日記

仕事は、まあいつも通り。
プライベートも、まあいつも通り。

分析化学は特別好きというわけではないが、近場で働きたい場合はそこそこ求人があって給料もまあまあなので、技術者として生きるのは経済的に見て悪くはない選択肢だ。
というわけで、自分のキャリアアップのために分析化学の勉強を始めることにした。
「基礎化学なんて大学でもやった」という自負はあるが、やはりブランクがあるので、分析化学の基礎の本をメルカリで中古で購入。

そして仕事が暇なときに読み始めるが…意外に難しい。
「初学者向けとして、高校化学程度の知識を前提にしています」とは書いているが、本当に高校化学を前提にしている。
化学Ⅰだけでなく、Ⅱの知識や考えも必要だし、イオン化傾向や炎色反応や金属イオンの沈殿反応ある程度の暗記が残っていること前提だ。
多種多様な分析器具が登場し、その基本原理のみが記述されているが、新しい単語がめちゃくちゃ多く登場するし多様な知識を前提にしているので難しい。
本当に初学者向けなのだろうかと思うし、工業高校卒レベルならかなり難しいんじゃないだろうか。

しかしこれらの知識くらいがないと、分析作業者にはなれても分析技術者にはなれないだろう。
作業者のままだと本当に今の職場のような、ただの『工員』にしかならない。
分析化学は特別な興味は無いが金とキャリアにはなる。だからまあ、やるか。

民俗学

逝きし世の面影

あらすじと目次

昭和を問うなら開国を問え。そのためには開国以前の文明を問え……。幕末から明治に日本を訪れた、異邦人による訪日記を読破。日本近代が失ったものの意味を根本から問い直した超大作。

第1章 ある文明の幻影
第2章 陽気な人びと
第3章 簡素とゆたかさ
第4章 親和と礼節
第5章 尾雑多と充溢
第6章 労働と身体
第7章 自由と身分
第8章 裸体と性
第9章 女の位相
第10章 子どもの楽園
第11章 風景とコスモス
第12章 生類とコスモス
第13章 信仰と祭
第14章 心の垣根
あとがき
平凡社ライブラリー版 あとがき
解説 共感は理解の最良の方法である 平川祐弘

(平凡社より引用)

感想

外国人という「観察者の視点」を持つ人々

自国・我々の文化や文明を知りたい場合、実は当人が記録したものは使いづらいものである。
その理由は、私たちが知りたい多くのものは、彼らにとって「記録に値しない常識」であるから。

滅んだ古い日本文明の在りし日の姿を偲ぶには、私たちは異邦人の証言に頼らねばならない。
なぜなら、私たちの祖先があまりにも当然のこととして記述しなかったこと、いや記述以前に自覚すらしなかった自国の文明の特質が、文化人類学の定石通り、異邦人によって記録されているからである。
文化人類学はある文化に特有なコードは、その文化に属する人間によっては意識されにくく、従って記録されにくいことを教えている。

p18-19

そういう訳で、この本では外国の影響がまだ少なかった幕末の、開国直後に来日した欧米人の見聞録をまとめて、日本がまだ純粋に『日本』であった時代の模様を映し出そうとしている。
時代が進んで明治になれば、その知識人が江戸を語ることもあるだろう。
しかし、それもまたフィルターのかかったものである。
明治の日本人が語る江戸の日本も有用な情報であるが、欧米人の視点もまた非常に有用であるはずだ。

しかしこの「文化や文明の特質は異文化に生きる人びとの視点が必要である」というのは、歴史民俗学以外の分野でも活用できる考えだろう。
例えば、観光である。地元民なら分からない魅力が、異域の人なら分かることが多い。
住民が観光ガイドを企画するより、異文化の人間を招聘したほうが良いかもしれない。

開国・技術革新がもたらしうる苦難を知っていた

教科書などでは「欧米人が日本に開国を要求した」というのは知っているが、彼らの心情の全てまでは把握していなかった。
単に、「自国の利益」や「妄信的キリスト教精神の押し売り」から、独善的に日本を開国させたと思っていた。

だが、その考えは100%正しいというわけではないようだ。
欧米人もまた、産業革命以前は江戸時代の日本と同様、大企業や資本家が労働者から搾取せずに個人が個人で仕事を行っていたのである。
日本にやってきた欧米人の多数は進歩的な人々であったと思うが、それでも過去の牧歌的な自国の雰囲気を想起させられ、日本にノスタルジアを感じていた。

彼らが日本という異文化との遭遇において経験したのは、近代以前の人間の生活様式という普遍的な主題だった。
異文化とは実は異時間だったのである。

(欧米人の)彼らの眼には、初期工業化社会が生み出した都市のスラム街、そこでの悲惨な貧困と道徳的崩壊という対照が浮かんでいたのだ。

ひとは働かねばならぬときは自主的に働き、油を売りたいときはこれまた自主的に油を売ったのである。
(中略)(近代工業化以前の)19世紀初頭のヨーロッパにおいても、ひとは働きたいときに働き、休みたいときに休んだ。

p59,p132,p238

人々と機械が一か所に集まって効率的な生産を行うマニュファクチュア(工場制手工業・工場制機械工業)は、確かに大規模な生産を可能にした。
しかしそこで生まれたのは、急速に拡大していく貧富の差である。
以前から貴族と庶民の間に階級の格差はあれど、更に資本家と労働者の間に更に大きな格差が生まれていくようになった。
皆等しく貧しいよりも、全体的には豊かになっても格差が大きければ、人は貧しさを感じやすい。
その結果、治安や人心の悪化が起こる。

(通訳のヒュースケンの日記より)
「いまや私が愛しさを覚えはじめている国よ。
この進歩は本当にお前のための文明なのか。

この国の人々の質朴な習俗とともに、その飾り気のなさを私は賛美する。
この国土の豊かさを見、至るところに満ちている子供たちの貧しい笑い声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見出すことが出来なかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪意を持ち込もうとしているように思われてならない」

p14

驚くことに、欧米人たちの中にはこの開国がもたらす変化の行く末を案じる人々がいたのである。
自国の歴史を少なからず批判的に客観視し、それを異国に当てはめ予測する能力、現代人の私から見ても全くもってその慧眼に感服する。
しかしどれだけ個人レベルで人々の幸福を案じようとも、政治的・技術的な革新を止めることは難しい。
この変化が不可逆的なものであることを既に知っているからこそ、今この瞬間の夢幻の様相を博物的に書き留めて後世に残そうとしていたのだ。

日本人は一種の鷹揚なニヒリストだった

この「逝きし世の面影」には、異邦人の視点を借りて、江戸の日本の雰囲気を味わうことが出来る。
個人的に印象に残ったものを以下に記す。

  • 日本人の生活は上は将軍から下は庶民まで質素でシンプルである。
    救いようのない貧困層がいない。
    (第3章 簡素とゆたかさ)
  • 幕藩権力は禁令を出していても、行き過ぎなければ慣習法を見逃し、民衆の自治意識に任せた。
    日本人の使用人は、自分が正しいと思ったことを行い、例え主人の命令でも背くことがあった。
    (第7章 自由と身分)
  • 性愛は恥じらうものでも隠すものでもなかった。
    (第8章 裸体と性)
  • 「愛は恋と無縁に、義務という束縛の形をとって育つ」
    (第9章 女の位相)
  • 世界的に見ても大都市だった江戸は市街部と郊外に連続性があり、「大きな村」だった。
    (第11章 風景とコスモス)
  • 上流階級は無神論者で、日頃寺社に参詣するのは貧乏人や女子供のみである。
    「日本では宗教は娯楽だ」
    しかし日本では儀礼の踏襲によって宗教的意識を持たせるもので、キリスト教ではプロテスタントよりロシア正教やカトリックに似ている。
    (第13章 信仰と祭)

全体的に過去の日本人というのは、プロテスタントのような厳格な人々と比べれば、不真面目で開放的で鷹揚で自己顕示欲が少ないようである。
子供だけでなく大人も凧揚げなどで精一杯遊ぶし、小物細工は妙に拘って自身の力を競い合うし、他人に怒ることは少ない。
人懐っこく献身的で警戒心が少なく、かえって図々しくも見える。

このように不真面目に見える日本人の態度には欧米人たちは困惑をしたことも多く、見下すこともあった。
しかしこの様相も、更にもっと俯瞰的に見れば、実はこの世の真理に近づいた結果なのかもしれない。

(オールコックが言うには)日本の社会にはすぐれてキリスト教的な要素である精神主義、「内面的で超人的な理想、彼岸への憧れおよび絶対的な美と幸福へのあの密かな衝動」が欠けており、同じく芸術にも「霊感・高尚な憧れ・絶対への躍動」が欠けているのである。

(東海道中膝栗毛について)要するにこの物語を貫いているのは、この世を真面目にとる奴は阿呆だという精神だろう。
この世も人間もたかが知れている。
(中略)それはニヒリズムと背中合わせの感覚であるだろう。

(大火事にあって)「日本人はいつに変わらぬ陽気さとのんきさを保っていた。
不幸に襲われたことをいつまでも嘆いて時間を無駄にしたりしなかった。
持ち物すべてを失ったにもかかわらずである。
日本人の性格中、異彩を保つのが、不幸や廃墟を前にして発揮される勇気と沈着である」
そういう日本人を『宿命論者』と呼んだ。

p570,p574,p507

日本国は地学的に災害が多いから、不慮の事故や死が欧米よりも身近にあり、その結果「上も下も同じである」「必死に努力しても、その成果はすぐに灰燼に帰す」「将来はどうなるか分からないから、今を楽しめ」という精神になった可能性はある。
現代的に言えば、当時の欧米人は『意識高い系』にも見えてしまう。

総評

この本は606ページの大作であり、しかも改行が少ないからほぼ全てのページに文字がびっしりと書いてあり、読み進めるのに時間がかかる。

また、個人的には少々、著者の意見がくどいと感じることもあった。
確かに欧米人たちや同時代を調べる別の研究者の無知な記述に批判を加えたい気持ちは分かる。
が、もう少し淡々と記述してくれたほうが、せっかちな自分としてはありがたい。

しかしほとんど知る機会の無い開国直後の欧米人の生の声を網羅的に知れる他の本は、ほとんどない。
文明開化によって技術・モノ・生活様式だけでなく人々の心までもが劇的に変化し、取り戻すことは出来なくなった。
そんな失われた『逝きし世』たる過去の日本の、その雰囲気を少しでも味わうことが出来る貴重な一冊だったと思う。

日記

1か月半ぶりに造園業のバイトをした。
近所の大きな公園で、刈払機で草刈り。
季節が進んで、午後はかなり暑い。少し気持ちが悪くなったが、まあこれは身体が慣れてないだろう。

休憩時、青空を見ながら寝る。
まあ良い仕事だ。
しかし、この好きや熱意が、いつかは無くなってしまうのが恐ろしい。
だからこの仕事を生業にしようとする覚悟が持てない。
熱意が無くても続けられるような、自分に合った仕事をしようと思った。

帰宅後、風呂に入って、チューハイを飲む。
ほろ酔いになり、多幸感に包まれる。
ほろ酔いになると頭の回転が速くなる気がするのは、なんでだろう。
いつもは邪魔する理性が働かなくなるから?理性とは自制することで、闘争と逃走を抑えるのか?
はたまた、いつもこのくらい頭は働いているが、酔うとその実感を深めるだけなのか。
自分個人は酩酊状態の方が社交的になり行動力が増すから、恋人を作るとかそういう力は付く。
じゃあもしかして、他人は自分の酩酊状態と同じようなものなのか?

日記

深夜勤をしている。
夜0時~8時30分の勤務で、時間が長いわけでは無いが、生活リズムが非常に崩れる。

通常の日勤、準夜勤なら7,8時間はぐっすり眠れるのに、深夜勤だと浅い眠りで3,4時間+1時間ほど。
睡眠効率も時間も足りないから、体にはかなりの負担になっている、ように思う。
実際起きている時はあまり頭が働かず、酩酊状態のように少しフラフラとなる。

自室は2階で、ロフトベッドで寝ているので、日中は暑い。
まだ5月であるが、出来る限り熟睡するため、もうクーラーを点け始めた。
しかし真夏なら設定温度27℃で十分涼しいというのに、この時期だと27℃設定は暑い。

暑さと睡眠不足から、余暇はゲームなどを楽しむのではなく、ベッドで大人しく読書をしている。
あーあ、職場でも読書やアウトドア趣味のことを語れたらなあ。
事実、「合わない人間たち」なのか、それとも単に彼らのことを深く知らないだけだからか。
まあこんなこと考えているのは、職場以外で人間関係が薄いからだ。もう少し家庭と職場以外の人間関係を増やしたいと思ったり。

日記

まだ勤務3か月だから、ってのもあるが、まだまだ職場で本当の自分を出せている感じはない。
「もう少し自分と境遇が似て、共感できる人物が多い環境なら、この孤独感も無くなるのか?」
と思ったこともある。
周りは高卒、結婚早く、この職場以外は碌に知らないという人が多い。
扱っているものの理論などは知らず、とりあえず前任者の方法やマニュアル通りに行動しているだけ。

「ガンガン出世したりマネジメント系の転職したりすれば、境遇が似ている人に出会うのか?」
と信じて、今はとりあえず出世の道があればすかさず目指そうとしている。

しかし、思い返せば学生の頃から孤独というか、ぼっちだったな。
学歴等が似ている人らの中でも多くの共感と共に付き合えていた、わけではない。
たまたましつこく積極的に関わってくれるグループがあったから、大学生で本当の孤独だったわけでもなかったが、まあ基本的に異端児だ。

異業種Uターン転職の大卒者は「普通」じゃないから、異端で孤独なのは当然か。
孤独を味わいたくないから、大卒が多い都会に大卒が更に集まり、地方には地元の高卒ばかりが残っていくのか?
しかし小魚の群れのように、世間の動きに忠実に真似しないと不安でしょうがない大卒者を内心見下げている気持ちも実はある。
このプライドは、やはり臥薪嘗胆の想いで出世を目指して処理するのが、現時点で一番生産的な方法?

日記

先日、山奥の集落を登山口として、山に登った。

その集落は今の車社会の中では交通の便は悪い。グネグネと曲がりくねった細い川沿いの道を通って、更に斜面を駆け上がって、ようやく家に着く。
大型のスーパーやホームセンターなどは近くには皆無で、買い出しにも不便だ。
雇われて働ける場所も少なく、通勤時間も長くなるだろう。

しかし、その天空の集落は美しかった。
花が咲き乱れ、古風な屋敷と農地があり、南から陽光が射し、眼前には山並みと青空が広がる。
頻繁に出かけず、出荷や買い出しなどで週に1回ほどしか出かけないなら、過ごしやすい場所だろう。
少ない近所の人々ともおそらく顔なじみだろう。自分は彼らよりも人口密度のある町に住んでいるが、顔なじみはごくわずかだ。

こういう所で住む人にも幸せだったり不幸があったりするのは当然だ。
だから安易に彼らに「幸せですね」とか「可哀そうですね」とかも言えないのも当然だ。
しかし少し思う。
おそらくこのような山奥の人々だって、とあるポジションに就けば日本史上で五指に入るほどの実力者になる人もいただろう。

大都会の世間の中心でそういう立場で働いて力を発揮するのが幸福か、発揮せずのびのびと生きるのが幸福か。
自分だってどこかのポジションに就けば実力者として世間で認められるのかもしれない。
しかしそれがどのポジションなのか分からないし、その時得られる生活様式に幸福を覚えるのかも分からない。
実力を発揮せずに人生を終えるのも、もったいないとは思う。

こんなようなこと、歴史上にいくらでもあっただろう。
ジグソーパズルのように、全ての人間に役割が定まっているわけでもない。
自分の熱意が導くままに、生きていく?

徳島県の登山

2020年5月7日(木)、好天の休日。

美馬郡つるぎ町一宇にある、標高1,493mの津志嶽に登ってきました。

累積標高差は1,000m近くあり、徳島県内の登山にしては長丁場となる、登りごたえのある山でした。

ルート・登山口

津志嶽への登山ルートは、東側の久藪集落からとしました。
まともな登山道は鉄塔巡視路を使う以外には、ここくらいしかないでしょう。

貞光川沿いの国道438号、つるぎ町一宇支所から少し南に来ると、石鉄神社の大きな鳥居が見えます。

ここから斜面集落の久藪へ登っていきます。
狭い道ですが、だんだん見晴らしが良くなって、川沿いに比べれば広々とした雰囲気になってきます。

登山口・駐車場となる阿弥陀堂には、いくらでも駐車できるくらいのスペースがあります。
トイレもあり、小さな集落なのに綺麗に整備してくださっていて感謝です。

なお、車道はもう少し上に続いていますが、転回場となっているので登山目的での駐車は禁止。

車道終端からは登山道開始です。

登山道の様子

海沿いで暮らす自分としては、斜面集落は不思議なことの連続です。
久藪集落ですら秘境の感があるのに、モノレールや電線は更に上へ伸びています。

途中には阿波狸発祥の地を表す祠。
調べてもよく分からず…

モノレール沿いを登っていくと、車道の通じていない場所に生活の痕跡が残る廃屋と、石鉄神社。

切り開かれ、草が刈られた美しい天上の楽園です。
人亡き後でもシャクナゲやツツジが咲き誇り、この美しさがかえって寂しくもあります。

石鉄神社からはひたすら一面の杉林の中を登ります。
ところどころに石垣や緩やかな場所があり、この辺りにもいくらか人の生活があったのでしょうかね。
秘境中の秘境に思えますが、南斜面で緩やかで、水が豊富なら、交通の便は別として自給自足で生きるには困らなかったのかな。

少々息を切らしながら登り切ったら、稜線の鞍部に到着。
ここから片道数分で秋葉山の山頂に行けますが、行ってみたら特に何もありませんでした。

鞍部から稜線上を進んでいけば、小屋のような津志嶽神社、更に進めば鉄塔。

この辺りは休憩に良いですね。
どこも下草が少なく、岩がゴロゴロしておらず、道も細くないので、座りやすいです。

鉄塔より奥にはシャクナゲ群生地。
こんな山奥ですが少しだけ水も流れており、補給も出来ます。
花と沢の、山上の別天地ですね。
楽園かここは。

もう一度稜線を歩いて、山頂を目指します。
山頂近くには巨木が倒れた場所があり、そこから吉野川方面を望めます。
秘境ですね。

アップダウンを繰り返して稜線を進めば、遂に津志嶽山頂に到着!

いや~結構長かった。
集落跡の緩斜面、稜線、山上の沢、細い稜線など、道中は景色が様変わりするので行程も長く感じました。

山頂は切り開かれて広々としており、大人数の休憩は可能。
ただし、周辺には木々が茂っているので、展望は微妙。
隙間からわずかに黒笠山方面が望めるのみです。

帰りは淡々と往路を辿り、下山。
駐車場の阿弥陀堂で水とパンを食べて、まったりと休憩してから、出発しました。
シャクナゲが美しく、背後の津志嶽も最高の、山上の楽園です。

登り2時間20分、下り1時間30分でした。

登山道はどこも歩きやすく、危険なところはほとんど無かったと思います。
徳島県の山にしては長丁場となるので、登りごたえのある山でした。

日記

仕事は、まあ相変わらずだ。
「いつまでに独り立ちする」というのが決まってないから、自分が出来ないことがあっても焦って学ぼうとはしてない。
「じゃ、任せた」という気概だ。

しかし今でも「もっと手伝おうとするべきか否か」と悩む。
そういう気兼ねがあって、職場環境に慣れきっているとは言えない。
会話とかも悩む。
結局ほとんど何も喋ってないが。

そう言えば前職も最初は鬱々としていた。
「いつかはここから出てやるんだ、ただの踏み台だ」と思っていた。
仕事が多くなるにつれて達成感も自信も手に入れた反面、やっぱり出来ないこともあった。
悩みはいくらでもあった。

僕にとっての良い職場環境とはなんだろう。
分からない。分からないから、とりあえず金を稼ごうとする。
金は分かりやすい、分かりやすすぎる。
熱意のために仕事をすると、その熱意が無くなった時が恐ろしい。
…分からんよ。とりあえず求人情報には常にアンテナを張っておく。

お金

独身実家暮らしの男の2020年4月の家計簿を載せます。

今月は派遣で工場で働いていたのと、コロナで少しは自粛していた生活と。

収支内訳

収入165,948円
給料(手取り)156,279円
確定資産運用益9円
ネット収入9,660円
支出109,258円
食費750円
雑貨費4,115円
車両交通費33,606円
娯楽費27,126円
通信費1,661円
雑費42,000円
当期純利益56,690円

収入について

工場で派遣で働いていました。
締日は20日なので、今月分は2月21日~3月20日までのもの。
ちょうど休みが多くなる締めだったからか、何と上記の1か月で17日間しか働いておらず。
というわけで今月分の給料も低めとなりました。

4月は造園のバイトも無かったので、そのバイト代も無し。
休日は海と山に存分に行けました。
仕事を望まれるなら仕事するし、望まれないなら一人で遊ぶ。
使用者も被用者も気楽なもんです。

資産運用益は預金の金利。
色々と含み損や含み益がありますが、それらは家計簿には入れず。

ネット収入は、ポイントサイトとアフィリエイトですね。
このサイトのアフィリエイトはないのですが、昔作ったサイトでまだ収入が発生しているのでちょっともらえてます。

金の稼ぎ方については色々と試してみましたが、やっぱりメインは給与収入です。
その他は小遣い稼ぎ程度です。

支出について

実家暮らしなので食費はごくわずか。
コロナのおかげで外食も自粛しているので、その費用はほとんど発生しませんでした。
一応実家には1ヵ月で約42,000円(雑費)入れてます。

今月は車両交通費が高め。
なぜかというと、新しいヘルメット(OGKKabuto Kazami)を購入したから。
今まで使っていたのは10年前に買ったものですからね。
流石に安全性も装着性もダメダメになってきたから、新しいのを香川のイワサキで購入。
28,160円也。
AraiやSHOEIに比べれば安いはず…
ヘルメットの寿命は2年らしいですが、本当に2年で買い換えたら、その費用は車検並みじゃないか!
大事に落とさず扱って、出来るだけ長く保たせたいものです。

娯楽費では新しい登山靴が高め。(20,460円)
これもまた12年前に購入してソールも交換しながら履いていた物が壊れたため。
これからも登山趣味を続けるなら妥当な出費です。
靴は節約できない。
まあでも、登山靴で2万円代なら安い方です。
今までシリオを履いていたからまた買おうかと思ってましたが、店頭価格で3万円だったので安いモンベルを購入。
これも香川まで行って買いました。

総評

当期純利益は56,690円。
今年はまだ住民税が引かれてないので税金は安いです。
来年度からは収入が変わらなければ手取り収入が減るはず。

コロナのおかげで仕事が減って収入が減る人が多い中、自分は恵まれている方です。
しかしこれからは新しい生活様式のおかげで、我慢が出来なくなったサービス業者が倒産し、人手が余り、景気も悪くなるかもしれません。
経済はこれからも、少なくとも自分には予測が出来ない動きになっていくことでしょう。
今月黒字だから、今年は黒字になるだなんて確信は持てません。

日記

最近は非常に気持ちいい。
バイクで走っていると11号バイパス沿いではツツジが咲き誇り、山々の緑は萌ゆる。
少々暑い時もあるかもしれないが、バイクだとちょうど良い。
青空と心地よい風と、美しい景色、この故郷の景色以上のものがあるのかと思って色々と行ったが、やはり無いかもしれない。
昔感じた幸せはやはり間違っていなかった、と思う。

松茂のいはら釣具で、3000円の4.5m錘負荷5~10号のリール付きサビキ竿を購入。
安物だが、今まで使っていた1.8mの竿では出来ないことも出来るだろう。
これからは2本差しだ。
4.5mはウキフカセとちょい投げ、1.8mは波止に魚が寄って来た時のサビキにしてみよう。
どうせ今年の夏はなかなか県外旅行とかには行けない。
いつも夏の1日だけの休日は部屋に引きこもっていたが、これからは釣りをしてみよう。
今ある環境の中でも楽しめることはいくらでもある。

この環境を持っていない他人から見れば、自分は羨ましいだろう。
そして自分もまた、他人を羨ましく思う。
それぞれに良いところと悪いところがある。ベストは無い。
だからせめて、今この瞬間の良いところを追求してみようじゃないか。