徳島県の登山

美馬市木屋平とつるぎ町一宇の境にある剣山地の一角、中尾山と赤帽子山に2020年10月11日登ってきました。
赤帽子山は標高1600mほどありますが、登山口が既に1100mほどあるので、気軽に高山的雰囲気を楽しめる良い山です。

ルート・登山口

中尾山は展望のほとんどない山なので、赤帽子山がハイライトとなります。
赤帽子山へは西側の夫婦池・丸笹山からも行くことが出来、車の手配が出来るのなら縦走すると面白いことでしょう。

今回は中尾山高原から登り始め、ピストンすることにしました。

中尾山高原はグラススキーを初めとする様々なアクティビティを楽しめる、徳島県内でも有数のレジャースポット。
子供と一緒に来るのも良いでしょうが、美しい景色をのんびりと楽しんでも満足いくと思います。

登山口にはトイレ・休憩所あり。
なお登山口出発時のこの日この時、天気予報では「晴れ時々曇り」だったのに、小雨でした…

登山の様子

小雨ですが、山頂に行く時間には晴れていることを期待して、カッパ着て出発。
もう本格的な秋だからか、早朝は寒いですね。
登り始めはネックウォーマーも装備してました。

最初はグラススキー場横を歩いていきます。
「赤帽子山へ」という標識は多くたっているので迷いにくいでしょう。
何回か林道を横切る時がありますが、そういうところにも標識はちゃんと付いています。

グラススキー場を登り切ったら中尾山への登山となりますが、歩きやすい道です。
エノコログサのような苔が繁茂していたのが印象的。
阿波の緑色片岩とスギ林の中を登っていきます。

展望台跡まで登ると、稜線歩き開始。
中尾山山頂は分岐点から北側にありますが、分かりづらくて展望も無いので、行くか行かないかは気分で良いでしょう。

赤帽子山への稜線歩きも特に危険な箇所は無し。
しいて言うなら稜線が少し広く北側に巻くところが多いので、テープを見逃さないように細かくルートファインディングしていくと楽に歩けることでしょう。

3分の2ほど進むと笹原になり、眺望が開けます。
普通ならここら辺から快適な天空散歩…となるはずが、この日時はガス!
笹原は緩やかで歩きやすく、山頂もすぐ。
地形図では三角点がある場所が山頂となっていますが、看板があるのはもう少し先の小高い丘の上。
看板があるほうが若干高いです。

この日のハイライト、赤帽子山の山頂は、小雨!
Oh…
ま、まあ、各種の天気予報では晴れだったし雨雲レーダーでも雨雲無かったし、事前の調査はやり切っていたということで、諦めます。
今回は不運だったということで…

山頂でいくらか休憩だけしたら出発。
下山を開始して1時間後、だんだん陽射しが届いてきて木々の間から遠くの山並みが見えるようになってきました。
道行く登山者からも「これからが最高だよ!」と言われる…
ああ、惜しかったか!

中尾山の山頂にも寄りましたが、特に見るものなし。
グラススキー場に着く頃はすっかり晴れて、剣山の山頂はガスっていたようですがそれ以外は綺麗に晴れてましたよ!

登り1時間40分、下り1時間10分、累積標高差は640mほど。

下山後は「つるぎの湯 大桜」で汗を流し、「おお峰食堂」で食事。
徳島市辺りは恨めしいくらいの綺麗な青空で、「今日はこっちで遊んだ方が良かったかな…」と若干後悔。
何だかものすごく眠くて、帰宅後はベッドに飛び込んでそのまま3時間ほども昼寝してしまいました。

仕事

2020年の2月から9月まで、WDBの派遣社員として工場で分析業務を行ってました。

Uターン転職しよう、と決めて初めて行った仕事です。
研修~仕事探しは、Uターン前に行いました。
派遣先との面談以降は、Uターン後です。

研修

ウェブで仕事探しの申し込みをした後、最初に「適正保証研修」なるものを受けました。
研修というより、今現在自分がどの程度の知識や基本的技術があるかの試験、のようなものだった記憶があります。

その後、自分から「基礎化学研修」の受講を申し込み。
これは試料の調整・分析の基礎を学ぶ研修で、未経験・ブランク有の人が受けるもの。
自分は大学卒業からブランクがあったので受けました。
無料で、しかも研修後に入社したら祝い金がもらえます。
半分給料みたいなものですね。
2日間あったので、ついでに近場のサウナ有カプセルホテルでのんびり宿泊もしました…

正直、この研修はおススメ。
学科では濃度の計算など、実技ではメスフラスコや電子天秤の使い方を学びます。
自分がやった時は最寄りの事業所で、全国の研修生と講師が繋がるリモート研修でした。
学んだことはほぼそのまま実務に活かすことが出来て、仕事が始まってもすぐに調整作業くらいは間違いなくこなすことが出来ました。

仕事探しと派遣先との面談

WDBのマイページに「紹介できる仕事」が載っており、自分の実務経験などに応じて紹介されるものが異なるようです。
企業名や勤務場所などの詳細は実際に問い合わせないと分かりません。
自分の希望条件は「実家から通えるくらい近い場所」のみ。

Uターン前に担当がいくらか探してくれて、第一候補と第二候補を定められました。
Uターンしたのは2020年1月1日だったので、年始はバタバタする、ということで1月中旬頃に第一候補の企業で面談を行いました。
WDB担当と、派遣先人事と直属の上司となる課長が同席。

面談では志望動機が聞かれ、仕事の確認と職場環境の確認。
威圧的な雰囲気は無く、「お互いがこれで良いのか」というマッチングですね。
志望動機では特に意識高いことは一切伝えず、自分が出来ることと経験を伝えました。

その日の内に担当から「先方から貴方への希望がありました。時給は求人の+200円です」とのこと。
第二候補とも面談しようかと思ってましたが、時給+200円と先方の期待(?)が嬉しくて、「じゃあ、ここでお願いします」と返事して、職場は決まりました。

なお入社日は2月中旬で、暇だったので庭師の手伝いをしました。
今の本業がここになってます。面談と入社日に間があったのが、後々の転職に繋がった…

入社後の管理

1ヵ月に1回ある面談

WDBは他の派遣会社よりもスタッフへの管理が丁寧で、1ヵ月に1回勤務中にWDB担当との面談がありました。
出来るだけお互いが勤務時間中(平日9時~17時まで)に会えるよう、毎月日時を調整してました。
この職場には他の派遣会社の社員もいましたが、そのような面談は無く、タイムシートを送って給料をもらうだけの関係のようでしたね。

担当との面談では職場の人間が同席しないので、困ったことなどが正直に言える環境です。
人間関係が悪いとか、労働環境が悪いとか、何でも言っていいようです。
WDBは悩みを打ち明けられない孤独な環境になってしまうことを、最小限に抑えようとしているのでしょうか。
そういうところは好感が持てましたよ。
人を回すだけじゃなくて、ちゃんと「派遣」しているされている感じがあって。

後、何回も洗える形の良い布マスクももらえました。
コロナウイルス対策も色々やっていて、緊急事態宣言が出されている時は直接面談でなく電話面談のみでした。
無理に日時調整して職場まで会いに来なくても良い気もするんですが、やっぱり対面と電話は違うんでしょうね。
緊急事態宣言が出されていない時期以外は、対面で面談してました。

給与明細や有給申請はネットのマイページで

給与明細のダウンロードや有給申請などはネット上の「doconico(ドコニコ)」というマイページで行えます。
健康保険・厚生年金はちゃんと入っていて、天引きもされてます😅

タイムシートは手書き+派遣先担当者の確認印+FAXでした。
「ネット上でやらんのかい…」とも思いましたが、派遣先担当者の確認も得たいなら、やはりこのような方式になるのでしょうか。

有給は6か月働くと10日申請出来ます。
もちろん日は派遣先ともすり合わせて。
自分は7ヵ月で辞めたので、2日だけ使いました。

四半期に1度くらい「ハンドブック研修」というものがあり、入社時に渡される仕事の基本的な進め方が載ったハンドブックを元に問題が出され、ネット上で回答。

WDBへの総評

派遣社員としての労働は学生時代からいくらか経験がありましたが、社員の管理をがっつりする派遣会社に所属したのは初めてなので好感が持てるところが多かったです。
派遣会社なんて、「ここに〇人用意する」だけの口入屋としか思ってなかったので。

やはり理系派遣会社だからでしょうか、至るところがシステム化・数値化されており、合理的な派遣会社を目指していることが感じられました。
まあその分良くも悪くも『固く』、他の人のネット上の感想を読んでみると他の派遣会社と比べて溌剌さや営業力が弱い感じもあるかもですね。
ただ個人的には派遣会社の中では好きな企業で、またご縁があったら利用したり他人に奨めたりしたいなと思っているくらいです。

お金

家計簿

独身実家暮らし、30代の男の家計簿を載せます。

9月は夏休みということで、有給取って九州に2泊3日で行ったのが大きいですね。
また、9月で工場派遣労働は終わり。
10月は新米庭師となりました。

他人から見れば激動のようですが、当人は特に何も感じず、「普通」です。
家計簿も、普通です。

収支内訳

収入224,646円
給与収入(手取り)209,842円
資産運用益18円
ネット収入14,286円
雑収入500円
支出43,284円
食費0円
雑貨費8,633円
車両交通費4,569円
医療費3,220円
保険0円
娯楽費(九州旅行中の出費全て含む)23,704円
通信費3,158円
雑費1,000円
当期純利益180,362円

収入について

9月は工場派遣労働のみで、造園バイトの給料は無し。

思えば、あの仕事も楽な割にはそれなりに稼げるものでした。
結局辞めたのですが、仕事へ何を求めるかという問題であって、ブラックでも何でもなかったのです。
むしろホワイトでした。
そこんところは気が向いたら一気に記録するでしょう。

特に使うことも無く、漫然と貯蓄したり投資したりしています。
奨学金返済中はもっと副業とか節約とか、そういうのに鬼気迫る勢いで努力していたんだけどなあ。
最近は「もっと稼ごう!」だなんて、ほとんど思いません。

支出について

九州旅行に関する費用が大きめ。
高速道路代や現地での食事は全て娯楽費に仕訳。

しかしそれ以外は、ほぼなんも無し。
休日は近場で釣りしたりするくらい。
気温が低くなって外に出やすくなりましたが、しかし増えるのはガソリン代くらいです。
しかもそれにしたって、燃費の良いバイクですからね。

雑費はwikipediaへの寄付。
いつもお世話になってるから。
ウィキペディアンとか、ああいうボランティアは、どのような気持ちで編集しているのだろうか。

9月の生活について

9月、何したっけ?と思って日記を読み返してみる。
基本は工場労働で特に思い出らしい思い出も無く、まあ淡々とやってました。

30代になってもやっぱり悩みはあるようで、日記のネタのために捻りだしただけかもしれないけど、色々と書いてます。
しかしこうやって何かを書くと悩みも少しだけ軽減されます。
何も書かなければ自分はどうなっていただろう。
昔から、何かしらは書いている。

10月からは新しい環境です。
嫌になることもそりゃあるでしょう。
少し嫌なことがあっても、失望し過ぎず、熱中し過ぎず、燃え尽きないように、ダラダラと続けてみようかと今は考えていますが…

日記

造園の仕事を始めて3,4日目。
公園の芝刈りの仕事。
体力はそれなりに使うが休憩所もトイレも水場も整っている場所だから、楽なものだ。
手押しの芝刈り機を使って大型芝刈り機と刈払機の間の、微妙な場所を刈っていく。

こうやって、目の前の仕事をしていたら、正直視野も狭くなる。
だから時々、自分が今までどのような人生を送って、どのような場所に住み、どのような環境で仕事をしているかを意図的に再認識している。
目の前のことしか見てなかったら、「疲労」というただの苦痛を得るだけだが、「役」を認識すれば広い世界の中の一員に思える。

今は庭師になっており、とりあえず一通りの基本的な技術と知識は得ようかと思う。
まずは2級造園技能士を取ることを目標とした。
学科と実技があり合格率もあまり高くないが、取れば庭師とはどのようなものかが何となく分かることだろう。
試験は4ヵ月後くらい。
今はまだちょっと意識するのと、申請書をちゃんと出すことだけだ。
勉強は、まだ本腰入れなくてもいけるか…
「半年毎日やれば受かります」なんて試験でも、本腰入れたのは1ヵ月くらいで受かったりしたし。
まあ、大丈夫だろう。

旅行

10月4日は休日。
曇りなので近場の観光でもすることにした。
徳島からほど近いからこそ今までちゃんと観光しなかった、香川県白鳥と引田に行った。

営業時間開始前に到着したから、まずは散策だけで観光出来るところへ。
まずは何となく寄った安戸池。
本当に何も知らずに来たが、ここはハマチなどの養殖とルアー釣りが出来るようで、日曜日だけあって人は結構多かった。
こんな釣りやすい場所で大物釣れるだなんて、面白いじゃないか。
料金は釣りにしてはちょっと高めだが、持って帰れる物が物だから良いかも。
また釣しに来るかもしれん。景色も良く、波の無い池と漣が聞こえる瀬戸内海が美しい。

次は白鳥のランプロファイアに行ってみる。
地質学的に貴重なようだ。
引き潮でないと基本的に行けないが、この時はちょっと道が沈没。
靴と靴下を脱いで進んだ。
見えたものは縞状の岩石。
素人には地層との違いがよく分からないぜ。

また引田に戻り、施設内観光。
最初に讃州井筒屋敷へ。
立派な商家で、美しい建築と庭園だけでなく引田の産業の歴史が分かる。
木がふんだんに使われ、感じられる建築って、やっぱり好きだよ。

引田の町はところどころに古い家が残り、密集した町。
漁師町とも商家町とも思える。
静かな散歩を楽しんだ。

引田の歴史民俗資料館にも行ってみた。
無料だが、市の資料館の割にはなかなかいい感じだった。
地元のことを過不足なく伝えているような気がする。
我が故郷にも、このくらいのものが必要なのではなかろうか・

白鳥はあまり行くところないかなあ、と思っていたが白鳥神社に行ってみた。
回廊が長く、松原が美しく、由緒正しい神社のようだ。
境内すぐ近くにはクスノキの巨木がある。
ここまで大きいと、やはり何かしら感じるものがある。

最後に引田の翼山温泉で日々の疲れを癒した。
前々日から造園業を本業としたが、ずっと続くから疲労回復を意図的に行わなければならないと思う。
久しぶりにサウナと水風呂の温冷交代浴を2セットやったら、身体の奥深くのつっかえが少し無くなったような、根本的な疲労が軽減出来た気がする。
人間、やれと言われれば一応は動ける。しかし根本的な疲労が溜まっていたら、自律的には動けない。
これからも休日はどこかの温泉に入ろうかしら。
最近涼しくなって心地よいし。

そんなに離れてない場所を観光したが、なかなか楽しくて気持ちの良いものだった。

日記

バイトに行っていた造園業を本格的に始め、庭師になることになった。
しかし今はまだバイトの時と作業はほぼ変わらず。
扱いも、隔日で来る人から、毎日来る人に変わっただけだ。

刈込バサミやエンジントリマーの使い方も少しずつ分かってきたものの、庭師の仕事はそれだけじゃない。
車の配置、脚立の置き場、養生シートの拡げ方などなど、1つ1つにコツがあって日々勉強である。
一連の作業とかは聞いてすぐに出来るタイプではなくて、記憶して次回から上手くやれるようになるタイプだと、自分は思う。
だから指示を聞いても「あれ?これってこれで良かったっけ?」と思うことも多く、なかなかすんなりとはいかないね。
しょうがない。自分はそういうタイプなのだ。

体力の使用量もバイトの時とあまり変わらないが、しかしこれが毎日続くのかと思うとちょっとだるい。
1日だけなら100%使っても良いが、毎日やるなら80%以上は使えない。
明日に支障をきたさず、安定して仕事が出来るのがプロだ。

今はまだ「これが天職だ!」とまでは思えない。
ただ、故郷の風景を作る一助になれていると考えると、感慨深いものがある。
芸術的な庭を作りたいというより、ランドスケープアーキテクチャーとしての造園業者になりたいと今は思う。

日記

最後の9月29、30日に最後の工場勤務を終えた。
2月から何だかんだで7ヵ月近く働いた。
以前は半年ほどの住み込みバイトをしたこともあり、その終わりは非常に感慨深いものがあった。
だから今回も最後くらいは何かしらの感情が湧くのだろうかと思った。

だが、ほとんど感情が湧かなかった。
感情が湧かないことにびっくり、という感情だけしかないくらい。
ごくごく普通に勤務をして、ちょろっと挨拶して片付けしたくらい。
「俺はやった」「これが最後だ、明日からは…」などの達成感や寂寥感は無かった。

住み込みバイトと違って、同時に生活環境も大きく変わらないから、なのだろう。
職が変わっても実家暮らしなのは相変わらずで、バイトが本職になるから生活リズムも既に分かっている。
0か100かくらい、変わりすぎるわけではない。
そのことが無感情の原因か。
学生時代の頃のバイトも大した達成感は無かったし、そんなもんか。

住み込みバイト、期間工の終わりの日、あの感覚は今でも忘れられない。
ある期間が1つのパッケージとして仕上がっている、出来の良い物語のようだった。