折衝があって気を使っていた、交代制勤務で不規則な生活だった、仕事にもう少し裁量性が欲しかった、やる気を出しても出さなくても変わらなかった、同僚はソシャゲやパチンコの話が多くて興味を持てなかった、ただ時を過ごして金をもらうだけという虚無感があった。
家族問題とか血の通ったものがあったら執着が強くなって嫌な時でも続けるモチベーションにもなるだろうと思った、資格とか取っていけば好きになるだろうと思った、燃え尽きないようにゆっくりやろうと思った、その分野のことは学生の頃から専門の範囲内だった、同僚がアウトドア派が多くて話が合うと思った、勉強しようと思ったらいくらでも出来て仕事に応用が出来ると思った、やりがいを多く感じられると思った。
しかし週6やっていると最初は新鮮さで乗り切れたがすぐに惰性になっていった、自分の性格は技術者に向いているようだが共同作業は不得意だ、自分の裁量で出来る箇所もいくらかはあるが細々と言われるところもあって少しずつストレスが溜まっていった、休みでも勉強しないといけない義務感が逆にうんざりさせてやる気を失わせた、元々職人になりたいとまでは強くは思っていなかった、大企業の福利厚生に比べればやはり低い、気兼ねなく休める日がもっと欲しい、職人になって独り立ちしたいとも別の会社に行きたいとも思えない、公共地の管理などにやりがいや使命感を感じたがだんだんと不感症になっていった、休みの日に施工後の場所にやってきても義務感しか感じられなくなっていた、この先ずっとと思うと別の仕事でも同じだったがうんざりした、どうせ興味の無い本業ならばもっと合理的に金や福利厚生を追求しようと思った、人生の楽しみは余暇の時間で、楽しい仕事がしたいなら休みに副業すれば良い。

過去の日記を読み直す。
工場については遠慮なくグチグチと書いてあるが、今の仕事についてはあまり書いてない。
「やる気が出ない、抑うつ状態だ、イライラとしてしまった」とかは書いているが。
遠慮なく悪く言える相手と、言ってはいけないように感じる相手と、付き合いやすいのはどっちだろう。
もしかしたら遠慮なく悪く言えるくらいの距離のほうが、良いのか?

昔から「この先ずっと…」と思うと絶望的になるから、自分は飽き性だと思った。
しかし、毎日違う現場・作業の仕事は疲れるようだ。
現場毎・時間毎に何をするべきか、誰が何を担当するか、自分が何をするかを常に考えないといけないから、非常に疲れる。
多分、自分はADHDよりもASD傾向のほうが強い。
他人とは目線を合わせないし。(常人は目が合わないと不快、目が合うと快らしい!びっくり!)

ASDはコミュニケーション能力が弱くて、他人の指示を聞いてすぐに理解したりすることが出来ない、曖昧なことが分からない。
関心のある分野に強いから技術者には向いているが、共同作業は不得意だ。
論理的思考、定型業務に強いから工場労働も向いている。
白か黒か、0か100かの判断をしがちで完璧主義者。転職も多い。
こうやって、職場の改善とか休職とかを考慮に入れずに退職しようとするのもそうなんだろうか。

日記

精神科に予約の電話を入れて、土曜日に診察を受けさせてもらうことになった。(人生で初めて)
最近の日記を見直して現状を伝えて、鬱病だと診断されたら辞めよう、と考えたがもう既に答えは出ているんじゃないだろうか。
精神科に相談に行くって決めた時点で決断できるんじゃないか。
鬱病ってのは多分、逃げたいのに逃げ場が見つからなくて困っている人に発症するんじゃないか。

しかしまあ、一応家族に何回か相談したが、自分を追い込む方向にばかり、鬱を進行させる方向にばかりの助言を与える。
「本当に困った時は家族のような存在が必要だ」と感じて実家に帰ってきたが、それは間違いだったのかもしれない。
確かに故郷の風景は好きだ。
でも、家族と共に暮らしたいわけではないのかもしれない。
安アパートで独り暮らししながら、工場とかで働いたほうが良いのかもしれない。

久しぶりに土日が休日、その前の金曜日の夕方、精神が安定するのは当然の時間帯だ。
この生活が一生続くと思うと鬱になるが、こうやって生活に変化を期待すると少し元気が出る。
だからといってやりたいことは無い、それが辛いところだ。

日記

前日の日記を書き終えてベッドで寝ようとしたとき、

「そうだ!自分がこの仕事に就いたのは、仕事そのものが好きだったんじゃなくて、公共的な仕事に対してやりがいや使命感を感じたからだったんだ!」

と気付いて寛解したと思った。
よーし、明日からも頑張れるぞと思っていた。

だがその明日、つまり今日、張り切って一日を過ごせたかというと、意外にも抑うつ気分だった。
何だか動悸がして息苦しさがあって、昼休憩の時の昼寝なんて「このまま目覚めなくて良いのなら」と思ってしまう。

自然に囲まれて、外仕事で体を動かす仕事なんて、精神的には病まないものだ。
でも、どうしてこうも…

もしかしたらこの日記ブログ、鬱病患者の心の動きの記録になりかねん。

心理,日記

憂鬱な気分はまだまだ続いている。
そろそろ「お悩み相談」という体裁で精神科に行ってみようかと思っているほどに。

なぜこれほどまでに今の仕事を辞めたいと思うのだろう。
この会社や同僚達が嫌い、というわけではないのは確かだ。
たまに遊びに来る、バイトにくるくらいなら今後もやりたいとは思うほどだ。

今までの人生を思い返す。
何かの仕事をしようと思う時、自分が何をやりたいかというより、「需要があるか否か」を考慮することが多い。
レッドオーシャン過ぎて相当努力しないと食っていけない、なんて仕事に興味を持ったことはかなり少ない。
公務員くらいにはなろうとしたり、受験勉強なんかもやったりはしたが。

そう言えば今の仕事も人手不足だ、と聞いて行き出した。
「人手は足りている。どうしても来たいなら働かせてやる」
と言われていたら間違いなく行っていない。

だが人手不足過ぎて休日の無い仕事は嫌だ。
いつかの記事に「何年休みが無いか分からないコンビニ店長」とかあったが、そういうのには絶対なりたくないとは思う。

人手不足でなおかつ休みの多い仕事?そんなの贅沢すぎるだろ。
とお思いの諸兄もおられるだろう。そこで、自分は自営業をしてみることにした。
売れる物と売れない物とかがあったが、商品開発は少し面白くて夢中になって調べものをしていた。
でも自営業って、休みを定めるのが難しくてメリハリが少なく、何より孤独過ぎた。
そして実家に帰ってきたんだった。

実家に帰ってきてから始めた工場労働は楽だったが、自分なんていてもいなくても同じのような環境のやりがいが少なすぎてストレスだった。
まれに忙しい日もあったが、むしろそういう日のほうが充実感はあった。
しかし工場は休みも収入も多くて仕事も楽。やりたいことのない人間にはピッタリだろう。

僕は本質的に、やりたいことがない人間で、何者かになろうとする信心が無く、疲れやすく、世間の需要で仕事を決めるが人の心が分からないASDだ。
矛盾しているところもあるが、これが真実だ。
やりたいことがあったり何者かになることに抵抗を感じず競争心もある定型発達者とは違う人種で、常識も通じないのだろう。

しかしまあ、これほどまで悩むってのは、やはり何がしかの躊躇とか後悔とかを予測しているからだとも思う。
本当に嫌だったらもっとサクッと辞めてしまっている。