2021.03.31 飽きるのなら場所そのものを変えるか、少しずつ変えるか

今は生家で暮らしている。
何十年も見た光景、何十年も過ごした部屋、食事、生活様式…飽きたと言えば飽きた、と確信を持って言える。
だから、この場所を変えるべきかと思うか。
理想郷を探して、そこで死ぬまでずっと飽きずに幸せに生きれるものだと信じているか。

どこで生きていても、飽きることはあるんじゃないか。
能動的に何もしなくとも、面白く生き続けられる場所なんて、存在しないんじゃないか。
子供の頃はいつかはそういう環境に行き着くんだと無責任に思っていたから、未来に希望を持っていたが。

全く同じ生活様式と職場の往復で終える人生に、飽きるのは当然だ。誰だってそうだ。
だから飽きずに生きていけてる人は、実は同じように見えて少しずつ違うことを日常の中で行っている。
持ち物を変えてみたり、余暇の過ごし方を少し変えてみたりとか。
そんな小さなことでも面白さを感じれるもの、らしい。心理学的には。

というわけで、僕の生活も少しずつ変えてみようかと思う。
今は殺風景な壁に好きな絵を飾ってみたり、自室の窓がすりガラスなので普通の透明ガラスにしたりしたいと思っている。
まあ独身なら日常の変化なんてこんなもんだったりだが、やはり結婚して子育てすると、全く受動的に生きているのに変化を感じられるんだろうと思う。
何もしなくとも子供は成長する。自分が変化せずともパートナーが変化して自分も変化することもある。
自分一人だけじゃあ変化も少ないさ。
ただゆっくりと、老いていくだけで…

日記

Posted by YU