徳島県の登山

2020年5月22日、神山・上勝・那賀町の3町の境近くにある深き山、『雲早山』に登ってきました。

徳島市の眉山などからも見える名峰ですが、スーパー林道を使えば往復2時間程度で登れ、山頂の展望は抜群の、ファミリーハイクに最適な山の一つです。

ルート・登山口

雲早山の登山口へは、国道193号から入れる剣山スーパー林道を通って行くことが出来ます。
ダートですが道幅は広めなので車高が低すぎる車でなければ通りれます。

なお、自分はオンロードバイク(NC750)で行きましたw
ちょっと疲れた…

登山口には数台駐車できるスペースがあります。
車でいっぱいの場合は、少し離れた道脇にも停めることは出来るようです。

登山の様子

人気の山でありいくらか整備されているので、危険な箇所はほぼありません。
ただ、沢を少し横切ることはあります。
まあこのくらいの水量なら道中が楽しくなるだけで、危険な目に合うことはほぼ無いでしょう。

基本的に谷沿いを登っていきますが、湿り気があるので苔むした林床が美しいです。

高丸山への分岐からは、明るい稜線歩きです。
雲早山エリアは少しカルスト地形なのか?どうか分かりませんが、白色の岩が露出し、枯れ木の多い半草原地帯になっています。

楽しい稜線を少し歩めば、雲早山の山頂に到着!
山頂は360度開いている大展望台です。

南東には高丸山とそこに続く稜線。
北西には峠を挟んでレーダードームのある高城山。
北東は徳島の街並み…
四国山地の山深さと大地の「ひだ」を肌で感じながら、まったりと滞在しました。

下りは往路を辿ります。

雲早山は眉山からも見えるほど目立つ山にしては登りやすく、登山初心者の人でも十分楽しめる山でしょうね。

登り45分、下り30分でした。

徳島県の登山

2020年5月22日、徳島県上勝町の最奥部にあり、那賀町との境にある山、高丸山に登ってきました。

駐車場から山頂への登り・下りで約2時間程度で、綺麗に整備された山です。
ファミリーハイクに最適です。

気楽に登れて景色も良く、美しいブナ林も広がる名山でした。

ルート・登山口

高丸山は「高丸山千年の森」として整備・研究がされているフィールドです。
人もよく踏み入れる山域なので、道路や駐車場は比較的よく整備されています。

高丸山登山口へのアクセスは、上勝町の最奥部へ向けて県道をひた走り、標識に従ってコンクリート舗装の林道を通っていけば良いです。

登山口には広い駐車場とトイレがあり、さらに案内所まであります。
(この日は案内所は閉まっていましたが)

広場からはその名前の通り、丸い高丸山が望めます。
ここから山頂に向かって登っていきます。

登山の様子

登山道はかなり綺麗にされており、危険な場所は全くありませんでした。
踏み跡はしっかりしているし、傾斜も一定です。
子供でも無理なく歩けることでしょう。

歩行時間は短いですが、水飲み場も整備されています。
冷たくて美味しい山水に、是非喉を潤せましょう。

新緑の森を順調に登っていくと尾根上を歩いていくことになります。
そこから少し登ると、山頂です。

山頂は切り開かれた展望台!

この日は早朝から登り始めたので、上勝の中心部は雲で覆われており、その上の青空も美しい!

高丸山からは雲早山への縦走路が伸びており、踏み跡はしっかりしています。
ただし、片道3時間半以上もかかるので日帰り往復はちょっと覚悟が必要ですね。

下山は別のルートを取って、旗立てや高丸神社を目指してみます。

旗立ては標識はありますが、特に何もありません。
昔はここに旗を立てたりしていたそうな。

高丸神社は山小屋風で、スギの巨木に囲まれています。
避難小屋ではないので内部は倉庫のようになっています。
個人的に、この辺りでテントでも建てて一泊したいものです。

新緑と光と影の森の中を歩いて、水飲み場に到着したら、最初の往路を下って下山。
歩行時間は短い山でしたが、景色が良くて満足感のある登山が出来ました。
やはりこの山は、ファミリーハイクに最適ですね。

登り40分、下り35分でした。

日記

実は不動産を所持しているのだが、それの売却が決まっている。
明日が決済日だ。
安い不動産だから大金が手に入るわけではないが、まあそこそこの現金が手に入る。
って、元は自分が購入したものなんだけどね。
だからプラスマイナスで言えばマイナスなのだが。

さて、この金、何に使うか。
奨学金は全て返済して借金は一円も無い。
車なども今は必要無いし。

とまあ考えていたら、やはり実家の修繕費にするのが良いかと思っている。
この家も自分が生まれた年に建ったから、築30年だ。
今までろくに修理・点検はしておらず、老朽化が見受けられるようになった。
目に見えて分かるのは、床の凹み、外壁の劣化。
床下点検をしたら土台の腐りなんかも見つかりそうだ。

これから自分は実家で暮らすことになる。
だから自分の為にも親の為にも、この金は家のために使いたいと思っている。
それ以外に使い道も無いし。

まずは信頼のできる建築屋・リフォーム屋を見つけることか。
作業順番は第一に点検、次に床の修繕、次は外壁。
屋根も劣化が進んでいるだろうか、窓枠もか?
などと全部修理すると数百万くらいかかりそう。

日記

ダイエット+登山トレーニングでジョギングの頻度を増やした。
今日は2日目。
仕事終わりのアフターファイブに30分程度の軽い運動だ。
しかしこんな運動でも筋肉痛になったりするから、身体には良い感じの負担だろう。

体力満タンで始めた1日目は置いといて、2日目でも特に大きな持久力の衰えは感じない。
ペースはゆっくりだが、ほとんど止まらずにいつものコースを走れる。
10年前の学生の頃も帰省時にこのコースを走っていたが、もう少し休憩していたような気がする。
体脂肪は今の方がかなり多いはずだ。

もしかしたら、体脂肪がある程度あったほうが脂肪が燃焼して疲れにくくなる?
体脂肪10%未満だと意外に疲れやすいのか?
今は体重と体脂肪率が標準ど真ん中だが、今の体型をキープしたほうが登山でも役に立つ?

そう思って調べてみると、何と体脂肪率少なすぎは筋肉を美しく見せるだけで、メリットはそれ以外に無いとか。
体脂肪が無ければ疲れやすい、すぐに腹が減る、飢餓状態に陥りやすいなど。

登山トレーニングをするなら体脂肪は気にせず、しないのなら太り過ぎないように注意する、くらいで良いか。
とりあえず今は、登山と婚活のためにトレーニングは続けよう。

日記

日記書くのを忘れて4日もまとめて書くことに。
書こうと思ってたことも大分忘れちゃったよ。

2月からpairsの有料会員になっているのだが、やっぱりなかなか上手くいかないね。
釣りで言えば、仕掛けが悪いのか。まだマッチングはほとんどない。
婚活はゲームだとして、ネットで攻略法を見てみるが、とりあえずいいねを集めて自己評価を上げるのが第一だとか。
だから興味の無い人にもイイネしまくっていいね返しを期待するとか。
でも興味の無い人に興味のあるふりするのは…少し気が引ける。
しかしそうしないと本命にも見てもらえない?

休日は雨だったので、家に引きこもって、兄が残していったMTG(マジックザギャザリング)のカードを売り始めた。
高く売るにはレアリティのことも勉強しないといけないので、億劫で引き延ばしていた。
とりあえず雑魚とレアに分けたが、レアはどうやって売っていくか。
まだまだ模索中。

最近ズボンの腹部がきつく感じる。
風呂場にある体重計に乗ってみると、何と年末から5kgも太って、60kg台に乗ってしまっていた!
おお、なんということだ!人生で初の60kg!
まあ、今まで肉体労働ばかりやって、面倒な時は1食抜いたりしたこともあったが、今は実家暮らしでかつあまり身体を動かさない仕事だ。
太って当然か。筋肉量や男性ホルモンなどが減って基礎代謝が減ったのもあるだろう。
とりあえず、昼勤の後はジョギングすることにした。

日記

仕事は、まあいつも通り。
プライベートも、まあいつも通り。

分析化学は特別好きというわけではないが、近場で働きたい場合はそこそこ求人があって給料もまあまあなので、技術者として生きるのは経済的に見て悪くはない選択肢だ。
というわけで、自分のキャリアアップのために分析化学の勉強を始めることにした。
「基礎化学なんて大学でもやった」という自負はあるが、やはりブランクがあるので、分析化学の基礎の本をメルカリで中古で購入。

そして仕事が暇なときに読み始めるが…意外に難しい。
「初学者向けとして、高校化学程度の知識を前提にしています」とは書いているが、本当に高校化学を前提にしている。
化学Ⅰだけでなく、Ⅱの知識や考えも必要だし、イオン化傾向や炎色反応や金属イオンの沈殿反応ある程度の暗記が残っていること前提だ。
多種多様な分析器具が登場し、その基本原理のみが記述されているが、新しい単語がめちゃくちゃ多く登場するし多様な知識を前提にしているので難しい。
本当に初学者向けなのだろうかと思うし、工業高校卒レベルならかなり難しいんじゃないだろうか。

しかしこれらの知識くらいがないと、分析作業者にはなれても分析技術者にはなれないだろう。
作業者のままだと本当に今の職場のような、ただの『工員』にしかならない。
分析化学は特別な興味は無いが金とキャリアにはなる。だからまあ、やるか。

民俗学

逝きし世の面影

あらすじと目次

昭和を問うなら開国を問え。そのためには開国以前の文明を問え……。幕末から明治に日本を訪れた、異邦人による訪日記を読破。日本近代が失ったものの意味を根本から問い直した超大作。

第1章 ある文明の幻影
第2章 陽気な人びと
第3章 簡素とゆたかさ
第4章 親和と礼節
第5章 尾雑多と充溢
第6章 労働と身体
第7章 自由と身分
第8章 裸体と性
第9章 女の位相
第10章 子どもの楽園
第11章 風景とコスモス
第12章 生類とコスモス
第13章 信仰と祭
第14章 心の垣根
あとがき
平凡社ライブラリー版 あとがき
解説 共感は理解の最良の方法である 平川祐弘

(平凡社より引用)

感想

外国人という「観察者の視点」を持つ人々

自国・我々の文化や文明を知りたい場合、実は当人が記録したものは使いづらいものである。
その理由は、私たちが知りたい多くのものは、彼らにとって「記録に値しない常識」であるから。

滅んだ古い日本文明の在りし日の姿を偲ぶには、私たちは異邦人の証言に頼らねばならない。
なぜなら、私たちの祖先があまりにも当然のこととして記述しなかったこと、いや記述以前に自覚すらしなかった自国の文明の特質が、文化人類学の定石通り、異邦人によって記録されているからである。
文化人類学はある文化に特有なコードは、その文化に属する人間によっては意識されにくく、従って記録されにくいことを教えている。

p18-19

そういう訳で、この本では外国の影響がまだ少なかった幕末の、開国直後に来日した欧米人の見聞録をまとめて、日本がまだ純粋に『日本』であった時代の模様を映し出そうとしている。
時代が進んで明治になれば、その知識人が江戸を語ることもあるだろう。
しかし、それもまたフィルターのかかったものである。
明治の日本人が語る江戸の日本も有用な情報であるが、欧米人の視点もまた非常に有用であるはずだ。

しかしこの「文化や文明の特質は異文化に生きる人びとの視点が必要である」というのは、歴史民俗学以外の分野でも活用できる考えだろう。
例えば、観光である。地元民なら分からない魅力が、異域の人なら分かることが多い。
住民が観光ガイドを企画するより、異文化の人間を招聘したほうが良いかもしれない。

開国・技術革新がもたらしうる苦難を知っていた

教科書などでは「欧米人が日本に開国を要求した」というのは知っているが、彼らの心情の全てまでは把握していなかった。
単に、「自国の利益」や「妄信的キリスト教精神の押し売り」から、独善的に日本を開国させたと思っていた。

だが、その考えは100%正しいというわけではないようだ。
欧米人もまた、産業革命以前は江戸時代の日本と同様、大企業や資本家が労働者から搾取せずに個人が個人で仕事を行っていたのである。
日本にやってきた欧米人の多数は進歩的な人々であったと思うが、それでも過去の牧歌的な自国の雰囲気を想起させられ、日本にノスタルジアを感じていた。

彼らが日本という異文化との遭遇において経験したのは、近代以前の人間の生活様式という普遍的な主題だった。
異文化とは実は異時間だったのである。

(欧米人の)彼らの眼には、初期工業化社会が生み出した都市のスラム街、そこでの悲惨な貧困と道徳的崩壊という対照が浮かんでいたのだ。

ひとは働かねばならぬときは自主的に働き、油を売りたいときはこれまた自主的に油を売ったのである。
(中略)(近代工業化以前の)19世紀初頭のヨーロッパにおいても、ひとは働きたいときに働き、休みたいときに休んだ。

p59,p132,p238

人々と機械が一か所に集まって効率的な生産を行うマニュファクチュア(工場制手工業・工場制機械工業)は、確かに大規模な生産を可能にした。
しかしそこで生まれたのは、急速に拡大していく貧富の差である。
以前から貴族と庶民の間に階級の格差はあれど、更に資本家と労働者の間に更に大きな格差が生まれていくようになった。
皆等しく貧しいよりも、全体的には豊かになっても格差が大きければ、人は貧しさを感じやすい。
その結果、治安や人心の悪化が起こる。

(通訳のヒュースケンの日記より)
「いまや私が愛しさを覚えはじめている国よ。
この進歩は本当にお前のための文明なのか。

この国の人々の質朴な習俗とともに、その飾り気のなさを私は賛美する。
この国土の豊かさを見、至るところに満ちている子供たちの貧しい笑い声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見出すことが出来なかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪意を持ち込もうとしているように思われてならない」

p14

驚くことに、欧米人たちの中にはこの開国がもたらす変化の行く末を案じる人々がいたのである。
自国の歴史を少なからず批判的に客観視し、それを異国に当てはめ予測する能力、現代人の私から見ても全くもってその慧眼に感服する。
しかしどれだけ個人レベルで人々の幸福を案じようとも、政治的・技術的な革新を止めることは難しい。
この変化が不可逆的なものであることを既に知っているからこそ、今この瞬間の夢幻の様相を博物的に書き留めて後世に残そうとしていたのだ。

日本人は一種の鷹揚なニヒリストだった

この「逝きし世の面影」には、異邦人の視点を借りて、江戸の日本の雰囲気を味わうことが出来る。
個人的に印象に残ったものを以下に記す。

  • 日本人の生活は上は将軍から下は庶民まで質素でシンプルである。
    救いようのない貧困層がいない。
    (第3章 簡素とゆたかさ)
  • 幕藩権力は禁令を出していても、行き過ぎなければ慣習法を見逃し、民衆の自治意識に任せた。
    日本人の使用人は、自分が正しいと思ったことを行い、例え主人の命令でも背くことがあった。
    (第7章 自由と身分)
  • 性愛は恥じらうものでも隠すものでもなかった。
    (第8章 裸体と性)
  • 「愛は恋と無縁に、義務という束縛の形をとって育つ」
    (第9章 女の位相)
  • 世界的に見ても大都市だった江戸は市街部と郊外に連続性があり、「大きな村」だった。
    (第11章 風景とコスモス)
  • 上流階級は無神論者で、日頃寺社に参詣するのは貧乏人や女子供のみである。
    「日本では宗教は娯楽だ」
    しかし日本では儀礼の踏襲によって宗教的意識を持たせるもので、キリスト教ではプロテスタントよりロシア正教やカトリックに似ている。
    (第13章 信仰と祭)

全体的に過去の日本人というのは、プロテスタントのような厳格な人々と比べれば、不真面目で開放的で鷹揚で自己顕示欲が少ないようである。
子供だけでなく大人も凧揚げなどで精一杯遊ぶし、小物細工は妙に拘って自身の力を競い合うし、他人に怒ることは少ない。
人懐っこく献身的で警戒心が少なく、かえって図々しくも見える。

このように不真面目に見える日本人の態度には欧米人たちは困惑をしたことも多く、見下すこともあった。
しかしこの様相も、更にもっと俯瞰的に見れば、実はこの世の真理に近づいた結果なのかもしれない。

(オールコックが言うには)日本の社会にはすぐれてキリスト教的な要素である精神主義、「内面的で超人的な理想、彼岸への憧れおよび絶対的な美と幸福へのあの密かな衝動」が欠けており、同じく芸術にも「霊感・高尚な憧れ・絶対への躍動」が欠けているのである。

(東海道中膝栗毛について)要するにこの物語を貫いているのは、この世を真面目にとる奴は阿呆だという精神だろう。
この世も人間もたかが知れている。
(中略)それはニヒリズムと背中合わせの感覚であるだろう。

(大火事にあって)「日本人はいつに変わらぬ陽気さとのんきさを保っていた。
不幸に襲われたことをいつまでも嘆いて時間を無駄にしたりしなかった。
持ち物すべてを失ったにもかかわらずである。
日本人の性格中、異彩を保つのが、不幸や廃墟を前にして発揮される勇気と沈着である」
そういう日本人を『宿命論者』と呼んだ。

p570,p574,p507

日本国は地学的に災害が多いから、不慮の事故や死が欧米よりも身近にあり、その結果「上も下も同じである」「必死に努力しても、その成果はすぐに灰燼に帰す」「将来はどうなるか分からないから、今を楽しめ」という精神になった可能性はある。
現代的に言えば、当時の欧米人は『意識高い系』にも見えてしまう。

総評

この本は606ページの大作であり、しかも改行が少ないからほぼ全てのページに文字がびっしりと書いてあり、読み進めるのに時間がかかる。

また、個人的には少々、著者の意見がくどいと感じることもあった。
確かに欧米人たちや同時代を調べる別の研究者の無知な記述に批判を加えたい気持ちは分かる。
が、もう少し淡々と記述してくれたほうが、せっかちな自分としてはありがたい。

しかしほとんど知る機会の無い開国直後の欧米人の生の声を網羅的に知れる他の本は、ほとんどない。
文明開化によって技術・モノ・生活様式だけでなく人々の心までもが劇的に変化し、取り戻すことは出来なくなった。
そんな失われた『逝きし世』たる過去の日本の、その雰囲気を少しでも味わうことが出来る貴重な一冊だったと思う。

日記

1か月半ぶりに造園業のバイトをした。
近所の大きな公園で、刈払機で草刈り。
季節が進んで、午後はかなり暑い。少し気持ちが悪くなったが、まあこれは身体が慣れてないだろう。

休憩時、青空を見ながら寝る。
まあ良い仕事だ。
しかし、この好きや熱意が、いつかは無くなってしまうのが恐ろしい。
だからこの仕事を生業にしようとする覚悟が持てない。
熱意が無くても続けられるような、自分に合った仕事をしようと思った。

帰宅後、風呂に入って、チューハイを飲む。
ほろ酔いになり、多幸感に包まれる。
ほろ酔いになると頭の回転が速くなる気がするのは、なんでだろう。
いつもは邪魔する理性が働かなくなるから?理性とは自制することで、闘争と逃走を抑えるのか?
はたまた、いつもこのくらい頭は働いているが、酔うとその実感を深めるだけなのか。
自分個人は酩酊状態の方が社交的になり行動力が増すから、恋人を作るとかそういう力は付く。
じゃあもしかして、他人は自分の酩酊状態と同じようなものなのか?

日記

深夜勤をしている。
夜0時~8時30分の勤務で、時間が長いわけでは無いが、生活リズムが非常に崩れる。

通常の日勤、準夜勤なら7,8時間はぐっすり眠れるのに、深夜勤だと浅い眠りで3,4時間+1時間ほど。
睡眠効率も時間も足りないから、体にはかなりの負担になっている、ように思う。
実際起きている時はあまり頭が働かず、酩酊状態のように少しフラフラとなる。

自室は2階で、ロフトベッドで寝ているので、日中は暑い。
まだ5月であるが、出来る限り熟睡するため、もうクーラーを点け始めた。
しかし真夏なら設定温度27℃で十分涼しいというのに、この時期だと27℃設定は暑い。

暑さと睡眠不足から、余暇はゲームなどを楽しむのではなく、ベッドで大人しく読書をしている。
あーあ、職場でも読書やアウトドア趣味のことを語れたらなあ。
事実、「合わない人間たち」なのか、それとも単に彼らのことを深く知らないだけだからか。
まあこんなこと考えているのは、職場以外で人間関係が薄いからだ。もう少し家庭と職場以外の人間関係を増やしたいと思ったり。

日記

まだ勤務3か月だから、ってのもあるが、まだまだ職場で本当の自分を出せている感じはない。
「もう少し自分と境遇が似て、共感できる人物が多い環境なら、この孤独感も無くなるのか?」
と思ったこともある。
周りは高卒、結婚早く、この職場以外は碌に知らないという人が多い。
扱っているものの理論などは知らず、とりあえず前任者の方法やマニュアル通りに行動しているだけ。

「ガンガン出世したりマネジメント系の転職したりすれば、境遇が似ている人に出会うのか?」
と信じて、今はとりあえず出世の道があればすかさず目指そうとしている。

しかし、思い返せば学生の頃から孤独というか、ぼっちだったな。
学歴等が似ている人らの中でも多くの共感と共に付き合えていた、わけではない。
たまたましつこく積極的に関わってくれるグループがあったから、大学生で本当の孤独だったわけでもなかったが、まあ基本的に異端児だ。

異業種Uターン転職の大卒者は「普通」じゃないから、異端で孤独なのは当然か。
孤独を味わいたくないから、大卒が多い都会に大卒が更に集まり、地方には地元の高卒ばかりが残っていくのか?
しかし小魚の群れのように、世間の動きに忠実に真似しないと不安でしょうがない大卒者を内心見下げている気持ちも実はある。
このプライドは、やはり臥薪嘗胆の想いで出世を目指して処理するのが、現時点で一番生産的な方法?