日記

何だかもう結論出ちゃった気がしたが、予約したのでとりあえず精神科に行ってみることにした。
3,4週間ほど憂鬱感などが続く、最近手の震え・集中力の低下・休日に趣味の意欲減退が起こっている、と話す。
医者が言うには「2週間以上続くってことで鬱状態、自律神経の失調などでしょうねえ」と、想定通りの回答。
しかし久しぶりの晴れの休日の土曜日であり、話していたら今は重度の鬱病ではないように自分でも感じてきた。
鬱病になりたくてなっている、気すらしてくる。

一応お薬は出された。
パロキセチン10mg、レキソタン2mg。軽めのものだ。
薬をもらうほどでは無いとか思ったが、「まあそりゃ長々と話聞くだけでは儲からないだろう」と考えて、受け取ることにした。

帰宅後、ゆっくりとやる気について考える。
本などでも読んだ通り、自分の素直な気持ちが大事だ。
「べきだ論」は鬱を引き起こすだけだ。

初めは何がしたかったっけ。
親が望んでいそうだった、バイトで行ってたら気分転換になった、たまに身体を動かして金も得られるのが合理的に思えた、働きぶりが褒められた。
当時やっていた工場の仕事にやりがいや使命感を感じられなかった、案外毎日他人との日常的な折衝があって気を使っていた、交代制勤務で不規則な生活だった、仕事にもう少し裁量性が欲しかった、やる気を出しても出さなくても変わらなかった、同僚はソシャゲやパチンコの話が多くて興味を持てなかった、ただ時を過ごして金をもらうだけという虚無感があった。
家族問題とか血の通ったものがあったら執着が強くなって嫌な時でも続けるモチベーションにもなるだろうと思った、資格とか取っていけば好きになるだろうと思った、燃え尽きないようにゆっくりやろうと思った、その分野のことは学生の頃から専門の範囲内だった、同僚がアウトドア派が多くて話が合うと思った、勉強しようと思ったらいくらでも出来て仕事に応用が出来ると思った、やりがいを多く感じられると思った。
しかし週6やっていると最初は新鮮さで乗り切れたがすぐに惰性になっていった、自分の性格は技術者に向いているようだが共同作業は不得意だ、自分の裁量で出来る箇所もいくらかはあるが細々と言われるところもあって少しずつストレスが溜まっていった、休みでも勉強しないといけない義務感が逆にうんざりさせてやる気を失わせた、元々職人になりたいとまでは強くは思っていなかった、大企業の福利厚生に比べればやはり低い、気兼ねなく休める日がもっと欲しい、職人になって独り立ちしたいとも別の会社に行きたいとも思えない、公共地の管理などにやりがいや使命感を感じたがだんだんと不感症になっていった、休みの日に施工後の場所にやってきても義務感しか感じられなくなっていた、この先ずっとと思うと別の仕事でも同じだったがうんざりした、どうせ興味の無い本業ならばもっと合理的に金や福利厚生を追求しようと思った、人生の楽しみは余暇の時間で、楽しい仕事がしたいなら休みに副業すれば良い。

過去の日記を読み直す。
工場については遠慮なくグチグチと書いてあるが、今の仕事についてはあまり書いてない。
「やる気が出ない、抑うつ状態だ、イライラとしてしまった」とかは書いているが。
遠慮なく悪く言える相手と、言ってはいけないように感じる相手と、付き合いやすいのはどっちだろう。
もしかしたら遠慮なく悪く言えるくらいの距離のほうが、良いのか?

昔から「この先ずっと…」と思うと絶望的になるから、自分は飽き性だと思った。
しかし、毎日違う現場・作業の仕事は疲れるようだ。
現場毎・時間毎に何をするべきか、誰が何を担当するか、自分が何をするかを常に考えないといけないから、非常に疲れる。
多分、自分はADHDよりもASD傾向のほうが強い。
他人とは目線を合わせないし。(常人は目が合わないと不快、目が合うと快らしい!びっくり!)

ASDはコミュニケーション能力が弱くて、他人の指示を聞いてすぐに理解したりすることが出来ない、曖昧なことが分からない。
関心のある分野に強いから技術者には向いているが、共同作業は不得意だ。
論理的思考、定型業務に強いから工場労働も向いている。
白か黒か、0か100かの判断をしがちで完璧主義者。転職も多い。
こうやって、職場の改善とか休職とかを考慮に入れずに退職しようとするのもそうなんだろうか。

日記

精神科に予約の電話を入れて、土曜日に診察を受けさせてもらうことになった。(人生で初めて)
最近の日記を見直して現状を伝えて、鬱病だと診断されたら辞めよう、と考えたがもう既に答えは出ているんじゃないだろうか。
精神科に相談に行くって決めた時点で決断できるんじゃないか。
鬱病ってのは多分、逃げたいのに逃げ場が見つからなくて困っている人に発症するんじゃないか。

しかしまあ、一応家族に何回か相談したが、自分を追い込む方向にばかり、鬱を進行させる方向にばかりの助言を与える。
「本当に困った時は家族のような存在が必要だ」と感じて実家に帰ってきたが、それは間違いだったのかもしれない。
確かに故郷の風景は好きだ。
でも、家族と共に暮らしたいわけではないのかもしれない。
安アパートで独り暮らししながら、工場とかで働いたほうが良いのかもしれない。

久しぶりに土日が休日、その前の金曜日の夕方、精神が安定するのは当然の時間帯だ。
この生活が一生続くと思うと鬱になるが、こうやって生活に変化を期待すると少し元気が出る。
だからといってやりたいことは無い、それが辛いところだ。

日記

前日の日記を書き終えてベッドで寝ようとしたとき、

「そうだ!自分がこの仕事に就いたのは、仕事そのものが好きだったんじゃなくて、公共的な仕事に対してやりがいや使命感を感じたからだったんだ!」

と気付いて寛解したと思った。
よーし、明日からも頑張れるぞと思っていた。

だがその明日、つまり今日、張り切って一日を過ごせたかというと、意外にも抑うつ気分だった。
何だか動悸がして息苦しさがあって、昼休憩の時の昼寝なんて「このまま目覚めなくて良いのなら」と思ってしまう。

自然に囲まれて、外仕事で体を動かす仕事なんて、精神的には病まないものだ。
でも、どうしてこうも…

もしかしたらこの日記ブログ、鬱病患者の心の動きの記録になりかねん。

日記,心理

憂鬱な気分はまだまだ続いている。
そろそろ「お悩み相談」という体裁で精神科に行ってみようかと思っているほどに。

なぜこれほどまでに今の仕事を辞めたいと思うのだろう。
この会社や同僚達が嫌い、というわけではないのは確かだ。
たまに遊びに来る、バイトにくるくらいなら今後もやりたいとは思うほどだ。

今までの人生を思い返す。
何かの仕事をしようと思う時、自分が何をやりたいかというより、「需要があるか否か」を考慮することが多い。
レッドオーシャン過ぎて相当努力しないと食っていけない、なんて仕事に興味を持ったことはかなり少ない。
公務員くらいにはなろうとしたり、受験勉強なんかもやったりはしたが。

そう言えば今の仕事も人手不足だ、と聞いて行き出した。
「人手は足りている。どうしても来たいなら働かせてやる」
と言われていたら間違いなく行っていない。

だが人手不足過ぎて休日の無い仕事は嫌だ。
いつかの記事に「何年休みが無いか分からないコンビニ店長」とかあったが、そういうのには絶対なりたくないとは思う。

人手不足でなおかつ休みの多い仕事?そんなの贅沢すぎるだろ。
とお思いの諸兄もおられるだろう。そこで、自分は自営業をしてみることにした。
売れる物と売れない物とかがあったが、商品開発は少し面白くて夢中になって調べものをしていた。
でも自営業って、休みを定めるのが難しくてメリハリが少なく、何より孤独過ぎた。
そして実家に帰ってきたんだった。

実家に帰ってきてから始めた工場労働は楽だったが、自分なんていてもいなくても同じのような環境のやりがいが少なすぎてストレスだった。
まれに忙しい日もあったが、むしろそういう日のほうが充実感はあった。
しかし工場は休みも収入も多くて仕事も楽。やりたいことのない人間にはピッタリだろう。

僕は本質的に、やりたいことがない人間で、何者かになろうとする信心が無く、疲れやすく、世間の需要で仕事を決めるが人の心が分からないASDだ。
矛盾しているところもあるが、これが真実だ。
やりたいことがあったり何者かになることに抵抗を感じず競争心もある定型発達者とは違う人種で、常識も通じないのだろう。

しかしまあ、これほどまで悩むってのは、やはり何がしかの躊躇とか後悔とかを予測しているからだとも思う。
本当に嫌だったらもっとサクッと辞めてしまっている。

日記

4日は雨の休日。
周期的に雨が来るおかげで3週連続の雨の休日だ。
休日に気晴らししていたおかげで騙し騙ししていたが、抑圧もそろそろ限界というか。

雨だから、図書館や自室で今までの自分の仕事の遍歴を思い返していく。
バイトくらいなら色々な仕事が出来るけど、一生やろうと出来る仕事って僕にとってはごくわずかなんじゃないだろうか。
定型発達者なら従属意識が強いから、一度就いたらその役割に躊躇なくのめり込んでいけるのかもしれない?
自分は従属意識が弱いから、一生やろうとすると嫌なところが目に付いて「根本的に性格に合う仕事じゃない」と思ってしまうのだろうか。

10代、20代の頃はごく普通の世間一般のイメージ通りに、「やりたいこと」を仕事にするべきだとしていた。
だけど、やり続けていれば興味はしぼんでいく。
最初は新鮮さの魔力に憑りつかれてやっていけるが、それが無くなったら、自分の協調性の少なさとかで非常に生きづらくなる。
だから、たった一人で生きてたった一人で出来る仕事をしようとした。
でもそれも、ちと孤独過ぎたし興味がしぼめば生きる手段としての効率の悪さが目に付いた。

実家に帰ってきて始めた工場も、まあ辞めちゃったんだけど、嫌だった理由は虚無感だけじゃなかった気がする。
自分は毎日毎日、日常的に他人との折衝がある業務が苦手だ。
頑張れば低レベルだけど出来なくはない。
だけどずっとそれが続くのかと思ったり、やり続けていくのは、疲れる。

ライン作業のようなものはつまらないが精神的には安定していた。
自分の今までの人生を鑑みると、日常は一人で黙々と働ける定型業務、たまに非定型業務をする、ってのが特性に合っていると思う。
自分のようなASDには続けていける仕事の範囲が非常に狭い。
でも見つけたら、自己肯定感も高まって収入も上がって、それなりに幸せに生きていけるんじゃないだろうか。
30代の仕事探しは今までやってきた経験が重視されるが、それは定型発達者の話で、他の発達障害は特性に注目したほうが良いんじゃないか。

日記

抑うつ気分はまだまだ収まらない。
昨日も不眠に悩まされた。
不眠の時は辛い。
身体を掻きむしるかのようなじれったさ(?)があり、突発的に飛び降りたくもなる。

帰宅後はゲームとかはせずに、鬱病に関することを調べている。
そして見つけて面白かったのが、『パラダイムシフト』って鬱を題材にした漫画。
鬱の発症や付き合いや治療に関する漫画。
この漫画の中ではアドラー心理学が治療シーンで重要なポジションに就く。
アドラー心理学の教えは何回か読んだことがあるが、改めて漫画で読み直すと色々としっくりくるところがあって良い。
鬱病で苦しんでいる人たちはいるが、実は鬱病になりたくてなっている。
そんな馬鹿な、鬱を甘く見過ぎだ、と反射的に思えるだろう。
根源にあるのは不安とか苦しさとかそういうので、理性で心の叫びを無視したり抑えつけていたからなるのだ。
過去の狐憑きや悪魔憑きが無くなって鬱病が増えたのは、そういう状態を人が望んだからだ。

僕の今の精神は不調である。
不調である状態を望む。
なぜならこの仕事を好きになろうという義務感があるのに理想ほどには好きになれない齟齬があるから、なのではないか。
仕事行きたくねえ(行かないと…)、どっちでも良いじゃないか(はい、分かりました)、遊びに行きてえ(仕事行かないと…)
わがままな心を抑えつけ、本心では嫌なことから逃れるために、鬱病になりたくてなっている。

心の声を聴いて、認めて。
もやもやした暗い気分は鬱じゃなくて、心と心を抑えつけている理性の戦闘、とか。
僕はこの仕事を好きにならないと、と思っていた。でも、本心は、あまりやりたいとは思ってないのよね。
ASDとか向いてないとかそういうのは、言い訳に近い。