日記

10月は東京行ったりしてイベントも無くは無かったのだが、何だか気分が乗らないというかゲームとかばっかりやってこともあったので日記は全く書かなかった。
Twitterもつぶやく頻度はかなり少なく、情報収集のためだけに使っていた。
何だか、発信欲や記録欲が減りつつある。

欲自体が少ないので日記を書かなかったりしても吐き出すことが無くてモヤモヤする、なんてことも起きず。
一人が板につきすぎた……?

昔はさあ、グーグル検索がまだ生きていて、流行り以外のものでも同士を見つけやすかった。
古い名作を改めて読んでその感想を検索すると、深みのあるものを見つけることが出来ていた。
それが今や、全く異なる作品や意図で検索を捻じ曲げられたり、当たり障りのないwikipedia以下のものしか書けてないものばかりが上位に来るようになっていると感じる。
大多数派の、最小公倍数の全く刺さらないものばかりになって、刺さるものが埋もれて見つけることが出来なくなったのなら、私も同士に対して発信しようと思わなくなるさ。

そうだ、昔はネット以外がメジャーで、ネットがサブカルチャーだった。
今はもうネットもメジャーだ。サブは追いやられた。
サイトごとに住民が異なるからサブの人々はほそぼそと生きてはいるが、同志同士で固まることはもう出来なくなったようにも思う。

また、研究したり学んだりして好きな人々に貢献したいよ。
昔の個人専門店が田舎に多くあったのはさあ、自分の興味や技能を活かして小さなコミュニティに貢献するためだったんじゃないか。
それが居場所の感覚にもなる。

今は自分一人という、コミュニティではない居場所に対して記述しているだけのようだ。
貢献の感覚や求められることがあれば、私だってもっと読んでいてタメになりそうなことを然るべき場所で書くよ。

お金

独身アパート暮らし、30代の男の家計簿を載せます。

2022年の9月も微妙な天気ばかりでしたが、何とか1度くらいは旅行に行けました。
女木島、男木島、直島です。 旅行記も結局書き残してないけど、写真は残してます。
旅情を、感じられた……

収支内訳

収入 182,176円
給与収入(手取り) 169,601円
資産運用益 452円
ネット収入 12,123円
雑収入 0円
   
支出 112,813円
食費 11,416円
雑貨費 621円
車両交通費 3,125円
医療費 0円
保険 2,720円
服飾費 2,278円
交際費 0円
娯楽費 36,959円
通信費 2,114円
雑費 0円
家賃 45,000円
水光熱費 8,580円
   
当期純利益 69,363円

収入と仕事について

9月の仕事は、……何やってたっけ。
そうそう、研修受けてましたね。
そういうわけで出張回数は多く、週2,3回はどこかに行ってました。
おかげで事務処理も溜まってしまってそれなりに忙しかったような。

仕事内容は相変わらずです。ふっ、つまらんねw
前職のような臨時のほうが新しい見方とか技術とかを得られた実感があったけど、むしろ今のほうがそれが無い。
くだらないことに終始してしまっていて。
まるで他人の足を引っ張るためだけが目的の仕事のようにも思えるのさ。

収入の明細は見るの忘れてましたが、なぜか手取り減ってます。
保険代とか天引きされたのでしょうか?

支出について

大きいのは相変わらず娯楽費。
9月のシルバーウィークは天気良かったら9連休にしよう、というわけでツーリングの準備をしてました。
アライテントのDXフライを2万円で購入したのです。
……結局、天気悪くて行かなかったけど。

他には冒頭で言及した直島等の旅行。
瀬戸内の風景は好きだ。
旅情を感じられる古い町並みが好きだ。
何を思い、人はそこに暮らしているのでしょう。
そこに移り住む人も、移り住む前は、移り住んだ後は、何を想うことでしょう。

9月の生活について

9月もやはり引きこもることが多かったです。
プレイしているゲームは「Omori」から「風来のシレン5」に変更。
ゲーム性は良いんだけどこういうストーリー重視ではないゲームって、ふと「この作業に俺の人生を費やす意味とは?」と嫌な気分になる時があるのがネック。

人生ってなんなんでしょうね。
熱情とか信念とか、そういうものこそが人間の神性と言って良いでしょうか?
その神性を私はもう一度欲しいと、思っている。

徳島県の登山

最高の天気すぎる国見山 / YK1989さんの活動データ | YAMAP / ヤマップ

2022年10月2日、本当に久しぶりな快晴の休日。
祖谷の国見山へ登山に行った。

朝は寒くて今季初めて冬ジャンパーを着た。秋だな。
雲ひとつ無い青空の中を登り、山頂へ。
秘境とされた祖谷は、雲海のおかげで初めて見ようによっては盆地状であることを認識できた。
身を隠すには良い場所だろう。

帰りは祖谷を通って帰ったが、意外にも高原感があった。
まあこの青空ならどこに行っても理想郷のように思えるか。
祖谷に移ってきた人も住んでいる人も、薄暗い山奥ではなくこういう感覚、空が広くて静かで平和な場所みたいな想いを抱いていたのかな。

心理,日記

バラエティ番組の中では「月曜から夜ふかし」が好きで、録画して見てるんだけどま~~~、多くの変人が出てきますわ。
何十年も続ける割には素晴らしい成果も出ておらず「個性的な人」として映されていたり。
だけどね、やっぱりそういうのも「継続」の一つなんですよね。

自分には伝記物に出てくるような、輝かしい物語として演出されるような、向上心のある継続なんて無いと思っている。
ゲーム、読書、ネット、マンガとかはダラダラと継続しているがそれは「継続は力なり」なんて強い言葉で表されるほどの意志も無いわけで。
ゆえに悲しいかな、それらの趣味が自分の無成長さを代表するようなものとして捉えてしまうこともあるのだ。
何やってるんだろう、俺、って。

でもさあ、人間ってそういう伝記みたいな生き方をするためだけに生まれてきたのかと。
恐らく今まで、平和な時代に英雄的な素質を持った人が生まれても、素朴に人生を終えていたこともあるだろう。
素質と環境と歴史の気まぐれが合うことで記録され、未来の一部の人間がたまたまそれを知るだけ。
生前に評価されず不遇の思いで死んだ人もいるだろう、「俺はよくやった」と思いながら死んでもすぐに忘れ去られた人もいるだろう。

ルーチンで今を生きている。
決まった時間に起きて、決まった物を食べ、決まった方法で身体を洗い、定期的に部屋を掃除し買い物をし、余暇は決まった方法で過ごす。
まるで修行僧のようかもしれない。修行僧もまた、人生を費やすほどの心の探究を行い、身体や環境としてはルーチンを守って暮らしていることだろう。
継続と言えば継続だ。継続とは自他共に素晴らしいものだと実感するとは限らない。
でもまあ、これに安楽を感じる気持ちも一部にはある。

日記

今使っているノートパソコンの液晶が壊れて緑色+残像が残るようになっている。
前々から「ゲーミングPCが欲しいなあ」と思っていたから、この際買うことにした。
探し始めて3日、遂に発注した。

職場から帰宅する度に様々な販売サイトや品を見て吟味して、絞り込んでいく。
チェックポイントは以下の通りだ。

  • GPX1650程度以上
  • メモリ16GB
  • windows11(に更新可能)
  • →windows11に更新可能かどうかは、主にCPUの世代が関与する。
  • →→そして世代によってソケットも異なることも多い。ソケットが異なるとマザーボードも替えないといけない。
  • なるべく小型
  • 10万円以内で安いもの

やはり小さいものが良いのでAmazonで売られているミニPCも良さそうだったんだけど、GPUが搭載されているものが少ないし高価。
CPUは最新のものが多いんだけれど。良いものも多いんだけれど。

ヤフオク・メルカリで探してみたら品数は多いが、CPUの世代が古いものが多い。
価格は非常に安く、3万円でも今使っているノートパソコンオンボード(intel HDグラフィックス4600)よりかは出来るゲームが多いと思う。
そんな中でひたすらCPUの世代を見まくって絞り込んでいく……

3つほどに絞り込んで詳細なスペックを比較すると、ほぼ同程度。
僅かな価格差で最終的には以下のものを選ぶ。

  • CPU:Core i5 9400F
  • GPU:GTX 1060 3GB
  • メモリ:16GB
  • サイズ:ミニタワー
  • 価格:5万円以下

今のノートパソコンはCore i5 4210M、メモリは8GB。
中古で2万+メモリ増設とSSD換装とかで10000円ほど使ったので3万円くらいか。
こんなんでも最低画質とかにすればSteamのゲームは動いていたから、スペック不足に悩みまくることってのはかなり少なくなる、はず……。
今のクソ雑魚ノーパソでもFF10 HD動いてたしね。(解像度低くしていたからHDの意味が無いレベルだが)

こんな歳になっても未だにゲームやってるのも不思議なもんだが、やっぱり面白いからしょうがないよね!

バイク

現在乗っているNC750Sだけど、休日に少し作業。

  • 走行距離:65,600km
  • フロントブレーキパッドを40,000kmぶりに交換
  • エンジンオイルを9,000kmぶり、フィルター(2種類)を20,000kmぶりに交換
  • チェーンの張りを10ヶ月ぶりに調整
  • 散水栓使用せずに洗車

ブレーキパッドは純正→ゴールデンパッド→ゴールデンパッドで推移。
純正の時は20,000~30,000kmくらいでパッドが完全に無くなるくらいでしたが、今回は溝が1mm程度残るくらいでした。
後輪はまだ健在なので交換は無し。

エンジンオイルは毎回自分でやっているので方法については慣れたもの。
しかし実家のガレージを使わずアパートで行ったので、廃油の処理方法には苦労です……
とりあえずビニール+紙袋で一時的に収集し、ペットボトルに移し替えています。
この廃油、何に使おうかな……
職場に作業用刃物があるから、錆止めにしようか?

ついでに洗車もしました。
とは言え今は散水ホース無しのアパート暮らし。
室内からバケツで水を汲み、泡洗車→水とスポンジであらかた泡を落とす→細かい部分はバケツの水を直接かける、で3杯分。
やっぱり面倒くさいわね……ガソリンスタンドでバイクの洗車も出来たら良いんですが。

午前中に作業が終わって、午後からはOmoriってゲームを最後までプレイ。

そんなこんなで久しぶりの晴れの休日でしたが、曇りでも出来るようなことで一日終えました。
だって、まだ最高気温高いもんね。

お金

家計簿

独身アパート暮らし、30代の男の家計簿を載せます。

2022年の8月は7月同様微妙な天気ばかりでしたが、ずーっと雨ってのは無かったのでイベントは参加できました。
でも登山は雨に降られることが多く……

9連休作ってやったり祝日もあったりで、8月は何だか仕事した記憶少ない感じです。

収支内訳

収入 208,080円
給与収入(手取り) 208,061円
資産運用益 19円
ネット収入 0円
雑収入 0円
   
支出 139,689円
食費 21,234円
雑貨費 10,099円
車両交通費 9,372円
医療費 2,610円
保険 0円
服飾費 0円
交際費 0円
娯楽費 41,133円
通信費 2,268円
雑費 0円
家賃 45,000円
水光熱費 7,973円
   
当期純利益 68,391円

収入と仕事について

8月は7月同様ほぼ基本給のみ。
ネット収入もちょっと今月は無いので、収入は多くはないですね。
家計簿の給料には家賃手当も含まれているので、それが無ければやはり手取り20万円未満になるのか……

仕事についてはまあ慣れてきたというか、前任者や他の担当が気づかないところに気づき始めたりもしています。
独身異常男性ですから普通の人間とは視点がまるで違うのだよ。
もちろん他の人が気づくようなところに私は全く気づかなかったりしますけど。

今の仕事では5日の夏季休暇をいただけるのですが、5日連続で休んで9連休にして、北アルプス縦走登山に行ってました。
トラブルはちょこちょこありましたがまあなかなかの成果でした。
やっぱこうやって登山行かないと、身体が引き締まりません。
多分辞めたら糖尿病になってますよ、私は。
命を危険に晒してでも、健康を守らなければならない!
……はい笑うところです。

支出について

大きいのは娯楽費。
これは縦走登山の交通費と現地でのキャンプ場代がメイン。
北アルプスって、1張り2000円もするんだ……値上げしてない?

地味に食費が2万円超えてます。
米買ったりと高くなる月はそりゃあるのですが、ほぼ毎日自炊して月2万円超えるのか~。
20代の頃は1万円切ってたりしてたのに。不思議なものです。
まあせっかくだからって、寿司食ったりしましたしね。

8月の生活について

8月は部屋に引きこもって読書やゲームをすることが多かったです。
プレイしてたのは「Library of Ruina」と「Omori」
感性が死んできている30代独身男には、このくらいエグいものじゃないとなかなか心が動かないのだよ!

だけどやっぱり身体を動かすと心にも影響が及ぶのか、別の考えが浮かんだり少し前向きになったりします。
運動すればそういうホルモンや神経物質の促進や阻害が起こって物質的に思考回路に作用するのでしょう。
合理的に考えた結果鬱になろうとも、そういう物質で左右されるならば、その合理的思考の結論も間違っているということになる、つまりお薬飲もうというわけですね(?)
まあ何にせよ登山は辞められないや。

9月、……ちょっと婚活再開してみようかな。
より良い人生がもし存在するならそれは何だろうと考えたら、結婚生活にその可能性があるのではと少し思っているからです。
根拠が少ないのでかなり宗教じみている結論です。
一介の人間にそこまでの救いを求めるのも気持ちが悪い、ってのは全くもって正しい。
また地味にやってみます。そしてまた気落ちするんでしょうけど……!

日記

ということを最近考えているんだけど、要は婚活である。

でもなあ……やる気ないんだよな。
見ず知らずの人に愛想良く?
見知っている人にすら愛想良くとか興味を持つとかが最も苦手な行為の私であるというのに!

じゃあ、このままの生活でいいのかと問われると、それもまた微妙だ。
今のような感じの生活が終生続くことになるだろう。
1人で旅行して、テレビ見て、食事して、読書したりゲームしたりして。
生活に変化がない。活気も欲しい、だから結婚に幾分かの期待はある。
そういう変化の機能が欲しいだけで、でも別に人間が欲しいわけじゃあないんだよなあ。

まあ婚活とかそういう活動を楽しいと思えるのがモチベーション維持に最も良いんだろうけど、楽しいと思える要素あるか?
女性の方々も長年の婚活に疲弊しているとか聞くが、楽しそうとはやはり思えないな。
皆が苦しむために活動している?苦しみからは避けたいと思うのが人間の常でもあろう。
思えばまともな就活もしなかった自分だ。歴史が私のそういう活動からの逃避を証明している。
だのに、こうやって一応仕事はしているってのは、他人と自分の差とは何だろうな。

で、どうするの。
マッチングアプリを少しやってみたけど、うん、弱者メンヘラ男性の僕には負けることが分かりきっている、と感じる。
もっと強引にくっつけるような圧力の働く場所が良いんだろうか?例えば結婚相談所とか?
そしてホームページを見てみる。ああ、皆、爽やかそうだねえ!
どういう人が集まるんだろうね。マッチングアプリより内向的な人?手助けが必要な人?

以上のようなことを趣味を堪能しながら考えている。
明らかに楽しみには邪魔な思考だ。
ザックリと切り捨てるか、やるかになるんじゃないか?
ウジウジと悩んでいるのは人生がもったいないじゃないか。
……ああ。

心理,日記

夏休みということで一週間旅立つことにした。
例年、お盆の人混みを避けるためこうやって少しずらして夏休みをとっている。

1人で登山に行くわけだが、昔はこういう少し死に近づくような刺激的なことをすることで、自分の命を無下に扱うような感覚に酔っていたような気がする。
「まだまだ価値のある長い人生を、こうやって簡単に捨てようとしているところが、最高にロックンロールだろ?」と。

だが今はその気持ちもかなり薄らいでいる。
死の危険の程度は今も昔も変わらない。
というか今のほうが身体がなまっている分高まっているんだけど、命に価値があることを前提とした覚悟は無い。
何だかんだ出発してしまうと、爽快感を気楽に楽しめるんだけれどね。

若いのにやる、危険なのにやる、そういう他者からの軽薄な目線で自分をキャラ付けていた。
そういう自意識過剰が今は和らいできたというのにやるってことは、さてどういうことだろう。
昔からの習慣か、はたまた、好きだからか。


そう考えると、『キャラ付け』って面白い概念だと思わないか。

キャラ付けは自分や他者を縛って自由を制限する面もあれば、「自分は~なのだから!」と発奮する材料にもなる。
以前からハマっているMBTI(16personality)なんてキャラ付けの最たるもので、「自分はINTJだから他者と上手くいかなくて普通なんだ」と思え、救われるところもある。
精神疾患も同じだな。ADHDだから、ASDだから、LDだから、うつ病だから、HSPだから、ボーダーだから、サイコパスだから。

私に信念はありません。だからキャラ付けしてください。
この世や私をそういうものだとおっしゃってください。
その行く末は、『救い』という言葉と意味になるのでしょうか?

日記

昔から祭りの類はそこまで興味無かったけど、気軽に非日常のイベントを味わおうとして、見に行くくらいはするようになった。
もちろん1人で。

子供の頃は花火の衝撃ですぐにお腹が痛くなっていたけど、身体が大きくなったからか脂肪が溜まったのかは知らんが耐えられるようになった。
むしろこの衝撃が、自分が現地にいること、ライブ感ってやつ?を感じさせてくれる。
テレビなんかじゃあ表現できないものね。
花火大会は地方のものだったけど、この地域にこれだけの若者がいたのか、って驚くくらい若者たちも来ていた。
おじさん、若い子たちのエネルギッシュなところを見ていたらこっちも滾ってきちゃうよ!


徳島市の阿波踊りを見に行ったのは実は今年が初めてで、いつも人混みがひどくて敬遠していた。
でも今回はコロナで3年ぶり、規模縮小というわけで行ってみることにした。
単に他にやることがなかっただけ、ってのもあるんだけど。

徳島県最大のイベント、というわけで県内全体で演出している雰囲気が確かにあって、汽車で徳島駅へ向かう途中でもアナウンスは阿波踊り仕様だし、浴衣姿の人々も多く見かけた。
徳島駅なんてまさに阿波踊りで一色だ。
駅から会場は近く、その途上にも露天は多い。
少し早めに着いたのでついでにアミコで紀伊国屋書店でフラフラ物色。

阿波踊りは基本的に有料演舞場と無料演舞場があるんだけど、特に予約も何もしていないし拘りも無いので、最初は両国橋の無料演舞場へ。
ああ、このライブ感、というよりフローってやつ?演者が演じ、観客がそれに共感して、何だか一種の儀式のような恍惚感。
これが祭りってやつなのか。今更それを肌で感じて気づいた気がする。
つまりこれは、「酔い」である。祭りとは、共感を利用した酩酊状態へ至る場だ。

とは言え共感力が死んでいる陰キャの自分は、始まって2時間で疲労感が出てきた。
演舞が完全に終わる前に帰途に着いた。