未分類,心理

家の檀家は浄土真宗だけどつい最近まで興味はなかった。
どちらかというと四国遍路等で真言宗のほうが好きだったし、更に言えばもっと原始的な仏教(上座部仏教)に興味があった。

しかし最近、飲茶が書いた東洋哲学の解説書を読んで、浄土真宗の南無阿弥陀仏を解説する歎異抄(の現代語訳)を読んでいくと、浄土真宗もかなり良い教えなのかもしれないと考え始めた。
「南無阿弥陀仏と唱えておけば極楽浄土に行けるだなんて、大乗仏教過ぎる。こんなの乱世ではない今の世にはそぐわない」
と思っていたけど、真の教えはそうじゃないかもしれない。
本来は、もっと人知を超えた無分別智のような他力を信じるということだろう。

戦国時代の武将は英雄視されて然るべき先見の明や活力を見せて、人生を自力で開いていたように思える。
しかし、辞世の句ではほんの一時の人生の哀れみを読むことが多い。
なぜ人生は虚しいという知恵があれどもあれだけのことをやったのだろう。

人生は虚しい、誰も彼もが阿弥陀仏によって救われる。
極楽浄土へ行くための修行などしなくてよい、何もなさなくて良い。
だが、何もなさぬには長すぎる。
どうせなら、遊んでみたまえ。他力の世界で自力を出しているフリをした遊びをしてみたまえ。