心理,日記

最近の私生活は公務員試験の勉強のおかげでダラダラとネットサーフィンするのは少なくなった。
とりあえずふーっと息をついて椅子に座って、紅茶を飲みながらスマホをいじるが、最近はDaigoの動画を見ている。
30歳前から発症した軽度な鬱だが、最近は少しずつ強まっている気がする。
昔より集中できない、気がする。物覚えが悪い、気がする。気力が湧かない、気がする。
単に加齢の影響か、鬱か。
そんな時にメンタルヘルスとか性格分析とかに興味を持ち始めた。

今の自分はあまり幸せじゃない、そして何か希望を持っているわけではないから将来幸せになる、とも思えない。
そういう思いからやってくる虚無感、いや虚無感がまずあってそこから鬱がやってくるのかもしれないが。
Daigoはメンタルに関する知識が非常に多いし意思決定の科学的手法も多く知っているから、参考になる。

他人からこうしたほうが良いと言われても、本来の自分に嘘をつきつづければストレスが徐々に溜まって鬱になる。
自分がどんな時にどのようなストレスを感じたり悩んだりしているかは、過去の自分が知っている。ゆえに、日々の心の記録が必要だ。起こったことだけを書く日記とは違う。
ストレスがあるとIQが下がる。頭脳労働や勉強、議論する場合はストレスを少なくすることにまずは尽力する。

学び、これからも覚えておきたいことはアウトプットするのが最も効果的であるらしいので(インプット大全より)、この日記にも学んだことと今の悩みや感情を記録していくことにする。

さて、話は変わって6月1日から別の仕事となった。
事務的な、公的な仕事だ。
前職とは違って身体をガンガン動かしたり現場で臨機応変に動くタイプではない。
事務と言えど一応は技術員で、でも少し専門外であまり強く興味を持ったことのない場所に配属された。
とりあえず事務作業は出来るようになるが、専門的な仕事が出来るかは不安だ。
勉強すれば出来るんだろうけど、育休代替の一時的な仕事だから深く学ぶには時間も興味も足りないと思う。
まあでも、のんびりと出来るらしい。多分主に雑用がメインの仕事になるだろうが。

この日記の最初に鬱がどうのと書いたが、新しく仕事を始めて、人の名前が覚えにくい、短期記憶が悪くなった気がしているからだ。
人の話を聞いてもすぐに出ていく。だから会話中はメモをとっておく。
うーん、こんなもんだったっけ。こんなに短期記憶悪かったっけ。
人の名前を覚えようとしていると、何と前職の同僚もすんなりと思い出せなくなった。
ただのうっかり、ど忘れ、だと今は認識しておこう。怖いから。

心理,日記

仕事の移り変わりの時期で自由な時間はあるが、祖父のアパートの遺品整理をしながら1人暮らしをしているので、やることは多い。
来週には申し込んでしまっていた資格試験があるし、3週間後の公務員試験だってある。
普通の人なら勉強に全集中するべきだが、ちょっと余裕ぶっている。
どうせ筆記試験が受かったところで、その後の面接が超苦手だからそれで落ちて無駄な努力だったー、ってなりそうで。

だが24歳の頃に比べたらまだ少し面接にちゃんと挑もうとしている、と思う。
あの頃は本当に何をしていいのか分からなかったから、志望動機とかを考えるだけで精一杯だった。
でも今は、ネット検索で公務員面接の評価基準を調べられたから、それに沿って練習しようと思えるようになっている。
内容よりも、話し方のほうが大事。スラスラと高度なことを言わないといけないわけではなく、大きな声で、はっきりと、ゆっくりと、結論から話して簡潔にまとめる。外見もピリッとしておけばいい。そのくらいである。
でも昔はそれが分からなかった。
評価基準がよく分からない試験は大嫌いだ。分かれば素直に従うが分からなかったら非常に大きいストレスになる。

とまあ試験勉強のことはいくらか考えているが、本当に自分は公務員になりたいかって言うと、本心でははっきりとは言えない。
というか、30歳になってからは20代の頃のような心の奥から燃え上がるようなやる気が出ることは無い。
だから何をやろうとしてもやっていても目指しても、全てが嘘くさく感じてしまう。
大きな事を達成するには今の感情は良くても悪くても無視するべきで、機械のように力を尽くすべき、らしい。
今のように虚無感を感じても当初定めた目的がかなうまで、淡々と。

でも疑問に思う。
目的は感情によって定められるのではないか。
正義感、義憤、希望、愛、そういうのは目先の低級な感情とは別なのか?
虚無感や絶望のような感情はどうなんだ。

心理,日記

6月からは期間付きだが公務員的な職場で働くことになる。
その後何をするかは決まっていない。

もし自分が公務員的な仕事がやっぱり好きだと思ったら、公務員を目指しても良いのか。
それとも、準公務員とか団体職員を狙うべきか。
もし公務員を目指すなら6月に試験があるから受けてみても良い。
試験勉強時間は少なすぎて記念受験とか来年に備えて、という感じになるだろう。
だけどもし受かったらのなら極めてスムーズに次の仕事が定まる。

だけど24歳の時に受けたら落ちたのだ。
あの時は別の県だったけど。
国家公務員総合職も一般職も、県職員上級も落ちた。
筆記試験の勉強は結構したのに。
昔の自分が出来なくて、今の自分が出来るわけがない、とも思える。
試験勉強なんかに無駄な労力払うべきではない、のか?

それに公務員になったとしても、「つまらない仕事」「凝り固まった、改革を許さない職場」と評される労働環境に自分は楽しいと思うのか。
だけど新卒で入った職場は団体職員だったし公務員的な仕事が多かったが、やりがいなくてつまらない仕事、とはあまり思わなかった。
むしろ民間のほうが遥かにつまらないさ。
自分のような森を見て木を見ず、みたいな人間は広い視野を持って仕事をするのが好き、ということは公務員も良いんじゃないかと思うんだけど、どうだろう。
木を見て森を見ず、今この瞬間を乗りきることに長けている人間にとっては公務員の職場はどう思うか。

心理,日記

自分はMBTIでいうところの直感型(N)である、らしい。
でも趣味は登山とかツーリングとか、感覚的なことも好きなのだ。
読書とかもそりゃするけどさ。
だからそういう直感型とか感覚型とか知らなかった学生時代は、自分は感覚的なことが好き、現場作業的なことのほうが好きだと思っていた。
卒業研究だって、先行研究を調べたりするより遥かに研究作業のほうが好きだった。
早く研究作業をしたくって研究テーマを決める時はむしろ鬱になりそうなほどだった。

卒業後は現場作業に憧れを持っていた。
「就社」よりも「手に職」を、と。
団体職員だったが出来るだけ現場に行くようにしたし現場作業員に敬意を持っていた。

だけど学生時代を終えて7年、現場作業に憧れて今やっているが、違う気がする。
気持ちいい景色も匂いも心地よいレベルの疲労もあるが、「これで人生を終えるのか」という不安がある。
感覚型には動物的な美しさがあるが、人間的な理性的な美しさはなかなか感じ取れない。
自分を客観視すればそれを感じとれるが、しかし実際に働いている時はもちろん主観的で、狭い世界を生きている気分がある。
発展性が無い、未来が見えてしまう。
見えた未来をそのまま体験するのは、自分にとっては死に近いように思える。

自分は見えないものを見るタイプだ。
他人からは未来予知が出来るように見えるだろうが、今現在を認識しにくい不利もある。
それぞれ得手不得手があって、学校のお勉強さえできれば全てが上手く出来るわけでもない。
普通科の勉強は非現実的だから、直感型はすんなり受け入れられるが感覚型は受け入れがたい。
学校の成績なんて、頭の良しあしより性格の違いを表す度合いのほうが大きいんじゃないか。

心理,日記

様々な形態の人生を歩んで、それぞれの良いところを発見し、致命的に足りないところを調べていた。
故郷の風景を捨てるには忍びない、実家暮らしは楽だがやる気が無くなる、1人暮らしはやる気が出るがリスクが高い、寮暮らしも楽だが飼われている感があるし付き合いがあると面倒だ、給料が少ないと張りが無い、ルーチンワークも張りが無い。

あの日あの時、僕は何を考えて生きていただろう。
今のようにダラダラと日記を書いてはいなかった。
懐かしい過去も、嫌なことがあったから環境を変えたのだ。
「どうせこんなところ踏み台だ」と思っていたから耐えられていた。
このままずっとと思うと耐えられない可能性が高い。

今は実家暮らしだが心の奥底を理解はされない。どうせ、自分は物理的に他人が近くとも孤独だ。
また一人暮らしがしたい。
だが故郷の風景はやっぱり好きなんだ。
実家近くの安アパートで暮らそうかしら、とか思う。

心理,日記

自分の人生において、仕事の存在は非常に大きい。
仕事と向き合う姿勢や感じることが自分そのものに思えているから。

半年続けて、業種に対する趣味的な興味はかなり少ないように感じている。
皆、その分野に対して興味があるように見え、自分だけは違うように思ってしまう。
興味が無ければ続かない仕事なんじゃないか。
また、昔から自分には不利なチームワークを多く使う仕事だ。
個人プレーしか出来ない自分には疲れる。

自分で計画を立てて裁量性を持って仕事をするのが面白いが、その立場になるまではかなり時間も努力も必要だし、なってしまえば陣頭指揮しないといけない。
独立したいほどの業種に対する興味は無さそう。
ちょっと、詰んできた気がする。

以前の工場の仕事は非常に張りが無かった。
楽なんだが、やきもきするようなことが非常に多かった。
自分の力を駆使している感じは少なかった。

力を使い切りたいがために、あえて不利なことをしていたんじゃないだろうか。
もっと世間的にも自分的にも適した仕事があるんじゃないか。
そう思って何度も転職をしたり生き方を変えていたりしているのだろうか。
青い鳥症候群だろうか、アダルトチルドレンだろうか。

一応転職活動を始めてみたが、自信は少ない。
まだ、これからどうしようかと悩んでいるのだから。
「すぐに辞めそうだ」と思われても仕方ない。

心理

過去の経験と考察

自然に囲まれた生活をしたかったが

アウトドア的なことが好きだしDASH村みたいな生活をするのに憧れていた。
だから田舎暮らしに憧れ、実際にやった。

しかし一人孤独でやっていると、無性に故郷が懐かしくなったりやる気が湧かなくなったりした。

昔から自然科学を専攻にしていたが、単に人間嫌いだったから選んだだけで、格別オタク的に好きでもなかった、と思う。
古い技術が自分の知らない世界に見えて、新鮮さの魔力に憑りつかれていた、との見方も出来る。

飽き性なんじゃないか

色々な仕事をして、一生続けたい気が出たことは無かった。
もしかして自分って、飽き性なんじゃないか。
だから田舎暮らしにも飽きたのか?

そう思って、ほぼ毎日現場と作業が変わる仕事に就いた。
しかしそれでもやり続けると新鮮さは無くなり、しかも疲れた。
こんなにも疲れるのならもっと楽に金を稼げて休日も多い仕事をしてやろう、と合理的に思ってしまった。
アルバイトで働きにくるなら、遊びで金がもらえる感覚なくらいだったが。

穴を埋めたい、と思う。捨てられたものを拾いたい。

人手が足りている業種より、人手不足の業種に就きたい。
そこら辺に生えている雑草のような、捨てられたものを使いたいと思ったことはよくある。

どのような心境から来るのだろう。
もしかして穴を穴のまま放置しても良いという、逃げ場・無責任さが欲しかったのか?

終わりのあるもの、ゲームが好きだ

自分は昔からゲームならやりこみ派だ。
全てのアイテムを手に入れ、達成度を100%にして、一通りやり切ったらそのゲームは二度とプレイはしない。
縛りプレイとかタイムアタックとか、そういうやり込みは一切しない。
だって際限が無いもの。

つまるところ、自分は際限の範囲内でやり込むことが好きなのだ。
好きというか、完璧にしないといけない強迫観念も少しはある。
上限が絶対に無いと分かっていることを追求しようと思えない。
芸術、スポーツとか。
気軽に競争心ゼロで楽しむくらいなら良いんだけど。

ソーシャルゲームもほとんどしない。
一回やったことはある。
尻切れトンボのように終わって、達成感は無かった。
ネトゲもすぐに辞めた。

ゲームのエンディング、1人で業務を終わらせて請求書を送付する段階とかでは達成感はあった。
しかし他人と協力して終えた業務には達成感はなかった。
だから、たった一人で自営業をやってみた。
しかしやればやるほど資本の少なさや労働者数の少なさから来る柔軟性の低さなどに徒労感を感じ、もっと合理的にやるべきだったのかとも思った。

一人でやり切るのは面白い。
しかしリアルの仕事ならば、相当上手くやらないと独りの非合理性が目に付くことにもなる。
新鮮さを感じるのが過ぎ去った後は、飽きと非合理性(の実感)との戦いだ。

これからずっと、と思うと絶望的になる。
正社員とかになりたいとはほとんど思わない。

ネットとかで調べると、「非正規は哀れ、救わないといけない」
みたいな論調は数多く見かける。
だが自分としては、正社員になりたいとは思わない。

自分は帰属意識が弱いのだろうか。本当は何者にもなりたくないのだろうか?
35年ローンとか馬鹿らしい、って思うのも、将来の選択肢が如実に狭まっていく実感を持ちたくないからか?

だけど、これからずっと死ぬまで故郷に生きるって考えるのだけは、嫌じゃない。
この風景を見続けながら生きていきたい、と今は思っている。

人付き合いが面倒

昔から人付き合いは面倒である。
人が作ったものや痕跡は好きだが、血の通った関係はどうも苦手だ。

だが完全に孤独になると社会参画の感覚が無くなり、心理学的に幸福だとされる「他者への貢献」の感覚も無くなる。
と言えど常に人と一緒にいないといけない、協力しないといけないのは非常にストレスが溜まる。
付かず離れずの関係、定型発達者から見れば離れているとしか思えないくらいが、良いのだ。

ワクワクする仕事は?

自分で稼ぎ方を考えて、稼ごうとすること。
軽バン一つでアプリを使って配達する方法とか、落ちているものを売る方法とか、そういうのを調べていたこともあった。

こういう裁量性のある仕事は給与収入よりは少ないが、時間と金を交換する感覚が少なくて面白いと思う。
格別やりたい職種は、あまり無い。

じゃあ自営業は?というと、結局自由のメリットと孤独と非合理さのデメリットの天秤だ。
まともな方法では資本のある企業にはまず勝てない。
また、いつでも働ける反面、休日と勤務日のメリハリが少ない。
投資額はいくらでも少なく出来るが、やはりある程度の投資は必要。それを取り返すために働く義務感もある。

好きだった(悪印象の少ない)仕事

・宅配便
配達ルートやペースは自分一人で決められるし、暇なときは公園で休んだり出来たりと、頑張る甲斐があった。
学生の頃にやったが、ようやく自分の適職らしいものを見つけた気もした。

・とある小さな受託団体の運営。
人間関係の折衝とかもあったが、金銭のやり繰りや業務の戦略の立案と実行はやりがいあって面白かった。

・とある自営業(の一部)
生産して売る仕事。意外なところから買っていただけるお客さんの種類とか需要を肌で感じられた。
自分自身で自由にシステムを考えられるし、いくらでも改善余地があるからルーチンだけにはならない。

・工場でライン作業
ただ身体を動かしてじっくりと思考出来るから、心が疲れている時は金を得ながらモラトリアムを過ごすかのような癒しはある。
だが仕事そのものにやりがいや面白みは無い。
工場は全国各地にあり社員寮を併設しているところも多いから、住み込みで色々な場所で働けるのはメリットと思う。

他人に従うことが少なく、ある程度自分のやり方を取れる、自己コントロール感のある仕事が好きだ。

嫌だった仕事

・知識や経験が一切無いのに危険で儲からない業務(伐採施工管理とか)
失敗したら大惨事なのに儲からないからやりがい無し。もう少し経験値があれば、まあ。
全く分からないのにどうやって指示を出せば良いのやら、申し訳ないやら。

・グチグチ言ってくる先輩との仕事
じゃあ手前でやっておくんなせ。

・一人社長に従う仕事
総合的な実力は認めるが、自分の正しさに絶対的な自信を持っていて間違いを認める気概が一切感じられないところが非常にやりづらかった。

・職人的な仕事
自分はINTJで、伝統はあまり好きじゃない。
職人的な仕事にはそういう伝統が多い。
仕事にかなり関心があるなら良いが、関心がほんの少しだけだと待遇面やきつさを合理的に判断してしまって、嫌になることがある。

基本的には、よく分からない伝統に従う、他人と阿吽の呼吸で業務を行うことは非常に苦手。

目標を無くしたときなど(高ストレス時)

消費エネルギーを最小化しようとする。
面倒なことは全て避け、引きこもる。
またライフスタイルを(表面的に)合理的にしようとして、実家暮らしや楽な仕事を指向する。

目標があれば強い。目標が無ければ、とことん弱い社会不適合者です。

過去の人生で何を思い出すか

旅先、暮らした先の風景。
その中に人はいない。
広々とした、人の痕跡が感じられる風景。

俯瞰的に見るのが好きだ。

どんな人になりたいと思ったか

歩き遍路の時、土地に根付いた人間を見ていて美しく思った。
だから自分もそうなりたいと思った。
だが、実際やってみると、ただ目の前の業務をこなしているだけだ。
味気ない。

そういう人を客観的に見れば「根付いた人」に見えるだろうが、客観的に見なければ美しく見えなかった。
Think globally,Act locallyなのは分かっているが…

まとめ

今は強く追っている目標が無い。
だから責任を負いたくない。気楽に自由に生きたい。
期限が決まっていない、一生やることになりそうな仕事には絶望的になる。
何者にもなりたくなくて帰属意識は弱いようだ。
踏み台にしようとか期限が決まっているとかアルバイトとか、そういう働き方の方が続く。
生活にメリハリが欲しいから働くが、休日は欲しい。
だが総収入より時給を重視するので、パート社員にはなろうとしない。

やりたいことをやろうとすると、非合理さと飽きの感覚がやってくる。
それらを跳ねのけるほどの興味があるなら良いが、自分には熱意が無い。

金銭欲、贅沢欲は少ない。
出来るだけ少ない金額で済ませられるなら済ませたい。
高給ホテルに泊まるより、飛び入りでも入れる素泊まり民宿とかキャンプ場とかが気楽で好きだ。

一生寝てても寿命まで生きられるほどの金を得てセミリタイアをしたい、わけではない。
余暇を削ってまで仕事をバリバリしたいわけではないが、セミリタイア生活は毎日にメリハリが無くて暇すぎてうんざりしそうだ。
継続できる課題解決、NPO法人とかに参加したいとか考えるかも。

これさえやっておけば幸せだと自覚して言えることは無い。
だが昔から、登山、バイク、読書、漫画、ゲーム、ネット、旅行、散歩は続いている。
好き、なんだろう。結果論的に。

人間関係においては一人が気楽で良いが、仕事でも遊びでも戦略を立てて実践してみるのは好きらしい。
仕事も、課題解決型で裁量性があれば、楽しくやっていけるんだろうか。

美しい風景が好きだ。
しかし観察者として好きなのであって、デザインしたいとまでは思わない。
美を感じる心は多少はあれ、美を生む人間ではなさそう。
客観的に見ることが好きだ。
土地や、自分でさえも。

観察すれば憧れを持つ。
しかしその憧れは観察している時でしか感じられない。
美しい蜃気楼を見ながら死ぬか、追い求めては消えを繰り返して死ぬか。

心理,日記

メンタリストDaiGoさんが紹介した、ニューメキシコ大学式の自己分析方法をやってみました。
方法は他のサイトに譲るとして、結果だけを書きましょう。

1.目的:人生の意味を方向性を定める
目的が決まれば迷いも無い。ただ行動すれば良い。だから一番大事。

2.自知:自分について深い理解を持つ
目的を定めるためには自分について知らなければいけない。
例え客観的にどれだけ崇高な目的を持とうとも、やっているとうんざりしてきたら恐ろしい。

3.真実:自分が正しいと思うとおりに行動する
逆に考えて、自分が正しいと思えないのに行動するってのは、何のために生きているのか分からなくなる。

4.受諾:ありのままの自分を受け入れる
自分の弱さや強さを偽って無理して行動していると、結局は道を誤る。

5.美的:身のまわりの美しいものを味わう
美しさとは世界への愛、のように思う。

6.情熱:なんらかの発想、活動、人々に深い感情を抱く
やる気を持って生きていきたい。

7.希望:ポジティブで楽観的に生きる
もうネガティブは嫌だ―!

8.快適:喜びに満ちた快適な人生を送る
表面的な苦しみはあっても、心の奥底では喜びと快適さに満ちた人生を歩みたい。

9.安全:安心感を得る
こんな感じで生きていければ幸せだ、と安心したい。

10.知識:価値ある知識を学ぶ、または生み出す
目に見える物以外の、裏に潜むものの存在はロマンチックで、美しい。

とまあ、今は人生について特に悩んでいる状況でもあるのでこんな感じの結果。
一般的でなくて良いから、死ぬまで自分に共通する人生の目的とかを定めたいと思ってます。

しかし見事に他人の要素が無い価値観リストですね。
自分の人生は自分の責任、良かれ悪かれ他人に少しでもその責任を負わせたくないと思ってますから。

心理,日記

自分の心がどんなときに満足を感じ、どうやれば幸せに生きていけるかが分からない。
だから最近は心理学について調べものをしている。

どうやら自分は知識を蓄えたりするのが好きで、計画を立ててから実行するが行動力が少ないタイプのようだ。
でも、バイクツーリングや登山も好きだ。
今の仕事だって、バイトとして気晴らしに来るなら面白いから本業にしたのに。

MBTIでは自分はINTJだが、普段は内向的直観だが気晴らしに外向的感覚を発揮することが趣味のようだ。
その気晴らしを本業にしようとした。
「好きなことをライフワークとしたい」って考えはよく見られるものだが、その好きなことって特性から外れるから好きだと意識出来るのではないか。
今、こうやって心理学について調べているが、意識的には好きとは感じていない。
しょうがないからやっている、やらざるを得ないからやっている。

もしかして、本当の特性って、無意識に「やらざるを得ない・やるしかない」と感じてやっていること、なんじゃないか?
本当の自分とは、むしろ呪いに近い。
特性の4番目が趣味であり意識的に好きだと思えるだなんて、衝撃的だ。

日記,心理

最近自分が分からないがゆえに、心理学的アプローチで自分探しをすることに興味が出ている。

今回はお手軽に自分の認知特性が知れる『本田40式認知特性テスト』をしてみた。
この認知特性とは、人が何かを認知する時に働かせている感覚のことで、人によって異なる。
画像として認識するか、音として認識するか、言語として認識するかの3種に大別される。

本田40式認知特性テストはネット上でも公開されており、40問の質問に答えるだけで簡単に自分の認知特性を数値化してくれる。
ちょっとやってみた。

その結果、

音楽的聴覚よわよわ。
視覚・言語に強めのようだ。

自分はASDタイプの発達障害だとは思うが、音楽的聴覚以外は一般的なレベルのようだ。
聴覚認知が弱いから人との話や音楽的センスも弱いと思う。
言語や画像を扱ったりするのはまだ得意な方?